旅先の歴史ものがたり・青森

 

青森には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、

 

その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。

 

「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」

 

「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」

 

「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」

 

「町や村、施設の命名縁起」「青森ならではの特産物」

 

「国指定の国宝・重要文化財」など。

 

旅に出たら、こうした青森を代表する人間物語

 

を訪ねてみたいものです。

 

旅のその先に……新しい発見が。

 

それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

おいらせけいりゅう.jpg

 

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青森県

 

下北半島を望む 青森県

巨大な斧の形を思わせる下北半島には、日本三大美林(桧、杉、ヒバ)の一ツ、ヒバ(アスナロ)の原生林があり

津軽と南部 青森県

地図を見ますとわかりますように、青森県は県南は太平洋に、西部は日本海に面しております。太平洋に面している八戸市 

夏泊半島 青森県

陸奥湾につき出た半島は、昭和二十八年に、県立公園の指定を受けました夏泊半島です。陸奥湾の中央に約十二キ

二足(束)三文 青森県

乗り物のない時代の旅は、テクテク歩くか、馬や駕篭を利用しました。街道や宿場には、時代劇でも見られるように、駕篭屋

方示 青森県

一戸~九戸の広大な土地の四方には、東西南北を現わす柱が立てられ、「方角を示す」と書いて方示といったそうです。

リンゴの恩人 青森県

「赤いリソゴに、くちびるよせて…」太平洋戦争が終ってまもなく、国民が虚脱状態にあった頃、焼野原の巷に、さわやかな

尾上町 青森県 南津軽郡尾上町

弘前市と黒石市にはさまれ、米とリンゴ栽培が盛んです。町の中央にある猿賀(さるが)は、仁徳天皇の蝦夷討伐にまつわる所で

十和田・八幡平国立公園

青森県の十和田湖を中心とした、十和田国立公園に、昭和三十一年七月に岩手、秋田両県にまたがる高原、八幡平地区が

青森市 

青森市は、本州最北の県庁所在地で、八甲田山の山裾、青森平野が陸奥湾と接する所に位置しております。青森県を大きく二分

青函トンネルについて

昭和六○年三月十日午前十時、ドゥーンという大音響と共に、北海道と本州側の青森県竜飛岬をつなぐ、海底下二四○メートル

青函連絡船

明治四十一年に運航を開始した青函連絡船は、本州と北海道を結ぶ大動脈でした。一九八八年三月十三日、青函トンネルの

外ヶ浜 青森市

外ヶ浜は、青森市を中心とし、津軽半島東部と、陸奥湾南部の地域を指し、一市六ヶ村からなっています。この青森市に近い浜を

ねぶたの由来 青森市

ねぶたの由来にはいくつかの説があり、遠い昔に坂上田村麻呂が蝦夷征伐のとき、津軽の酋長の大丈丸という勇猛な者がいて

浅虫温泉 青森市浅虫

夏泊半島の入口にあたる浅虫温泉は、東北の代表的な温泉です。その温泉の歴史は古く、昔、平安朝も終わりのころ、旅の途中

善知鳥崎 青森市浅虫

善知鳥崎は、浅虫温泉の青森側の出口にあります。昔は、岬の先端に桟橋を架けただけの、かっては奥州街道の難所の一ツでした。

浅虫温泉の由来 青森市浅虫山下

浅虫温泉の歴史は古く、平安朝の末頃、旅の途中の円空大師が、傷をおい、湯浴みする鹿を見た事が、温泉発見のきっかけに

文学の中の浅虫 青森市浅虫

浅虫は、東北の代表的な温泉地だけに、この地を好んだ文人も多く、太宰治は、中学生時代にこの温泉から学校へ通いました

