旅先の歴史ものがたり・岩手

 

 岩手県には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、


その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。


「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」


「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」


「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」


「町や村、施設の命名縁起」「地域ならではの特産物」


「国指定の国宝・重要文化財」など。


 
旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした岩手県を代表する人間物語


を訪ねてみたいものです。


旅のその先に……新しい発見が。


それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

岩手山.jpg

 

 

岩手山

 

三陸海岸  岩手県

三陸海岸というのは、本来は仙台湾の陸前と、陸中、青森県の陸奥の、それぞれ三つの「陸」の字のついた名の海岸を総称

岩手県

岩手県は、四国四県にほぼ同じの、日本一の広い県域があり、奥羽山脈と、太平洋寄りの北上山地へ北上川と馬渕川の流域平野と、

岩手のお国自慢  岩手県

岩手の名所は、藤原文化の花開いた平泉をはじめ、十和田八幡平、陸中海岸の二つの国立公園、花巻温泉郷をはじめとする繋(つなぎ)

”岩手”の由来

岩手の地名の由来には、いくつかの説があります。「大和物語」に、平城天皇の御代に、みちのくの国から鷹が献上され、帝がこれに、

岩手木炭  岩手県

岩手県の産物で日本一を占めているものの一つに、木炭があります。岩手木炭として品質のすぐれていることで、全国一の名声を博して

北上川  岩手県

北上川は、岩手県の北部、二戸郡一戸町にある西岳付近に源を発し、石川啄木の故郷であ渋民、南部藩二十万石の城下町盛岡、

桐・岩手県の花  岩手県

五月に甘いにおいをただよわせて淡い藤色花をつける桐は、南部紫桐とよばれ、岩手県の花に定められています。これは北海道南部

小説「吉里吉里人」(井上ひさし作)岩手県

この小説は、国益のためだといって経済を最優先させ、農業をないがしろにしてきた日本国に泣かされつづけた、吉里吉里の人達が

南部三山伝説   岩手県

岩手山、姫神山、早池峰山の三山には面白い伝説があります。その昔、岩手山(二○三九)は姫神山を妻にしていたのですが、

戸(へ)の地名  岩手県

岩手県北部から青森県東部にかけて、一戸から九戸という、番号のついた地名が残されておりますが、これは、今から約八百年ほど

ラチの由来  岩手県

「柵(き)の戸(へ)」の中には、東西南北の処々に門が設けられ、これを”ラチ”といいました。この中の住人や、色々な人々が用事で

牧庵鞭牛和尚  宮古市宮古通り和井内村

江戸時代に盛岡と宮古を結ぶ官道・閉伊街道としてひらかれていたものです。盛岡では宮古街道、宮古では盛岡街道とよばれ、

五葉山  住田町、大船渡市、釜石市

釜石市、大船渡市、気仙郡住田町との境界にそびえる山で昭和四十一年、県立自然公園に指定されています(標高一三四一メートル)。

陸中海岸の特色  岩手県・宮城県

陸中海岸の景観は、沈降性のりアス式海岸と、宮古から北の隆起性の段丘海岸との二つからなっています。これに変化を与えているの

一の関  一関市

古くからの要衝の地で、奥州六郡を支配した安倍氏の時代には、一の関から三の関まで三つの関所が置かれ、市名もこれに由来し

一関市

かつて奥州六郡を支配した、安倍頼時がここに砦を築き、一の関の地名を生みました。以来藤原氏三代と、葛西氏が館を置き、

鬼死骸  一関市

鬼死骸(おにしがい)という変った名で呼ばれている所があります。昔、蝦夷の地と言われたころ、この辺りは悪路王の支配下にあり、女を

釣山公園  一関市字釣山地内

釣山公園は、田村三万石の城跡で、標高一三四・三メートルの山頂にあり、一の関公園ともよばれています。公園からは、西に蘭梅山、

郭公だんご  一関市厳美町

郭公だんごは、厳美渓名物で、アンコ、醤油、ゴマの三種の味があります。対岸の東屋からは、篭にお金を入れ、合図の板を打つと

厳美渓  一関市厳美町

厳美渓は、栗駒山を水源として市街地を貫流する、磐井川上流二キロにわたる渓谷で、名勝に指定されております。花崗岩の川床を

真湯温泉  一関市厳美町真湯

真湯温泉は、磐井川の渓谷に湧く温泉です。標高五百メートルで、夏でも平均二十二度と涼しく、原生林に囲まれた別天地で、野趣豊

須川温泉  一関市厳美町祭畤山

須川温泉は、栗駒山の中腹、標高千二百メートルにある、湯量豊富な高山にある温泉です。「おいらん風呂」というなまめかしい名の

蘭梅山  一関市山目館 

蘭梅山は、一の関駅の北西、約二キロ、北上川の清流を隔てて、磐井川沿いの耕地を一望に見渡せる好展望の地で、麓には一の関の

一関城跡  一関市釣山

一関城跡は現在は釣山公園とよばれ、市民の憩いの場所になっています。この城跡は、平安時代の中ごろ奥六郡(胆沢・江刺・和賀・稗貫

宝持院  一関市花泉町

明徳四年(一三九三)無着妙融(むちゃくみょうゆう)が開山と伝えられています。山門は大規模な二層の楼門で、宝永八年

涌津八幡宮  一関市花泉町

文永五年(一二六八)に造立した銘のある、鉄五輪塔の地輪があり、国の重要文化財に指定されています。高さは一丈一尺

猊鼻渓  一関市東山町

両岸には、高さ一○○メートル内外の巨岩怪石の絶壁が続きます。春には藤が彩りを添え、秋は紅葉が水面に映え、別天地をつく

