旅先の歴史ものがたり・福島

福島県には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、


その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。


「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」


「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」


「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」


「町や村、施設の命名縁起」「福島県ならではの特産物」


「国指定の国宝・重要文化財」など。


 
旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした福島県を代表する人間物語


を訪ねてみたいものです。


旅のその先に……新しい発見が。


それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

磐梯山.jpg

 

磐梯山

 

マッチングサイトをオープン(仮)しました。
仮とはいえ本格的に稼働しています。
 
経営者・個人事業主やシニア起業者の投稿をお待ちしております。
(いずれも姉妹サイトです)
 
 

 

磐梯朝日国立公園  

福島、山形、新潟の三県にまたがる広大な自然公園です。その中心となっていますが、吾妻、安達太良磐梯と猪苗代湖、飯豊山、朝日山

飯豊連峰

飯豊連峰は、新潟、山形、福島の三県にまたがる連峰です。飯の豊かな山と書いて飯豊山と読みます。遠くから眺めた姿       

安達太良山

南北約九キロに延びる峰々の集りで、南から和尚山、安達太良山、鉄山、最高峰の箕輪山、鬼面山と続き、鉄山の西には              

福島県

福島県は、東北地方の一番南にあり、四国四県をあわせたほどの面積をもっています。北海道や岩手県に次いで日本では三番目の広さ

会津の名産品   会津若松市

伝統のある漆器、桐下駄、美しい堆朱(ついしゅ)、絵ローソク、竹細工、薬用人参、鋸、酒、蜂蜜、身知らず柿、そばなど

会津若松市

山々に囲まれ、柔らかな陽光が降りそそぐ穀倉平野、会津盆地の中心地、会津若松市は、松平二十三五石の城下町として栄えて来た所です。今から

背あぶり山   会津若松市

東山温泉の背後に広がる背あぶり山は、東西一キロ、南北六キロの高原状の山(標高八二三メートル)です。頂上からの展望は雄大で

白虎隊  会津若松市

明治元年、戊辰の役での会津軍は、次第に、戦況が不利になってきました。この非常時態を見た松平容保は、自ら陣頭に立って、味方を激励

石ヶ森  会津若松市

今から三五○年以上前、蒲生秀行という人が会津藩主の頃、この石ヶ森付近から、良質の金が発見され、以来、金山として栄え、会津歴代藩主の

石ケ森鉱山  会津若松市

その昔金山として栄えた所で世に有名な「慶長小判」などは、ここからとれる金で造られたといわれます。

金堀集落  会津若松市

小さな集落で、地名の金堀も、その昔は金山であった頃の名残で、会津のかくし金山の一つでした。福島県の代表的民謡・会津磐梯山の一節に

会津藩旧本陣  会津若松市

滝沢口に本陣が設けられたのは、寛永九年です。文禄四年に建築された横山家の住居を寛文年間に増改築して、会津藩本陣と致しました。

旧滝沢本陣  会津若松市

その昔、参勤交代の折、藩主の休憩所になっていました。戊辰の役のとき、滝沢口の戦況不利を知った容保は、白虎隊八十名余をつれて、ここを

飯盛山  会津若松市

山のふもとには巌島神社があります。昔、村人たちがこのお社を建てているとき、牛をつれた童女が現れて、うつわに山盛りの赤飯を、

イタリア寄贈の碑  会津若松市

昭和三年、イタリアの首相ムッソリーニから白虎隊の精神をたたえて、贈られた碑ですが、これは、イタリーの国宝である古代ローマの、

ドイツ寄贈碑  会津若松市

黒い石碑は、昭和十年、ドイツから贈られたもので、これも白虎隊を讃美したものです。「会津の若き少年武士に贈る。一ドイツ人」と

藩烈婦の碑  会津若松市

