旅先の歴史ものがたり・茨城

 

 

茨城県には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、

 

その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。

 

「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」

 

「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」

 

「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」

 

「町や村、施設の命名縁起」「茨城県ならではの特産物」

 

「国指定の国宝・重要文化財」など。

 

旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした茨城県を代表する人間物語

 

を訪ねてみたいものです。

 

旅のその先に……新しい発見が。

 

それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

霞ヶ浦の大鳥居.jpg

 

霞ヶ浦の大鳥居

 

マッチングサイトをオープン(仮)しました。
仮とはいえ本格的に稼働しています。
 
経営者・個人事業主やシニア起業者の投稿をお待ちしております。
(いずれも姉妹サイトです)
 
 

 

霞ケ浦  茨城県

美しい霞ケ浦は、湖のまわりを一周すれば一五○キロにもなる大きな湖で、深さは案外浅く平均三メートル、深い所でせいぜい七~八

茨城県の地名由来

古い書物の常陸風土記によりますと、西暦紀元前八十八年に当る崇神天皇の時代に、天皇の長男にあたる豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が

タバコの話 

日本のタバコの原料に使っている葉夕・ハコは、黄色種、オリエント種、在来種、それに外国産の黄色種、オリエント種、それにインド葉などです

利根川・坂東太郎

坂東太郎の愛称で呼ばれ、上越国境から流れて太平洋にそそぐまで三二二キロ、その流域は、群馬、栃木、埼玉、東京、千葉、茨城の一

常陸の国  

昔の常陸の国は今の茨城県の大部分にあたります。日本武尊が御東征の時には、日高見国に通じております道の意味から、ヒダカジと呼ばれ   

水戸線

明治二二年一月二六日、小山と水戸の間が開業され、そのうち小山、友部間を水戸線と呼ばれ、開通当初は結城、下館、岩瀬、笠間、太田町

八溝山の岩岳丸の伝説 

昔、白河天皇の頃(一○七二〜八五)京の都に凶悪残忍な男がいて、その名を岩岳丸といいました。白河天皇は、この鬼のような

 

石岡市  茨城県石岡市

茨城県では一番歴史の古い町で、昔は府中と呼ばれました。「府中恋しや常陸の都、今も昔の鐘が鳴る」といわれ・今から千四百年前

石岡と将門  茨城県石岡市

平将門は、その部下藤原玄明の言を入れ、天慶二年(九三九年)常陸の国府であったこの石岡を襲撃し、国府を焼き払いました

 

石岡の伝統産業  茨城県石岡市

石岡は良質の水にめぐまれ、筑波山麓の米で酒を造り、「関東の灘」といわれ、豊富な麦と鹿島地方の塩とで、みそとしょう油の生産も

 

