旅先の歴史ものがたり・秋田

 

秋田県には、知られざる物語があります。

町や村などの成り立ち、


その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。


「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」


「温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」


「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」


「町や村、施設の命名縁起」「地域ならではの特産物」


「国指定の国宝・重要文化財」など。


旅に出たら、こうした秋田を代表する人間物語


を訪ねてみたいものです。


旅のその先に……新しい発見が。


それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

竿灯 秋田.jpg

 

竿灯

 

 秋田県

県花

一九五四年(昭和二十九年)、NHKが<植物趣味と植物愛護の精神を目的とし、あわせて地方文化並びに

県鳥

一九六三年(昭和三十八年)に鳥獣保護連盟と日本野鳥の会の呼びかけで、県鳥をなににするか公募をしま  

県木 

一九六五年(昭和四十年)、毎日新聞社が国土緑化運動の一環として、県民に結びつきの深い樹種の選定を

秋田杉

町の面積の七十六パーセントが山林原野を占めており、藩政時代から造林に力がいれられ、良質の秋田杉が産出されています

秋田の酒 

「米の秋田は酒の国」秋田の酒は藩政時代からつづく、伝統的な地場産業のひとつです。秋田の酒の味がよいは、全国有数

秋田の民芸品

秋田の民芸品として有名なものに「菅笠」と「けらっこ」がありますが、その本場である仁井田と戸波は皆瀬川沿にあります。この

秋田の美味と名物

秋田は全国有数の「米どころ」。秋田料理は良質の秋田米を主材料にしたものがおおく、代表的な料理に「キリタンポ鍋」「だまご鍋」が

秋田の名物

秋田といいますと、お米、杉、民謡、美人、お酒となります。秋田県は東北の灘といわれますように、大変お酒のおいしい所です。この地

秋田美人

秋田といいますと、お米と杉、そして民謡と美人です。小野小町を代表とする秋田美人は、雪のように白い肌と美しい鼻すじを持っております。

秋田民謡

自分の生活とかけ離れた土地を訪れ、見たり聞いたり、口で味わうその土地の印象は、忘れられない思い出として心に残ると思います。

雄物川 

秋田県南部、山形県との県境に近い雄勝郡雄勝町上院内南沢に源を発し、県内最大の穀倉地帯である横手盆地をうるおし、出羽山地に

竿灯について

この竿灯の起こりにはいくつかの説がありますが、夏に体のけがれや睡魔を流して追いはらい、活力を取りもどそうとする、「眠り流し」か

館の堀の内

秋田県内の各地で、”堀の内”の地名や”館の跡”、とよばれる遺跡が数多くありますが、これらはいずれも、中世農村内における、領主的な

米代川

岩手県安代町にみなもとを発し、花輪盆地、大館盆地、鷹巣盆地をつくり、能代平野から日本海にそそいでいます。流域は日本三大美林と

座頭の松 にかほ市象潟町

いつの頃か、山の麓の雪もようやく消え始め春の訪れを告げる頃、久しぶりに山に出かけた象潟のお百姓がこの長坂まで登って参りますと、大きな

ハタハタとショッッル 

「秋田名物 八森(はちもり)ハタハタ 男鹿では男鹿ブリコ アーソレソレ 能代春慶(のしろしゅんけい) 檜山(ひやま)なっとう 大館

栗駒山 

栗駒山(一六二八)は、別名須川岳、大日岳ともよばれ、秋田、岩手、宮城の三県にまたがるコニーデ型休火山です。国定公園に指定された周辺に

羽州街道

国道一三号に、ほぼ並行して通っている道を羽州街道といいます。江戸時代に五街道の一つである奥州街道の脇街道としてつくられましたが、秋田

鳥海山

山形・秋田両県にまたがり、日本海まで裾野を長くひいた稜線の美しい成層火山で、その秀麗な姿は出羽富士とも秋田富士ともいわれています。

秋田港 秋田市

秋田港はまえは土崎港とよばれ、雄物川の河□に位置し、ふるくから日本海沿岸の主要な港としてさかえてきました。雄物川の川筋がたいへん

秋田市

秋田市はもと「飽田」とよばれる荒野でしたが、奈良時代にエゾを鎮圧するために高清水岡(秋田市内寺内あたり)に出羽柵が置かれ、これがの

秋田市について

アキタの名前が歴史にはじめて登場するのは「日本書紀」の六五八年(斉明天皇四年)のことで、この年阿倍比羅夫が齶田(あきた)・渟代(のし

石川理紀之助 秋田市(出羽国秋田郡金足村)

石川理紀之助は一八七二年(明治五年)、秋田県の勧業課につとめ、水稲の品種改良・腐米改良などの指導をし、種苗交換や

栗田神社・栗田定之丞 秋田市新屋栗田町

秋田県の海岸は、北の山本郡八森町から南の由利郡象潟町までの約百二十キロが、ほとんど砂丘になっています。冬は北西の季節風

岨谷峡(岩見岨谷峡) 秋田市河辺岩見

岩見川の上流にあたる大叉川流域は、岩見岨谷峡とよばれる峡谷で、西木村との境の山地に端を発する大叉川が深い谷をつくっています。

筑紫の森 岩脈 秋田市河辺三内

岩見三内の部落で岩見川は二ツに別れます。右が岩見川、左が三内川でその上流、標高三百九十一メートルの所に筑紫森(ちくしのもり

千本垂木・筑紫森 秋田市河辺三内

三内川ぞいに岩見ダムや、標高三九一メートルの筑紫森があります。筑紫森の中腹から山頂にかけては、岩脈が露出していて、扉風を

海山徳次郎 秋田市金足追分

日本海に面した一帯は砂丘が多く、海山徳次郎はこの砂丘を利用してはじめて、果樹の栽培をこころみました。追分に住む海山徳次郎は、

旧奈良家住居 秋田市金足小泉

旧奈良家住居は一七五一〜六四年(宝暦年間)に、奈良家九代目喜兵衛門が銀七十貫の費用と三年の歳月をかけて建てたもので、農家建築

県立博物館 秋田市金足鳰崎

郷土秋田の美術、工芸、考古、歴史、民俗、生物、地質を大人から子供まで、あらゆる年齢層の人々に理解してもらおうと、一九八○年

小泉潟公園 秋田市金足鳰崎後

男潟と女潟の二つの池があり、この池と周辺が県立都市公園になっています。園内には県立博物館、芝生広場、菖蒲園、レクリエーション

千秋公園・久保田城址 秋田市千秋公園

水戸(茨城県)から移った佐竹義宣は、しばらくは土崎にお城をかまえておりましたが、のちに久保田の神明山、ただ今の千秋公園に新しい

秋田県立美術館 秋田市千秋明徳町

県立美術館は常設展示場になっており、平野政吉の友人であった藤田嗣治のコレクションは日本最大級といわれ、なかでも圧巻は、

土崎 秋田市土崎港

土崎港は古く室町時代から秋田湊として知られ、三国、七尾、岩瀬、新潟、酒田、十三湊とともに日本海北国海運の七湊としてさかえてい

港まつり 秋田市土崎港

湊城のあった跡に神明社が建られています。毎年七月二十日と二十一日にここで行われる例祭は、港まつりとしては秋田市でもっとも

秋田城跡 秋田市寺内大畑

奈良時代の七○八(和銅元)年、越後国出羽郡(現在の山形県庄内地方)に政府の施設である出羽柵がおかれました。七一二年(同五年)に

金照寺山 秋田市楢山金照町

古くはこの山を楢山とよんでいました。この山のふもとにある金照寺は、佐竹藩主の祈願所となっていました。山頂付近は芝におおわれ、

仁井田 秋田市仁井田

仁井田は秋田フキの栽培地として知られています。秋田の名物を並べた「秋田音頭」の一節に、傘の代わりになると歌われている秋田フキは

フキと殿様 秋田市仁井田

秋田フキについて、次の様なおはなしがあります。寛延元年(一七四八)の徳川時代、江戸城の大広間で、各地から集った大名達が

民話「いなにわ物語」・稲庭のいわれ

昔、太平の赤沼近くに、金持でケチな婆(ばんば)が住んでいました。朝は、ニワトリが鳴かないうちから起きて、ドデドデドンドコ、太鼓

 