夢宅寺 青森市浅虫山

夢宅寺(曹洞宗)は、四代藩主、津軽信政が、ここの薬師如来の霊夢によって、眼病が治ったと伝え衿つれています津軽

城ガ倉大橋 青森市荒川

城ガ倉大橋は、城ガ倉から黒石へぬける国道三九四号線の、城ガ倉渓谷をまたぐ橋です。長さ三六○メートル、谷底から

八甲田山の植物 青森市荒

八甲田連峰に属する山々の植物は豊富で、森林はもとよりお花畑、湿原植物、芝原など種類も多く、標高四○○メートルから

地獄沼 青森市荒川

別名底なし沼ともよばれています。これは八甲田山の火山活動の名残りで、有毒ガスの亜硫酸と最高九○度の熱湯が噴き出て

酸ケ湯温泉 青森市荒川

この温泉は、八甲田連峰の主峰一五八四メートルの大岳の西側、標高九二五メートルという高地にあり、夏は八甲田への登山口

青森自然公園ねぶたの里 青森市大字横内

青森ねぶた十数台を常時展示、周囲には自然公園、観光リソゴ園、ビール園などの施設もそろっています。秋田地方の「ナマハゲ」が

合浦公園・八甲田 青森市合浦

合浦公園は市街地の東端に近く、広い公園内には由緒ある古松や桜が植えられています。前面には波静かな青森湾がひろがり、

合浦公園 青森市合浦

青森湾に面してつくられた合浦公園は、旧津軽藩の庭師、水原衛作が、明治十四年に着手し、資金難のため、自ら木を植え石を

昭和大仏・青龍寺 青森市桑原

昭和大仏は、桑原地区(青森環状・野内線沿)の丘陵、青龍寺境内に建立された青銅の大仏で、五仏座像の宝冠をかぶり

田代平・雪中行軍遭難者の銅像 青森市駒込

八甲田山を語るとき、田代平にまつわる壮烈なお話をぬきにする事はできません。田代平は八甲田連山の主峰大岳の北東の山裾に

三内丸山遺跡 青森市三内

縄文時代前期から中期の約一五○○年もの間、ムラ社会がつくられていた、と思われる巨大な集落跡が発見され、これは日本一

新城 青森市新城

新城は、かつて住んだ城主の姓から名付けられた地名なのだそうです。居城しておりましたのは、新城源次郎という豪族だった

梵珠山 青森市と五所川原市

梵珠山は、標高四六九メートルの低い山ですが、津軽平野の村々から見えますので、昔から住民の信仰が厚く、聖山として崇められる

金光上人 青森市

金光上人は、法然上人のもとで修業した高弟で、辛苦を重ねながら念仏を広め、奥州の旅を続け、焚珠山にこもり、人々の救済

浪岡町 

浪岡町は、北畠氏が天正六年(一五七八)までの、約百五十年間にわたる居城の地で、史跡に富んだ町です。北畠氏は、南朝の

大釈迦 青森市浪岡

いかにも由ありげな地名、大釈迦は、南津軽郡浪岡町の北端、梵珠山の裾野に位置し、津軽平野から、外ヶ浜に通じる交通の要所です

浪岡城跡  青森市浪岡

守護神、浪岡八幡宮から、五本松部落の入口にかけての一帯が城跡です。外ヶ浜への出入口を押える浪岡の地に拠点を持ちましたのは

野内 青森市野内

野内は、明治の始め頃までは、奥州街道の宿場町として栄えた所です。野内集落の中ほど、菊川の旧四号線沿いに、当古寺(浄土宗)が

野内の関 青森市野内

青森、秋田県境の、「碇ヶ関」や「大間越」と並んで、津軽三関と呼ばれ、町奉行が配置され、貴船川を防御線とし、柵が設けられ

貴船神社 青森市野内

貴船神社は、野内、鈴森山の山腹にあります。三河の国から義経を慕ってきた浄瑠璃姫が病に倒れ、悲しみの内に没した地とされ

青森県立郷土館 青森市本町

「青森県立郷土館」は、旧青森銀行本店の建物を改修して、青森県の自然、歴史、産業、文化の移り変わりを展示しています。

棟方志功記念館 青森市松原

市内松原に世界的版画家・棟方志功記念館があります。棟方志功の文化勲章受章を記念して昭和五十年に開館いたしました。

善知鳥神社 青森市安方

近代的な社殿と池が静かな調和を見せています善知鳥神社は、大同年間(八○六~八一○)の創建と伝えられ、此の地が善知鳥村

 

 三内丸山.jpg

 

 

三内丸山

 

