旅先の歴史ものがたり・群馬

群馬県には、知られざる物語があります。

町や村などの成り立ち、


その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。


「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」


「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」


「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」


「町や村、施設の命名縁起」「群馬県ならではの特産物」


「国指定の国宝・重要文化財」など。


 
旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした群馬県を代表する人間物語


を訪ねてみたいものです。


旅のその先に……新しい発見が。


それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

尾瀬.jpg

 

尾瀬沼

 

群馬県  

桑畑がつつく上州路は、東から南にかけての東毛と、北から西にかけての西毛では、地形的にも大きな違いがあり、

群馬の馬 

群馬県は、古くから馬の産地として知られた所です。奈良時代、上野の国に九つの牧場が作くられました。そのため古くか

群馬の牧畜

群馬の牧畜は古くから知られ、昔は甲斐、武蔵、信濃とともに朝廷の牧場がおかれ、上野の国にも九ヶ所ありました。馬の飼育は

上野の国の名の起り

群馬県は、昔、栃木県と共に「毛野国(けののくに)」とよばれましたが仁徳天皇の御代、上と下と二つの国に分れ「上毛野

上野の国三の宮

一の宮が貫前神社、二の宮が赤城神社で、三の宮は優美な、榛名山のうちぶところにいだかれた温泉郷、伊香保の伊香保

上州名物

「上州名物何かと聞けば、かかあ天下に空っ風」とあります。空っ風とは、秋のなかばから、春のなかばにかて、信越国境の山々から

勅使河原の古戦場

今から四百十年ほど前の天正十年、この上州の山野は、越後の上杉、甲斐の武田、小田原の北条と三人の豪雄が互にしのぎを

羽黒山の昔話

昔々のそのまた昔、上州(群馬県)と信州(長野県)の境にある浅間山に、とてつもない大きな男が住んでいました。男の名はデイラン坊

吾妻八景  吾妻郡

この渓谷も、吾妻八景の一つに数えられ、叉、一名を関東の耶馬渓、と呼ばれております。明治時代の文豪、大町桂月が、「九州の

草津温泉  吾妻郡草津町

草津温泉は「朝の湯けむり 夕べの湯もや 草津は湯の町 夢の町」。一二〇〇以上前の昔、行基菩薩によって発見されたと伝えられて

草津湯もみ  吾妻郡草津町

「草津良いとこヨーホホーイ スキーの名所よ 自まん話もヨーホホーイ お湯の中とかよ」。こんな軽い唄に合わせて、めいめいに

草津白根山  吾妻郡草津町

草津の山の中で一番高く、日光の白根と区別して、上州白根とか草津白根とよばれ、海抜二、一七六メートルのこの白根山には

石楠花群生林  吾妻郡草津町

硫黄の噴煙がたちこめ、奇岩がするどく起立し、物の生存を許さぬようなきびしい大自然を、やさしく優雅なこの石楠花が色どり、

本白根山  吾妻郡草津町

標高は二一六二メートルあり、この本白根南にある白根山(一二七六)とともに、双子火山を形成しております。この山は、山岳信仰の

湯窪伝説  吾妻郡草津町

昔はこの辺一帯に立派な温泉が出たといわれ、只今湯窪の地名が残るのです。伝説によりますとその昔、この里の若い衆が血気に

脱武具の池  吾妻郡草津町

この静かな池は、今からおよそ七百年以上の昔、源頼朝に追われた木曾義仲の残党が、たまたまとの辺りに落ちのびて参りました。

六合村  吾妻郡

六合村は吾妻郡の西北隅に位し、東は吾妻町、西は草津町、南は長野原町、北は遠く長野県接しております。くに村とは六合村と書きますが

暮坂峠と若山牧水  吾妻郡六合村

沢渡温泉の奥に、有笠山を左に見て暮坂峠をこえ、草津にぬけるコースを俗に牧水コースとか、暮坂コースと呼んでいます。海を愛し

添うが森、不添が森  吾妻郡高山村

天慶三年(九四○)平将門征伐の知らせに、此の付近の武士は先を争って出陣しました。しかし、小野ヨシフルの家来、小野利秋は、

北向観世音  吾妻郡高山村

厄除観音としてその名を知られ、縁日の正月十八日には、厄年に当る若い善男善女、その他参詣の人々も非常に多く

僧侶石  吾妻郡嬬恋村

万座街道の片すみに、僧侶石と呼ばれる石があります。これは、昔、信州に向う尼さん親子が、折から降りしきる雪のため道に迷い、

嬬恋村  吾妻郡

嬬恋村は浅間山を中心とする地域と反対側の白根山を中心とする森林地帯、それに吾妻川の流域を中心とする三地域に分かれております。

半出来  吾妻郡嬬恋村

半出来という所です。半出来とは面白い名前ですが、ここは周囲を山で囲まれておりますので、お米や麦を作っても、普通のところの

鎌原集落  吾妻郡嬬恋村

鎌原集落は、今から約二一○年以上前(一七八三)天明三年七月八日、浅間山が大噴火した時に熔岩が押し出し、地下深くに埋められてしまった

観音堂  吾妻郡嬬恋村

浅間山大噴火の犠牲となった集落です。今からおよそ二百年以上前、天明三年四月八日から八十八日間にわたって地鳴りが続き、

大笹関所  吾妻郡嬬恋村

大笹は吾妻三関所の一つ、大笹関所であった関所町として発達した所です。寛文二年に設けられてから、明治初年までおよそ二○○年

鬼押出し  吾妻郡嬬恋村

浅間大噴火の時、真赤な熔岩が流れて固ったもので、長さ五キロ、巾二キロ、広さは三百町歩といいます。鬼押出しの名の起りは

新鹿沢温泉  吾妻郡嬬恋村

新鹿沢温泉は、分類から申しますと、単純温泉に属し、草津の酸性の強い温泉とは反対に、アルカリ性の温泉です。胃腸病、婦人病に

田代湖  吾妻郡嬬恋村

田代湖は、大正十年電力会社が冬の発電用水の渇水期にそなえて造った人造湖です。四阿山(あずまやさん)の霊峰と浅間山の