角館武家屋敷通り.jpg

 

武家屋敷通り

 

太平山 秋田市広面

標高千百七十一メートルの太平山です。むかしから霊場として知られている山で、山頂には三吉神社奥宮があります。付近は

梵天祭 秋田市広面

毎年一月十七日三吉神社で、秋田市の冬の最大の祭りである梵天祭が行われます。この三吉神社は市内の赤沼にあり、太平山にある神社の

八橋油田 秋田市八橋大道東

一八六九年(明治二年)、秋田藩の御用商人千蒲善五郎が草生津川の下流に石油のわきでているところを発見し、そこに小池を掘り、水面に

大館市

忠犬ハチ公で有名な秋田犬の発祥地と知られるこの大館市は、盆地のなかの小さな町で、秋田名物の曲げわっぱ、きりたんぽ、トンブリなどの

大館城跡・桂城跡 大館市

大館市街地の中心にある桂城公園は、天文一九年(一五五○)に浅利勝頼が、大館に城を築いたと記録されていますが、はっきりしたことは

大館の祭り 大館市

大館では冬の風物詩「アメッコ市」が二月一一、一二日の両日に大町通りを中心に開かれます。四○○年以上の伝統を誇こるこの市は

長木の大蕗 大館市

昭和三三年に大館と合併されるまで、この辺りは長木村といわれ蕗の名産地として知られていたところです。五代目秋田藩主佐竹義峯公

大文字焼 大館市

アメッコ市が冬の風物詩なら、夏の風物詩は八月六日におこなわれる、鳳鳳山(五二○m)の大文字焼きでしょう。日中の夏祭りは市内大町

田代岳県立自然公園 大館市

秋葉山の麓には岩神貯水池を中心とした自然公園があります。池畔の周囲約五万平方キロには八重桜など二二種類、約一万二○○○本の

遍照院 大館市字上町

桂城公園の東側にある遍照院は、佐竹西家の祈願所だったところです。本尊の薬師如来は戊辰戦争で焼けたため、現在は不動尊を祀って

蓮荘寺 大館市字大館

日蓮宗の妙法山蓮荘寺は、もと常陸国太田南沢にあった寺で、佐竹氏と共に元和年中(一六一五~二四)にこの地に移ってきました。境内

玉林寺 大館市大館

曹洞宗の鳳凰山玉林寺です。中世の豪族浅利氏の祈祷所だったところで永禄七年(一五六四)に浅利則頼が鳳凰山麓に建立したのが

浄応寺 大館市大館

真宗大谷派の松栄山浄応寺は、明応年間(一四九二~一五○○)に、蓮如上人の法弟である誉田道願法師が開山したお寺です。境内に

八坂神社 大館市片山

坂上田村麻呂が蝦夷征伐のさい、キュウリの舟にのってこの神社のあたりにやってきました。窮地におちいったどき、このキュウリを食べて

小林多喜二生誕地 大館市川口

プロレタリア作家として知られる小林多喜二は、大館川口(秋田県北秋田郡下川沿村川口字長里236-1)の生まれです。多喜二は一九○一二

マタギ定六と忠犬シロ 大館市葛原

今から数百年前のこと、鹿角市大湯の草木に定六(さだろく)というマタギが住んでいました。先祖の功労によって領主から”天下ご免”の

老犬神社 大館市葛原

その昔、南部領瀬田石村と境を接するため、境口番所が設けられていました。対岸葛原には、忠犬シロとマタギ定六の哀話を伝える老犬神社

秋田犬会館 大館市三ノ丸

昭和五三年五月、秋田犬保存会の五○周年記念事業として建設され、秋田犬のすべてを一堂に集めたのがこの秋田犬会館です。全国唯一

大滝温泉 大館市十二所

温泉の歴史は古く、約一五○○年の昔、どこからともなく一羽の傷ついた鶴が舞いおり、草むらで憩うこと数日、再びどこかへ飛び去って

十二所城跡 大館市十二所

中世の浅利氏の家臣、十二所信濃が館としていたところで、佐竹氏の時代には南部藩との国境の要地として重視され、久保田、湊、横手、

三哲神社 大館市十二所

古くは蝦夷ヶ森と呼ばれた三哲山(三九三メートル)の中腹に三哲神社があります。ここには重税に抵抗し弱きを助けた義侠の人、医者の

男神と女神 大館市白沢

米代川に沿って神田集落から松山あたりにかけて、右側にそびえる岩山が男神、左側の断がいが女神ど呼ばれていました。それぞれの中腹

山田記念館 大館市常盤木町

この山田記念館は、秋田三鶏といわれる声良鶏、比内鶏、金八鶏の育成、保存に貢献した山田定治氏の功績をたたえて山田氏の屋敷内

袈裟掛 大館市と小坂町の境

その昔(慶長年間)、秋田藩と南部藩で境界争いをしたところです。この争いは七二年間もかかって、秋田・大館の市域になっています。

大館神明社 大館市中神明町

中神明町には古神明社から移ってきた、といわれる大館の鎮守大館神明社があります。本来は現在の泉町に残っている古神明社が、

安藤昌益 大館市二井田

安藤昌益の出身地は二井田です。、江戸時代中期の思想家です。万人が平等に田畑を耕す自然の世界を理想とし、身分制の世の中を

二井田 大館市

二井田の集落は、古くから”贄(にえ)の里”や”館(たて)”の古い地名が残るところから「贄柵(にえのさく)」があったところといわれています。

錦神社 大館市二井田

錦(にしき)神社は藤原泰衡が祀られています。村人たちが首のない泰衡の遺体を錦の直垂(ひたたれ)に包んで埋葬したということがその名

曲田福音聖堂 大館市根下戸新町

曲田集落は、天正十年(一五八二)南部の家臣、九戸判官政実が、豊臣秀吉に抵抗して敗れ、その落武者たちがつくった集落といわれ

大館八幡神社 大館市八幡

大館の初代小場義成と共に移ってきたのが大館八幡神社です。万治元年(一六五八)、二代義易が現在地に再建したものです。当時の

比内町 大館市

この比内の地名は、鹿角郡一帯の古い呼名で、甲斐源氏の流れをくむ浅利則頼が永正十五年(一五一八)独鈷(とっこ)に城を築いてか

達子森 大館市比内町

扇田の市街地の西にあるおわんを伏せたような形が達子森(二○七メートル)です。弁慶が背負って来て、一夜あけたら根づいたという伝説

一心院 大館市谷地町後

谷地町にある一心院は、小場義成が常陸小場より移した寺です。境内には真田幸村の墓とされているものがあります。

雪沢温泉 大館市雪沢

昭和三八年に地質調査ボーリングをしていた時に湧き出た温泉、雪沢温泉が長木川渓谷に沿ってあります。近くには四十八滝や保養所

水沢館跡 大館市雪沢

黒沢・赤沢道の分岐点に地元では”タテ”と呼ぶ水沢館跡があります。両端がやや高い台地で、東西約一八○メートルあり、建築した

宗福寺  大館市豊町

佐竹大館城主の菩提寺がこの宗福寺です。秋田市天徳寺の末寺にあたり、庭園がすば素晴らしく、「雨香庭(うこうてい)」、雨に香る庭

大曲市 

大曲は丸子川と雄物川の合流点にあたり、羽州街道ぞいの宿場町として、また仙北郡の穀倉地帯の中心地として発達してきた町です。

アワビ採り 男鹿市

毎年七、八月ころになりますと、男鹿の名物・アワビ採りがはじまります。赤銅色の漁師が、四キロもある鉄製のナサシを腰につけ、

男鹿の地名由来 男鹿市

「日本書紀」の斉明天皇四年(六五八年)に「阿部臣が蝦夷征伐のため鰐田浦(あきたうら)にはいったとき、、蝦夷の酋長恩荷(おんが)が

男鹿半島について 

男鹿半島は現在、日本海につきでた小さな半島ですが、大むかしは男鹿島というはなれ小島でした。それがながい年月の問に、北の米代川

潟恋橋 男鹿市

八郎潟に住んでいた八郎太郎は、八郎潟が冬になると凍ってしまうため、ほかに住み心地の良いところはないものかと探し回り、一の目潟

寒風山 男鹿市

男鹿三山のひとつです。寒風山(さむかぜやま)ともいい、古くは羽吹風山(はぶかぜやま)・妻恋山・薬師長根(やくしながね)などとよばれ

地震塚 男鹿市

一八一○年(文化七年)、この地方をおそつた地震は、六十一人の犠牲者をだし、二千軒の家屋を倒壊・焼失させたといいます。藩主佐竹

地蔵院 男鹿市

この地蔵院は、門前にあった永禅院からわかれたもので、江戸のむかしには秋田藩主佐竹氏の休憩所としてつかわれたといいます。

真山・本山 男鹿市

八六○年(貞観二年)、慈覚大師円仁が、天台宗の霊場として、布教の道場をひらいたところといわれ、、昔から大社山・お山とよぱれ、

新玉の池 男鹿市

寒風山の中で一番あとに爆発をしたといわれています。遠いむかし、この古玉の池は満々と水をたたえ、大蛇が住んでいましたが天変

五箇条の御誓文 男鹿市男鹿中滝川

五箇条の御誓文を刻んだ「誓いの御柱」です。一八六八年(慶応四年)三月十四日、京都御所で公布された、明治政府発足当初の新政

染川城跡 男鹿市北浦相川

六百年以上前、津軽の十三湊から安東兼季がきて、館をきずいたところです。波に浸食されたり、一九三九年(昭和十四年)の地震で

入道崎 男鹿市北浦入道崎 

入道岬は男鹿半島の北西端にあり、日本海に三角形につきでている海岸段丘で、海岸が約三十メートルの断崖になった、日本海を一望

入道崎灯台 男鹿市北浦入道崎 

一八九八年(明治一二十一年)十一月に点灯しています。高さは、地上二十四メートル、海面からですと五十七メートルもあり、日本海の

湯本温泉 男鹿市北浦湯本

湯本の名は男鹿で最初に発見された温泉というところからついています。蝦夷征伐のおり、坂上田村麻呂が発見したといわれています。

帆掛島 男鹿市北浦湯本

高さ三十メートルの巨大な帆を上げたような形をしているところから、この名がつけられています。「浦風の 吹くにまかする 船ならで 波間

星辻神社 男鹿市北浦湯本

七八二〜八一○年(延暦・大同年間)に坂上田村麻呂が建てたとつたえます。男鹿の人々は漁労で生活をいとなんでいたため、北斗七星

男鹿温泉・石山温泉 男鹿市北浦湯本

一九三九年(昭和十四年)に大地震があり、このときいたるところから熱湯が吹き出し、村が湯にひたるようなありさまだったそうですが、

石焼き料理 男鹿市戸

男鹿の味覚の主たるものはやはり海産物。男鹿半島には、古くからつたえられている、海産物をつかった石焼き料理があります。

丸木舟 男鹿市戸賀

最近まで男鹿半島の戸賀、加茂青砂、門前、あるいは入道崎へゆきますと、丸木舟がよく見られました。漁や海藻とりに使われていたもの

戸賀湾 男鹿市戸賀 

かつて戸賀湾はガス爆発によってできたマール湖で、一ノ目潟、二ノ目、三ノ目潟についで四ノ目潟とよばれていましたが、日本海に面した

カンカネ洞 男鹿市戸賀加茂青砂

岩の下には波の浸食でできた広い洞窟があり、波がぶつかると鐘をついたような音がするので、カンカネ洞の名がついたといわれています。

慰霊碑 男鹿市戸賀塩浜

男鹿水族館のわきに、マリア像が見えています。一九八三年(昭和五八年)五月二十六日におこった地震で亡くなった、スイス人マグダレナー

男鹿水族館 男鹿市戸賀塩浜

一九六七年(昭和四十二年)に秋田県が、二億五千万円をかけて完成した、設備・規模・内容ともに全国でも指折りの水族館です。

 

 

 

マタギ 熊.jpg

 

マタギ 熊

 

 