恋瀬川  茨城県石岡市 ・かすみがうら市

「恋瀬川 浮き名を流す水上も、袖にたまらぬ 涙なりけり」と、古い歌に詠まれたこの川は、加波山と難台山との間に源を発し、

舟塚山古墳  茨城県石岡市北根本

石岡市の南部、霞ヶ浦に面する、高浜港の近くに、舟塚山古墳があります。茨城県第一の前方後円墳で、全長一八六メートル、

柏原の池伝説  石岡市鹿の子

竜神山の麓に柏原の池があります。この池には、美しくも悲しい伝説があります。竜神山には竜がすんでいました。月明りの夜には

国分寺跡   石岡市府中

国分寺は、「金光明四天王護国寺」といい、今から一三○○年以上前聖武天皇の御代に建立され、東西南北に大門を置き、その中

都々逸坊扇歌  石岡市府中

国分寺境内に、都々逸の元祖として有名な都々逸坊扇歌のお墓があります。扇歌は水戸藩のお医者さんの息子として生れました。

扇歌堂  石岡市府中

国分寺跡境内に六角の形をしたお堂があります。俗に扇歌堂と呼び、江戸時代後期に、全国に広まった都々逸節の元祖「都々逸坊扇歌

足尾山   石岡市龍明

足尾山は標高六二八メートルで、嶺には足を丈夫にする神様、足尾神社があります。この山の麓には、「どっこい真壁の伝正寺」と

潮来について  潮来市

潮来の名が世に知れ渡るようになりましたのは、水戸(黄門)光圀公が、潮来出島に来られた折、”まこも”の葉かげで洗濯によねんの

潮来館(藩校)跡  潮来市

はじめて、文政元年延方の内田山上に聖廟をたて、水戸の老公の親筆の聖碑を祀りましたもので、安政年間、水戸斉昭公が

潮来八景  潮来市

天王山秋月 長勝寺晩鐘(ばんしょう) 稲荷山晴風 浅間下落雁 潮来の夕照 浜野の慕雪 園部の帰帆 十二橋の夜雨

潮来町  潮来市

潮来は、水郷情緒豊かな「日本水郷」の中心地です。「あやめ踊」や「潮来甚句」で知られた潮来は、古い歴史をもっております。

船越地蔵  潮来市

地蔵堂は慶安三年の創立で、本尊は三尺六寸。名僧忍性さんが、悪魔退散を祈願するために、鹿島神宮の神木を切って刻

潮来出島  潮来市潮来

旅館四十軒の引手茶屋のあった頃、「潮来女郎」の名は、全国に知られておりました。只今では、見渡す限りの田園でありますが、昔は

十二橋  潮来市潮来

潮来から与田浦に通ずる小川は、昔、水戸光圀公がかけたという十二の木橋があります。おもむきにとんだ十二橋は古来、文人、

水郷の偉人・宮本茶村の墓  潮来市潮来

贈正五位水雲宮本茶村先生のお墓(浄国寺)があります。本名尚一郎で、水雲と号しました。総明で九歳で漢詩を作り、のちに江戸に

稲荷山公園  潮来市潮来

このあたりは利根の下流、常総の山水をおさめる水郷第一の展望です。眼下に北利根をへだてて十六島、与田浦、浪逆浦、香取、

長勝寺  潮来市潮来

文治元年源頼朝が、武運長久を祈願して、建てられたものです。鎌倉時代特有の古い建物で、臨済宗の名刹です。仏殿は七間四面で

潮来陣屋址  潮来市潮来

文久二年幕府が、水戸藩に命じて砦をきずかせて、東辺の防備をさせました。公が武田耕雲斉に指揮させて、陣屋をたてさせたの

権現山公園  潮来市牛堀

この山に登って霞ヶ浦を見渡せば、真正面には筑波山がみえ、はれた時には、左手はるか富士山もみえ、関東のというより、

大生古墳郡  潮来市大生

前方後円墳塚があります。行方の国造建借間命(くにのみやっこたてしゃくのみこと)の一族の古墳と言われております。

延方郷校跡  潮来市辻

潮来の庶民の学校延方の学校の跡です。水戸藩は大変教育に熱心で、武士の子弟を教育するために、水戸の弘道館をつくりましたが

外浪逆浦  潮来市延方

霞ヶ浦の水は、北利根橋から牛堀、それから佐原市の新島の間を流れて、更に神宮橋々下からの北浦の水を合せて、浪逆浦となって、

浮島  稲敷市浮島

浮島は夢の浮島、恋の浮島、或は信太(しだ)の浮島とかずかずの歌に歌われ、多くの史跡や面白い伝説に富む島です。「桜川 

逢善寺  稲敷市小野

淳名天皇の勅願所ともなった逢善寺は、昔から広い境内を誇る関東でも指折りのお寺です。今も残る朱塗りの仁王門は、東京麹町

寝釈迦  稲敷市上根本

時宗遊行派の宗祖遍上人のひらかれた、阿弥陀寺とよぶお寺に寝釈迦があります。

椎塚貝塚  稲敷市椎塚

福田の貝塚と共に縄文式後期の貝塚、椎塚です。明治二十六年三十人もの人が一週間もかかり、第一回の発掘を行なって、

 

 

潮来.jpg

 

潮来

 

十三塚  稲敷市神宮寺

阿波崎城、神宮寺城は、南北朝時代の古戦場です。皇室が、南朝と北朝に別れ、公卿も武士も二つに別れて、互いに争い、

十六島  稲敷市

元は利根川の砂州でありましたが、天正十八年江戸崎城主・土岐治網の家来、黒田駿河守が開拓致しましたもので、徳川家康公

新島干拓地  稲敷市

霞ヶ浦を干拓して出来上った、五七二町の干拓地です。この干拓地には、戦災をうけた東京の人々や、外地の引揚げて来た方々

横利根閘門  稲敷市西代地先

この閘門はパナマ運河式になっております。大正三年八月起工して、同十一年三月出来上ったもので、工費七十一万六千余円で

古代文化発祥地  稲敷市福田

福田の貝塚を初め、福田の古墳群、そして、大沼の古墳群と古代の遺跡がたくさんあります。この辺りは、その当時は海の底で、太平洋の

福田貝塚  稲敷市福田

霞ヶ浦の沿岸には、貝塚や古墳等、考古学上重要な遺跡が沢山あります。今から二~三千年も前の縄文式後期の土器や石器が

息栖神社  神栖市息栖

香取神宮、鹿島神宮とともに東国三社の一つに数えられます。息栖神社のお祀りされています久那斗神(くなとのかみ)は、香取神宮

牛久シャトー  牛久市中央

明治三四年、わが国で最初に本格的ブドウ酒工場を創設した、初代神谷伝兵衛のお城として建てられました。合同酒精と神谷酒造が

鹿島灘について  大洗岬から犬吠岬

南の犬吠岬から北の大洗岬まで、およそ七十キロ(十八里)の弓を張ったような、長い浜辺を鹿島ケ浦と呼び、その沖の黒潮の

長塚節・生誕地  岡田郡国生村

明治十二年四月、茨城県石下町に生れました。父は政治運動に熱中して、五回県会議員に当選し、ついに県会議長になりました。

道鏡伝説・竹原城跡  小美玉市竹原

竹原には、奈良時代に下野国に流された、弓削道鏡にまつわる伝説があり、椿山稲荷神社の後に竹原明神(道鏡社)がまつられてい

笠間市  

笠間焼とお稲荷さんと、菊祭りで有名なこの町は、古くからの城下町でもありますが、何といっても、日本三大稲荷として、伏見稲

笠間城  笠間市

今からおよそ八○○年以上前の鎌倉時代に、藤原時朝が、初めて城を築き、笠間城と名づけて以来、藤原の姓をすて、笠間氏を

稲田駅  笠間市稲田

稲田駅は、明治三十一年、東京九段の石材業者、鍋島彦七郎が石材の搬送のために、私財を投じてつくった駅です。ここの稲田

稲田花崗岩  笠間市稲田

浄土宗の発祥の地としての稲田は、稲田花陶岩の産地として、全国にその名が知られて居ります。この花崗岩は、外観が美しく

高野公男・別れの一本杉  笠間市稲田

作詩家、高野公男さんは、笠間市稲田の出身です。貧しい生活の中から、私達の心に、うるおいを与えてくれる歌に情熱を傾け、

西念寺と親鸞  笠間市稲田

茨城百景の一つに数えられる西念寺です。西念寺は、浄土真宗の開祖親鸞上人が、関東での布教の最大の基地であり、上人は

稲田神社  笠間市稲田

ここには、出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)伝説と同じ社と大蛇退治の場所でもあります。大蛇に追われた姫が逃げる時、茶の木