青森ペイブリッジ 青森市安方

柳町通りと沖館の間二キロメートルを結んで平成四年七月に、「青森ベイブリッジ」が完成しました。総工費二四○億円をかけた、この橋は、青森駅

メモリアルシップ「八甲田丸」青森市柳川

明治四十一年(一九○八)から八十年に渡って青森と函館を結んでいた青函連絡船、その長い歴史にピリオドを打った「八甲田丸」が、港湾文化交

ねぶた祭 青森市柳川

ネブタ祭りは、「秋田の竿燈」山形の「花笠まつり」「仙台の七夕」と共に、東北四大祭りの一ツで、重要無形民俗文化財に指定されています。

浄満寺 青森市油川

戦国時代の油川城主、奥瀬氏の菩提寺であったと伝えられ、五基の五輪塔があります。一時衰退しましたが、元和五年(一六一九)に再興

明誓寺 青森市油川

青森市内最古の建築物です。津軽為信の津軽統一に協力した、北陸系の門徒が弘前に移った後も、当地に残った尼僧、妙誓の庵が寛文三年

横内城跡と常福院 青森市横内

南部氏二○代信時の四男・堤弾正光康が明応七年(一四九八)に横内城を築きましたが、その後天正一三年(一五八五)に津軽藩祖為信にほろぼ

絵馬の里 上北郡七戸町

七戸は、牧場の町、絵馬の里としての横顔も持っています。宇治川の先陣争いで知られる名馬磨墨(するすみ)は三戸の、生唼(いきずき)、池

七戸町 上北郡七戸町

古い歴史を津むつ城下町七戸は、かつての郡役所、所在地として上北地方の中心地でした。藩政時代は盛岡南部藩の支藩として栄え、一万

七戸城跡 上北郡七戸町

七戸城跡は、町の西側台地にあって、国の史跡指定を受けております。別名柏葉城ともいわれ、現在、城跡は日本庭園や復元した堀のある柏葉

坪の石碑 上北郡七戸町

坪は、アイヌ語のツムオから変化したもので、「強く勇ましい」という意味だそうです。今から千三百年以上前、この地方には蝦夷

下田町 上北郡下田町

下田町は、奥入瀬川が東へと流れています。米を中心に、葉煙草、畜産が盛んで、耕地は町の半分ほどです。又、木の下集落

千曳の伝説 上北郡東北町

この地名についてはつぎのような伝説があります。昔、ここの部落の美しい乙女に、石の精の化身である若者が恋をしました。

愛宕山 上北郡野辺地町

麓一帯は公園になっており、桜、ツツジがほどよく配され、町の人々の憩の場所となっています。公園内には、松尾芭蕉の句碑や

野辺地 上北郡野辺地町

野辺地は、陸奥湾に面し下北へ通ずる南の玄関口として叉、昔は盛岡藩の交易港として栄えました。その当時の名残りの石灯

野辺地戦争 上北郡野辺地町

戊辰の役の時、東北諸藩の多くは同盟を結び、幕府側へつきましたが、津軽藩は親しい関係にある近衛家のすすめもあって、

馬門温泉 上北郡野辺地町

馬門温泉は、古くから人々の湯治場として知られていたようです。たとへば、馬門温泉薬師堂の鰐口(仏堂の前の軒につるし、

藩境塚 上北郡野辺地町

藩境塚は、野辺地、平内町との境、狩場沢の海岸に沿ってあります。笹、雑木が密生した、高さ五メートルの円丘が、双股川を

十符ケ浦 上北郡野辺地町

このあたりの砂は、小豆砂といい紫色を帯びています。荒波に砕かれ、粒のそろった砂のひろがる美しい海岸です。毎年

百石の伝説 上北郡百石町

昔々、この辺りは食べる桃の石と書いて桃石と呼んでいました。ここに村一番のお金持で、大変ケチン坊な人が住んでいました。

百石町 上北郡百石町

百の石と書いて百石町です。アイヌ語で、「流れゆるやかに曲つた川」という意味だそうです。奥入瀬川の様子が、そのまま町の名

七百 上北郡六戸町

今から三百年以上前、盛岡から作助という人が、新しい田圃を開こうとしてこの地を訪れ、方々の土質を調べ、ここに千刈の

黒石温泉郷 黒石市

弘前側から浅瀬石川に沿って温湯(ぬるゆ)・落合・板留(いたどめ)、温川(ぬるかわ)と温泉が続いています。青荷(あおに)と

黒石市 

黒石地方は陸奥の国津軽田舎館黒石郷といわれ、古くから拓けていたところです。昔、蝦夷の住むところを「久慈須(くじす)