米無山  吾妻郡嬬恋村

昔、源氏に追われた平家の残党がこの山にたてこもり、食べ物がなくて大変苦しみました。こういう云い伝えから米無山の名が生まれた

万座温泉  吾妻郡嬬恋村

万座温泉は、草津白根山の一部の、万座山の中腹にある温泉で、標高一八○○メートルの高所にある温泉です。長野県のやり温泉

中居屋重兵ヱ・中居屋旅館  吾妻郡嬬恋村

上州三原から万座に通じる道の途中に、中居屋旅館があります。中居屋は、横浜開港当時活躍した豪商・中居屋重兵ヱの生家で、

因業惣平伝説  吾妻郡中之条町

「山田」には、、富沢惣平という人がいました(百年ほど前)。土地の人は惣平のことを因業惣平と呼びました。因業惣平には、こんな話が

六合村の温泉  吾妻郡中之条町

六合村(合併により吾妻郡中之条町)は、上州の山々に囲まれた静かな山里で、前九年の役(一○六二)に敗れた阿部貞任の一族

五社天狗  吾妻郡中之条町

五社天狗には色々のいわれがあります。昔この土地に渡って来た天狗が、たまたまこの山田川の美しい流れを見て、この水を飲むため

沢渡温泉  吾妻郡中之条町

海抜七○○メートルのこの沢渡温泉は、草津のあがり湯として古くから知られています。かつて「夢物語」を書いて、幕府の鎖国を批判

嵩山・吾妻八景  吾妻郡中之条町

吾妻八景の中に数えられる嵩山は、お釈迦様の寝姿に似た山といわれ、高さ七八九メートルです。この嵩山にも昔斎藤虎丸という方

梨木・伝説  吾妻郡中之条町

このあたりは、荷付場とも呼ばれ、古くから入山名所とされております。昔はこの奥地で出来ました木製の杓子や柄杓を、山の峰伝いに

宵の山本、明けの山本  吾妻郡中之条町

世立集落には、山本という姓が沢山あります。その山本の先祖の伝説には、興味深いものがあります。その昔、この山本の先祖が、戦を

和光原の伝説  吾妻郡中之条町

和光原にはこんな伝説があります。昔、この村に霜田(しもだ)という家がありました。その家には阿弥陀如来の掛軸がありました。祖先の方が

 

 

 

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草津温泉

 

赤岩集落の伝説  吾妻郡中之条町

昔この村には湯本の姓を名乗る、代々医者をしていた家がございましたが、或る日のこと、往診の帰り道、馬にのり、橋のたもとまで参りま

吾妻三町について  吾妻郡中之条町

吾妻三町とは、昔は吾妻郡伊勢町と中之条町と原町を吾妻三町と呼んでいました。これらの町は吾妻川と山田川によって作られた

市城牧の跡  吾妻郡中之条町

応永の古墳で知られる市城です。今から千年程昔は、朝廷の馬寮直轄、市城の牧がおかれていました。徳川時代に白波と名付けた馬を

若山牧水と暮坂峠  

小雨は、草津温泉と沢渡温泉、更に四万温泉を結ぶ街道の途中にある集落です。昔から、草津温泉の仕上げ湯として知られた沢渡温泉へは

野反湖  吾妻郡中之条町

野反湖は野反池とも呼ばれ、表日本の利根川水系と裏日本の信濃川水系の分水嶺にあります。高さ一四八八メートルの高原の湖です。

日向見薬師堂  吾妻郡中之条町

四万温泉の発展の源「日向見」には日向見薬師堂があります。室町時代の末期、天文四年に建てられたもので、明治四十五年、

吾妻神社  吾妻郡中之条町

吾妻一の宮です。長い間ここ吾妻の地の開拓につくされたといわれる賀若和利と子持姫をお祀りしてあります。叉昔からいくさの神として

四万温泉  吾妻郡中之条町

「山奥のけむる湯煙り 谷間の流れ 四万は湯どころ ほのぼのと」とうたわれる四万温泉は、四万川の美しい渓谷に恵まれた静かな

四万温泉の由来  吾妻郡中之条町

俗塵をはなれた山間の温泉郷、四万温泉には、こんな話が残っております。その昔羅生門で有名な源転光の四天王の一人に、碓氷日向守

川原湯温泉  吾妻郡長野原町

温度六七度の硫黄泉で、近代感覚にあふれた温泉です。虎の湯や源氏の紋所に関係のある笹の湯などがあり、皮フ病や胃腸病によい

吾妻について  吾妻郡東吾妻町

その昔、日本武尊が御東征の時、この奥の信州境(長野県との境)の四阿山に登られ、遥か東南をのぞみ、おきさきの弟橘媛が

岩櫃城  吾妻郡東吾妻町

関東の三名城と言われます。吾妻太郎が里見兵衛尉に攻められて、戦い利あらず篭城となりましたが、天下の名城の事とて仲々落城

岩櫃山  吾妻郡東吾妻町

吾妻八景の一つに数えられ、標高八○二米、さして高い山ではありせんが、全山安山岩からなっており、山中にある二本槍」とか

大戸関所跡  吾妻郡東吾妻町

「ここは通さぬ、大戸の関所」とうたわれて関所の中でも最も厳重とされていました。天保年間国定忠治が、子分をしたがえて、信州に行く途中

善導寺  吾妻郡東吾妻町

吾妻ののろわれ寺(浄土宗)といわれています。これは、吾妻太郎と里見兵衛尉との戦いの時、善導寺の住職円光は、里見方に相通じ

善導寺の伝説  吾妻郡東吾妻町

今から六○○年以上前に建てられたお寺ですが、この善導寺に伝わる伝説を訪ねて見ることにいたしましょう。昔、このお寺に円光

原町の大欅  吾妻郡東吾妻町

昔、原町開発のとき、鬼門除けとして植えられたもので、植えてから一千年以上たつといわれる見事な大木です。この立派な欅も、

親子杉  吾妻郡東吾妻町

鳥頭神社境内に大木があります。神代杉です。親杉の空洞の中に小杉が仲よく育ち、一名親子杉とも申します。外側の杉は樹令千四百

青木沢集落  吾妻郡水上町

平家の落人が、世をしのび、ひそかに住んでいたと伝えられております。ここ青木沢には、日本武尊をまつった「武尊神社」があり、古くから

安中草三郎  安中市

安中は碓氷川とその支流にはさまれた、丘陵の上に栄えた宿場町で、今から四百年程前に安中氏の居城となりましてから、今の地名

灯龍人形  安中市

安中市中宿に伝わる灯篭人形は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。人形は竹を骨として紙張子の頭や手、足をつけ、