愛宕神社・悪態祭り  笠間市岩間

愛宕山の標高は、三○六メートルです。頂上からの展望はすばらしく、霞ケ浦や北浦から、よく晴れた日は鹿島灘まで見えます。ここの

笠間焼  笠間市笠間

笠間名産の笠間焼は、益子焼と違って、はじめられたのはかなり古く、安永年間(一七七二〜八一)に近江の信楽焼の技術を、

笠間稲荷  笠間市笠間

愛知県豊川稲荷、京都の伏見稲荷とともに、日本三大稲荷の一つに数えられています。創立は、非常に古く、今から千三百年以上前

佐白公園、山麓公園  笠間市笠間

富士山つつじ園は、市民の一株運動によって造られたものです。この富士山山頂には、日本農民文学の最高傑作、といわれる小説

楞厳寺  笠間市片庭

仏頂山(四三一メートル)の麓にある、臨済宗妙心寺派の楞厳寺は、笠間氏の菩提寺です。本尊の千手観音立像は、建長四年

難台山の城跡  笠間市上郷

岩間町の西に、難台山の城跡があります。県の史蹟となっていますが、今から約六百年以上前の元中四年に、小山五郎藤綱が

出雲大社常陸分社  笠間市福原

笠間市の福原に島根県の出雲から、平成四年十二月に出雲大社が分社されました。境内の広さは十万平方メートル(約三万坪)福原

はまなす公園  鹿嶋市大字角折

自然環境を生かして造られました九万平方メ-トルの公園の中には、高さ七七メートルの巨大な宇宙展望塔は三六○度の大展望です

鹿島春祭  鹿嶋市宮中

関東の大祭として有名です。この祭は祭頭祭と申しまして、毎年三月九日に行われます。今から一二八○年以上前の奈良朝の頃

鹿島神宮  鹿嶋市宮中

香取神宮とならび”式内大社”という大変古いお社(やしろ)です。遠く藤原氏の氏神として名高く、又、大臣就任の際にはご参拝し、

鹿島七不思議   鹿嶋市宮中

1.要石:玉垣の中に地上から十五、六センチ出ている直径三○センチほどの石で、それが地下にいる、大きななまずの頭をおさえて

根本寺  鹿嶋市宮中

推古天皇の御代に、聖徳太子のお話によって、創立されたもので、日本でも大変古いお寺で、七堂伽藍を備えた立派な格式の高い

藤原鎌足住居跡  鹿嶋市宮中

中大兄皇子をたすけて、蘇我氏を減ぽし、大化の改新に大きな力をつくした、藤原鎌足は、鹿島神宮の宮司をしていた父の在任中に

鹿島砂丘  神栖市

鳥取砂丘(鳥取県)、吹上浜砂丘(鹿児島県)とともに、日本の三大砂丘の一つといわれていました。温暖な気候を利用して、ビワ、

息栖神社  神栖市息栖

常陸三社の一つです。鹿島神社の摂社で、祭神は鹿島、香取両大神が国内平定の際にご案内役を果したという久那半神です。里見

山本家住宅  神栖市奥野谷

奥野谷には、沿岸漁業が盛んであった当時、網元名主をつとめた旧家山本家の住宅があります。屋敷は寄棟造の茅葺で、江戸時代

正福寺  神栖市矢田部

真言宗智山派のお寺で天和二年(一六八二)聖恵の開山といわれ、本尊は木造釈迦三専像で鎌倉末期の作です。その他寺宝として

磯原町  北茨城市磯原町

広い海にいだかれた町で、その昔、水戸光圀公が大変愛された所でした。お屋敷も設けられ、水戸藩の学者や水戸を訪れる、天下の

野口雨情の生家  北茨城市磯原町

子供の頃から詩を作ったり、民謡を書いたりすることが大好きだったといわれます。東京専門学校を中退して「枯草」という、民謡集を

五浦  北茨城市大津町

五浦は日本美術学校の初代校長であり、ボストン博物館の東洋部長でもありました、岡倉天心がこの地の風景を愛され、門人の横山

足洗  北茨城市中郷町

いい伝えによりますと、奥州征伐の折り、八幡太郎義家公が、こちらで馬の足を洗ったというところから、この地名が生れたそうです。

奥久慈の味覚  久慈郡

久慈川はアユ釣りのメッカで、そこに”観光やな”が登場しました。久慈川のアユ釣りの解禁は六月一日から九月ごろまでが最盛期で

 

鹿島神宮.jpg

 

鹿島神宮

 

笠間稲荷.jpg 

 

笠間稲荷

 