戊辰の戦に、味方の足手まといになってはいけないと、自害して果てた、会津の婦人二三○人の貞節を讃えて建てられた碑です。

戸の口堰洞穴  会津若松市

この洞穴は、若松市付近の用水と灌漑用水を確保するため、天保八年猪苗代湖から、水を引くのに掘ったものです。五万人の人夫を動員し

白虎隊記念館  会津若松市

戊辰の役は、会津だけで二千人以上の犠牲者を出しました。白虎隊や、娘達も含む女白虎隊といわれる人達もです。当時の史実を保存

さざえ堂  会津若松市

石段を登ってこちらの建物は、円通三匝堂(さんとうどう)といい、六角三層の建物で、一名「さざえ堂」ともよばれています。今から

白虎隊引きあげの洞穴  会津若松市

戸の口堰白虎隊引き上げの洞穴です。戸の口原で戦った白虎隊が、飯盛山へ引きあげる時、敵の目をさけるために通って来たのが

飯沼貞吉の墓  会津若松市

ただ一人生き残った白虎隊士、飯沼貞吉のお墓です。生き残ってからの彼は少年時代の名貞吉を貞雄と改め、仙台逓信省工務部長

白虎隊士の墓  会津若松市

白虎隊は、十六歳から十七歳の日新館で学ぶ生徒達、三四三名で組織された一隊で、藩主の護衛の任にあたっていました。藩の重役の

ローマの石柱  会津若松市

この碑は、昭和三年、白虎隊の精神に感激した、ローマの市民から贈られたもので、二・五メートルの鷲をのせた柱が三メートル、

宇賀神社  会津若松市

白虎隊十九士の霊像がまつられております。白虎隊は、フランス流の教練を受けていましたので、これが出陣の時の晴着でした。

蒲生氏郷の墓  会津若松市

蒲生氏郷は、信長、秀吉に仕え、四十二万石で、若松城主にむかえられました。政治、文化の向上に努め、産業を奨励し、現在の会津を

西郷頼母邸跡  会津若松市

鶴ケ城大手門外の近くには、家老・西郷頼母の邸宅跡があります。頼母は、戦を主張する藩論の中にあって、終始、恭順を説いたのですが、

鐘つき堂  会津若松市

会津若松城の石垣の上に鐘つき堂が見えます。毎日正しく時を告げたので「時の鐘」とよばれました。戊辰の役のとき、長谷川利三郎

鶴ケ城址  会津若松市

正式には「会津若松城」といい、その形が鶴のように美しいことから、別名を「鶴ケ城」とよばれ、今ではそれが通り名になっています。

「荒城の月」の碑  会津若松市

明治三十一年、東京音楽学校が、中学唱歌集を企画した時、当時兵士達に出題し、歌詞を求めました。土井晩翠は三篇作り、その内の

芦の牧温泉  会津若松市

会津若松の奥座敷といわれています芦の牧温泉は、大川羽鳥県立自然公園に含まれています。昭和五十八年五月一日、街ぐるみで

会津慈母大観音像  会津若松市

高さ五七メートルの会津慈母大観音像です。これは「満開の花を敷きつめた聖地に万物の母なる観音様を招来する」ためにつくられた

強清水  会津若松市

標高五○○メートルの滝沢峠、ここには、どんな日照りの時でも、かれた事がないと言われる、おいしい清水があります。会津地方の民謡

八葉寺  会津若松市

河東町にある八葉寺は、八月のはじめ会津中の新仏がここに帰ってくる、といういい伝えがあります。康和元年(九六四)に空也上人によって

会津藩校日新館  会津若松市

江戸時代に、三大藩校の一つとたたえられた日新館が高塚山に復元されました。一三万平方メートルの敷地内には、大成殿、大学、

両堂不動尊  会津若松市

両堂不動尊は、創建年代、開山などは一切不明ですが、不動堂と太子堂は、会津本郷に古くからあり、両堂という地名も、この二つの堂に

善竜寺  会津若松市

戊辰の戦いに殉じた、二三○余名の烈婦と、西郷頼母の妻子一族、二一名のお墓があります。叉、この辺り一帯は、

なよたけの碑  会津若松市

小田山(三七八)の南のふもとに善竜寺というお寺があり、ここに「なよたけ」の碑と西郷頼母家のお墓があります。戊辰の役のとき、

娘士軍・婦女隊合戦地  会津若松市

戊辰戦争の折、会津の娘士軍が奮戦した所です。慶応四年八月、白虎隊はすでに飯盛山で自刃し、城下は数ケ所に火の手があがり、すでに

神指城跡  会津若松市

神指城は、上杉景勝が、秀吉の命によって会津一二○万石の城主となったとき、築城にかかりましたが、関ヶ原の合戦で徳川方に破れ、

 

 

 

安達太良山.jpg

 

安達太良山

 