新島襄の生家  安中市安中

明治初期の教育家、同志社大学の設立者。一八六四年(元治元年)鎖国下の日本を脱出し、米国に学び、一八七四年(明治七年)帰国

板鼻・義経  安中市板鼻

板鼻町は、古く謡曲の「鉢の木」にもその名がみえ、又源義経の家来、伊勢三郎ゆかりの地として知られております。義経記によりますと

磯部温泉・文学碑めぐり  安中市郷原

泉質は食塩アルカリ性で、入浴、内服ともに胃腸障害や保温を要する病に効くといわれております。この磯部温泉は、天明三年の浅間山

霧積の荒童子  安中市松井田町

坂本の町から、霧積川にそって、八キロ程山路をたどって参りますと、霧積山のふもとに霧積温泉がありますが、その名の様に、霧の深い

霧積温泉  安中市松井田町

群馬県と長野県の境に近く、標高一八○○メ-トルの高所にある古い温泉で、昔は犬の湯とよばれ、皮ふ病や筋肉炎、火傷に良く効き

坂本宿  安中市松井田町

徳川時代の中山道碓氷峠の東麓に開かれた坂本宿は旧道沿いにあります。当時は、横川から右奥の坂本宿を経て峠に向ったもので

碓氷峠の今昔  安中市松井田町

碓氷峠は、その時代時代で道筋が違っておりました。古代東山道の碓氷峠越えは入山峠を越えたもので、万葉集に見られる防人の歌は

碓氷峠のお話  安中市松井田町

碓氷峠は、昔から多くの歌にもよまれ、又、史跡や、伝説にも富んでいます。その昔、峠路の旅人を慰めたと伝えられる、石碑、つまり「一つ家の

碓氷関所跡  安中市松井田町

碓氷関所は、今から三百六十五年前の元和九年(一六二三)幕府の命により、東山道の固めとして、この横川の地に設けられたもので、

伊勢崎市  

もと赤石の郷と呼ばれたところで、むかし伊勢神宮の神域内に分霊を祀ったところから、伊勢の前の地名がおこり、それがのちに伊勢崎

松井田町  碓氷郡松井田町

上毛三山の一つ、妙義山麓にある山地帯で、古くから都と東国を結ぶ東山道の要となっていたところです。万葉集にも「ひなぐもり 碓氷

太田市  

市の歴史は古く、各所に散在する女体山古墳(史跡)・天神山古墳(史跡)・鶴山古墳などによりその古さを知ることができます。また、

金山城跡  太田市金山町

新田義貞がお城を築いたところで、石だたみの一部とお堀跡と本丸跡があり本丸あとは神社になって残っております。

呑竜上人  太田市金山町

太田市を栄えさせた呑竜様は、大光院新田寺といい、徳川家康が先祖の新田義重追善供養のため、金山の麓に建てたものです。開山に

大光院  太田市金山町

新田義重を先祖とする徳川家康が、義重追善供養のため、金山の麓に建てたものです。開山に当ったのは、芝増上寺の呑龍上人

薮塚温泉  太田市薮塚町

八王子丘陵にある薮塚温泉は、天智天皇の時代に発見された温泉といわれ、元弘三年(一三三三)に新田義貞が鎌倉攻めをした時に、

ジャパンスネークセンター  太田市藪塚町

薮塚温泉の南側にヘビ専門の飼育園、スネークセンターがあり、ガラガラヘビ・コブラ・アナコンダ・マムシなどの世界の

金精峠  片品村

金精峠の頂上には「金精様」と呼ばれ、古くから人々の信仰を集めてきた、金精権現がまつられています。金精権現は、子供に恵まれない

妙義山  甘楽郡下仁田町

赤城山や榛名山と並んで、上毛三名山と言われる妙義山は、大分県の耶馬渓、香川県の寒霞渓と共に、日本の三奇勝とたたえられ

 

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妙義山

 