大子町 久慈郡大子町

大子町は、福島県と境を接する茨城県の北西端にそびえる八溝山(標高一○二二メートル)を中心に六○○~七○○メートルの山に囲まれ

大子温泉  久慈郡大子町

久慈川の清流をのぞむ大子温泉は矢田地区にあり、ここからポンプでくみあげたお湯を、昭和三十八年四月から町内の旅館や

近津神社  久慈郡大子町

近津神社は、福島県棚倉町の棚倉・八槻の両近津神社とともに、奥州三近津神社といわれるものです。その昔、日本武尊が

八溝山 久慈郡大子町

栃木、福島、茨城と三県にまたがる八溝山は、茨城県では一番高い山で、標高一○二二メートルあり、久慈川の源です。山の中

如信上人終焉の地  久慈郡大子町

親鸞上人の孫にあたる本願寺二世・如信上人のお墓が法竜寺境内にあります。如信上人は、奥州大網村(福島県古殿町)に住まいし、

中島藤衛門  久慈郡大子町

袋田温泉の名物は、鮎とコンニャクで知られて居ります。昔、「中島藤衛門」という人が二四○年以上前の、宝暦九年、コンニャクの

関戸明神  久慈郡大子町

明神様にある井戸は、大変古い井戸で、四角の型をしております。文化がすすむにつれて、井戸も丸くなったそうですが、最初は

大子城跡  久慈郡大子町

結城氏の家臣芳賀河内守が築城したと伝えられています。押川に架かる鉄橋の上流が鎧ヶ渕(よろいがぶち)とよばれるところで、

大子十二所神社  久慈郡大子町

大子町の特産、コンニャクの加工法を開発し、奥久慈の農民から尊敬された中島藤右衛門をまつる、コンニャク神社が昭和五十七年

月居山  久慈郡大子町

月が居ると書いて、月居山と呼ぶ眺めの良い山で、四季を通じて、あの山から月が昇るというところから、この名が出たものです。

袋田温泉  久慈郡大子町

袋田温泉は久慈川の支流にあたる滝川にそったところにある温泉場で、平安時代の開湯と伝えられる温泉は、昔は「田毎(たごと)の湯

袋田の滝  久慈郡大子町

この滝は、岩肌を四段になって落ちているところから、一名「四度の滝」といわれております。また、一説には、西行法師がたづね

古河公方館跡  古河市鴻巣

東北本線古河駅の西に、古河総合公園があります。総合公園の地はかつての古河公方の館跡で、園内には古河公方・足利義氏の

熊沢蕃山の墓  古河市大堤

曹洞宗の鮭延寺(けいえんじ)の境内に熊沢蕃山のお墓があります。熊沢蕃山は徳川時代の儒学者で、今から三百七十年以上前

磯部神社の桜のつつみ  桜川市磯部

桜川の東岸の丘陵一キロに渡り、この地方としては珍らしい、東北産の品種に属する白山桜等、学術上貴重な珍種、銘木が多く、

上野沼  桜川市上野原

周囲五キロ、面積四万五千坪ほどあります。当時は笠間領、井上河内守正利の時に、上野沼の逆さ堀が計画され、慶安二年に

義民地蔵  桜川市小塩

羽黒の小塩集落に義民地蔵があります。享保十年のころ、各地方に天災異変が起こりました。江戸の大火、地震、洪水等で、農民は

加波山  桜川市

筑波山と並び、筑波連峰の名山、加波山は標高七○九メートルの花崗岩からなる山で、古くは修験道の霊山とされていました。

富谷観音  桜川市富谷

富谷山(四六五メートル)の中腹にある、施無畏山宝樹院小山寺は、富谷観音の呼び名で全国的に親しまれています。天平七年

月山寺  桜川市西小塙

曜光山月山寺は天台宗の寺で、延暦一五年(七九六)に徳一上人の開創と伝えられています。境内は京風のたたずまいをみせて、

加波山事件  桜川市真壁町

明治の十年代に入って、各地に自由民権運動が起りましたが、特に福島、栃木両県の県令(県知事)を兼ねた三島通庸は、民権運動

加波山神社・加波山  桜川市真壁町

加波山の標高は七○九メートル、山全体が、古生代の花樹岩から成り、山麓から「小みかげ石」が産出されます。山上に、加波山神社

雨引観音   桜川市本木

雨引山の中腹にあり、関東における真言宗の名刹で、古くから安産の祈願所として、特にご婦人の参詣が多いようです。本尊の

下館市  

下館の名が歴史に登場したのは、中世のころで、桓武天皇の天応元年(七八一)に藤原魚名が、奥州に備えて「上館・中館・下館」を

横瀬夜雨  下妻市大字長塚乙

筑波根詩人、横瀬夜雨は、明治十一年に生れ、昭和九年、五十七歳で没するまで、この土地を愛し、筑波を歌い、そして、郷士の

将門と長塚節  常総市

将門の時代は、この辺一帯を豊田郷といい、父良将以来の本領でした。将門は京に出ていた頃も、豊田小次郎将門と名乗っていた

平将門の反乱  常総市

北相馬郡の御厨で幼時を終えた将門は、本拠地である豊田郷(筑波郡石下町)へ戻り、少年期を過ごします。父は依然として、任地である

長塚節・生誕  常総市国生

石下の町の西北部、鬼怒川の右岸に、国生(こくしょう)という所があります。ここは将門の父良将が館を建てたところでもあります。

鰐ヶ渕の奇勝  大子町

この辺りの岩は、波の侵蝕により、切り離された島であり、わにざめがこの辺りにすんでおり寺の少女をさらい、海に引き入れ様とした

下館のみどころ(現:筑西市)