室根神社  一関市室根町

標高八九五メートル。室根山を中心に室根山高原県立自然公園になっております。山腹には室根神社があり、作物の神様として

室根祭  一関市室根町

室根山の山腹に室根神社があります。八合目の本宮は奈良時代に大野東人(あずまひと)によって熊野権現から勧請され、二合目の

安家洞  岩泉町安家字日蔭

龍泉洞よりも規模が大きいといわれる鍾乳洞です。有芸から岩泉、安家を通って久慈市大川目町にいたる南北に長い地域は、安家石灰

安家洞と氷渡洞  岩泉町安家字日蔭

アッカとはアイヌ語で「飲料水」という意味です。安家川上流には安家洞と氷渡洞(しがわたりどう)があります。安家洞は土地の探険家が

葛根田の大岩屋  岩手郡雫石町

雫石町の西はずれから北へ、奥深く入ったところに、葛根田の大岩屋と呼ばれる洞窟があります。この岩屋は、岩手山のもっとも古

雫石町  岩手郡

雫石町は、四方を山に囲まれた盆地で、西は駒ヶ岳、南国白山などの奥羽山系を境に、秋田県に接し、北は岩手山がひときわ高くそびえ

鶯宿温泉  岩手郡雫石町鴬宿

鶯(うぐいす)の宿と書きます鶯宿温泉は、雫石川の支流、鶯宿川の渓流に沿った山の出湯で、天正年(一五七一~九一)今からお

橋場 岩手郡雫石町

橋場は昔、秋田街道の関所が置かれていた所で、当時は、南部十八関所の一ツとして重きをなしていた所です。秋田街道の入口奥に

小岩井農場  岩手郡雫石町

小岩井農場は、二十六キロ平方メートルの面積を占める、日本最大の民営農場です。この広さは、東京、山の手線の内側と同じ広さに

船越大島  岩手郡下閉伊郡

周囲二キロの花崗岩でできている無人島で、赤松やタブの木におおわれています。亜熱帯植物のタブの木はクスノキ科の常緑喬木で

安倍館跡  奥州市衣川区

奥六郡を統治していた安倍氏の館跡で、現在も数本の空堀が残っており、館はこの空堀によって六区に分けられていました。

大船渡史  

そのむかし、先住民が居住していたといわれます。各地に見られる貝塚や洞窟などが、それを物語っています。延暦二十年(八○一)、

大船渡の地名由来

大船渡の地名は、岐(くなと)からきています。岐とは「ふなど」ともいい、道路が南北両端に、そして海陸両方面に岐路(きろ)を有する

恵比須浜  大船渡市末崎町

むかし、碁石の松林の山守権三郎という人が勧請した、恵比須堂があったところから名づけられたといいます。海岸の老松がたれ下

碁石海岸  大船渡市末崎町

碁石海岸は大船渡湾の南に突き出た末崎半島の先端にあって、碁石状の小石がとれるのでこの名があります。海岸線は、

碁石浜  大船渡市末崎町

海辺一帯に、渋みのある黒い石が無数にあります。丸いもの、長いもの、平らなものと形はいろいろですが、その中に自然に碁石の

千代が島  大船渡市末崎町

千代が島は海の中にありますので、登ることが出来ません。頂上には岩をかんで松が茂り、美しい姿を見せています。別名を

北上川  

北上川は、岩手県の北部に源を発し、石川啄木の故郷である渋民、南部藩二十万石の城下町盛岡、宮沢賢治の花巻、そして平泉の

釜石市  

釜石はむかし、矢の浦とよばれた寂しい漁村であり、むしろ甲子(かつし)の方が、釜石と遠野をむすぶ釜石街道の宿場として栄えてい

釜石大観音  釜石市大平町

釜石湾にのぞむ鎌崎の突端に白亜の姿を見せているのが、釜石観音です。鉄筋コンクリート製で、高さ四十八、五メトル、観音様の

釜石まつり  釜石市浜町

毎年、十月十五日から十九日にかけて、釜石市に古くから伝わる尾崎神社の明神祭と、釜石製鉄所の山神祭とが合流して行われるも

吉里吉里  上閉伊郡大槌町

吉里吉里という言葉はアイヌ語の「砂浜」からきたもので、これが地名になったとも、このあたりの砂浜を歩きますと砂がキリキリ鳴りま

代官街道   上閉伊郡大槌町

寛永十八年(一六四一)に南部藩が南の大槌代官所と北の久慈代官所を結ぶために開いたのが始まりだといわれています。この少し

大槌城跡  上閉伊郡大槌町

十五世紀初頭、遠野の阿曽沼朝綱(あそぬまあさつな)の次男大槌(おおつち)次郎によって築かれました。江戸時代に大槌孫八郎

江釣子村  北上市

北上市に隣接する江釣子村(1991年(平成3年・和賀郡和賀町、北上市と合併し、北上市となる。)は、県下ではもっとも小い村です。

北上市  

かつては奥州街道の宿場町、北上川舟運の商の港として繁栄しました。近郊の穀倉地帯では米の他、果樹や野菜、畜産などが盛ん

和賀町  北上市

和賀町(1991年(平成3年)4月1日、旧・北上市、江釣子村と合併し北上市となりました。)は、町の東が北上市、北東は花巻市、南は

農業科学博物館  北上市飯豊

昭和四十四年、岩手県の農業の歴史を探り、未来の農業を展望する目的でつくられた、農業専門の博物館です。稲作・畑作・加工

夏油温泉  北上市和賀町

夏油温泉は、夏油川上流、焼石連山の山懐、標高七百メートルの高地にあり、付近はブナの原生林におおわれ、夏は絶好の避暑地

石灰華  北上市和賀町

夏油温泉の近くに石灰華の大ドームがあります。高さ二十メートル、下部、直径二十五メートルの円筒形をしており、頂上の平らな円形部

三船十段記念館  久慈市川貫

標高百二十五メートルの巽山の一角に巽山公園があり、市民の憩いの場所となっています。公園内には市立三船記念館と三船久蔵名

久慈海岸  久慈市

久慈港の北にある侍浜から南方の十府ケ浦にかけてひろがる海岸で、昭和四十六年一月、陸中海岸国立公園に編入されました。

久慈市  

市の中央部を夏井川、久慈川、長内川が流れ、この三河川が河口付近で合流して久慈湾にそいでいます。市街地はこれらの河川が

 

 

猊鼻渓.jpg

 

猊鼻渓

 

宇部町  久慈市

宇部とは、アイヌ語で「海辺」という意味をもつ「ウンベ」からきたものといわれています。近くからは、アイヌが用いたといわれる鏃(やじり)