八望台  男鹿市戸賀塩浜中岱

一九五二年(昭和二十七年)、高松宮がみえたおり、ここからの眺望が十和田湖の発荷峠に勝るとも劣らないと感嘆し

潮瀬崎  男鹿市船川港小浜

ながめますとおだやかに見える崎も、船から望みますと、日本海の荒波が六十二メートルの断崖に襲いかかる凄絶な風景

双六館・御前落しの館 男鹿市船川港双六

時は戦国の世、館山崎に館をかまえていた阿部千寿丸(ちひろまる)は、安東脩季(ながすえ)に攻めこまれて自刃し、

椿伝説・能登山 男鹿市船川港椿

船川港椿には、全山ツバキにおおわれた能登山があります。ツバキはわりあい暖かい地方の木であり、この地はわが国で、

船川港 男鹿市船川港船川

丘陵が北西の季節風を防ぎ、昔から天然の良港として知られ、江戸時代には土崎湊(現秋田港)にはいる北前船の避難港・風待港

大龍寺 男鹿市船川港船川

中世に北奥羽の豪族であった安東氏一族の菩提寺で、一五七三〜九二年(天正年間)のころまでは女川(現船川港女川)に

門前 男鹿市船川港

男鹿文化の発祥の地、仏教文化の中心的位置を保っている、門前です。男鹿三山のひとつ本山がそびえ、その本山が

長楽寺 男鹿市船川港本山門前

八六○年(貞観二年)、日積寺の末寺として円仁が開創とつたえられ、南北朝時代の一三九一年(明徳三年)に天台宗から

赤神神社五社堂・ナマハゲ 男鹿市船川港

一晩で千段の石段をつくることを約束した鬼が、最後の一段をつくりあげようとしたとき、一番鶏が鳴いてじゃまをし、果たせなかつ

船越 男鹿市船越

かつては地つづきであり、船に陸を越えさせたため船越の地名がつけられています。むかしはもっと海岸寄りにありましたが、

孔雀窟 男鹿市南磯海岸

海賊たちが隠れ家にしたという孔雀の窟(いわや)です。男鹿半島の西海岸には十二の洞窟があり、孔雀の窟はそのなかで一番大きく

稲川町 雄勝郡稲川町

この町は昭和三十二年、稲庭、川連、三梨、駒形の四ヶ町村が合併して、発足した町です。初めは、古い伝統を生きがいにしている稲庭

与惣右衛門堰 雄勝郡稲川町

稲川町は、その昔、皆瀬川の段丘の両岸に位置するため、水の便が大変悪く、田畑に利用するには限界がありした。秋田藩の

雄勝町・小野小町の出生地 

雄勝町は雄勝峠で山形県に、鬼首峠を境にして宮城県に接しています。町は雄物川とその支流の役内川の川筋にそって発達し

須川温泉 雄勝郡東成瀬村

海抜一二○○メートルの須川温泉は栗駒山の八合目にあります。潅木や熔岩にかこまれた野趣豊かな温泉として知られ、豊富な紫外線

太平山・小玉醸造株式会社 潟上市飯田川飯塚

一八八○年(明治十三年)に創立した当時は味噌、醤油が本業でしたが、今では清酒「太平山」の酒造工場として知られています。

東湖八坂神社 潟上市天王

スサノオノミコトが祭神になっており、江戸時代までは牛頭天王社とよばれていました。毎年七月六・七日に例祭がもよおされます。

小坂鉄道・廃線 鹿角郡小坂町

小坂町には、小坂町と大館市を結ぶ小坂鉄道がありました。開通当時は小坂鉱山で採掘された鉱石や、鉱夫を運ぶのに利用され、

小坂町について 鹿角郡小坂町

樹海ラインの大部分は秋田県の小坂町を走っています。小坂町は小坂鉱山とともに生きてきた町で、鉱山の盛衰により町の

七滝 鹿角郡小坂町

六十メートルの高さから七段にわたって落ちる滝は、「日本の滝百選」の一つに選ばれています。滝の左手には龍神様を祀る

小坂鉱山 鹿角郡小坂町

小坂鉱山は小坂町のほぼ中央にあります。ここは文久万年(一八六一)、農民与作が銀鉱脈を発見したことによって始まった鉱山で、

小坂鉱山事務所 鹿角郡小坂町

明治三十九年に完成した木造三階建ての建物は、鉱山事務所というイメージからはほど遠い、ルネサンス風の優美な姿をしています

康楽館 鹿角郡小坂町

康楽館は明治四十三年七月に、同和鉱業の前身藤田組が、鉱山で働く者ののために建てた厚生施設です。外観はアメリカ風の木造ゴ

和井内・和井内貞行 鹿角郡小坂町

十和田湖の南にある和井内集落です。本来はこの辺り”生出(おいで)”という地名でしたが、和井内貞行が創設したヒメマスのふ化場

発荷峠展望台 鹿角郡小坂町

十和田湖から九十九折りの道を登って行くと、標高六四七メートルの発荷峠です。ここは十和田湖随一の眺望を誇る展望台となっています。

ダンブリ長者 鹿角市

鹿角市には次のような伝説があります。昔、陸奥の国に流れる大きな川の下流の村に、信心深い娘が住んでいました。娘は日頃信仰

土深井・稲荷神社 鹿角市

土深井は秋田と南部の間で長いこと境界争いが絶えなかったところです。当時、米代川には館の沢から土深井まで十本の境柱

マインランド尾去沢 鹿角市尾去沢獅子沢

マインランド尾去沢は、日本で最も古い歴史を持っていた尾去沢鉱山跡にできた観光鉱山です。鉱山の歴史をテーマに採掘跡

大湯温泉 鹿角市十和田大湯

大湯川の渓流にそって川原ノ湯、上ノ湯、下ノ湯、荒瀬ノ湯に分かれ、南部藩の保養地だったともいわれる大変古い温泉町です。

大湯環状列石 鹿角市十和田大湯

この大湯地区には.環状列石という大変貴重な遺跡があることで有名です。環状列石は、昭和七年、耕地を整理しているときに発見された

毛馬内の盆踊 鹿角市十和田

八月十六日から一週間にわたり、夜ふけまで踊る盆踊りが、一日市(ひといち・八郎潟町)、西馬音内(にしもない)(羽後町)と共に、県内三大盆踊り

錦木 鹿角市十和田

ここは十和田湖への東の玄関口になっています。「錦木」というのは、昔、男女の恋文の役目をしたというおはなしがあり、東北地方の

錦木塚のおはなし 鹿角市十和田

むかし鹿角が狭布の里と呼ばれていたころ、錦木を束ねて売りあるく若者が、この地方の豪族・大海の美しい娘・政子姫に恋をし

大日堂 鹿角市八幡平

大日堂は、正式には、「大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)」といいます。だんぶり長者の娘、吉祥姫が建てたといわれるこの神社は

夜明島渓谷 鹿角市八幡平

夜明島渓谷は、長内部落から約四キロほどの所にある渓谷です。米代川に合流している夜明島川の上流に、約十七キロの間、

吉祥院大銀杏 鹿角市八幡平

吉祥院の境内に、幹囲十メートル、高さ三十五メートル、樹令一、四四○年といわれる大銀杏があります。地上五メートル余りから

後生掛温泉 鹿角市八幡平

御生掛温泉は、昭和三十四年、国民温泉の指定を受けています。この辺りは火山活動が最も激しく、至る所に噴気、噴湯現象が

哀話伝説・御生掛け 鹿角市八幡平

今から三百年程前、御生掛は地獄谷と呼ばれておりました。当時、この地獄谷のほとりに小屋を建て、牛追いをしながら生活する若者が

蒸の湯温泉 鹿角市八幡平

標高千メートルの所にある温泉で、付近一帯は蒸気で山肌がむき出しになり、温泉の白煙がたちこめています。宝永年間の発見と

湯瀬温泉 鹿角市八幡平

湯瀬温泉は、八幡平周辺では屈指の近代的な設備を持つ温泉街で、湯瀬駅の西三百メートル七分の米代川の渓谷沿いに湯煙りを

湯瀬渓谷 鹿角市八幡平

湯瀬温泉から、小豆沢に至る約四キロの湯瀬渓谷は、深い絶壁の峡谷をつくり、姫小松、唐傘の松、そして剣岩、地蔵岩(右)、叉、ダンブリ長

河辺町 河辺郡河辺町

河辺町は秋田県のちょうど真ん中あたりにあたるところから、秋田の”おへそ”といわれています。それに因んで辺岨(へそ)神社や

和田 河辺郡河辺町

河辺町の中心、和田です。江戸時代は、宿場町として栄えたところです。この付近には城跡が多く、永禄元年(一五五八)に常陸国から

河辺郡雄和町 河辺郡雄和町

町の南東から北西に雄物川が蛇行しており、この川を見おろす山のふもとに縄文・弥生時代の遺跡や遺物があります。雄物川

マタギ 北秋田郡阿仁町(現北秋田市)