黒石ねぷた 黒石市

津軽地方の風物誌である、黒石ねぷたまつりは、毎年八月一日から七日まで開催されます。子供ねぷた、人形ねぷた、扇ねぷた

黒石よされ踊り 黒石市

日本三大おどり(阿波おどり、郡上おどり、黒石よされおどり)の一つといわれる”黒石よされ踊り”の起源は恋のかけ合い唄とし

板留温泉 黒石市板留宮

その昔、花山院忠長が浅瀬石川から湧き出るお湯と川の流れとでうまく入湯できなかったので、板で囲って入ったことから板留

黒石神社 黒石市市ノ町

黒石津軽藩を創立した津軽十郎左衛門信英を祀った神社です。津軽四代藩主信政の叔父で後見人であった信英(のぶふさ)

秋田雨雀記念館 黒石市内町

御幸公園の内には児童文学者・劇作家・詩人・社会運動家、そしてエスペラント語普及運動家、と幅広い活躍をした、黒石名誉

浅瀬石川ダム 黒石市大字板留

東北地方でも、最大級の多目的ダムで、津軽平野約九千ヘクタールもの水田を潤すために建設されたのが浅瀬石川ダムです

御幸公園 黒石市大字内町

黒石津軽家の陣屋があったところで、今公園となっているところは馬場があったところです。明治三十三年(一九○○)、大正天皇

稲荷神社 黒石市大字甲大工町

御幸公園内に、黒石の産士神を祀った稲荷神社があります。江戸時代の初めに当地に流罪となった花山院忠長(江戸前期の公卿

大川原の火流し 黒石市大川原

冬期には大川原と城ケ倉の間は閉鎖をされてしまう地域ですが夏の暑い頃、大川原の火流しの行事がおこなわれます。平家の

青荷渓流 黒石市沖浦青荷

南八甲田連峰の一つ、櫛ガ峰(一五一七)を源とする青荷渓流は、龍ガ滝・扇滝・七段滝・大滝などが続く急流と原生林にかこま

青荷温泉 黒石市沖浦青荷

浅瀬石川の支流、青荷川をさかのぼると青荷温泉に出ます。ラジウムを含む単純炭酸泉で、ここはランプの灯る温泉宿とし

薬師寺 黒石市温湯鶴泉

薬師寺は寛永元年(江戸時代初期・一六二四)、入湯にきた花山院忠長(京の公卿・むつの地に流されていた)が、夢のおつげ

遠光寺 黒石市温湯鶴泉

温湯温泉の北側にある、日蓮宗の遠光寺は、寛永元年(一六二四)の創立で、歌人丹波洋岳にあてた石川啄木の書簡が残されています。

温湯温泉 黒石市温湯鶴泉

黒石温泉郷の西玄関口にあたる温湯温泉は四○○年以上の歴史を持ち、薬師寺をさらに東へ進んだところにあります。

黒石ほるぷ子ども館 黒石市温湯派

昭和五十年、㈱ほるぷ出版が黒石市に子供のための小さな図書館を寄贈いたしました。「黒石ほるぷ子ども館」と名づけられた

中町のこみせ通り 黒石市中町

日本の道百選に選らばれました。藩政時代にはたご屋、造酒屋、呉服屋・米屋が軒を連ねていたところです。ここに雪から通路

津軽こけし館 黒石市袋富山

国指定重要文化財である江戸時代の商家「高橋家」と、全国的に例をみない「こみせ」、のイメージを組み合わせた外装か

黒森山・浄仙寺  黒石市南中野黒森下

寺伝によると文政七年(江戸時代後期・一八二四)、弘前貞昌寺の末山として開かれた浄仙寺開基の山崎是空は、中野不動尊の洞窟で

中野紅葉山・中野神社 黒石市南中野不動舘

浅瀬石川と中野川の合流点付近に中野紅葉山と呼ばれる高さ二六九メートルの小山があります。ここは中野神社の境内で、津軽藩九代藩

愛宕山地蔵院 黒石市山形町