久慈渓流  久慈市大川目町

その昔、この渓流一帯は、大木が生い茂り昼なお暗い密林であったといわれますが、今は明るい久慈渓流に変わっております。

小久慈焼  久慈市小久慈町

久慈市の小久慈町に窯元があるところから小久慈焼とよばれています。文化十年(一八一三)、初代熊谷甚右衛門が相馬から来た陶工

長泉寺 久慈市門前

 寛政七年(一七九五年)に開かれた曹洞宗の寺で、境内には鎮守観世音菩薩、子安地蔵尊などがあり、沿岸漁民の参拝客でにぎわって

平庭高原  葛巻町

標高千六十メートルの平庭岳にひろがる広大な芝地の高原です。白樺の純林と、レンゲッッジの群落が見事で初夏六月ころが最もさ

軽米町  九戸郡軽米町

軽米町は、北上山系に広がる丘陵地帯で、北は青森県、東は種市、大野村、西を九戸、二戸、南を山形村と、それぞれ境を接しています

種市高校海洋開発科  九戸郡種市町

この町は「もぐりの種市」として全国的に知られています。もぐりといいましてもやましいことではなく、潜水夫のことです。明治三十一年貨客

鶏の祟り?伝説 九戸郡種市町

岩手県九戸郡種市町から青森県三戸郡階上町の県境に「二十一」と書いて「にそいち」と呼ぶ名の集落がありました。元禄三年  

種市町有家  九戸郡種市町

光仁天皇のころ(七七○〜七八一)藤原有家(ありいえ)が流され、主従百二十四人でこの地に住んだことからつけられた地名だとい

西行屋敷跡  九戸郡野田村玉川

西行法師が東大寺再建のため平泉の砂金勧進を目的に奥州にやって来たときのこと、途中玉川の景色に見ほれて、海岸の見える丘

愛宕神社・海蔵院  九戸郡野田村野田

市街の中心の山頂に鎮座し、八月二十四、二十五、二十六日のお祭りには大変なにぎわいをみせます。また、愛宕神社のふもとに

種市町  九戸郡洋野町

種市町は国道四十五号線沿い、岩手県の最東北端にある町で、東は太平洋に臨みます。南部モグリの発祥地で、この町から出た

赤穴洞穴  下閉伊郡岩泉町

赤穴は、縄文時代晩期末から弥生代の遺跡です。洞窟の中には約二百平方メートルほどの広さがあり、柱のような大きな鍾乳石が

アツモリ草・名前の由来  下閉伊郡岩泉町

アツモリ草はラン科の多年草で五、六月ごろ、紫または薄紅色の袋状の花をつけます。この地方の人々は「カッコウのヒシャク」とよん

岩泉の産物  下閉伊郡岩泉町

昔から南部紫桐の産地として知られております。桐は、岩手県一帯にありますが、この地方の桐は紫桐とよばれ、薄紫の優雅な光沢を

外山早坂高原県立自然公園  下閉伊郡岩泉町

本来は「そでやま」とよぶのですが、最近は「そとやま」と称しています。高原一帯は山菜の宝庫で春はワラビとりの人々でにぎわいま

波鼓ヶ島  下閉伊郡岩泉町

茂師(もし)海岸の波鼓ヶ舞です。荒々しい黒潮が岸辺に打ち砕け、敷きつめたような岩畳の上に美しい波模様を描いております。

龍泉洞  下閉伊郡岩泉町

岩泉地方は南北に、石灰岩安家層が縦断しており、いたるところに鍾乳洞があります。その数百に余るといわれておりますが、その中

小本川  下閉伊郡岩泉町

小本川は下閉伊郡岩泉町と岩手郡葛巻町の境にある、国境峠付近に源を発し、落合で大川と合流し、この先は小本街道と並行し

小本街道  下閉伊郡岩泉町

江戸の頃、この街道では、牛は一手綱(いってづな)六頭、馬は三頭として、一人で追ったものだそうです。この地方には三十人以上の

早坂高原  下閉伊郡岩泉町

標高千メートルの広々とした高原で、さきほどの外山高原や岩洞湖とともに県立自然公園になっています。早坂放牧場があります。

袰綿  下閉伊郡岩泉町

江戸時代には小本街道の宿場町として発達していたところです。本銅にある銅山は古くに開発され、室町時代末期から江戸時代初期に