マタギとは、山間に住み、しきたりを守り、狩りで生活している猟師のことです。山を神と信じ、獲物は山の神からのさずかりものとうやまい、

綴子 北秋田郡鷹巣町

綴子という地名は、日本書紀に出てくる「肉人龍(ししりこ)」のことで、このシシリコが訛ってチチリコとなり、さらにツヅリコと

八幡宮綴子神社 北秋田郡鷹巣町綴子

六五八年(斉明四年)阿倍比羅夫がここにやってきたとき、豊前(大分県)の宇佐八幡宮を分霊してはこんできたといわれています。

クマゲラ 北秋田市

わが国では、北海道にしか棲息しないといわれていたクマゲラは、森吉山でも見ることができます。キツツキ科の鳥でからだ全体が黒く、

森吉山 北秋田市

標高千四百五十四メートルです。そのむかし秋田山とよばれていた森吉山は、那須火山帯に属する、なだらかな傾斜をしたアスピーテ型

五義民の碑 北秋田市坊沢

坊沢のはずれに首切塚とよばれているところがあり、「五義民の碑」が建っています。一七二三年(享保八年)のことでした。この年坊沢で

神岡町 仙北郡神岡町

神岡町は昭和三○年に神宮寺と北楢岡村が合併してできた町です。神宮寺の町は、奥行きはあまりなく幅がある町で、雄物川にそって

もうせん峠 仙北郡田沢湖町

もうせん峠は、玉川温泉と後生掛温泉の間、一、三○○メートルの所にある峠です。なだらかな斜面に地上、二十センチほどの

南外村 仙北郡

出羽丘陵の麓に広がる静かな山里南外村です。葉タバコの生産や、文久三年(一八六三)の始まりという楢岡焼(茶わん、とっくりなど

側清水地蔵尊 仙北郡美郷町六郷

町中のあちこちに清水が湧き出る町として有名な六郷町には、宝門清水や御台所清水など歴史的な呼名がついた湧水群が数多くあります。

六郷の竹打ち 仙北郡六郷町

六郷の年中行事としておこなわれる「竹打ち」は、毎年二月一五日の夜、町内の古社諏訪神社で豊作を祈る行事として続けられています。

六郷町 仙北郡

六郷という地名についてはいろいろな説がありますが、それを二、三ご紹介いたします。その昔、家々の集りを「郷」といっていますが、

駒ケ岳 仙北市・岩手県雫石町

標高一、六三七メートルの駒ヶ岳は、田沢湖の北東、岩手県境近くにそびえる二重式火山で、那須火山帯に属します。典形的なコニーデ

飾山囃子 仙北市角館町

おやま囃子は、毎年九月七日~九日の三日間、角館町の鎮守、神明社と薬師尊の祭礼の時奉納されるもので、太鼓、鼓、笛、三味線、

角館 仙北市角館町

角館は、秋田県のほぼ中央に位置する、みちのくの小京都と称される美しい町です。関西方面の人との出入りが多かったところから、多くの文化

角館・武家屋敷

佐竹藩の城下町として栄えた角館の町は、現在の役場を境にして、武家町と町人町に別れていますが、武家町のうち表町上丁、 

 

 

玉川温泉地獄谷.jpg

 

 

玉川温泉地獄谷 

 