闇川橋  会津若松市

昔、会津に諏訪越中という風流人が住んでいました。遠乗りの帰り道、目の見えない琵琶法師が橋のたもとで何かを探している様子

阿弥陀寺  会津若松市

このお寺は、本堂を鶴ケ城の天守閣の三階を、また入口は城の大書院の玄関を移して作られたもので、名城のおもかげを

御薬園  会津若松市

至徳二年に、葦名直盛の別邸として建てられたものですが、その後再三に亘って手入れをし、二代松平正経の時に聖徳太子の

武家屋敷  会津若松市

東山温泉の入口に、会津の武家にかかわる建物が、復元されております。二三○○○平方メートルにわたる広大な敷地こ

愛宕山・松平家の墓  会津若松市

鬱蒼と茂る杉の老木に囲まれた、長い階段を登ると、小高い丘の上に、松平家二代正経から九代・容保までのお墓があります。

東山温泉  会津若松市

東山温泉は、湯川の渓谷沿いに古くから開けた温泉です。伝説によりますと、今から千二百年ほど前の天平年間に、行基菩薩が

日進館跡  会津若松市

日進館は会津藩の学問所で、水戸の弘道館、鹿児島の造士館と共に、天下の三館といわれた学問所ですが、白虎隊の少年たちも、

戸の口原古戦場  会津若松市

会津白虎隊と、官軍の激戦地の跡です。紅顔の少年戦士、三○余名が、矢弾がつきるまで奮戦し、飯盛山に辿りつき、全員城を仰いで自決

赤井谷地沼野植物群落  会津若松市

海抜は、五二○メートルです。寒い地方の植物が多く、こちらに群生している植物は、およそ二○○種類もあります。昭和天皇が三十六年秋

一の堰地蔵尊  会津若松市

九百年の昔、七十三代・堀河天皇の御代、山田近右ヱ門という人が、草刈りをしていました時、足元の萩の株から、朝日に輝く一寸八分

山鹿素行生誕地  会津若松市

若松の生んだ兵法学者に、山鹿素行があります。江戸中期、この地に生れ、九歳の時江戸に出て「朱子学」「兵学」を学び、山鹿流の兵法

いわき湯本温泉  いわき市

今から千年前ほど、嵯峨天皇が病に倒れられ、どんな名医にかかってもなおらず、重態におちいりました。或る夜、夢の中に仙人が現われ

鏡石町哀話伝説  岩瀬郡鏡石町

昔、頼朝の家来に、和田義盛という人がおり、その甥に和田平太種長という弓の名人がいました。北条氏をほろぽそうとして失敗し、この地に

左下り観音  大沼郡会津美里町

会津二十一番札所で、天長年間に、弘法大師の創建といわれ、首なし観音の別称もあります。観音堂は三層になっていて、堂を支える柱

伊佐須美神社  大沼郡会津美里町

会津地方第一の伊佐須美神社は、古くから崇敬されてきました。この地は四道将軍・大彦命(おおひこのみこと)と、その子・武渟川別命

駒止湿原  大沼郡昭和村

標高一一○○メートルの、ブナ林帯にある、高層湿原地帯です。水芭蕉や、ニッコウキスゲなどが多く、昭和四十五年、国の天然記念物に指定

会津坂下  河沼郡会津坂下町

会津坂下は米沢方面や日光、沼田方面へ通ずる街道の別れ道として、交通上大切な所でした。新鶴村には、田子道宥という豪族がお祀りしたもと

立木観音  河沼郡会津坂下町

会津坂下町塔寺です。この町には重要文化財に指定されている立木観音があり、別名を塔寺観音ともよばれる千手観音で、九メートル四方

柳津虚空蔵尊  河沼郡柳津町

天正四年、僧行基が越後に立寄られた時、仏のお告げにより、三体の虚空蔵尊をきざみ、その一体を柳津に安置したと伝えられ、

柳津町藤  河沼郡柳津町

柳津町藤には、次のような伝説があります。昔、この峠に”藤五郎茶屋”という一軒の茶店がありました。表むきは、何の変りもない峠の茶屋です

勝常寺  河沼郡湯川村