昔は常陸の国、真壁郡の小さな一村に過ぎなかったとされております。今から千二百年以上前の頃、歴史で名高い平の将門を、

将門遺跡  筑西市

協和町との境にある台ノ原は、将門と俵藤太(藤原秀郷のこと)との戦場跡といわれるところです。また協和町の東に隣接する大和村

北畠親房  筑西市・下妻市

将門の時代から約四百年後に、時の後醍醐天皇は、鎌倉の北条氏政権を倒して、天皇親政の建武の中興を成立させました。しかし

大宝城址  筑西市・下妻市

大宝八幡の境内に、大宝城の城跡があります。この城は、そもそも平の将門が「とりで」として築いたものですが、のちに、下妻氏が

常陸新治廃寺跡  筑西市久地楽

国指定の史蹟で、奈良朝後期に建てられた寺の跡といわれています。畑の中に、四基の土壇が現存しており、中央が金堂跡、

羽黒神社  筑西市甲

かつて下館城の鬼門に当る地区に、出羽の羽黒大神を勧請して七つの神社を置きました。これを七羽黒といい、そのうち下館羽黒

下館城跡   筑西市甲

この城跡は市街地の北部にあり、東に五行川が流れ、北は広く水田が続いております。天慶年間(九三八~九四六)藤原秀郷が

板谷波山(波山記念館)  筑西市甲

近代陶芸界の巨匠板谷波山は、この下館の出身です。昭和三十八年、九十一歳の高齢で没しましたが、東京美術学校(今の芸大)を

川島  筑西市下川島

江戸時代には”河岸”とよばれた船着き場があり、この地方の特産物を江戸に運んでいました。また江戸の文化を地方に持ち込む

ガマの油   つくば市

今から三八○年以上前のこと、ガマ上人といわれる光誉(こうよ)上人は、徳川家康公の信任すこぶる厚く、常にお側に、つかえて

筑波山  つくば市

標高八七六メートルの筑波山は、筑波、真壁、新治の三郡の境にあって、古くから関東の名山として、西の富士山とともに人々に

 

 筑波山.jpg

 

筑波山

 