一般には”愛宕様”と呼ばれています。ここは”黒石よされ”の発祥地で、境内での盆踊りは、俗謡にも残っていて盛んであったといいます。

法眼寺 黒石市山形町

法眼寺は以前、温湯(ぬるゆ)にあったものを元禄五年(一六九二)に豪商加藤勘兵衛が現在地に移転させたものです。延享

津軽三千坊 五所川原市高野

津軽三千坊は、阿闍羅(大鰐)、十三(とさ)(市川)、梵珠山の西麓にある高野(五所川原)をいいます。津軽の古書には、「比叡山三千坊

平家落人伝説・日本の三大虚空蔵 三戸郡

南郷村の島守地区(南郷I・Cの右側)には、源氏に敗れた平重盛一族が隠れ住んだという、平家落人伝説が残っています。平清盛

福地村・剣吉の地名の由来 三戸郡南部町

福地村は、村の中央部を馬渕川が貫流し、かつては馬の産地でしたが、今は果樹栽培、葉煙草の生産が主体となっています。

法光寺 三戸郡南部町

法光寺は、標高六十五メートルの山、県立公園名久井岳の中腹にあり、曹洞宗の奥羽三大本山のひとつに数えられております。

寺下観音堂 三戸郡階上町

階上岳登山コースのうち、寺下口コース内に、多くの信者を持つ、寺下観音堂があります。観音堂の創建は、神亀年間

ホーハイ節 つがる市森田町

青森県津軽地方の民謡です。こんお民謡には面白い話があります。今から三百数十年以上前の事です。お玉という女の人が営んでいる

民謡・弥三郎節 つがる市森田町

文化五年(一八○八)の秋、下相野の弥三郎という百姓が、人を介して大開の万九郎家から、嫁を貰ったのですが、嫁は親達の

三本木原の開拓・新渡戸伝 十和田市

三本木原は、上北郡の東部に位置する、東西四十キロ、南北三十二キロの広々とした台地です。その中心都市、三本木町は、

十和田湖 十和田市

青森・秋田両県の県境にある十和田湖は、十和田八幡平国立公園内にある、典型的な二重式カルデラ湖です。湖の一番深いところは

十和田湖温泉郷 十和田市

十和田湖温泉は、奥入瀬渓流の入口、焼山に開かれた温泉郷で、奥入瀬探勝の絶好の基地になっております。昭和三十八年、

十和田山 十和田市

標高一○五四メートルの十和田山が、湖の東にそびえています。十和田山は十和田湖四大展望所の一つで、ここからは湖はもちろん、

南祖坊と八郎太郎の伝説 十和田市

昔、陸奥国鹿角郡柴内に、八郎太郎という偉丈夫がおりました。あるとき山の仕事に出かけた八郎太郎は三匹の岩魚をつかまえ

発荷峠 十和田市ほか

発荷峠は、湖面からの高さおよそ二五○メートルあり、湖をへだてて北方に雄大な八甲田の山々を望み、眼の下には中山半島

稲生町 十和田市稲生町

稲生町は、新渡戸十次郎が町づくりを開始した所です。十次郎は稲生川が竣工した時に、将来の都市計画をも考雲え、父、伝と共

蔦温泉 十和田市大字奥瀬

八甲田火山群の山ふところに抱かれたこの蔦湯は、発見は約八○○年前といわれ、蔦川から少し西に入ったところに、ただ一軒

猿倉温泉 十和田市大字奥瀬

猿倉温泉は、蔦川の渓流ぞいに湧く温泉です。乳白色の豊富な湯量で、十和田温泉に引湯しています。

十和田神社 十和田市大字奥瀬

そのむかし坂上田村麻呂が東征のみぎり、湖が荒れて渡れなかったので、ここに小さなほこらを建て、戦勝を祈願し、イカダを

十和田神社の遥拝所 十和田市大字奥瀬

十和田神社の遥拝所です。かつて神社が女人禁制とされていた時代、女子供や老人達は、ここから礼拝して帰ったそうです。

瞰湖台  十和田市奥瀬宇樽部