仏都会津を代表する名刹で、一名会津中央薬師ともいわれ、大同二年(八○七)に名僧徳一大師によって開かれた寺てす。講堂

喜多方市

明治八年に三つの村を合併して町制を施行した時に今の喜多方に改め、昭和二十九年に更に周囲の七カ村を合併して市になったのです。喜多方の

喜多方の見どころ

①蔵のまち美術館:明治後期に建てられた酒蔵を美術館にした、蔵のまち美術館です。小林哲夫画伯の作品約六十点を展示してあります。

源翁心昭(玄翁心昭とも書く)  喜多方市

元徳元年(一三二九)〜応永六年(一四○○)越後の人で、下野(栃木県)の泉渓寺を開く。”能”の”殺生石”では、那須野ヶ原にあつて人

示現寺  喜多方市

奥州各地に末寺を持つこの地方きっての名刹です。天授元年(一三七五)、越後の生まれで曹洞宗大本山総持寺で学んだ源翁心昭禅師

日中温泉  喜多方市

文化一○年(一八二二)、金山採鉱の村人が、山の神のおつげで湯を発見したという伝説があります。ここも泉質は食塩泉です。

佐原義連の墓  喜多方市

村内宮川には葦名氏の先祖、佐原十郎義連の墓といわれる宝薩印塔があります。三浦大介義明の七男として生まれ、頼朝挙兵の時と

太用寺  喜多方市

鎌倉後期に宥海が再興した古刹です。本尊の木造釈迦如来立像は、像の高さ一・六六メートルの寄木造りで、鎌倉期の作と伝えられ、国の重要

糠塚古墳  喜多方市

上田集落の近くに、高さおよそ一○メートルの円墳糠塚古墳があります。五〜六世紀頃のものと思われ、県の史跡に指定されています。

願成寺  喜多方市

上三宮は願成寺の門前町として栄えていました。浄土宗長楽寺派本山で、安貞元年(一二二七年)の創建といわれます。大仏といわれる木造阿弥陀

弾正ヶ原  喜多方市

自由民権運動の発祥の地として知られている弾正ヶ原です。明治一五年二月、県令三島通庸は会津三方道路建設のための強制労働を

別府の一里塚  喜多方市

塩川は舟運のほかに旧米沢街道の宿場町としても栄えていたところです。旧街道をはさんで左右に塚が二つありますが別府の一里塚と

鏡ヶ城(鑑ヶ城とも書く)  喜多方市

今から約六一○年前の至徳元年(一三八四)に葦名氏の家臣、平田大隅が築城したものとされている鏡ヶ城が、こんもりとした丘のうえに

中善寺薬師堂  喜多方市

本尊の薬師如来は寄木造りの一・一○メートルの坐像で、満月相といわれるおだやかな表情をたたえており、鎌倉時代の特徴である深彫

勝福寺観音堂  喜多方市

お堂自体が国の重文で、室町末期の建造とされています。一般に勝(すぐれ)観音堂といわれており、和唐折衷様式の茅葺き寄棟造りの風格

郡山地名のおこり

郡山は昔、芳賀の里とよばれておりましたが、橘為中朝臣(たちばなのなかあそん)がここを通られた時、丁度春で、あたり一面に山桜が

磐梯熱海温泉・伝説  郡山市

室町時代の初め頃発見されたといわれています。後醍醐天皇につかえる公卿の娘萩姫は、不治の病いに悩まされていました。病気は悪くなる

石筵  郡山市

石筵(いしむろ)という地名は、その昔、八幡太郎義家が奥州征伐の折、この集落に陣を敷き、辺り一面に石が多いため、石の上に筵を敷いて

母成高原あやめ園  郡山市

母成高原のあやめ園は、四万平方メートルの自然の地形を利用して開かれたあやめ園です。園内にはおよそ三○万株、一千種のあやめと、

磐梯熱海温泉  郡山市

室町時代の初めごろに発見された古い温泉です。JRの磐越西線・磐梯熱海駅を中心に、五百川ぞいの磐梯熱海温泉と、石筵川ぞいの高玉温泉

 

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さざえ堂

 