筑波山の伝説  つくば市

筑波山は、たいへんオシャレな山で、一日に三回も衣裳をかえます。朝はアイ色、昼は緑に、ゆうべは紫にと、中でも「雪は申さず

男女川  つくば市

筑波山に源を発します男女川です。百人一首に「つくばねの峰より落つる男女川、恋ぞつもりてふちとなりぬる」とよまれています。

小田城跡  つくば市小田

茨城百景の一つです。小田城は、鎌倉時代の初めに、常陸の守護職、八田知家が築いたもので、代々その子孫が城主でしたが、

禅福寺・筒戸城  つくばみらい市

戦国時代、この地を領した相馬氏は、守谷城とともにここに筒戸城を築きました。その筒戸城内に、古くからあった寺が禅福寺で、

亀城公園・城跡  土浦市中央  

江戸時代、九万五千石、土屋氏のお城跡で、土浦藩の学問は、この城を中心に大いに振興し、幕末の頃には、多くの人材を出しまし

仏山峠の伝説  茨城県と栃木県の県境

仏山峠は、茨城県と栃木県の県境となっており、今では交通の発達により、何の苦労もなくこの峠を通ることが出来ますが、昔は、

桔梗塚  取手市吉田

将門の第二夫人で、桔梗の前の塚と言われています。桔梗の前は、実在の人のようで、才色兼備の女丈夫といわれており、実は、

原子力東海村   那珂郡東海村

昭和三十年十月に、財団法火原子力研究所が生れました。まず、施設をどこにおくかを決める事になり、条件として、東京から

東海村の名のおこり  那珂郡東海村

東海村は、昭和三十年村松村と石神村の二つの村が合併し、新しく生まれた村です。合併する少し前に、二つの村が共同で、中学校を

阿漕ヶ浦  那珂郡東海村

もともと村松大神宮の神領ですから、終戦までは、この池で魚を取ってはならぬ」「泳いではならぬ」ならぬ、のきつい御法度があり、

村松虚空蔵尊  那珂郡東海村

旧暦三月十三日を縁日としまして、この地方の十三歳の男女は、皆この虚空蔵尊に参詣するのが例となって居ります。これを「十三詣り

西の内和紙   那珂郡山方町

和紙「西の内」はすでに、江戸時代において、全国的に知られた和紙で、その始めは、三百年前西の内村に、細貝清蔵という人が

権現山  行方郡牛堀町

牛堀の町のうしろの老松の木立の茂る丘を、権現山と呼んでおります。この山に登って霞ケ浦を見渡しますと、真正面に筑波山がみえ、

麻生町  行方市麻生

徳川時代は、麻生藩三万石新庄侯の城下町で、水郷の中でも最も静かな落着いた町です。麻生のお殿様は年貢の代わりに、霞ケ浦

桜川  西茨城郡岩瀬町

岩瀬町の中央を流れて、霞ヶ浦にそそぐ桜川は、「ああ桜川 桜子や 桜か雪か波か花 筑波を離れ 海山越えて………」と謡曲

岩瀬の七不思議  西茨城郡岩瀬町

1.鮫ガ井(さめがい):鮫ガ井は泉水であるが、雨降りの日でも、日照が続いた時でも水量は、常に変る事なく一定して、乳が出る

妙法寺  西茨城郡岩瀬町

時の住職、舜義上人が貞享三年己の命数を知り、生きながら入棺したといわれるミイラの尊体があります。

将門遺跡  坂東市

協和町の東に接して大和村があります。この村の中に、「大国玉公帝(おおくにたまみかど)」という集落があります。ここに将門塚が

岩井市・平将門  

平将門は、暁年の四年間ほどをここに館を築いて、全盛を誇りましたが、このため、将門に関する史蹟が多く、土地の人々は将門を

延命寺  坂東市岩井

延命とは北極星を神格化し、長生きの神としている、妙見の信仰のことですが、将門はこの妙見を大層信仰したといわれます。将門

島広山(石井営所跡)  坂東市岩井

豊田から石井に移った将門は、この地に軍営を構え、館を築きました。死ぬまでの約四年間、将門の本拠となったところで、将門

富士見の馬場  坂東市岩井

岩井近辺は、馬の飼育が盛んだったところで、今では岩井市内に、駒跳という地名が残っているほどです。また長須というところは

国王神社  坂東市岩井

将門がついに命を落としたところです。将門は、田原藤太秀郷、平貞盛の連合軍と最後の一戦を交えました。将門の最後を、吉川英治

将門の首塚  坂東市神田山

将門の胴塚があります。昭和五十年三月に、東京大手町の、同じく将門の首塚にあった「南無(事実は蓮の誤り)阿弥陀仏」の石碑が

子の日ケ原  東茨城郡大洗町

群馬県に生れ、この地で亡くなった、詩人の山村慕鳥も、静かに流れ行く雲をあかず眺めて詩を作りました。慕鳥の親友室生犀星

大洗磯前神社  東茨城郡大洗町

大洗磯前神社は、文徳天皇の斉衡三年(八五六)に創建されたと伝える古社です。江戸時代に一度焼失いたしましたが、享保十五年

佐藤進  常陸太田市

佐藤進は弘化二年(一八四五)地元の造酒屋高和家の長男として生まれました。一五歳のとき、千葉県・佐倉の医者佐藤尚中に

光圀公  常陸太田市

元禄の頃、江戸の市中では徳川御家評として、「水戸に殿あり、紀州に家来あり、尾張に大根あり」とうたわれていました。この噂の

金砂の田楽  常陸太田市上宮河内町

山田川をはさんで東金砂山(四八○メートル)は水府村の天下野(けがの)に、西金砂山(四二八メートル)は金砂郷村上宮河内にあり

武生神社  常陸太田市下高倉町

神武天皇降臨の言い伝えのある武生神社です。三千坪を越える境内には杉の巨木が茂り、奥には村の指定文化財である本殿

山寺晩鐘の碑  常陸太田市新宿町

徳川斉昭公が水戸八景のひとつとして選んだものです。明治二年に廃絶した、久昌寺付属三味堂檀林跡地です。その碑面には斉昭公

西山荘・徳川光圀  常陸太田市新宿町

諸国を行脚しては悪をこらしめた、、とされる水戸黄門一行。旅の終りは西山荘です。水戸二代藩主徳川光圀は、元禄四年(一六九一)

瑞龍山  常陸太田市瑞竜町

国見山(二九一・六)の山ふところに瑞龍山があります。ここは水戸徳川家の墓所で、寛文一九年(一六六一)初代頼房を葬って

木村謙次の墓  常陸太田市天下野町

万城内地区には「北方探険家」、木村謙次の墓があります。立原翠軒の弟子で郷医者をしていた木村謙次は藩命を受け、寛政五年

竜神大吊橋  常陸太田市天下野町

竜神川をせき止めて作られた山あいの竜神ダム湖に、平成六年四月二十八日待望の竜神大吊橋が架けられました。長さは三七五メートル

馬坂城跡  常陸太田市天神林町

馬坂城は、源義光(新羅三郎)の孫昌義が天承元年(一一三一)頃から居住したところで、佐竹氏発祥の地です。のち、佐竹氏が太田城

太田城跡(舞鶴城) 常陸太田市中城町

常陸太田市は常陸国の大半を支配した佐竹氏の居城があったところで、俗称舞鶴城とよばれた山城がありました。佐竹氏は治承年間

青蓮寺  常陸太田市東連地町

建保六年(一二一八)、親鸞上人の法弟性証房の開基といわれる青蓮寺があります。ここは真宗二四輩の第八番寺とされ、鎌倉期

正宗寺  常陸太田市増井町

かつては佐竹氏の菩提所で、室町時代には関東十刹のひとつとして隆盛をきわめていました。興国二年(暦応四、一三四一)九代

水府村町田  常陸太田市町田町

町田には、金砂神社の小祭礼の神輿渡御の前を供奉(行幸のお供に加わること)する火消行列が伝わっています。元文四年(一七三九)

 

 千波湖.jpg

 

千波湖

 