下仁田戦争  甘楽郡下仁田町

下仁田町は、島崎藤村の代表作「夜明け前」の一節に、下仁田戦争の舞台として紹介されています。この戦争は幕末の出来事で

下仁田町  甘楽郡下仁田町

下仁田町は長野県境に近く、妙義山、八風山、荒船山など一○○○メートルを越える山々に囲まれ、町の五○パーセントを山林と原野が

榛東村  北群馬郡

この村は古墳の多いことで知られ、県の指定史跡になっている高塚古墳が南東部にあり、そのほか大小二○○近い古墳が散在

白糸の滝  北佐久郡軽井沢

湯川の清流が落下するそのさまは、沢山の銀糸を垂らしたような美しさで、七○メートル余りの巾広い岩壁を高さ三メートルから

桐生市

桐生市は群馬の小京都といわれ、江戸時代より織物の町としてしられていました。市の歴史は古くや観応元年(一三五○)に桐生国綱が

桐生の織物  桐生市

上野国は山が多く耕地が少ないため、主に畑作農業や、林産加工を主として生計をたてていました。しかし、年貢を納めるには畑作物を

桐生織物発祥伝説 

今から約一二○○年程前のこと、桐生の人山田某は朝廷にお仕えしていましたが、いつか官女の白滝姫に想いを寄せるようになった

医光寺  桐生市黒保根町

このお寺は、弘法大師が旅の途中に一宇を建て、薬師如来を刻んで安置したところ、この薬師如来の手の中から、万病にきくという丸薬

梨木温泉  桐生市黒保根町

深沢川のそば、赤城山の中腹に梨木温泉があります。土地に伝わる話しによりますと、坂上田村麿が東征のみぎり、この土地に霊泉が

大雄院  桐生市広沢町

八王子丘陵の中でもっとも高い茶臼山(二九三メートル)の麓に、曹洞宗の広沢山大雄院があります。この寺は、由良成繁紀伊守

群馬町  群馬郡

この町は昔、上野国分寺のあった所で、その遺跡や引間の妙見寺、愛宕山古墳などの旧跡や古社寺のあるこ、とで知られます。

総社町  群馬郡

二子山古墳をはじめ数々の古墳があります。叉木工の町ともいわれ、郷士玩具の雛こけし、扇こけしなどが造られております。

赤城山小沼の伝説  佐波郡赤堀町

昔、赤城山の麓の赤堀村に道元という長者がおりました。この長者には母にもまさる美しい娘がおりました。年頃になると沢山の縁談

国定忠治  佐波郡東村

十七歳で人を殺した国定忠治は、大前田栄五郎のもとに身をひそめておりました。その後、大前田親分のはからいで北関東の賭博の権利

子持山  渋川市

子持山は一二九六メートルあり、古くより紅葉の名所として知られます。万葉集の東歌に「子持山 若楓の 紅葉まで 寝もと吾は思う 

渋川市

歴史は古く、多くの旧跡や古社寺がありますが、観光面では、利根川の大正橋下流で行なわれる、七月初めから九月末の「落合やな」が

伊香保温泉  渋川市伊香保町

伊香保は、榛名富士に抱かれた海抜八泊五十メートルの温泉です。伊香保はまず石段の街の印象が特徴です。温泉は、今から二千年

伊香保温泉湯元  渋川市伊香保町

八ヶ所から湧き出るお湯を、木の樋にあつめて、湯の町伊香保までひいてゆきます。湯元では水銀化鉄の沈澱物を布にしませた、伊香保染めを

御蔭の松  渋川市伊香保町

明治十七年七月、英昭皇太后が、伊香保においでになりました時、行き帰り、こちらで休まれましたので、御蔭の松と呼ばれるように

竹久夢二伊香保記念館  渋川市伊香保町

画家であり、詩人でもあった竹久夢二をしのんで開館された記念館で、中には美人画、風景画、花鳥、版画、手紙、デザイソ画など、

徳富蘆花記念館  渋川市伊香保町

蘆花の記念作、「不如帰」は、この伊香保の旅館・千明仁泉亭で執筆され全国的に伊香保の名が知られることになりました。その後、

水沢寺・水沢観音  渋川市伊香保町

阪東三十三観音の第十六番札所で、一般には、水沢観音の名で知られております。今から一三九〇以上前の推古天皇の頃に上野の国司

御蔭高原  渋川市御蔭

この高原は、榛名山が活動していた頃は、噴出された泥流が冷えて軽石の層を作りました。その層におおわれたこの高原は、誰一人として

黒井峰遺跡  渋川市北牧

この遺跡は今から一四○○年前の縄文時代に榛名山が噴火の時、沢山の軽石がこの付近をおおってしまったのです。この軽石層の下

お助け木  渋川市北牧

天明三年(一、七八三)、今からおよそ二二○年以上前、浅間山の大噴火により、津波のように押しよせた熔岩の流れを避けて、この

渋川八幡宮  渋川市渋川

鎌倉時代(今からおよそ八○○年以上前、渋川の領主、渋川氏によって建てられたもので、毎年夏のお祭りに関東名物数万の人出

岩井洞  渋川市村上

山全体が長い年月の間に雨風にさらされ、岩肌があらわれたもので、四季折々の変化のある眺めは、趣きあるものです。岩の下

一本刀土俵入り  勢多郡

水戸街道、取手の宿のうら通りに、軒のひくいうらぶれた旅篭「あびご屋」がありました。秋も深まった弱い日差しが、あびこ屋を包んでおりました。

観音山の野鳥  高崎市

観音山は群馬県第一の野鳥の楽園で、およそ一○○種類にのぼる野鳥が生息しています。山の一部が国有林で、赤松、杉、桧など

高崎市

高崎市は、群馬県の南部の烏川、碓氷川の合流点にのぞみ、江戸時代に、井伊直政が城主となり、城下町として栄えた所です。その後、酒井、松平、大河

高崎八景  高崎市

高崎八景とは①烏川渡船  ②浅間暮雪  ③清水晩鐘  ④半田夕照  ⑤石原晴嵐  ⑥佐野落雁  ⑦古塁夜雨  ⑧少林秋月。

榛名湖  高崎市

昔は榛名富士を中央に浮べる程の大きな湖でしたが、只今は面積一平方キロ余りで、水深は十四メートルといわれます。湖水に泉が多く湧

榛名湖の伝説  高崎市

今から四百年程昔、この辺りの領主に木部宮内少輔という人がおりましたが、神奈川合戦の時、武運つたなく戦死してしまいました。

榛名富士の伝説  高崎市

昔、駿河の神様と上野(こうずけ)の神様が山を造る競走をしました。一番鳥が鳴くまでに、どちらが高い山を造れるかということでしたが、残念

権現の化猫燈篭の話  高崎市

今から約二五○年以上前のお話です。その頃江戸と長岡とを早脚でゆききする一人の飛脚がおりました。秋とはいっても山の日暮れは早い

大般若塚  高崎市

路傍に一段と高く士を盛って塚を築き、その上に碑を建ててあります。昔この辺りに妖怪が現われ、往来の人々をおどかしていたといわれます。

三国街道について  高崎市

(昭和三十四年六月十五日、三国山頂を貫いて三国国道は吹路〜浅貝間一四九六メートルが、七年間の工期と十二億円の費用、

三国峠と戊辰戦争  高崎市

江戸時代から三国街道は、越後往復路としては唯一のものでした。明治元年に、官軍と会津軍とが戦った戊辰戦争は、歴史的にも有名

聖石橋  高崎市石原町

橋の下流の川の中には、こけむした、聖石と呼ばれる大きな石があります。昔、この石は、岸の近くにありまして、石の上部にあなをあけて

高崎観音(白衣観音)  高崎市石原町

日本観光地百選建造物第六位に入選した観音様で、高崎市の名物です。高さ四十一米、重さ六○○○トンの鉄筋コンクリート造りで、体内は

 

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白糸の滝

 