開成山公園  郡山市

明治六年に開成山付近の沼地を開墾し、灌漑用池として、五十鈴湖と開成沼が出来、十一年にこれを記念して湖の周囲に約三九○○本の

釆女塚・哀話  郡山市

片平という村に山の井という古い清水があり、その清水にまつわる悲しい物語があります。今からおよそ千二百余年前、安積の里こぬか山の

白河市  

白河市は昔から東北の入口として重要な地で、松平阿部氏十万石の城下町として栄えました。「都をぱ かすみと共に たちしかど 秋風ぞ吹く

「安珍桜」  白河市

「鐘に怨みは数々ござる」という道成寺伝説で有名な僧、安珍の故郷といわれ、里人達がその死を哀れんで、屋敷跡に植えた桜です。

小原庄助の墓  白河市

白河駅から三○○メートルほどの所にある、皇徳寺境内には、「会津磐梯山は宝の山よ」で有名な、小原庄助のお墓があります。お墓は、

南湖公園  白河市

南湖公園は江戸城の老中としても名高い、白河藩主「松平定信」公が、荒地を開墾して農地潅概用の貯水池と、レクリエーションの

須賀川市  

須賀川市は、阿武隈川と、その支流、釈迦堂川にはさまれた台地に発達した町です。古くは奥州街道の宿場町として栄え、更に二階堂

芭蕉句碑  須賀川市

俳聖、芭蕉が弟子の曽良を供にみちのくの旅に出て、須賀川に着いたのが、旧暦四月二十二日だそうです。宿に相楽等躬(さがらとうきゅう)を

須賀川牡丹園  須賀川市

全国一といわれます牡丹園は、、二〇〇年以上前の明和年間に植えられたものといわれ、三千株の牡丹があり、毎年、五月十日頃

霊山神社  伊達市

霊山(七八三メートル)は伊達と相馬にまたがる山で、最初は海底でしたが、第三紀頃、火山活動によって隆起し、陸地になったものです。

三春町と紅枝垂桜  田村郡

三春駒で知られた古い城下町で、阿武隈山系の西にあり、梅、桃、桜が、いっせいに花を開かせるところから名付けられたそうです。

あぶくま洞、入水鍾乳洞  田村市

あぶくま洞は昭和四十四年に発見された、比較的新しい鍾乳洞で、洞内の変化に富んだ美しさは東洋一といわれています。カルスト台地の

吾妻山  福島県と山形のの県境

吾妻山には、姥堂(うばどう)を始め、一切経、蓮来山、浄土平と、仏教に関する名前が数多く残っております。自然を信仰の対象とす

吾妻山の語源

昔、この地に住んでいたアイヌの人々が、輝く湖のある山を「アトマ」と呼んでいましたのが、いつのまにか、アヅマに変ったという説と

吾妻連峰

福島県と、山形県にまたがっている那須火山帯で、二千メートル級の山々からなっております。連峰の最高峰は西吾妻連峰の一ツ、

吾妻連峰の植物

吾妻連峰は、尾瀬におとらぬ高山植物の宝庫です。海抜が高くなるにつれ、風が強く、紫外線が強く、春がおそく、秋が早くきますので

甲子温泉  西白河郡

至徳元年「州安和尚」という人によって発見され、その年に因んで甲子温泉というようになったそうです。定信公もことのほかこの土地を愛

三本槍岳  西白河郡

那須五岳の一つ三本槍岳(標高一九一五メートル)は、かつて、会津、白河、宇都宮の三藩が、それぞれ頂上に三本の槍を立て、藩の境界

矢吹の地名由来  西白河郡

昔、八幡太郎義家が、東征の折、神社を建て、その屋根に願いをこめ、矢柄で吹いたのて、このような地名がついたといわれます。

安達太良山と智恵子抄  二本松市

安達太良山の麓、二本松市郊外が、高村光太郎の夫人・智恵子の故郷(福島県安達郡油井村字漆原(現・二本松市)です。故郷の安達太良山

二本松市

徳川時代は丹羽氏十万石の城下町として栄えた所です。、霞ヶ城公園や、伝説の安達ヶ原、安達太良山とその付近の山々は四季折々の

安達ケ原黒塚  二本松市

黒塚とは、福島県二本松市にある鬼婆の墓、及びその鬼婆の伝説。謡曲や、平兼盛の「みちのくの あだちが原の 黒塚に 鬼こもれりと

鬼女伝説  二本松市

昔、京都のある公卿屋敷に、岩手という名の乳母が姫の養育にあたっていました。ところが突然この姫が、口がきけなくなってしまったのです。

智恵子抄詩碑  二本松市

智恵子台と名づけられた所に詩碑があります。大きな自然石に、「あれが阿多多羅山、あの光のが阿武隈川、こうやって言葉すくなに座って

霞ヶ城  二本松市

霞ヶ城は、戦国時代、畠山満泰が築いたのですが、伊達政宗に滅され、その後、寛永二十年に、丹羽光重が白河から移り、十年余の歳月を

岳温泉  二本松市

岳温泉は安達太良山の東麓、ゆるやかに傾斜する標高六○○メートルの高原にあります。温泉は鉄山(くろがねやま)の麓から引湯しており、

二本松少年隊  二本松市

二本松少年隊は、砲術師範、木村銃太郎(二十二歳)の門下生達でした。慶応四年七月二十九日の朝、新政府軍は霞ヶ城めがけて雪崩のように

翁島  福島県の猪苗代湖の西北部

東西二八○メートル、南北二○○メートルの、猪苗代湖唯一の島で、中央に翁島神社と呼ばれる洞があり、猿田彦命が祀られております。

吾妻八景  福島市

高湯から土湯峠までの間、代表的な名所として、「吾妻八景」があります。この八景は、スカイラインの完成を記念致しまして、作家の井上靖氏が

兎平  福島市

小富士の裾と吾妻小屋の前の広い所が、兎平です。植物学の権威、武田久吉博士が、吾妻の植物分布の時、この辺りで一番多く、

姥ヶ原  福島市

蓬来山の西側にある、標高一七八○メートルの台地です。ガンコウ蘭や、ハイ松におおわれ、ことに、六月下旬から七月にかけては、

桶沼  福島市

浄土平の南にあって、緑の木立にかこまれた典型的な火口湖です。ここの水が、浄土平の飲料水となっております。ルリ色に光る沼の畔に

鎌沼  福島市

姥ヶ原に包まれるようにある、火口湖です。深さは三メートルほどで、鎌に似た形をしています。広々と明るく、東吾妻山が、

国見台  福島市

磐梯山を目のあたりに見る事の出来る景勝地で、吾妻八景の一ツです。(標高一二四九メートル)。「磐梯の落日」と、称揚されるだけに

信夫山  福島市

信夫山(標高二七三メートル)は古い歴史を持つ信仰の山で、山頂は三ツに分れています。中央の峰が羽黒山、東を熊野山、西を羽山と呼び、

信夫山・暁詣り  福島市

信夫山は信夫三山ともいい、それぞれの頂きに月山、湯殿山、羽黒山神社が祀られ、古くから信仰の山として知られていま

浄土平  福島市

浄士平とは、一切経山が信仰の山として崇められていた時、この平原に立って俗世の罪業を払い、仏の慈悲に救われたいと願う事から、

天風鏡  福島市

苔むした古木に〃サルオガセ〃が、クモの巣のようにからみつき、深山のたたずまいです。その樹海の間から、吾妻の水を集めて落下する、

涅槃坂  福島市

ごろごろした岩石の多い硫黄平を過ぎ、吾妻小富士を見ながら登る、この急な坂が涅槃坂で登りきった所が浄土平です。涅槃とは仏経語で

飯坂温泉  福島市

昔は鯖湖(さばこ)の湯といわれた飯坂温泉は、宮城県鳴子の玉造や、秋保の名取の湯と共に、奥州三湯の一ツに数えられております。

 