一ツ苗代長者ケ森の伝説  下閉伊郡岩泉町

東北地方は、民謡と伝説の宝庫といわれておりますが、山深いこの地方にも数々の民謡と伝説があります。一ツ苗代にも「駄引(だびき

鵜ノ巣断崖  下閉伊郡田野畑村

鵜ノ巣断崖は、高さ二百メートルの絶壁で、断崖の中腹まで赤松の緑におおわれています。この赤松の林を抜けると、突然豪壮雄大な

三閉伊一揆  下閉伊郡田野畑村

藩は藩民に総額五万二千五百両の御用金をかけました。とくに三閉伊通(野田通、宮古通、大槌通)へのかけかたは大変大きく、こ

思惟の森  下閉伊郡田野畑村

これは大学教育の一環として早稲大学と田野畑村が共同で作ったものです。目的は労働と教育の一体性にあり、春は植林、夏は

百姓一揆顕彰像  下閉伊郡田野畑村

四方見山(しほうみやま)公園に百姓一揆顕彰像があります。嘉永六年(一八五三)、盛岡藩はきびしい御用金をかけました。

明戸川の鮭  下閉伊郡田野畑村

昔は鮭がたくさん上った川だと伝えられています。その昔、弘法大師がこのあたりを通った時、川のほとりの小屋に老婆がおりましたので

北山崎  下閉伊郡田野畑村

北山崎は昭和三十年、陸中海岸が国立公園に指定されたとき、記念切手の図案になりひろく全国に紹介された場所です。二百メートル

黒崎灯台  下閉伊郡普代村

黒崎灯台は、黒崎の突端にあって、百四十メ-トルの断崖の上に建っています。昭和二十二年四月に灯がともり、以来近海の航路の

海釣り公園  下閉伊郡普代村

昭和五十一年六月、通称ねだり浜とよばれる黒崎灯台の下に、海釣り公園が開園しました。これは海釣りの豪快さを楽しめる本格的

鵜島神社  下閉伊郡普代村

卯子酉山(うねとりやま)の山頂に鵜島神社があります。源義経は平泉で自害したのではなく、大陸にわたってジンギスカンになったと

大島・オランダ島  下閉伊郡山田町

湾内に二つの島が見えています。大島と小島です。どちらも花崗岩でできています。大島は俗にオランダ島とよばれています。

山田湾  下閉伊郡山田町

重茂(おもえ)半島と船越半島のリアス式海岸にかこまれており、このあたりからですと切れ間が見えず、湖のように見えるところから

四十八坂展望台  下閉伊郡山田町

吉里吉里からこの先の船越に行く海寄りの道は、昔、上り下りあわせて四十八の坂があったところから、四十八坂とよばれていました。

船越湾  下閉伊郡山田町

船越湾

は北を船越半島に、南の方を吉里吉里の岬によって抱かれた、波静かで穏やかな入江です。船越半島の太平洋側の

滝沢村  滝澤市

田沢湖に向う国道四十六号沿いには、豪族安倍家を偲ぶかのように、安倍館町とか、前九年一丁目~三丁目の地名が残されていま

駒形神社  滝沢市鵜飼

毎年六月十五日に人々は、愛馬の労をねぎらぃ、牛馬の無病息災を祈願するために駒形神社に参詣します。金糸銀糸、紅や紫な

柳沢(滝沢村)  滝沢市柳沢

柳沢は、岩手山登山口の一つです。岩手山は此の地方の象徴であり、コニーデ式火山の裾野は三方に拡がり、南部片富士とも呼ばれ

鮭と農民  津軽石川

昔から津軽石川ぞいに住む農民たちは、この川からとれる鮭を冬の生活の糧としておりましたが、藩政時代に南部藩が、この鮭を

栗駒高原  岩手県と秋田県の県境

須川温泉を中心とする栗駒高原は、岩手県と秋田県の県境になっています。岩手県側の須川温泉と、秋田県側の栗駒山荘とは、

仙石トンネル  岩手県と秋田県の境

岩手県と秋田県の境に、海抜九九二メートルの貝吹岳の横っ腹をぶちぬいて、仙石トンネルが二ツあります。一ツは昭和四十一年

遠野市  

四方を山にかこまれた遠野市は、南は気仙、江刺、西は稗貫、北は下閉伊に通じる交通の要路にあたり、むかしは遠閉伊(とおへい)