この展望地はその名の示す通り、中湖が一目で見おろされる所で、御鼻部山、十和田山、発荷峠とともに、十和田湖四大展望

雲井の滝  十和田市奥瀬

高さ約二○メートルの三段の滝は雲井の滝です。奥入瀬で二番目の大きさで、水量も豊富です。この付近から銚子大滝までは、

銚子大滝  十和田市奥瀬奥入瀬

十和田湖から流れ出て奥入瀬川となった水は、やがて銚子大滝となって、下流の奥入瀬渓流となりますが、この滝は幅

石ヶ戸  十和田市奥瀬

”ケ戸(がど)”というのはこの地方の方言で、小屋という意味があります。厚さ一メートルの自然石がカツラの木にもたれかかり

湖畔の乙女像  十和田市奥瀬

十和田湖が国立公園に指定された十五周年を記念して、昭和二七年、時の青森県知事津島文治氏(作家太宰治の長兄)が

御鼻部山展望台 十和田市奥瀬尻辺山

ここは標高一○一一メートルあり、十和田湖を囲むカルデラ壁のなかでは、最も高い山で湖と外輪山外側の両方が見える数少 

蔦七沼  十和田市奥瀬

蔦温泉から北西に少し入ったところに蔦沼(つたぬま)、鏡沼、月沼、長沼、菅沼、瓢箪沼、少しはなれて赤沼と七つの沼が点在して

旧笠石家住宅  十和田市奥瀬

約三○○年前の建築物といわれ、かや葺の屋根や釘を一本も使っていない寄せ棟造りが、昔の人々の生活をかたってくれます。

法蓮寺 十和田市洞内

七百五十年の歴史を持つ寺で法身(ほっしん)、道無(どうむ)の二体の木像が安置されております。*法身、道無:法身は、

休屋  十和田市十和田湖畔

中山半島の付根にある休屋です。十和田湖の中で最も賑やかな場所で、バス、観光船などがここに集中しています。

子ノロ 十和田市十和田

十和田湖の「子(ね)」の方角、すなわち北にあたる水の出口であることから、「子ノロ」という地名がついています。湖岸一周

一万一千五両ノ眺め  十和田市十和田

渓流にかかる橋を”百万両”と呼び、清らかな流れを”万両の流”、橋の右手に見える滝を”五両ノ滝”となりの岩は”千両岩”と

奥入瀬渓流  十和田市十和田湖畔

子ノロから焼山までの区間約一四・二キロメ1トル(奥入瀬上流)を奥入瀬渓流と呼んでいます。十和田湖の湖水の美しさを

新渡戸稲造  十和田市東三番町

”願わくは我れ太平洋のかけ橋とならん”の言葉で知られる稲造は、新渡戸伝の長男、十次郎の三男として、文久二年(一八六二)に

新渡戸伝のお墓  十和田市東三番町

森の見える所は十和田市の開拓者、新渡戸伝のお墓のある太素塚です。また両脇に、息子十次郎、と、孫の稲造博士のお墓

法量  十和田市

法量の地名は、アイヌ語のポロウレカムイから来たもので、ポロは大きい、ウレは足、カムイは神で、「大きな足の神様」の意味で、

谷地温泉  十和田市法量

高田大岳(一五五一メートル)の山麓の、標高八○○メートルの高地に湧く温泉で、高田大岳の登山口であり、田代平への入口

睡蓮沼  十和田市法量

標高一○四○メートルにある睡蓮沼は大小無数の沼が散在しています。もっとも大きい大沼には展望台が設けられ、正面の

 

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十和田湖 乙女の像

 

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岩木山

 