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白虎隊士 墓碑 

 

伊達一・十綱橋  福島市

明治までの摺上川は一本の橋もありませんでした。そのため大そう不便を感じておりました。その当時、伊達一という盲人が京都で修業

大鳥城址  福島市

飯坂温泉を一望のもとにおさめられる標高二三○メートルの高台です。その昔、八幡太郎義家が、みちのくの大豪族・安倍氏を攻め

中野不動尊  福島市

中野不動尊は、今から八○○年以上前の治承三年(一一七九)に恵明上人によって開かれ、”厄よけ難よけ”として信仰を集めております。

医王寺  福島市

天長三年に弘法大師によって開かれ、大師の手によって作られた、薬師如来が安置されています。叉、源義経の家臣、佐藤継信、忠信兄弟の

東吾妻山  福島市および猪苗代町

ハイ松が見事な山(一九七五メートル)です。山頂からの磐梯高原の眺めは、吾妻随一で、吾妻、安達太良の山々に、福島、会津の、

十三まいりの信仰  福島市

黒岩の虚空様として、親しまれている満願寺には、十六基の羅漢石像が並んでいます。丑寅虚空像として、十三歳になった子供は

天狗の庭  福島市

昔、吾妻山が飯豊山、出羽三山とともに修験道の道の奥州三霊場の一ツとして栄えていた時、飛翔する天狗の遊び場であったという伝説の場所

湖見峠  福島市

磐梯山をとりまく山波の間から、猪苗代湖、宝石のようだともいわれる小野川湖、秋元湖、桧原湖の四湖が一望のもとに見られる景勝地

双竜の辻  福島市

磐梯山と安達太良山を、二頭の竜に見たてたところからついた名が、「双竜の辻」(標高一五八○メートル)です。景色の移り変りを眺めて

つばくろ谷  福島市

つばくろは須川の上流にあたり、別名を、不動沢ともよんでいます。岩ツバメが群れをなして飛び交うところから名付けられたもので、アカゲラ、

一切経山  福島市と猪苗代町との境

吾妻小富士と向いあうように荒々しい山肌をさらし、煙を吐いております山が、一九四九メートルの一切経山です。明治二十六年に大爆発をおこし

文知摺石・悲恋物語  福島市

文知摺観音堂のわきの木立の中に文知摺石(もじずりいし)があります。昔、左大臣源融(とおる)が東北へ旅した時、信夫の里村長の娘

小野岳  南会津郡

紅葉の名所として知られております。昔、朝日長者と呼ばれる人が住んでいたという屋敷跡、長者の息子が牛を引いて通った牛道や

岳観音  南会津郡

観音川の上流、観音山(標高一六二七メートル)の麓にある観音堂で、岳観音と称せられております。坂上田村磨呂の創建といわれ、空也上人

塔のへつり  南会津郡

渓谷美で知られる、県立公園、大川ラインの名勝地、「塔のへつり」です。緋翠を溶かしたような大川の洲に、様々な形をした岩壁が塔のように

大内宿  南会津郡

会津藩主の参勤交代や藩の廻送米、一般物資の運搬などで賑わい、最盛期には、本陣、脇本陣を中心に、六○軒の宿屋があり、馬も八○頭

日暮しの滝  南会津郡

加藤谷川の上流にある滝で、高さ三○メートルの所から、巨木を分けて落下しており、丁度、白馬が尾をたれているようなので、「馬尾の

ヘイホウ石  南会津郡

ヘイホウ石というのは、この地方の方言で、お手玉のことをいいます。この石は、玄蕃のヘイホウ石といわれる、重さ約一二○キロの球状の石

中の沢観音堂  南会津郡

中妻集落に山間には珍らしい観音堂があります。中の沢観音堂とよばれ、国の重要文化財に指定されると共に、昭和三十七年、三十八年に

小野観世音  南会津郡

小野岳の中腹にある観音堂で、大同二年に建てられました。縁結びの十一面観音立像を安置しております。お堂の裏には、自然石の

駒止峠  南会津郡

駒止峠(標高一一三五メートル)は、田島町と南郷村とを結ぶ国道二八九号線の、険しく、又、悲話に包まれた峠です。後白河法王の第

丸山公園  南会津郡

丸山公園は、小高い丘にあり、中腹の林の間には、この町が生んだ、南宋画の湯田玉水、漢学の杉原庚山、医術の馬場翠園の碑にまじって、