岩鼻  高崎市岩鼻町

岩鼻は、徳川時代、幕府直轄の地を司る代官所のおかれた所です。幕府の土地を監視するだけでなく、ひそかに、高崎や安中

佐野の渡・哀話  高崎市上佐野町

上佐野町の西を流れております烏川(からすかわ)に、古く佐野の渡がありました。そこに舟橋が架けられておりました頃に、流れをへだてて

諏訪明神の迷信  高崎市上仲居町

享保二年三月のこと、この地方に飲み水が不足した時、農民は井戸を掘ることを計画致しました。工事が始まり、穴を掘り出しますと

倉賀野町  高崎市倉賀野町

烏川には、昔は倉賀野河岸がありました。そこは利根水運の終点でしたので、信濃、越中、越後方面からの年貢米や、江戸市民の

小栗上野介処刑跡  高崎市倉渕町

草津街道を烏川にそって登って参りますと、三の倉という所に幕末の偉人小栗上野介の碑があります。尊王攘夷の幕末の頃、幕府は

滝不動  高崎市下室田町

室田八景に揚げられている滝不動です。今から二千年程昔、慈覚大師が唐から持ちかえった、大聖不動明王を滝のそばに安置し、霊場とした

鷹留城  高崎市下室田町

今では榛名山の南裾に、養蚕を主とする静かな町ですが、八百年程昔、長野伊予守業尚(なりひさ)の築城による、鷹留城の城下町とし

室田八景  高崎市下室田町

・長年寺の桜 ・清高山寺暁雨 ・松仙寺の晩鐘 ・烏山の漁り火 ・天狗山の暮雪 ・不動の納涼 ・大森の夜雪 ・湯殿山の紅葉

高崎城址  高崎市高松町

城址は市役所をはじめ、いろいろなお役所の集まる官庁街になっています。鎌倉時代には赤坂城(新田氏)、又は、和田城

新田義貞  高崎市中里見町

里見は、南総里見八犬伝で知られる、里見義実の祖先、里見義俊が建久年間、今から八百八十年以上昔、里見城を築き、その城下町

豊岡町  高崎市中豊岡町

「やれ ダルマがゆれる あぶないぞ やれ ころぶと見えて おきあがる」。豊岡は、七転八起の福だるまの産地です。毎年一月六日の

道祖神  高崎市中室田町

芭蕉の奥の細道の一節に「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり。……春立る霞の空に白川の聞こえんと、そぞろ神の

少林山達磨寺  高崎市鼻高町

「縁起だるまの少林山」と上尾かるたにもあるように、高崎だるまの少林山達磨寺は、碓氷川を見おろす位置に建てられています。

榛名湖の伝説1  高崎市榛名

昔、上野国(こうずけのくに)に一人の巨人がおりました。あるとき、駿河国の巨人と会い、たがいに腕自慢や力、自慢の話になりはては

竹久夢二の歌碑  高崎市榛名湖町

大正から昭和にかけて、大変な人気の詩人であり画家である竹久夢二は、榛名湖を度々訪れ、「さだめなく 烏やゆくらん青山の 

榛名湖の伝説2  高崎市榛名湖町

①永緑年間、榛名山のふもとに、越後上杉方の箕輪城がありました。京の都を夢みた甲斐の武田信玄は、駿河の今川、尾張の織田にその足を

高崎城跡  高崎市榛名湖町

平山城の跡、高崎城跡は、応永二十五年(一四一八)、この地に住む郷士の和田義信の嫡男信忠が築いたと伝えられていますが、

榛名山  高崎市榛名山町

上毛三山の一つです。三重式休火山で主峰かもん岳は、標高一四四八メートル、榛名湖、榛名富士を中心にスマートな外輪山をめぐらし、

榛名神社  高崎市榛名山町

榛名神社は上野国の六の宮で、ハニヤマ姫命とホムスピの神をお祀りしてあり、一二○○年もの歴史をもつ古いお社です。南北朝から

箕輪城祉  高崎市箕郷町

戦国時代上州の名将とうたわれた長野業政の築いた箕輪城跡です。戦国時代、甲斐の武田信玄は、全国制覇の夢を抱いて甲州から

頼政神社・高崎公園  高崎市宮元町

高崎公園には樹齢三五○年以上をかぞえる、高さ一四メートルほどのハクモクレンがあり、県の天然記念物に指定されています。また、

館林市  

藤原鎌足の末孫が統治を始めたといわれる、古い城下町館林は、キツネとタヌキが沢山棲んでいた関係で、数多くのキツネとタヌキの伝説が

田山花袋のふるさと  館林市尾曳町

明治五年、この館林に生まれた田山花袋は、とくに城沼のあたりを故郷の象徴であり、心のふるさとと思っていたようです。花袋は

城沼の伝説  館林市花山町

花山公園にある城沼と、つつじにまつわるお話です。それは桜が散って、葉桜の蔭もなつかしい晩春の頃でした。館林の城主榊原公の愛妾に

守鶴和尚の不覚  館林市堀工町

ある時、茂林寺で千人法会という大供養会が開かれた時、あまり大勢の参会者のため、お茶を出すのに困りました。どうしようかと考えて

分福茶釜  館林市堀工町

いつのとろからか、茂林寺に立派な茶釜がありました。ところが、この茶釜にときどき手が生え、面白おかしくおどり出し、そればかりか、

丸沼  利根郡片品村

日本観光百選、湖沼の部第一位に選ばれた丸沼です。白根火山が爆発した時の溶岩の流れが、渓流をせき止めて生れた沼で、

千明牧場  利根郡片品村

この地方きっての大地主・千明家の牧場で、今から百年以上前に開かれた所です。かつては、日本ダービーの優勝馬「スゲネマ」や

菅沼  利根郡片品村

奥日光に残された静寂境にあり、この沼の水の色は十和田湖や、北海道のクツタラ湖等ともくらべられる程の美しさです。周囲十四キロ

尾瀬沼  利根郡片品村

特別天然記念物に指定される尾瀬は、日光国立公園の一部にあたり、群馬、福島、新潟の三つの県にまたがる広い地域です。燧岳

白根温泉  利根郡片品村

昔は附近の人々が農閑期に利用した湯治場でしたが、丸沼や菅沼、そして尾瀬に入る人々に利用されるようになり上州の秘湯として

うつぶせの森  利根郡白沢村

白沢小学校のうしろにあります。天平の頃、武蔵野の原に南北朝の運命をかけて、新田義興、義宗が足利尊氏との大激戦の折、

塩原太助生誕地  利根郡新治村

「本所には過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」とうたわれた塩原太助は、江戸中期の豪商で、現在の群馬県利根郡新治村下新田に