階上岳の伝説  

階上岳の裏側、久慈よりに同じ位の高さの山で、久慈平岳(標高七百六メートル)という山がありますが、昔この久慈平岳と階上岳が背比

階上岳 階上町と岩手県洋野町の境

階上岳(七四○メートル)は、北上山地の北端にあって、雄大な裾野は、太平洋に落ちこんでいます。八戸方面から見る山容は

八戸 

かって三戸に本拠をおいた南部氏が、軍馬を育成するために、一戸から九戸までの牧をもうけました。八戸はその一つで、

八戸市の歴史 

八戸市は、三陸沖の豊かな漁場を控え、全国屈指の魚獲水揚高を誇る水産都市でもあります。そしてここ八戸市は、馬渕川流域

えんぶり 八戸市

えんぶりは、古くから八戸市に伝わる郷土芸能で、美しい鳥帽子を冠り、「今年も豊年でありますようにと、田植から収穫までを型ど

新羅神社 八戸市長者

八戸市の南、小高い長者山の山頂にあるのは新羅神社です。木々がうっそうと生い繁るなか、南部氏の先祖、新羅三郎義光

根城 八戸市

建武元年(一三三四・南北朝時代)に南部師行が八戸の石懸村八森に城を築きました。主人の北畠顕家は「この城を奥羽平定

櫛引八幡宮 八戸市八幡

八戸市の西のはずれ、国道一○四号沿には古くから南部一の宮南部総鎮守、奥羽二の宮、多勢の崇敬を集めている櫛引八幡宮

平内町 東津軽郡平内町

平内町は、ホタテ貝と、白鳥、北限の椿の三ツをもった町として知られています。波静かな沿岸に、ホタテの養殖かごに結んだガラス

小湊代官所跡 東津軽郡平内町

小湊駅前の高台に、平内町歴史民族資料館がありますが、小湊代官所(津軽黒石藩領)のあつた所です。土塁と松や樺の老樹が

浅所 東津軽郡平内町

平内町の浅所は、白鳥の飛来地として有名です。小湊川(汐立川)の雷電橋(右側)を渡り、川口の右、百メートルほどの橋が架け

夜越山 東津軽郡平内町

夜越山は、小湊と清水川の中間にある、標高百八十メートルの山で、夜越山森林公園(約九百坪)になっており、昭和三十八年五月

温川温泉 平川市切明津根川森

浅瀬石川上流の温川温泉です。黒石温泉郷のもっとも奥にあって、ブナやカエデの林の中に静かなたたずまいを見せる温泉場です

東北の小京都 弘前市

”弘前は京都のようですね”と多くの人達からいわれますのは、古い建物が多いというだけではなく、この町には、京都風の匂いと彩り

弘前市 

弘前市は、青森県の中心都市で、津軽平野の最南部に位置しております。西北に美しく裾を引く岩木山を望み、町並みは弘前駅

弘前四大まつり 弘前市

①桜まつり(五千本の桜)(四月下旬~五月上旬)弘前公園内 ②ねぷたまつり(八月一日~七日) ③紅葉まつり(千本の楓)