遠野物語  

早池峰山、六角牛山、石上山の遠野三山にか}」まれた遠野盆地は山が深く、容易に人を寄せつけませんでした。そのため古い風俗習

蓮台野  遠野市

笛吹峠のそばに蓮台野とよぶところがあります。遠野物語に「昔、六十を超えたる老人はすべて此の蓮台野へ追い遣るの習ありき。

続石  遠野市綾織町

ここ綾織町には、巨石文化が残した墳墓といわれるドルメンというものがあります。二つ並んだ二メートルばかりの石を台にし、

愛宕神社  遠野市綾織町

新里五百羅漢で有名です。天明年間(一七八一〜八九)、遠野大慈寺の義山和尚が、遠野地方のたびかさなる凶作で餓死した人を

鍋倉城跡  遠野市新町

鍋倉城は背後に物見山を背負い前に来内川(らいないがわ)を抱く、天然の要害地を利用して、天正年間(一五七三〜九二)に、

仙人峠  遠野市と釜石市の境界

むかしこの峠の下の沢の金山が崩れて千人の金掘りが一時に死んでから、仙人峠の名がおこつたといわれています。また仙人が

宮守  遠野市宮守町

永承六年(一○五一)前九年の役のとき、源義家が安倍貞任との戦いの勝利を祈願するため、日本武尊を勧請しました。戦いに勝

平泉  西磐井郡平泉町

歴史で名高い平泉は、かっては野蛮な蝦夷の住む地として、朝廷の支配下に入らなかった所です。この奥羽平泉に、高度の仏教文化

束稲山  西磐井郡平泉町

束稲山は、古くは多和志根山(たわしもやま)と呼び、たわんでいる山の形から名付けられました。藤原清衡が、桜一万本を植えた

毛越寺  西磐井郡平泉町

毛越寺は、慈覚大師によりまして開かれた、天台宗の名高い寺で、二代、藤原基衡によって再建されました。金堂円隆寺をはじめ、

中尊寺  西磐井郡平泉町

平泉文化の中心地、中尊寺は、今からおよそ千百年以上前、仁明天皇の御代(八五○)天台宗第三代の座主となられた、慈覚大師が

衣川橋・弁慶  西磐井郡平泉町

京都五条大橋で、牛若丸めがけて、長刀を振りあげた弁慶も、その後義経の家来となり、泰衡が義経をおそった時には衣川橋の辺り

達谷の岩屋  西磐井郡平泉町

昔、悪路王が、かくれ家としていたと伝えられる洞窟、達谷の岩屋です。悪路王を亡ぼした坂上田村麻呂が、京都の鞍馬寺に模して

鬘石・悪路王伝説  西磐井郡平泉町

石の上に、悪路王が、自分の捕えた女の髪の毛を並べて見せ物にしていましたので、このような名がついております。右に流れる

金鶏山  西磐井郡平泉町

金鶏山は、三代秀衡が、平泉の難を防ぎ永久に栄えますようにと祈り、北上川や、衣川の砂利を運び作った人工の山です。山頂に

無量光院跡  西磐井郡平泉町

無量光院も、三代秀衡の建立で、史蹟に指定されております。宇治の平等院を真似て造ったといわれ、発掘調査によりますと、

一戸町  二戸郡

町内に五ツの天然記念物があります一戸町は昭和三十二年、一戸町と鳥海、浪打(なみうち)、小鳥谷(こずや)、姉帯(あねたい)

 

 毛越寺.jpg

 

毛越寺

 