水府のタバコ  常陸太田市

常陸太田市ら種子をもちかえり、弟子の金田次兵衛に耕作させたのが始まりといわれています。以来タバコ栽培は

常磐炭田  日立市

常磐炭田は阿武隈山地の東側のふもとにそって、福島県双葉郡夜の森から、茨城県川尻までの、南北七十五

大甕神社  日立市大みか町

大昔、この地方の邪神を訣伐した建葉槌命(たけはつちのみこと)を祀っています。境内のシイやカシの

川尻の塩  日立市川尻町

あまり知られておりませんが、江戸時代、川尻の塩からは非常に有名で、毎年将軍様のもとへ献上されていたという

養蚕神社  日立市川尻町

神代の昔、少名彦名命(すくなひこなのみこと)が、この地に上陸して、人々に養蚕の技術を教えたといわれ、或いは叉、流木に乗って

助川城跡  日立市助川町

助川城は天保七年に、山野辺兵庫守義観により築城されたもので、山野辺義観(よしみ)、義芸(よしつね)、義正と三代の           

諏訪梅林  日立市諏訪町

むかしから鮎川渓としてしたしまれ、水戸九代藩主斉昭公が渓谷にいろどりをそえるため、梅を植えたのが始まりで、ただ今でも

泉が森・泉神社  日立市水木町

木立の中に泉が森パラネオンがります。ギリシャ語で大浴場という意味だそうです。森の中には、泉神社があり、その境内には一六○○年

常陸那珂海浜公園  ひたちなか市

昭和四八年三月、日本政府に返還された「水戸射爆場跡地」は、松林に囲まれた一二○○ヘクタールで、甲子園球場が

酒列磯前神社  ひたちなか市磯崎町

鹿島神宮や大洗磯前神社などに次ぐ格式を誇ります。開基は古く、斉衡三年(八五六)と伝えられております。特に源頼朝や

和尚塚  ひたちなか市和尚塚

内原町小泉の小高い丘は和尚塚といい、昔、この辺一帯に日照が続きこの山のふもとに和尚さん達が集り、雨乞いの経文を

三ツ塚古墳  ひたちなか市平磯町

平磯中学校よりこの先、酒列磯前(さかつらいいそざき)神社までのおよそ四キロにわたって、二百余りの古墳群があり、

厳島神社  鉾田市子生

この神社は、今から七百年以上前の文永年間の創立で、只今のお社は、元禄の頃建てられたものです。本殿を含む精巧な彫刻

厳島神社伝説  鉾田市子生

今から五百数十年以上の昔のある夕暮、巡礼とも物乞ともつかぬうらぶれた一人の婦人が、境内にたどりつきました。意味ありげ

福泉寺  鉾田市大蔵

村内阿玉には芭蕉ゆかりの大儀寺や、大蔵にある福泉寺、ここには国の重要文化財に指定された、清涼寺式釈迦如来像が

北浦  鉾田市など

鹿島灘と霞ケ浦の中間で、南北に細長い淡水湖です。湖の面積は三六平方キロ、周囲約六八キロ、最大深度は七メートルあり、

涸沼  鉾田市箕輪

「大空の影をうつして広浦の、波間をはなる月ぞさやけき」と歌われる広浦の景色は、天の橋立そっくりだと云うので、

縦山神社  鉾田市樅山

神代の昔、鹿島の神と香取の神が、東巡の時にこの地で御休憩になられ、中食をとられたところといわれております。中食といいま

大手橋  水戸市

二の丸と三の丸とを結ぶ大手橋です。下の道は国道六号線です。昔は、旧水戸城の内堀でした。大手橋を渡りますと旧水戸

黄門まつり  水戸市

天下の副将軍・水戸光圀をしのんで行なわれる黄門まつりは、毎年八月の第一金曜日・土・日曜日の三日間で市長さんが

天狗党  水戸市

幕末期の水戸藩における尊皇壌夷の過激派で藤田東湖・戸田忠敵らを中心としていました。文久三年(一八六三)、京都の

那珂川の鮭  水戸市

この地方では、昔から鮭の一本食いということが珍重され、一匹の鮭を一人で全部食べてしまうことです。頭から尻尾まで食べる

水戸斉昭公  水戸市

斉昭公は烈公と呼び、遺志を受けて皇居を尊敬し、御陵の修理等もなさいました。有名な弘道館を建てられ、また、海岸の防備

水戸市  

かつて徳川御三家の一つ、水府三五万石の城下町として、水戸光圀、斉昭の名声と共に、天下にその名をしられたところです。

水戸八景  水戸市

1.山寺の晩鐘(常陸太田市稲木町)2.太田の落雁(常陸太田市栄町) 3.青柳の夜雨(水戸市青柳町) 4.村松の晴嵐

赤塚町  水戸市赤塚町

水戸市の副都心として発展している赤塚町は、その昔、一帯に広がる赤茶けた畑と古墳群の塚を合わせて、赤塚と

有賀神社  水戸市有賀町

有賀神社は、子供の虫切りの神様「有賀さま」で知られています。創建は貞観元年(八五九)と大変古く、茨城百景の一つに

有賀神社・御眠り祭り  水戸市有賀町

俗に「有賀林」といい、子供の虫切りの神様として知られております。タケミカズチの命、フツヌシの命の二体が祀られ、

中根寺  水戸市加倉井町

元仁元年(一、二二四)文寛という僧の開山だといわれております。この寺を有名に致しましたのは、居合抜の名人

妙徳寺・日蓮  水戸市加倉井町

常陸の国での最初の法華霊場として、日蓮信者の一大聖地とされております。ここには、名刹妙徳寺があります。その境内に常陸の

笠原の水道   水戸市笠原町

水戸藩祖、徳川頼房公が、城の水田を埋めて市街とし、商人をそこに移しましたが、水の質が悪く、飲水として使用出来ず、大変困って

偕楽園  水戸市見川