桜皮細工 仙北市角館町

桜の皮を加工して細工する技術は、日本独特のもので、遠く万葉の昔からすでに始められていたようです。この技術を工芸品とし

桧木内川の桜並木 仙北市角館町

角館町の中心を流れる桧木内川(ひのきないがわ)の堤防、二キロにわたって、約八百本の染井吉野が植えられ、四月下旬から五月上旬

古城山公園 仙北市角館町

古城山公園は、戦国時代、戸沢の城が築かれ、芦名、佐竹氏も館を置いた、古城山一帯を占める公園で、頂上の本丸跡からは、

お金持ちの神様 仙北市田沢湖

昔々、この村に正直なずんつあんと、欲ばりなばんつあんが住んで居だんだどや、働き者のずんつあんがある日のごと、薪を取りサ山

田沢湖 仙北市田沢湖

日本で一番深い湖、田沢湖は、水深四二三・四メートル、那須火山帯に生れたカルデラ湖で、直径約六キロ、ほぼ円形で周囲二百キロ、

田沢湖町

田沢湖町(合併で仙北市田沢湖となる)は、秋田県の中央、東よりにあり、東は奥羽山脈をもって岩手県と接し、南は角館町と接しています。

辰子姫像 仙北市田沢湖

辰子姫像は、田沢湖の西の湖畔、有料道路の通っている潟尻の湖岩に立つ、全身金色の乙女のブロンズ像で、湖に伝わる辰子姫

辰子姫伝説 仙北市田沢湖

昔、神代村に辰子という美しい娘が住んでいました。辰子は自分の美しさを永久に変えたくないと思い、大蔵観音に願をかけました。

大沼公園 仙北市田沢湖

自生アヤメで知られる大沼公園です。広い沼と春の桜、六月初旬には見事なアヤメが咲き、別天地となります。又、そばには、

生保内 仙北市田沢湖

官公庁や、小中学校などがあり、町の中心地となっています。民謡の生保内節は広く知られています。田沢湖駅の南東に広がる

中生保内神社 仙北市田沢湖

天慶の乱(九六五)に敗れた平将門の娘、滝夜叉姫がこの地に落ちのび、町の草分けとなったと伝えられており、姫の持って

抱き返り渓谷 仙北市田沢湖

”東北の耶馬渓”と呼ばれる抱き返り渓谷は、玉川の清流が奇岩怪石に水の美しさを形造る景勝地です。茂り合う樹木の描き出す

夏瀬温泉 仙北市田沢

夏瀬温泉はかつて玉川の川原に湧いていたのですが、神代ダムが作られたため、湖の底になってしまいましたので、ポーリソグし

田沢湖郷土資料館 仙北市田沢湖

八角形の浮御堂風は、滋賀県の琵琶湖の浮御堂に似ています。ここには農耕具など町に伝わる民族資料を中心に、漁労用具、国指定の

鎧畑ダム 仙北市田沢湖

玉川の中流をせき止めたこのダムは、昭和三十一年に完成した県営第一号の発電用ダムです。最大五千百トンの水をたたえる

茶立ての松 仙北市田沢湖

江戸時代、角館城主の佐竹義隆公は、大名行列でこの道を通ります時、必ずこの松の木の下で少し休まれたそうです。

宝仙湖 仙北市田沢湖

田沢湖と十和田湖の中間に仲間入りした宝仙湖は、周囲を雄大な山々に囲まれ、春から夏の新緑、秋の艶やかな紅葉と、四季を

男神橋 仙北市田沢湖

男神橋は、湖の対岸をつなぐ全長四三○メートルの橋で、向う側の岩の目地区は、ちょうど宝仙湖の中間になっています。湖畔か

叫び沢  仙北市田沢湖

白く水蒸気が吹き出しているのがわかります。叫び沢です。焼山火山の一部で、汽関車が水蒸気を強く吐くような音が聞こえ

殺生谷  仙北市田沢湖

地獄谷の近くに殺生谷がありますが、ここは水蒸気を伴わない硫化水素、砒化(ひか)水素を多量に噴き出している所で、風の向き

玉川温泉 仙北市田沢湖

玉川温泉は、焼山の西山麓、標高七四○メートルの所にあって、いたる所から湧き出す九八度の温泉は、一分間に九キロリットルという、

強首温泉 大仙市

ここは陸軍の強首演習場として知られていましたが、昭和三九年八月、天然ガスのポーリソグ中、地下六五○メートルの地点から、

姫神山(大平山)・哀話伝説 大仙市

この山一帯が市民公園として整のい、四季を通じて行楽客でにぎわっています。頂上からは雄物川をへだてて大曲市街と仙北平野が

諏訪神社 大仙市大曲

長野県の諏訪神社の流れをくむ諏訪神社です。大曲の鎮守として人々に親しまれており小正月には諏訪神社の年中行事のひとつ、

古四王神社 大仙市大曲

奥羽本線の大曲駅と飯詰駅のほぼ中間地点、老樹に囲まれたなかの小さい社は、元亀元年、(一五七○)四月、今から四二○年

土屋館跡 大仙市大曲

昭和十一年(一九三六)に大曲を訪れた、ドイツの建築家、ブルーノ・タウトは、「日本美再発見」の中で、丸子橋からみた風景の

八幡神社 大仙市大曲

境内には焚字で仏名が彫られた、高さ二・二メートルの石造五重塔があり、「元享三年(一三二二)七月五日」の銘が彫られています

刈和野 大仙市刈和野

雄物川から運ばれた土砂が積み重なってできた町で、昔は、舟着き場として賑わい、旅人の宿場町として栄えたところです。刈和野

北楢岡 大仙市

神岡町の北楢岡です。ここは昭和二一年五月と、三二年五月の二度に渡って大火にみまわれ、町の大部分が焼けてしまった、悲しい記録

荒川鉱山跡 大仙市協和

秋田藩家老梅津政景の日記に、慶長一九年(一六一四)にはすでに採掘が行なわれていたとあります。元文三年(一七三八)に藩の

唐松神社 大仙市協和境下台

本陣跡のすぐそばに鳥居があり、樹令三百年あまりの杉の大木が、社殿にいたる参道の両側に続いています。この杉は藩主佐竹