浪打峠の交叉層  二戸郡一戸町

国道四号線から東に、二キロメートルほど行った二戸市と一戸町を結ぶ旧街道筋に、末の松山、浪打峠があります。この付近一帯は

藤島の藤  二戸郡一戸町

藤島の藤(天然記念物):小鳥屋駅の国道四号線近くに仁昌寺があります。ここには「藤島の藤」と呼ばれる藤があり、根元の

鳥越観音堂  二戸郡一戸町

鳥越観音堂は、紅葉の名所として有名な、鳥越山にあります。慈覚大師の開創と伝えられる古刹で、高さ約五十メートルの集塊岩の

九戸の乱  二戸市

”九戸の乱”は、天正十九年(一五九一)、南部藩の二十六代藩主の選任門題からの対立で、九戸政実は南部信直と、これに加勢

馬仙峡  二戸市石切所 

馬仙峡は、二戸市中央を流れる馬渕川が、市の南部、一戸町との境から、下流ニキロメートルにわたって造りだした峡谷で、男神岩

馬渕川の伝説  二戸市石切所 

馬仙峡の男神と女神は恋仲でしたが、男神は心変りしてしまいます。美しい朝日観音に身も心も奪われてしまったのです。女神は大

金田一温泉  二戸市金田一

金田一温泉は、寛永三年(一六二六)の発見と伝えられる古い温泉で、かつては”侍い湯”と呼ばれ、南部藩の湯治場でした。現在は

座敷童子  二戸市金田一

金田一に、座敷童子が出るという、大きな旅館があるそうです。座敷童子というのは、座敷ポッコとも呼ばれる神霊の童児、童女で

化石の産地  二戸市金田一

金田一の湯田地区は、化石の産地として知られ、かなり古い時代のものが発見されています。カニ、カメ、ウニ、ヱビなどで、太古の

浄法寺町  二戸市浄法寺町

馬渕川の支流、安比川に望む浄法寺町は、平泉中尊寺に天台文化が花開く以前に、すでに仏教文化が栄えていたといわれております

天台寺  二戸市浄法寺町

別名、桂清水観音堂と呼ばれていますが、桂の木の根本から清水が湧き出ておりますので、この名がつきました。現在は中尊寺の

福蔵寺(猫塚の寺) 二戸市浄法寺町

福蔵寺は、永禄元年(一五五七)盛岡北山の源勝寺七世の開山によるもので、慶長四年(一六○○)南部氏二六代信直の葬儀に際

九戸城跡  二戸市福岡字城の内

岩手県史を色濃く塗り変えた歴史の町、二戸市に、国指定の史跡、九戸城があります。馬渕川と白鳥川を外堀とした、要害としては

堀野遺跡  二戸市堀野字馬場

堀野遺跡は、市の北端、国道四号線沿いにあります。昭和二十七年以来、数度の発堀調査で発見され、環状列石と、竪穴住居跡、

源太森  八幡平市

源太森は、茶臼岳から八幡平へ行ノ、途中の、標高千六百メートルの所にある展望台です。北はるかに岩木山、南は裏岩手連峰、

御在所温泉  八幡平市

御在所温泉は、一面笹の生い茂る高原の中にホテルが建つ温泉で、夏は涼しく、秋は紅葉が美しく、冬は後にある大黒森に八幡平

御在所沼と五色沼  八幡平市

色の違った二つの沼、大きい方が御在所沼、小さい丸い沼は五色沼です。五色沼は赤沼ともいわれ、赤く見えますが、天候、時間、

樹氷  八幡平市

雪の精といわれる樹氷は、冬、西高東低の冬型の気圧配置が続きますと、冷たい季節風が北西から猛烈な寒波となって日本に渡っ

七時雨山  八幡平市

七時雨山(一○六○)は裾に松尾村があり、北上川が流れています。さしかかる峠は貝梨峠といい、標高四三○メートルです。

八幡平あれこれ  

原始の姿をそのまま横たえる自然の秘境です。原生林、高山植物の生態の美事さは驚くばかりです。これは八幡平地域のほとんどが