猿ヶ京温泉  利根郡みなかみ町

昔は「笹の湯温泉」と「湯島温泉」の二つありましたが、湯島は今や湖の底に没し、笹の湯が猿ヶ京温泉と改められたのです。泉源は、

藤原湖底のふる里  利根郡みなかみ町

青い水をたたえた藤原湖、発電を初め関東平野の潅概用水として、大きな役割りをはたすこの湖にも、悲しい思い出が秘められております。

水上温泉  利根郡みなかみ町

水上温泉はその昔、湯原建明寺の開山、海翁文寿和尚が永禄年間に発見したものです。和尚は経文を小石に、一文一石あてに書きこみまして

湯宿温泉  利根郡みなかみ町

文徳天皇の頃、この地に「弘頂法師」という一人の僧がおりました。弘頂法師は何年もの間岩穴に身を潜めて、修行にあいつとめましたが、

高橋おでん  利根郡みなかみ町

下牧(しももく)は、「毒婦おでん」と言われた高橋おでんの生れたところです。明治九年八月、浅草の宿屋で後藤吉蔵を殺した話は、

大峰沼の長者屋敷の伝説  利根郡みなかみ町

大峰沼の西側に、昔ある長者がすんでいました。多くの財産と召使いを持ち、美しい三人の娘がおりましたが、ある年のひどい干害に、

酒呑み夫婦の墓の話   利根郡みなかみ町

猿ヶ京の共同墓地に変ったお墓があります。それは和泉屋三五郎さんのお墓でちよっと珍らしいお墓です。三五郎さんはお金持ちでしたが、

 

 

榛名湖.jpg

 

榛名湖

 