栗生沢伝説  南会津郡

昔、源義家が、安部貞任、宗任を追って男鹿岳まで来たのですが、なかなか兄弟がみつかりません。やむをえず引き上げようとしたところ、

滝の原温泉  南会津郡

滝の原温泉は、門倉山(一二五一メートル)の東側山裾、荒海川が大川に注ぎこむ辺りにある鉱泉です。南西に銅を産出している、八総鉱山

田島町  南会津郡

南会津の中心地、田島町は、南は山王峠で、栃木県と接しています。昭和三十年四月、田島、桧沢、荒海の合併によって誕生した町です。

鴫山城跡  南会津郡

長沼五郎家政が、文治五年、奥州征伐の功によって、この地を領し、本丸、東西九五メートル、南北一四四メートルの山城を築きました。

田出宇賀神社  南会津郡

田出宇賀神社は、田島祇園社の別称で、古くからある神社です。創建については、社伝には、神社参道の柳の根元に湧いている泉から、

山王峠  南会津郡

山王峠(標高七一七メートル)は、福島県と栃木県の境になっております。春の八汐ツツジ、夏の緑、秋の紅葉、冬はスキーと、四季を通

加納鉱山  耶麻郡

昔、足尾銅山と共に栄えた加納鉱山があったところです。慶長年間(一五九六〜一六一五)加藤氏によって開発、経営された銀山があり、

猪苗代湖  耶麻郡

今から百万年も前に、土地の陥没によってくぼ地が出来、そこへ周囲の山々から雪解け水が流れこんで、湖水になったと云う説もあり、今より

木地小屋集落  耶麻郡

その昔、漆器を作る仕事をしている人達を、木地師と呼びました。高森集落にも多勢いたのです。会津の山間部に木地師の集落があり、

白糸の滝  耶麻郡

荒々しい岩肌に、赤・青・黄と、さまざまな色合いを持って、そそり立つ一五○メートルの絶壁から、湯煙をあげながら落下しています。安達太良

手長・足長伝説  耶麻郡

昔、磐梯山に手足の非常に長い怪物が住みつき、いろいろいたずらをしては、村人達を困らせていました。ある時、この話を聞いた旅の僧

中の沢温泉  耶麻郡

沼尻温泉とともに知られる古い湯治場で、安達太良山の西麓にひらけ、標高七五○メートルの高地にあります。昔ながらの「わら屋根」の宿も

沼尻温泉  耶麻郡

安達太良山の麓・標高八八○メートルの高原にあり、泉質は硫化水素酸性緑ばん泉で湯温は五六度と高く、神経痛、胃腸病、皮膚病に

見称の大石  耶麻郡

磐梯山が明治二十一年の、大爆発を起した時に吹きとばされ、泥流に流された大石です。長さ九メートル、幅六メートル、高さ三メートルの輝石

中津川橋  耶麻郡

中津川橋は、中津川の水面から六○メートルの高い所にかけられており、四季おりおりの景観は、レークーライン中、最高の眺めと折紙つ

亀ヶ城  耶麻郡

亀ヶ城は、始め猪苗代城といい、鎌倉時代の初め建久二年に、猪苗代経連(つねつら)が建てたのですが、伊達政宗に破れ、一年後に秀吉にとられ

土津神社  耶麻郡

会津松平藩祖、保科正之(三代将軍家光の弟)を祀ってある神社です。二代・松平正経が、建立致しました。奥日光廟ともいわれました荘厳な社

天鏡閣  耶麻郡

天鏡閣は明治四十一年八月、故有栖川宮の別邸として建てられた洋館で、のちに、高松宮に引継がれ、昭和二十七年福島県に寄贈された

熱塩温泉  耶麻郡

熱塩温泉は示現寺を再建した源翁禅師が開湯したといわれます。お湯が湧き出た当時、”熱い湯”を恐れる村人を前に、禅師みずから湯に

明治戊辰の役と母成峠  耶麻郡

母成峠は、慶応四年(一八六八)の戊辰戦争の古戦場です。徳川家康以来、二七○年あまりの長きにわたって政権を握って来た徳川幕府も

母成峠のうつりかわり  耶麻郡

母成越えの道が、いつ頃から開かれたのかはっきりした記録はありませんが、前九年の役に八幡太郎義家が越えたと言う話が伝えられています

野口記念館  耶麻郡

細菌学者として、医学者として、世界中に知られております。野口英世博士は、貧しい農家の子として生まれました。博士が三歳の時、囲炉裏の中

 

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大内宿

 

 