八幡平地区  

八幡平は秋田と岩手の県境に広がる、のびやかな高原状の大火山群です。アオモリトドマツの樹海の中に湿原や湖が点在し、そこ

八幡平頂上

一六一四メートルの八幡平頂上までは、アスピーテラインの県境(駐車場あり)見返峠付近から、石畳の遊歩道で二十分ほどです。

八幡平・植物 

八幡平を中心とした一帯の植物分布は、一合目から四合目辺りまでの山麓にはブナ、ミズナラ、イタヤカエデが多く、その間に

八幡平の名のおこり

火山の博物館といわれる八幡平ですが、この名前の由来は、千五百年の昔、この地方に大猛丸(おおたけまる)というエゾの首領が

松尾村  八幡平市

松尾村(2005年9月1日に、同じ岩手郡の西根町・安代町と合併して八幡平市になりました。)は秋田県と境を接し、周囲を岩手山、

モリアオガエル・大揚沼  八幡平市

沼や池の小さな愛橋者は蛙ですが、山野に住むのがモリアオガエルで、この一帯にも多くいます。体長は雄が五センチ~七センチ

夜沼・熊沼  八幡平市

源太岩から夜沼辺りは、八幡平の山々が完成し、そのあとの終末活動による爆発の時の火口の底といわれる所です。熊沼は火口湖

西根町  八幡平市

八幡平の入口、大更を中心として南西に岩手山、北に七時雨山(一○六○)を含む原野で、かつては南部駒の産地として発展し

安代町  八幡平市

県の北西部にあり、青森、秋田と県境を接しています。町の中央を奥羽山脈が南北に走り、西に米代川、東に安比川の分水嶺

岩手山  八幡平市、滝沢市、雫石町

岩手山(標高二千四十一メートル)は県内でもっとも高く、東・北・南側の裾野を長くひく美しい姿から「南部富士」とか「岩手富士」とよ

不動の滝・桜松神社  八幡平市高畑

元和年間(一六一五~二四)の創建といわれる桜松神社の境内に、高さ十五メートルの滝があります。水量が豊富で、中段には

焼け走り熔岩流  八幡平市西根町

岩手山の北東山腹、標高千二百メートルの所に焼け走り熔岩流があります。享保四年(一七一九)、岩手山最後の噴火によって

見返り峠  八幡平市八幡平

モッコ岳から右に連なる山は、標高千六百メートルの見返り峠です。藤七温泉に一夜をあかした人々が、翌日、この急な坂の峠を

藤七温泉  八幡平市松尾

藤七温泉は、モッコ岳の麓、標高一、四○○メートルの高所にあり、八幡平に湧く温泉のなかで、もっとも高い位置にあります。

黒谷地湿原  八幡平市松尾寄木

黒谷地は、八幡平頂上と茶臼岳の中間にある湿原です。かつての高山湖であったところが湿原化したもので、池塘が点在し水芭蕉

プータロ村  八幡平市松尾寄木

八幡平の岩手県側からの入口を、東八幡平といいます。トラウトガーデンや、プータロ村、松川温泉など、岩手山の山麓から八幡平に

松川温泉  八幡平市松尾

松川温泉は、岩手山の北の山中、海抜八百メ-トルの所にある温泉で、今から二百年以上前、松尾村の伊藤西会という人が発見

松川地熱発電所  八幡平市松尾

地下千メートルから毎時六十トン噴出する三百度の蒸気を利用して発電する、我が国で始めての地熱発電所で、昭和四十一年

蓬莱境  八幡平市寄木

藤七温泉から近い蓬莱境(ほうらいきょう)は、厳しい自然のため変形し、背の低くなったオオシラビソ、ハイマツ、コメツガなどの木と

花巻・地名の由来  花巻市

花巻は、古くからアイヌ民族の居住していた地で、市内にもアイヌ語に由来する地名が多く、花巻の名もアイヌ語の、「バナマキ」川下

 