猿ケ京関所跡  粋な計らい  利根郡みなかみ町

百十代明正天皇の時代に置かれました猿ヶ京関所は「宿場猿ヶ京」の北側入口にあたりまして江戸時代末期まで重要関所の

名胡桃城址  利根郡みなかみ町

城祉は同地の利根川西岸の高さ四十二メートルといわれる断崖の上にあって、広さ東西三十八間、南北九十七間(但し本丸と二の丸

古馬牧人形  利根郡みなかみ町

変った地名の下牧は、昔から馬が多かったこの地方を表わしているもので、この先には上牧という地名があり、昔は牧場であるたことが

謙信の逆さ桜(一名豊年桜)  利根郡みなかみ町

一名豊年桜といい、毎年の豊作、不作をうらなっていた木でもあります。戦国の時代、上杉謙信が

谷川温泉  利根郡みなかみ町

四季それぞれの風趣に恵まれた所で、大正七年、この地に遊んだ若山牧水は「谷川の 村のいで湯は 人は入らで をみな子つどい 菜を洗う

谷川温泉の由来  利根郡みなかみ町

遠い昔、天授年間の頃、ある夜谷川岳に白光が輝き、虹のように天に映えて美しく色どっていた。麓の村人達は驚いて参集し、この不思議

磔茂左衛門  利根郡みなかみ町

徳川五代将軍綱吉のころ、利根・吾妻・勢多一七七ケ村を治める領主は真田伊賀守信直でしたが、彼の悪政に領民は大変苦しめられて

法師温泉  利根郡みなかみ町

昔、弘法大師が発見されたと伝えられ、谷間にひそむランプの湯宿として、ハイカーに親しまれてきました。かつて田中冬二が「ランプの笠に

永井集落  利根郡みなかみ町

標高七六○メートルの地に、僅かに二十余りの家々が点在しております。三国街道における上州側の、最後の宿場として、「米市場」

宝川温泉  利根郡みなかみ町

宝川温泉は景行天皇の御代、日本武尊が御東征の折、武尊山に登られました。この時大変つかれておいでになり、あまつさえ余病を

猿の哀しい伝説  利根郡みなかみ町

立岩トンネルは、一名女岩といい、この女岩と対岸の男岩にまつわる、哀しい猿の伝説があります。数匹の子供猿をつれた親子が、のどかに

稚子桜・みごもりの栗  利根郡みなかみ町

一本の桜の木に、栗の種が付いて桜の木を通して成長したもので、時季がくるとそれぞれの花を咲かせる、大変珍らしい名木です。

洞元の滝伝説  利根郡みなかみ町

洞元湖に落ちこむ楢保川の滝には、こんな伝説が残されています。平安の頃、洞元という若い僧が湯の小屋に来て毎日、毎夜この滝に

匂玉峡と稚子桜  利根郡みなかみ町

匂玉渓谷にある大木は「稚子桜」または「みごもりの栗」と言い、樹令およそ八○年以上、面白いことに、桜の木が栗の老木の股に

湯の小屋  利根郡みなかみ町

その昔、葉留日の里と云われた湯の小屋は、信仰の霊山武尊、至仏、笠ヶ岳に登る旅人が、旅の疲れを露天風呂にいやし、河鹿の声に

箱崎城こと鳩崎城  利根郡みなかみ町

城は布施太郎金善の築城とされています。城祉はことごとく民有地となり、僅かにざん濠が残っているのみです。布施太郎金善公が

杉木茂左エ門  利根郡みなかみ町

茂左エ門は当時、中流の自作農家或は地主であったと伝えられます。時は天和元年、沼田城主真田伊賀守信澄は、石高三万石である

千日堂・刑場跡  利根郡みなかみ町

磔(はりつけ)になった茂左エ門地蔵尊が安置されてあります。そして又、対岸の橋の下が、茂左エ門の刑場跡です。その昔、五代将軍

水上温泉開湯の由来  利根郡みなかみ町

むかし、湯原建明寺に海翁というお坊さんがいて、ある秋の日、利根川上流を歩いた時、岸辺から白煙が立ちのぼっているのを発見し

女岩に伝わる伝説  利根郡みなかみ町

昔、この地帯が原生林であった頃、幸せなな猿の親子が住んでおりました。当時女岩の絶壁の下には、うずまく利根の急流でした。そんな

蛇紋の滝と渕  利根郡みなかみ町

その昔、安倍家の子孫が、川で釣りをしていたときに、大きな蛇と格闘となり、その大蛇をさし殺しました際、大蛇の血が三日三晩もの間

湯桧曾温泉  利根郡みなかみ町

遠い昔にさかのぼり、明治十八年の頃、清水街道開通後の湯桧曽は、一時の宿場的な賑わいから面目を新たにした訳ですが、

湯桧曽温泉説話  利根郡みなかみ町

安倍貞任、宗任の兄弟は、八幡太郎義家に敗れて滅びましたが、他に三人の兄弟がいて奥州から南へと落ちのびました。その場所が

宮野城址  利根郡みなかみ村

城祉は今やホテルが建ち、僅かに内、外堀の存在しか見られない。赤谷川と西川の合流点(今の湖畔)にあってその二方面は天然の要害と

妙義山・妙義神社  富岡市妙義町

妙義山は岩山と紅葉の美しい山ですが、荒船火山群のひとつで、たびたびの爆発や風化、水蝕などで今日のような形になりました。山は三つ

鳥居峠  群馬県長野県の県境

上州(群馬県)と信州(長野県)の県境鳥居峠です。鳥居峠は、又帰去来峠とも申します。高さ一三六五米のこの高地は、日本の分水嶺

横尾の水牢跡  中之条町

宇妻(うずま)集落には、古くから七郎兵衛屋敷の水牢の跡があります。昔、この付近も、沼田の城主真田伊賀守の領有していたところで

高野長英のかくれ家  中之条町

高野長英は「夢物語」をかき幕府に対し「日本は文明の進んだ欧米諸国の文明をとり入れ世界の国々におくれない様にしなけれ…」と

笠懸村  新田郡

江戸時代の初めまでは、水不足で悩まされていましたが、幕府代官の岡登景能が渡良瀬川から水を引き、岡登用水を苦心の末造り

沼田市  

沼田市の開発の歴史は古く、「吾妻鑑」にも沼田の名が表われています。鎌倉時代の初期、沼田太郎、という豪族が、この地方一帯

沼田城跡  沼田市

真田氏、土岐氏の居城した沼田城跡です。現在は公園になっており、夏には、涼しい木陰から見下ろす利根の流れや、谷川岳を

正覚寺  沼田市鍛冶町

正覚寺には、沼田の城主真田信幸の夫人、小松姫のお墓と霊廟があります。夫人は本多忠勝の娘で、幼い時は家康に養なわれ、

弥勒寺  沼田市上発知町

このお寺は、慈覚大師の建てたお寺で、天台宗の道場でしたが、後、曹洞宗に変りました。この地方指折の大きなお寺ですが、この寺には

高平宿  沼田市白沢町

高平に宿場が置かれたのは、今から三四○年以上前の慶安二年(一六四九)のことで、沼田城主・真田氏によって宿割が行われ、宿駅

白佐波神社の森  沼田市白沢町

白佐波神社の森を一名、「うっぷしの森」とよび、次のような話があります。鎌倉時代の末期、南北朝の争いに上野国(現在の群馬県)新田

薗原ダム  沼田市利根町

薗原ダムは、昭和三十四年から工費五億一千万円をもってはじめられ、昭和四十年七月に完成した高さ七五・六メートル、幅一二七メートルの

老神温泉  沼田市利根町

温泉の歴史は古く、昔から「脚気川湯に瘡(かさ)老神」と言われた名湯で、江戸時代の記録にもこの老神の名が見られます。放浪の

老神温泉の伝説   沼田市利根町

日光の二荒の神と、上野赤城山の豊城入彦命とが中禅寺湖を「上野のもの」「いや下野のもの」と言いあらそって、ついにけんかとなり、

老神温泉の蛇祭り  沼田市利根町

赤城山の神様によって発見されたと伝えられるこの老神温泉には、「老神の蛇祭り」とよばれるお祭りがあります。お湯の発見されたのが

老神温泉の由来  沼田市利根町

日光の男体山の神様と、上州・赤城山の神様が領地争いをおこし、奥日光の戦場ケ原で戦い、戦に負けて逃げる赤城山の神様を、男体山の

 

碓氷 めがね橋.jpg

 

碓氷 めがね橋

 