白糸の滝・白滝神社 大仙市協和峰

深い杉木立の間に、一の滝、二の滝、三の滝と三段になった全長一八○メートルの滝で、すぐそばには千年以上も前に建立された

畑鉱山と高寺観音 大仙市協和峰

元禄一六年(一七○三)、山をへだてた荒川村の畑鉱山で、大落盤事故がありました。この大惨事で荒川の水が七日七夜も血で

高善寺 大仙市協和峰吉川

養老元年(七一七)行基上人の開基と伝えられる高寺山高善寺です。かつては三十三ヶ寺を容したという名刹でした。通称高寺

神宮寺八幡神社 大仙市神宮寺

坂上田村麻呂が勧請したと伝えられる八幡神社です。源義家が延久三年(一○七一年・平安中期)に、源頼朝が建久三年

宝蔵寺 大仙市神宮寺

文和三年(一三五四)に富樫氏が、故郷の白山権現を勧請して、菩提寺である宝蔵寺を加賀からこの地に移しました。宝山宗珍

伊豆山神社 大仙市花館揚の森

毎年二月一七日には伊豆山神社に梵天を奉納するお祭があり、この時梵天を船に乗せて雄物川を渡ってきます。つめたい川面に

座頭の松   にかほ市 象潟町

いつの頃か、山の麓の雪もようやく消え始め春の訪れを告げる頃、久しぶりに山に出かけた象潟のお百姓がこの長坂まで登って

象潟と芭蕉 にかほ市象潟

東北の山を越え、磯をつたって、松島から山寺、月山をへて象潟へたどりついたのは、元禄二年(一六八九)六月一六日のことでした。

九十九島 にかほ市象潟町

九十九島にはそれぞれ名前がつけられ、弁天島、稲荷島、毘沙門といったおめでたい名前から、からす島、さぎ島、はと島というように

蚶満寺 にかほ市象潟町

曹洞宗の古いお寺で、今から一、二○○年以上前、慈覚大師によって開かれました。仏教をひろめるために、東北地方を巡礼された大師が象潟に立ち寄った

ウヤムヤの関 にかほ市象潟町

三崎峠(山形県と秋田県の県境)は、昔、慈覚大師によって開かれた道です。大変けわしい峠道だったらしく、出羽風土記にも「箱根、足柄は難所といえども、

金浦山神社 にかほ市金浦

タラ祭りで知られる金浦神社。タラ祭りは、昔、金浦沖でタラの漁船が相ついで遭難した時、漁師たちが金浦神社にタラを奉納して、

南極大陸・白瀬大将生家 にかほ市金浦

明治の終り頃、日本人ではじめて南極大陸の探険に成功した白瀬中尉は、金浦町の出身です。月にロケットが飛び、人工衛生が打ちあ

斉藤宇一郎記念館 にかほ市平沢

農業の神様といわれる斉藤宇一郎は、慶応二年に平沢に生れ、東大農学部を卒業後は政界に入り、衆議院議員や町長などを歴任しました

大綱引・浮島神社 西仙北町刈和野

刈和野の町の名物行事に、綱引きが知られています。奥羽本線の側にある浮島神社では、旧正月一五日夜半、町を上町と下町と

能代市

能代市は、米代川の河口に開けた町で秋田杉を材料とする製材業、木加工業などの木材産業都市として発展してきたところです。

七夕祭り 能代市

能代では八月一日から一週間、七夕祭がおこなわれます。城の天守閣をかたどった灯篭を屋台に乗せ、笛、太鼓の噺しにあわせ、

出船の歌碑 能代市能代港 

「今宵出船か お名残おしや 暗い波間に 雪が降る 船は見えねど 別れの小唄に 沖じゃ千鳥も 鳴くぞいな 今なる汽笛は 

檜山茶 能代市桧山

檜山城跡のある霧山の山麓一帯には青々とした茶畑がひろがっています。お茶は納豆とともに武士の内職として始められたとつたえられ

桧山城跡 能代市檜山古城

室町時代に津軽の十三湊から南下した安東氏が秋田、檜山、比内の三郡をおさめたところです。城跡に立ちますと遠く男鹿の山や

八郎太郎 能代市二ツ井町

南祖坊に十和田湖から追われた八郎太郎は、七座と侯后坂との間をふさいで米代川の流れをせきとめ、大きな湖をつくって住もうと

七座山・七座神社 能代市二ツ井町

七つの峰が連なっているためこの名があります。山には残り少なくなった天然の秋田杉がうっそうと茂っています。ふもとにある七座神社

春慶塗り 能代市万町

春慶塗りは一三六八から七五年(応安年間)に、堺の漆工春慶が考案したもので、木地を黄色または紅色に染め、透明な透漆を塗って

須川湖(朱沼) 東成瀬村

ブナの林に囲まれている湖が周囲二・一キロメートルの須川湖です。酸性が非常に強いため魚は生息していません。須川湖から南へ

番神の大杉 平鹿郡山内村

黒沢川に沿った筏地区には”番神の大杉”と呼ばれる杉の木があります。樹齢一○○○年、高さ六○メー‐トル余、幹の周囲六メートル

白神山地  秋田県北西部から青森県の南西部

八千五百年ほど前に成立したといわれる、世界最大級のブナ原生林、約一万六千ヘクタール(本県側は四千五百ヘクタール)が残って

大潟村 秋田郡大潟村

大潟村は「二十一世紀の村」をめざして建設されています。建物はすべて耐震・耐火構造・防寒に気がくばられています。入植者用に建てら

八郎潟干拓 秋田郡大潟村

八郎潟は東西十二キロ、南北二十七キロ、周囲八十二キロ、面積二万二千ヘクタールあり、わが国では琵琶湖(滋賀県)につぐ大き

八郎潟伝説 

秋田県には十和田湖、田沢湖、八郎潟の有名な三つの湖がありましたが、八郎潟は干拓されいまはありません。この三つの湖にはかつ

 

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八郎潟干拓地

 