日本基督教団弘前教会堂 弘前市元寺町

日本キリスト教団弘前教会堂は、明治八年(一八七五)ジョン=イング師が当地に布教、その時に創建され、現在の建物は三度目に

誓願寺山門 弘前市新町

この寺は、もと南津軽郡大光寺にあったもので、創建は慶長元年(一五九六)、その後慶長十五年(一六一○)に現在地に移されました

撫牛子 弘前市大字撫牛子

先住民族の残した地名らしく、附近の畑から縄文土器の破片が堀り出され、学界の注目を集めました。

岩木山 弘前市および西津軽郡

津軽の人々が、一生を共に過す岩木山は、津軽地方のどこからでも見え、山の霊が自分達を守ってくれるという思いが、岩木山を

津軽藩ねぷた村 弘前市亀甲町

弘前城の北の端、亀甲門の東側に、明治初期の町なみを再現した津軽藩ねぷた村があります。ここは、藩の御蔵を一部改造して

津軽塗 弘前市神田

津軽塗は、津軽四代藩主信政が、元禄の頃、産業振興のために招いた若狭(福井県)の塗師・池田源兵衛の子、源太郎(後の青海

茂森町 弘前市

禅林三十三ヶ寺と呼ばれる茂森町は、町全体が寺院街を形成しております。これらの寺院は、いずれも藩主が城下町を整備した時

弘前城跡史 弘前市下白銀町

弘前城は、戦国時代に豊臣秀吉から藩祖と認められた津軽為信が築城の計画をたて、二代藩主信枚が、慶長十六年(一六一一)に

旧東奥義塾外人教師館 弘前市下白銀町

東奥義塾は、明治五年(一八七二)に県内で最初に開校した私学校で、この外人教師館は、明治三十三年(一九○○)に再建され

旧弘前市立図書館 弘前市下白銀町

個人所有のアパートとして使われていた旧弘前市立図書館は、昭和六十二年(一九八七年)に市へ寄贈され、はじめに建てられた

新寺町寺院街 弘前市新寺町

弘前城の外郭には、防衛の意味もあって、あちらこちらに寺社を置きました。城東地区の寺町もその一ツで、十五ヶ寺ありましたが、

袋宮寺 弘前市新寺町

報恩寺の一つ無量院は、今は袋宮寺、と呼ばれておりますが、袋宮寺はもと、駒越村の熊野宮の別当寺院でしたが、明治初年の

報恩寺 弘前市新寺町

報恩寺は、四代藩主信政が、津軽家の菩提寺として、明暦二年(一六五六)、今から三百十数年前に建てられたもので三代信義か

熊野奥照神社 弘前市田町

旧県社の熊野奥照神社は、弘前城が築城される前から、この地に鎮座していたと伝えられていますが、創建年代ははっきりしてい

最勝院五重塔 弘前市銅屋町

最勝院五重塔(俗に大円寺五重塔)は、国の重要文化財に指定されております。寛永八年(一六六七年)、津軽四代藩主信政が

八坂神社 弘前市銅屋町

八坂神社は、すさのおのみこと、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)が祀られております。もと、大円寺牛頭天王(ごずてんのう)と

長勝寺と禅林三十三ケ所 弘前市西茂森

正面に黒門が見えます。ここから、一ノ門、ニノ門、三ノ門まで、南北両側に曹洞宗の寺院が立ち並び、その数、三十三になります。

青森銀行記念館 弘前市元長町

明治四十四年、日本建築学会が洋風建築を調査した結果、貴重なものとされている五つの建築物のうち、四つまでが弘前市にある

カトリック弘前教会堂 弘前市百石町小路

弘前カトリック教会は、明治五年にパリ外国宣教会のアリヴェ神父が当地に布教、現在の聖堂は明治四十三年(一九一○)に

三沢市

下北半島の入口より、やや南の大平洋岸にあり、北には魚貝類の宝庫小川原湖があります。藩政時代は、南部藩の牧場となっていた

 

弘前八幡宮 弘前市八幡町

弘前八幡宮は、初め大浦城の守護神として鼻和郡八幡(現岩木町)に鎮座していましたが、慶長十七年(一六一二)に、二代藩主

古牧温泉 三沢市

三沢駅のすぐ南側には古牧温泉・祭魚洞公園があります。約六十万平方メートルの敷地内には、レジャ‐施設や日本庭園、温泉を

小川原湖 三沢市ほか

 

小川原湖は、周囲五十二キロ、我が国では十一番目に大きな湖で、周辺には大小七ツの湖沼があり、このあたり一帯は市民の

小川原湖伝説 

小川原湖は、もともとは太平洋岸の入江だったのが、河口部分の海岸砂丘の発達で、いつしか湖になったとされています。それを

古間木・三沢駅 三沢市大字犬落瀬

以前三沢駅は古間木という名で親しまれておりましたが、昭和三十六年に、三沢駅と改名致しました。古間木という地名は、「古い牧」

垂柳遺跡 南津軽郡田舎館村

この付近は浅瀬石川下流の沖積地で、現在でも良質のお米がとれています。明治二十年(一八八七)に垂柳遺跡は発見されましたが

大鰐町・温泉郷 南津軽郡大鰐町

大鰐町は、約八○○年前に発見された温泉郷で、神経痛やリューマチに効めがあり、古くから湯治客で賑わったところです。また

哀話・唐糸御前 南津軽郡藤崎町

鎌倉時代、安東氏の娘、唐糸(からいと)は、時の執権北条時頼のもとえ送られ愛妾となりました。時頼の寵愛を一身に集めたため、

藤崎町 南津軽郡

藤崎町は、土壌に恵まれ、米とリソゴとそ菜の生産地で、津軽地方では最も豊かな町です。叉、中世の津軽を支配した、安東氏代々

水木館跡 南津軽郡藤崎町

永正年間(一五○四~一五二一)に、水木館の館社として勧請されたと伝えられる、熊野神社があります。水木館跡は、神社に接し

恐山 むつ市田名部

下北の人々の多くは今も、「死者の霊は必ず恐山にゆく」ものと固く信じ、死者の歯骨をこの山に納める風習があります。毎年七月

八甲田連峰 

八甲田連峰は、奥羽山脈の北のはしにあり、那須火山帯に含まれる休火山ですが、酸ヶ湯のそばに灰色の沼があり、沼の北側から

美人川 青森市浪岡大字五本松

浪岡付近は、伝説の多い所です。その一ツに浪岡付近を流れている美人川のお話しがあります。今は名のみばかりの川になってしまい

 

 

 

 

 

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恐山

 

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ねぶた祭