横向温泉  耶麻郡

吾妻、磐梯、安達太良を仰ぐ、恵まれた自然環境にあります。白樺、ブナ、ダケカンバといった、高原林に囲まれ、宿の食卓には、

横向温泉のいわれ  耶麻郡

昔、八幡太郎義家は、安部一族との戦の時、ここを通りました。その時一匹の白蛇が現われましたので、義家はびっくりして、思わず矢を射てしま

銅沼  耶麻郡

いまなお、数本の水蒸気をあげる火口壁直下の火口原にある火口湖、銅沼は、岩に囲まれ、荒々しく削られた山肌と、赤茶色の異様な水

秋元湖  耶麻郡

東吾妻、東大巓(だいてん)の山々に源を発する、大倉川、中津川の両河川がせき止められて、できた湖で、その名のとおり秋が一番美しい

大塩裏磐梯温泉  耶麻郡

磐梯高原の西の麓、大塩川にそったところに大塩地区があります。村人が塩が少なくて困つていたとき、通りかかった空海(弘法大師)が護摩を

小野川湖  耶麻郡

小野川湖(標高八○○メートル)は、磐梯山の爆発によって、不動沢、中の沢の両渓谷がふさがれてできた湖です。三湖中、最も小さい湖ですが

北塩原村  耶麻郡

村の中央部にあたるところには猫魔火山のカルデラ湖の雄国沼や、磐梯山の爆発によってできた、桧原、小野川、秋元湖、五色沼などの

猫魔明神  耶麻郡

猫魔岳には、昔、大きな猫がここにこもって、通る旅人を襲ったという怪猫伝説が残っていて、魔物の住む山としておそれられていたと

桧原湖  耶麻郡

桧原湖(標高八一九メートル)も爆発の時に桧原川がせき止められてできました、三湖の中では一番大きな湖です。湖には、大小無数の島が

五色沼  耶麻郡

大小の湖沼、二百余りの総称です。朱、藍色、緑、エメラルド、コバルトレ、その多彩な変化は、神秘的な思いを抱かせてくれます。磐梯山の

北山薬師  耶麻郡

北山には会津五薬師の一つといわれる薬師堂があり、弘法大師の開山したものです。二歳の児を腹ばいにさせ、健康祈願をする

早稲沢集落  耶麻郡

早稲沢(わせざわ)集落は、水没を免がれた唯一の木地師の集落です。今は米沢へ続く、「西吾妻スカイバレー」の入口となり、昭和五十七年

雄国沼  耶麻郡

猫魔ケ岳のかげに、景勝地雄国沼(標高一○八九)があります。雄国沼は、有史以前に猫魔火山の噴火によって出来たカルデラ湖です

三湖パラダイス  耶麻郡

磐梯三湖を一望できるところから「三湖台」と名づけられました。ここで面白い事は、五色沼が全部緑に見えるのです。沼と、見る人との距離

弥六沼と遠藤現夢  耶麻郡

会津若松の古い商家に生まれました「遠藤現夢(十次郎)」は、私財を投じ、噴火によって不毛の地と化した、裏磐梯一帯の植林を始め

西光寺  耶麻郡

蒲生氏郷の冠をつけた正装の座像姿の掛け軸があり、大正四年三月重要文化財に指定されております。きた、絵の上部には氏郷をたたえた、

大山祇神社  耶麻郡

大山祇神社は宝亀九年(七七八年)に創建されたと伝えられる、大変古いお社です。祭神は、農作物の守り神として知られる、大山祇の命の

鳥追い観音  耶麻郡

大同元年、僧行基の創建と伝えられ、農作物を荒す鳥を追い払い、豊作をさずけるということからこの名があります。

磐梯山  耶麻郡

民謡で唄われ、親しまれております、磐梯山(標高一八一九メートル)は、長い裾をひいてそびえ立つ、美しいコニーデ式(火山から成

磐梯山・宝の山のいわれ  耶麻郡

遠く源平時代、義経、育ての親として有名な、金売吉次が、磐梯山麓の笹という処で、金鉱を掘った事から、いわれるようになった

磐梯山の爆発  耶麻郡

東北の観光地の中でもっとも賑わい、中心となるのが火の山の磐梯山です。標高(一八一九メートル)の大磐梯と櫛ヶ峰、赤埴山の三ツ

恵日寺  耶麻郡

会津地方で最も古いお寺で、大同二年、法相宗の徳一大師が開いた寺です。このお寺は、会津仏教文化の中心として栄え、最盛期には、

伝説(厩岳山、馬頭観音)

昔、行基上人が諸国を廻り、この地を通った時、馬の暗き声を耳にし、その声をたよりに山に入りますと、白馬に一人の老人が乗ってお

会津の蔵  喜多方市

会津を旅して参りますと、田園の中に、白壁を夕日に赤く染めている農家の蔵、古い暖簾が下る商家の蔵、決して華やかさはありませんが、

 

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五色沼群 青沼