借楽園は岡山の後楽園、金沢の兼六公園と共に、日本三大名園に数えられています。今から二○○年前天保十二年、水戸九代

偕楽園・常盤公園  水戸市見川

借楽園は岡山の後楽園、金沢の兼六公園と共に、日本三大名園に数えられています。天保十三年(一八四三)に、九代藩主・斉昭が

ケガ観音  水戸市鯉淵

鯉渕に天台宗の正法山持福院観音寺があります。昔、水戸のお殿様が病気をいたしました時、この観音様が夢枕に立ち

中崎家住宅  水戸市鯉淵町

内原町鯉渕にある中崎家は、国の重要文化財に指定されています。茅葺き屋根、寄棟造り、土間の柱に墨書きがあり、

旧弘道館  水戸市三の丸

弘道館は水戸藩の秀才を教育するために作られたもので、天保九年に設立された当時の、総合大学でしたが、明治九年に、

大串貝塚  水戸市塩崎町

むかし、この地に巨人が住み、ハマグリを食べては捨てた貝殻が丘になったといういい伝えがあります。ここには、この土地で発見され

馬口労町  水戸市末広町

昔、ここに馬市が立ち、馬の道具屋さんが並んでいたそうです。一説によりますと、この地は、水の便が悪い処で、せっかく馬を

千波湖  水戸市千波町

昔、水戸城防衛の、天然の堀に当てられると共に、水戸の灌漑用水に利用されておりました。ただいまでは、観光水戸の大役を

義烈館  水戸市常磐町

水戸藩の学問所「彰考館がありましたが、戦災で失われましたので、義烈館と名前を変え烈公と義公の両氏を記念する意味で、

 

R鹿島線 北浦橋梁.jpg

 

JR鹿島線 北浦橋梁

 

好文亭  水戸市常磐町

この名は「文を好む」と書きます漢字文で、梅の事をしゃれて表現するとき用いる言葉です。訳しますと「梅の亭」となります。

成沢温泉  水戸市成沢町

森林公園の入口に、江戸時代中期にひらかれた温泉で、昔から成沢の湯とよばれて、市民に親しまれている温泉で、特に眼病や

回転神社  水戸市松本町

武田耕雲斉のひきいる天狗党が、討幕の火の手をあげましたが、空しく越前敦賀に於て処刑されました。建物は、当時志士達が

常磐墓地  水戸市松本町

幕末の歴史をいろどるお侍さん達のお墓も多く、有名な藤田幽谷、東湖の親子を始め、桜田門外に井伊大老を刺した水戸浪士達

茨城県歴史館  水戸市緑町

偕楽園のすぐ北に、昭和四十九年に開館したもので、茨城県の歴史に関する資料を集めて公開しております。園内には洋式校舎

二の丸  水戸市宮町

二の丸は、三層の天守閣が残されていましたが、空襲で焼けてしまいました。本丸跡には県立水戸第一高等学校があり、三高、

神応寺  水戸市元山町

神応寺は、雷を蹴りあげて信者を救ったという、片足を上げた珍しい「蹴上観音」と呼ばれる観音像が安置されています。高さ一三・四

桜町陣屋跡・二宮尊徳  真岡市物井

芳賀郡二宮町の町名は、士地古来の名称ではなく、二宮尊徳の業績をたたえてつけられたものです。町の東部、真岡市と接する

海禅寺  守谷市高野

関鉄線の西側に高野という集落があります。将門は守谷の館を建てたとき、この高野の地を、畿内における高野山に見立て

守谷城址  守谷市本町

「平将門城址」とかかれた石碑が立っています。取手市寺田から、この守谷の区域にかけては、将門の事実上の領地でしたが、

牛久沼  龍ケ崎市

形はYの字型をした細長い沼で、周囲二十五キロ、深さは一番深い所で三メートルあります。この沼は、竜ケ崎平野の潅概用

三日月湖  龍ヶ崎市

小貝川は江戸時代からしばしば氾濫し、二百年間に十四、五回、つまり、十五年に一度の割合で水があふれ、沿岸の地域に

八坂神社の撞舞  龍ヶ崎市上町

竜ヶ崎の町には、お祭りの時(七月二十五、六、七日)”つくまい”とよぶ一風変った行事を行なうので知られている八坂神社が

竜ケ崎観音  龍ケ崎市下町

弘法大師が世の中の難産で苦しむ人々を救う為、心をこめて刻まれた観音様をお祀りする、竜ケ崎観音は、大変御利益

竜ケ崎の薬師様  龍ケ崎市砂町

江戸時代には、竜ケ崎は東北の大名、仙台藩伊達家の領地でした。仙台から遠くはなれたここ竜ケ崎が、仙台藩の領地になり

竜ヶ崎しだれ桜  龍ヶ崎市根町

竜ケ峰のふもとにある般若院の境内には、この辺りでは珍しいしだれ桜があります。幹の太さは四メートル余、樹齢六百年といわれ

愛宕神社左甚五郎の作  龍ヶ崎市根町

愛宕神社の社殿に刻まれた鷹の彫刻は、有名な左甚五郎の作と伝えられる見事なもので、この辺の雀やカラスは彫刻の

金竜寺  龍ケ崎市若柴町

金竜寺には、新田義貞が大切にして離さなかったといわれる十六羅漢の掛軸が残っておりますが、この十六羅漢像は、中国の宋

金竜寺の伝説  龍ケ崎市若柴町

昔、金竜寺にいた一人の小僧さんが、毎日食事がすみますと、人目をぬすんで寝てばかりいましたので、ある日のこと、和尚さん

佐竹寺  常陸太田市天神林町

「ひしふしに千代をこめたる佐竹寺」と巡礼詠歌に歌われた佐竹寺は、坂東三十三観音札所で佐竹氏の菩提寺です。寺伝により

会沢伯民(生誕地)常陸大宮市諸沢

会沢伯民は、天明二年五月、山深い那珂郡山方町諸沢で生れ、十一歳の時藤田幽谷に師事し、十歳才の時より彰考館で

 

 

 

 

 

 

好文亭.jpg

 

好文亭