大潟神社  南秋田郡大潟村

大潟村は、さまざまな考えを持った人達が、全国から集まって村づくりをしているところです。そこで、村民共通の心のよりどころとして

大潟草原鳥獣保護区 南秋田郡大潟村

一九七七年(昭和五十二年)三月、環境庁がわが国最初の特別保護地区として指定したところで、すでに百五十種類の野鳥の棲息が

五城目町 南秋田郡

秋田市と阿仁町をむすぶ五城目街道(国道二百八十五号線)の要地にあり、市場町として栄えてきました。現在町の中心地で月に十二

森山とスズムシ 南秋田郡五城目町

標高三百二十五メートルの森山は、スズムシ群生地の北限地として知られています。スズムシは、元来暖かいところに棲息する虫とされて

森山の伝説 南秋田郡五城目町

森山の後のほうにもうひとつ山が見えていますが、どちらも森山で手前を「一日市の森山」、おくを「馬場目の森山」といいどちらの頂上にも

昭和町 南秋田郡

藩政時代には羽州街道の宿場町としてさかえていたところです。町内には、県の史跡に指定されている北野の梅林羽白目遺跡、石川理紀之助

八郎まつり 南秋田郡昭和町

昭和町では、八郎潟の主八郎太郎と、田沢湖の主辰子姫の恋物語をすえながく伝えようと、一九六七年(昭和四十二年)から毎年八月十六日

歴史民俗資料館 南秋田郡昭和町

秋田県内にかってよく見られた、茅葺き両中門造りの民家を、一九七一年(昭和四十六年)にここに移築し復元したもので、中には近郷近在の

一日市町 南秋田郡八郎潟町

江戸時代から、仙台・松前道から分かれて青森にでる羽州街道の宿場町として、また馬場目川の渡船場としてさかえました。八月十八日から

三倉鼻公園 南秋田郡八郎潟町

公園のある場所は、むかしこの付近に住んでいた長者が三つの岩窟に宝物をいれておいたところだと言われ、それが現在では倉の鼻のほ

侯后坂 山本郡二ツ井町

一九六四年(昭和三十九年)にきみまち坂・藤里峡県立公園に指定されています。大きく蛇行する米代川に藤川が合流し、米代川にそって

きみまち人形(おばこ人形)山本郡二ツ井町

おばこ人形はもともと北秋田郡阿仁町に生まれたものでしたが、ニツ井地方ではこの人形にニツ井付近の娘が着る衣裳を取りいれるなどして

二ツ井町 山本郡

江戸時代一六○二年(慶長七年)、佐竹氏が常陸から秋田へ国替えさせられてから、家老梅津政景が開拓したところで、むかしは比井野とよ

藤琴川の伝説 山本郡二ツ井町・藤里町

藤琴川、たいへんきれいな名前ですが、この由来をお話いたしましょう。この藤琴川を十二キロほどさかのぼりますと、一の渡という集落が

森岳歌舞伎 山本郡三種町

森岳には一八○四〜一八一七年(文化年間)に始まったといわれている、森岳歌舞伎があります。旧暦八月十五日に八幡神社の境内で演じ

ジュンサイ 山本郡三種町

森岳温泉の名物にジュンサイがあります。ジュンサイは、池や沼に生えるスイレン科の多年草で、泥の中から長い茎をのばして楕円形の葉を

森岳温泉 山本郡三種町

一九五二年(昭和二十七年)、帝国石油が石油採取のためボーリングをしていると、突然六十度の湯がふきだし、これが森岳温泉のはじまり

犬っ子まつり 湯沢市

毎年冬の二月一五・一六日、元和の昔から三六○年の伝統を持つ「犬っ子まつり」が開かれます。旧小正月の民俗行事、犬っ子まつりは、

七夕絵灯篭祭り 湯沢市

湯沢では冬の犬っ子まつりと並んで、夏の七夕絵灯篭祭りを見逃すことができません。佐竹南家の五代目、義安は京都鷹司家から妻を

土沢神社(タニシ観音) 湯沢市

十一面観音菩薩立像が安置されています。高さは四・五メートルのカツラの一木造で、丈六仏(仏像の立像の背丈が一丈六尺=四八○センチ

東北の灘 湯沢市

湯沢は”東北の灘”といわれる酒づくりの町です。羽州街道沿には大きな酒造会社があり、古い格子窓や家構えに老舗の風格がにじみでていま

湯沢市

湯沢の町は、なだらかな古館山の山懐に抱かれ、雄勝平野を望み、佐竹南家の武家町、羽州街道の宿場町、また雄物川上流の物資の集積

鰤状桂石 湯沢市秋ノ宮

稲住温泉の源泉、荒湯の近くに、天然記念物に指定された鰤状(しじょう)桂石があります。鰤状桂石は昔の温泉の沈殿物で、別名「ブリコ石」

鷹ノ湯温泉 湯沢市秋ノ宮

行基法師が発見、傷ついた鷹が湯に浸かって傷を治した事から、鷹の湯と呼ばれるようになったといいます。役内川の河畔に立つ鷹ノ湯温泉

稲住温泉 湯沢市秋ノ宮

湯ノ岱温泉から約一・三キロほどで左に折れると、秋田杉や黒松の林の中に近代的な建物が見えてきます。自然を残す環境は絵を画く人に

湯ノ又温泉 湯沢市秋ノ宮

秋の宮温泉郷の中ではもっとも奥にあり、夏にはなお涼しく、自然の岩を利用した露天風呂もあり、野趣豊かな湯治場となっています。単純泉

愛宕神社 湯沢市愛宕町

愛宕公園の中にある愛宕神社は、その昔、坂上田村麻呂が蝦夷地平定の時、愛宕大明神を祀って効験があったといわれ、現在では火防の

大名行列 湯沢市愛宕町

八月二四日の愛宕神社祭典に行なわれる大名行列は、湯沢三大祭りの一つで、正徳四年(一七一四)、藩内七番目の町となったのを記念し

稲庭うどん 湯沢市稲庭町

稲庭には、三○○年もの伝統を誇る、手製のウドンがあります。絹のようななめらかさと歯ざわりのよさが持ち味で、味にかけては他に類が

稲庭町 湯沢市

稲庭は、およそ八○二年以上前の建久元年に、小野寺重道公が源頼朝より、羽州雄勝郡に封ぜられ、鶴ヶ城を築いた所です。その名を雄勝

院内銀山 湯沢市院内

「院内銀山記」によりますし」、慶長一一年(一六○六)村山宗兵衛、森治郎左衛門、渡辺勝右衛門、石山伝助ら四人によって銀山が発見され、

院内関所跡と青山六之丞の碑 湯沢市院内

院内関所は、昔、秋田藩の南口関所として、重要な役割を果していました。慶応四年、戊辰戦争の時には、この院内口攻防の激戦が新庄藩

小野小町生誕地 湯沢市小野

ここ小野は絶世の美女といわれ、また歌人として有名な小野小町の生まれた土地といわれています。小町は今から一二○○年以上前

小町伝説の跡 湯沢市小野

①桐木田:平安朝初期と鑑定された自然石による石積み井筒井戸の遺構を残す館跡、小町はこの桐木田の館で誕生をした。 ②古堂:若木

木地山高原 湯沢市皆瀬

木地山こけしの故郷としてしられる木地山高原は、栗駒山の西北のふもとにあり、火山性の湖や沼と温泉群が点在しています。一面の

伝説・皿小屋沼 佐太子沼 湯沢市皆瀬皿子屋

むかし、この土地に三浦徳兵衛という豪族がいて、佐太子(さたこ)という美しい女中が仕えておりました。主人はかねてから、この女中を愛

木地山こけし 湯沢市皆瀬

木地山の地名は、「ろくろ」という回転工具を用いて木材から日用品、お盆、おわん、茶びつ等を製作する「木地屋」に由来するといわれます。

小安御番所跡  湯沢市皆瀬

子安温泉街をはずれたところにあるのは小安御番所跡です。近年跡地に御番所門が建てられました。その昔、国道三九八号線は、小安

小安温泉  湯沢市皆瀬

小安温泉は、昔、南部領に通ずる栗駒から一の関越えの宿場でした。佐竹藩の御陣屋もあり、天樹院公佐竹義和は、この小安温泉が