経塚の松 沼田市利根町

昔、都をのがれてきた落人達が、手にした経文を何とか保存しようと、一文字一文字を石にほりつけ、塚をきづいて松を植えました。

山口六郎右衛門の墓 沼田市利根町

昔、この辺り一帯の人々が重税に苦しみ、飢饉にあえいでおりました時、人々の苦しみを見るに耐えかねた六エ門は、直訴するぺく書

浮島のお堂・左甚五郎  沼田市利根町

左甚五郎の一夜作と言われ、釘は一本も使われておりません。三代将軍家光の時代に、日光に東照宮が造営されましたが、この時、

追貝集落  沼田市利根町

赤城の神と日光の神の領土争いのとき、老神の湯で、元気になった赤城の神様の所へ、そうとは知らず日光の神様がもっといじめつけて

吹割の滝  沼田市利根町

滝と言えば高い処から落下する姿を想像しますが、この吹割の滝は、片品川の川床の大きな割れ目に水が落ち、落ちた勢いで上に吹き上る

吹割の滝の伝説  沼田市利根町

昔々、吹割の滝壷が、竜宮城につながっていた頃の事でした。この辺りに一人の親孝行な若者がおりました。貧しいながらも、父親と共に

黒桧山  沼田市利根町

この山は、外輪山の最高峰で、山頂は南北に長い尾根をなしていて、三百六十度の展望がたのしめます。山中には、高山植物の「虫取り

沼田城跡  沼田市西倉内町

この城は平山城で、沼田氏十二代の万鬼斉が享禄二年(一五二九)、二年の歳月をかけて天文元年(一五三二)に完成し、ここを本拠としました。

中山城跡  吾妻郡高山村

城主は、中山右エ門尉です。勇猛な右エ門尉は北条氏に反抗し、遠く前橋方面まで遠征しましたがはかない戦死を遂げてしまいました。

牛の糞峠  吾妻郡高山村

牛の糞峠には、ちょうど牛の糞の形に良く似た大きな石があります。峠の名も多分ここから生まれたのでしょう。その大きな石の下からは、

藤岡市・瓦  

群馬県は、昔、栃木県と共に「毛野国(けぬのくに)」とよばれましたが仁徳天皇の御代、上、下と二つの国に分れ「上毛野(かみつけ

平井城跡  藤岡市西平井

文明三年(一四七一)に関東管領上杉顕定が鮎川の断崖を利用して平井城を築き、多野・藤岡地方の中心城郭となっていました。以来、関東管領

相撲発祥の地 藤岡市本郷

藤岡市内にあります土師神社には野見宿禰が祀られていますが、この付近は古くは土師郷といい、埴輪製作の集団、土師部(はじべ)の人びと

糸の町前橋  前橋市

前橋は糸の町といわれるくらい、製糸業の盛んな町です。天和三年、当時の城主酒井忠挙が生糸、マユ、桑の取引市を毎月四、九の日にきめ

詩の都・前橋  前橋市

近代詩の最高峰といわれる萩原朔太郎(一八六六〜一九四二)。彼の詩碑は敷島公園や厩橋に近い広瀬川のほとりと、大手町二丁目の

前橋市  

古くは東山道の宿駅として栄え、利根川にかけられた厩橋の名をとって厩橋と呼ばれておりましたが、江戸時代には酒井六万石の城下町と

前橋の名の由来  

八世紀の初め頃、東山道の駅がおかれ、今の利根川本流のところに車川という流れがあり、この川にかかる橋のかたわらに往来する旅人

敷島公園  前橋市敷島町

公園の広さは六万七千平方米で、バラやツツジ園のほか、菖蒲池や広場もあって、市民の絶好の散策地になっております。園内には、

白樺の純林地帯  赤城山頂

青い笹に白い木肌は誠に美事なコントラストで、思わず感たんの声を上げずにはおられないところです。今上天皇と美智子皇后陛下と

赤城湖の哀しい語  前橋市・桐生市・渋川市

赤城の美しい湖には、こんな悲しいお話が残されています。昭和七年、当時破れ袴に太い鼻緒の高下駄、にしいた様な手ぬぐいを腰に

赤城山 前橋市・桐生市・渋川市

昔、まだこの世が神様で支配されていた頃のお話です。赤城山にも、子持山にも、又榛名山や日光二荒山にも、それぞれ神様が住んで

赤城山の名前  前橋市・桐生市・渋川市

大河原の上流四キロの箕輪附近は、豊かな水がとうとうと流れておりますが、大河原橋の辺りに参りますと、夏から冬にかけて水が一滴も

天川の松並木  前橋市天川

松並木は、江戸時代に植えられたものです。前橋城主酒井公が、江戸へ参勤交代に通った街道で、江戸から前橋の城下町に入る、

大胡町  前橋市大胡町

町の歴史は古く、すでに天武天皇の時に、その名をみることができます。土豪大胡氏は藤原姓足利氏の支族といわれ、この地に城を

前橋城跡  前橋市大手町

前橋城は初め厩橋城と呼ばれ、今から五百年以上前に、太田道灌によって築かれたもので、利根川にのぞむけわしい崖の天然の

龍海院  前橋市紅雲町

愛知県岡崎市にある曹洞宗龍海寺の別院とされるこの寺は、徳川家の命により、酒井重忠が前橋に移った慶長六年(一六○一)に

国領町  前橋市

安政六年開港当時、横浜に於て、前橋の生糸は一等品として格付けされ、明治三年にはミルランというスイス人によって機械を取り入れ、

萩原朔太郎の墓  前橋市田口町

明治十九年十一月、医師の子として生まれ生涯を不正と斗い芸術の道を究めて、昭和十七年、五十七歳でこの世を去りました。独特の

妙安寺  前橋市千代田町

妙安寺は親鸞門下、一谷成然の遺跡で、山号を一谷山最頂院といい、真宗大谷派に属します。もとこの寺に親鸞上人自作の木像が

大室の古墳群  前橋市西大室町

西大室町は、かつてこの地は、古代の上毛国の文化の中心地だったらしく、「大室の古墳群」と呼ばれるところがあります。古墳群は

一杯清水  前橋市富士見

一杯清水から新坂平迄約三キロの間、七折のつづら折れとなっています。この一杯清水は昔、この道を登って来た旅人が、やれやれと一息

赤城山と文化人  前橋市富士見町

赤城山は、昔から多くの人々に愛されてきた山ですが、中でも、とりわけこの山を深く愛したのは文芸作家たちで幸田露伴、高村光太郎、志賀直哉

大沼用水   前橋市富士見町

赤城山の南の田畑をうるおす為に、大沼の水を引いて、出来たもので、昭和十六年に工事を行ない、十七年間の長い歳月と、二億円の工費

新坂平  前橋市富士見町

山々の間から広々と広ろがる関東平野、叉、榛名のスロープ、左の山なみの間からは、雪をかぶった魔の谷川連峰が望めます。この辺り一帯

赤城神社  前橋市富士見町

近世になっては徳川将軍家の崇敬も厚く、特に三代将軍家光は社殿を建て直させ、現在も神紋に葵を用いていますが、葵の紋どころ

龍蔵寺  前橋市龍蔵寺町

このお寺は今から四百年以上の昔、大田道潅が前橋城を築いた時、その鬼門の厄よけの為に建てられたお寺で、御本尊は慈覚大師の

岩宿遺跡  みどり市笠懸町

旧石器時代の岩宿遺跡(国指定)です。昭和二十一年の秋、相沢忠洋氏によって関東ローム層の赤土の中から、一片の石器が発見されました。

銅山街道  みどり市大間々町

足尾から幕府御用銅を搬出するためのもので、沢入・花輪・大間々(桐原)・大原新田(薮塚本町)・利根川ふちの平塚河岸と合わせて五宿

高津戸城跡  みどり市高津戸

室町時代の末に、里見時政・勝安によって築城されたといわれる、高津戸城跡です。頂上からのながめはすばらしく、この里見兄弟の墓

東村花輪  みどり市東町

花輪は、あかがね街道の花輪宿のあったところで、高草木家の銅蔵が残っています。また、童謡の父といわれた石原和三郎

善雄寺  みどり市東町

”あな薬師”として知られる天台宗のお寺です。善雄寺には二二世尭慶(ぎょうけい)上人が八○歳になられた年に、日ごろより信仰している

草木ダム  みどり市東町

利根川総合開発計画の一環として建設された、多目的ダムです。昭和五一年二月一八日に完成した草木ダムは、総工費五○五億円を

 

 

 

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