子安温泉の由来 湯沢市皆瀬

この温泉は、今からおよそ四○○年以上前の、慶長年間に開かれたといわれます。その頃久蔵という猟師が、寒中、狩りに出た途中

岩井堂遺跡・洞窟 湯沢市上院内

縄文期では県内最古の土器、石器が出土した岩井堂遺跡です。東北地方の縄文早期文化を解ノ、重要な複合遺跡で、県指定の史跡にな

旧雄勝郡会議事堂 湯沢市川連町

県の文化財に指定された旧雄勝郡会議事堂が市内北荒町にあります。明治二四年(一八九一)に建てられた議事堂は、寄棟造総二階建の

川連町 湯沢市

ここ川連は、七八○余年の伝統をもつお盆、花器などの漆器の名産地で、その製品は丈夫なことを特色として広く知られています。また

龍泉寺 湯沢市川連町

天正二年(一五七四)に岩崎城主の姫君能恵姫が、川連城主の若殿へお輿入れする途中、皆瀬川で竜神にさらわれてしまいました。

泥湯温泉 湯沢市高松

高松岳の山あいを流れる高松川に沿って建つ宿が泥湯温泉場です。早くから湯治場として知られ、農閑期には近隣の人々が訪ずれていま

川原毛硫黄山・温泉 湯沢市高松

全山、不毛の荒々しい岩肌をみせ、硫黄のガスを出している硫黄山が川原毛硫黄山です。その気味の悪い姿から、別名川原毛地獄山

神室山 湯沢市と山形県新庄市、金山町の県境

神室山地の主峰、神室山は高さが一三六五メートル、坂上田村麻呂が開山したと伝えられ、山岳宗教の聖地として古くから知られたと

湯沢市立図書館 湯沢市内舘町

湯沢市立図書館は、藩校明徳館の分校として建てられた郷校時習書院の跡地に建てられています。ここには南家および久保田(秋田)の

湯仙寺 湯沢市吹張町

羽州街道沿吹張にある湯仙寺は、佐竹義種の帰依をうけて、佐竹南家の祈祷所となりました。本尊は鎌倉末期の作といわれる不動明王

湯沢城址公園 湯沢市古館山

小野寺氏の拠点でもあり、後に佐竹南家の居城となった湯沢城跡で、現在は中央公園になっています。この丘に湯沢城が築かれたのは

三梨 湯沢市三梨町

三梨は、八幡太郎義家が金沢の柵を改めたとき、その行軍路にあったそうで、村はずれには、烏帽子橋という遺跡があります。また、

奈曾の白滝 由利郡象潟町

奈曾川の上流に奈曾の白滝があります。鳥海山が噴火したときあふれた、熔岩が固ってできたもので、高さ二六メートル、巾一一メートルの

ごてんまり 由利本荘市

本荘の民芸品として、古い伝統をもつ「ごてんまり」です。ごてんまりは、今から四○〇余前の慶長一七年、岡豊前守満茂が本荘のお城へ

本庄米 由利本荘市

「江戸で関とる 本庄米は   おらがたんぼの 田で育つ」と本庄追分にも唄われますように、本庄米は江戸の献上米としての歴史をも

ハダカ祭り 由利本荘市

新山公園にある新山神社には、毎年一月一六日に、本荘市の年中行事の一つ、ハダカ祭りがおこなわれます。水で身体をきよめたハダカ

横手市 

横手市は横手盆地のほぼ中央に位置し、鎌倉時代は小野寺氏の、そして江戸時代は秋田佐竹氏支藩の城下町として、盆地一帯の文化

横手市内の見どころ

秋田神社:横手城本丸跡にある秋田神社は、秋田市の千秋公園から明治一二年に移したものです。拝殿の二本の柱は、横手城の大手門

横手市の民俗行事

かまくら:雪国秋田の冬の行事として広くしられるものに”かまくら”があります。”かまくら”は四○○年以上の歴史をもち、二月一五日と一六日

波宇志別神社・霜月神楽 横手市大森町

九二七(延長五)年に醍醐天皇が定めた「延喜式」神明帳におさめられているのが、保呂羽山内にある波宇志別神社で、県内、式内三社の

大屋の梅林 横手市大屋新町

旧栄村の大屋です。「みちのくの 梅の名所や 名も栄」と俳句に詠まれているところで、民家の庭に梅が植えられ、その数およそ二○○○

 

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かまくら

 

正伝寺  横手市大屋新町

栄地区の東側、鬼嵐の山すそにある正伝寺は古い寺で、今からおよそ五○○年前、小田原海歳寺の第三世梵守和尚が、大和長谷寺の

金沢公園 横手市金沢中野

公園は桜やツツジの名所で、金沢の柵跡は在地豪族清原氏の居館で、後三年の役の古戦場でかつての戦いの史跡が数多く残されています

後三年の役 横手市金沢中野

「後三年の役」の舞台となった金沢です。後三年の役は、今からおよそ九一○年以上の昔、岩手県の北上盆地と、横手盆地を主戦場に四年

立馬郊・雁行の乱れ 横手市金沢中野

ここもまた「後三年の役」の史跡です。後三年の役で、源義家が金沢に向って進軍中この付近にさしかかると雁の行列が、にわかに列を乱

横手城跡 横手市公園地内

高台に、三層の天守閣が見えます。あの小高い丘が横手城の跡で、もともと天守閣はなかったものを、昭和四○年横手市が観光用に

石坂洋次郎記念館 横手市幸町

一九八八年に幸町に石坂洋次郎記念館が開館いたしました。横手中学校(現横手高校)などで一三年にわたって教師をしていた石坂洋次郎

猩々の道しるべ 横手市十文字町

江戸は文化年間(一八○四~一八)、ここらあたりは十五野といわれる広大な野原で、その中を横手~湯沢の駅路と、浅舞~増田の街道

梨ノ木愛宕神社 横手市十文字町

二月の中旬、若者達がエビス俵をかつぎ、ハダカ詣りをする行事があります。愛宕神社の前の方には秋田藩主佐竹氏が、参勤交代のと

正平寺 横手市田中町

田中町にある正平寺は赤門と呼ばれ、長禄年間(一四五七~六○)に小野寺泰道が再建したといわれる、小野寺氏ゆかりの寺です。寺宝に

馬鞍城跡 横手市平鹿町

ここが稲庭に本城を構えていた小野寺氏の支城があったところです。近くに浅舞がります。浅舞の名の由来は、佐竹義宣の子、義隆が

観音寺 横手市本町

本町にある観音寺は、慶長七年(一六○二)に水戸から移されたという鐘があり、横手川のそぱに建つ鐘楼からは、いまでも市民に鐘の音

増田町 横手市

増田町は、昔から重要地点とされ、今からおよそ六百年前の応永年間には、時の稲庭城主、小野寺公はここに城を造り、鎌倉より源頼朝

真人公園 横手市増田町

真人山の麓に大正改元記念としてつくられた真人公園です。桜の名所として知られる、真人公園にかけて一帯は、初夏のサクラソボから

平和観音 横手市睦成

横手公園北側には、戦没者の慰霊と平和の祈りをこめて、平和観音が建立されています。高さ四・八メートル、花崗岩でつくられています

小松川御番所跡 横手市山内

藩内一八ヶ所に設けられた御番所のひとつで通行人のチェックと通行税を徴収したり、持ち出し禁止の品物の監視をおもな役目としてい

相野々ダム 横手市山内

山内村の中心はここ相野々です。旱魃や洪水に悩まされてきた平鹿地方の農民のために造くられた相野々をダムです。昭和二七年に

 

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角館の桜

 

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男鹿半島の夕陽