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中尊寺金色堂

 

花巻温泉  花巻市

花巻温泉は、花巻温泉郷の中心をなしている所で、大正十一年、金田一国士氏が周囲の原野、八ヘクタールを温泉地として開い

花巻市  

中世には稗貫(ひえぬき)氏が烏谷ヶ崎(とやがさき)城を築き、天正十九年(一五九一)豊臣秀吉がこれを滅ぼし、南部氏の家臣

宮沢賢次  花巻市

花巻が誇る郷土の人、「宮沢賢治」は、明治二十九年、熱心な仏教徒であった政次郎を父として花巻に長男として生まれました。

高村山荘・記念館  

高村山荘は、彫刻家で詩人の高村光太郎が、晩年の昭和二十年から七年間、自炊生活を送った山小屋です。光太郎は、

清水寺  花巻市太田

高村山荘から一キロほど西に行ったところに、日本三清水といわれる、清水の観音様があります。京都の清水寺、兵庫県加

台温泉  花巻市台

台温泉は、元中四年(一八三七)江戸時代の開湯と伝えられる古い湯で、三方を緑にかこまれ、湯の沢の渓流にのぞみ、湯

東和町  花巻市

東和町はむかしは十二鏑村(じゅうにかぶらむら)だったのですが、あまり長い地名なので、十二ケ村とよばれていました。前九年の役

横川省三の頒徳碑  花巻市東和町

横川省三は慶応元年(一八六五)に盛岡に生まれた自由民権運動家でした。日露戦争のときには特捜班としてチチハル付近に潜入しま

泣き相撲  花巻市東和町

むかし、成島の毘沙門の祭で、猿ヶ石川をへだてた、南・北成島の両集落対抗の角力が催されました。勝ったほうが五穀豊穣とされたため

萬鉄五郎記念館  花巻市東和町

萬鉄五郎は明治十八年に東和町に生まれました。明治四十五年東京美術学校西洋画科本科の卒業制作、ゴーギャンやゴッホの影響

大空の滝  花巻市豊沢

豊沢ダムから歩いて約一時間、豊沢川上流にかかる大空の滝は、高さ八十二メートル、巾六メートルの滝で、二条に分かれ、七層に

鉛温泉  花巻市鉛

鉛温泉は、豊沢川にのぞむ静かな山間の温泉です。宝暦年間(一七五一~六四)に発見と伝えられ、南部藩主も入浴したといわれます。

新鉛温泉  花巻市鉛字西鉛

鉛温泉から約二百メートルほど、豊沢川の上流にある新鉛温泉は、明治二十二年に開湯された、新しい湯です。豊沢川上流には、豊沢ダ

豊沢湖  花巻市南豊沢

豊沢湖は、昭和三十六年、豊沢川上流に造られた、農業潅概用ダムです。ダム周囲の県道、林道も整備され、春は桜、山吹が咲き乱れ

胡四王神社  花巻市矢沢

山頂(標高一七六メートル)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐のおり、武運を祈願したと伝える、胡四王山神社があります。猿ヶ石川をすこし上る

大沢温泉  花巻市湯口大沢

大沢温泉は、寛政三年(一七九一)の発見と伝えられる温泉で、豊沢川に沿い、背後は山、前は田園風景が広がり、素朴な趣きのある所

志戸平温泉  花巻市湯口

志戸平温泉は、元緑二年(一六八九)の発見と伝えられる古い歴史を持つ温泉です。豊沢川の渓流に沿い、四季それぞれの景勝に恵

束稲山  平泉町、奥州市、一関市の境界

束稲山(標高五九六)は、古くは多和志根山(たわしもやま)と呼び、たわんでいる山の形から名付けられました。藤原清衡が、桜一万本を

達谷の岩屋  平泉町平泉

平泉との境界、道路わきに”北限の磨崖仏”として知られる「達谷の岩屋」があります。岩屋の中から清水の舞台のような御堂がつき出し

義経堂  平泉町平泉

小高い森は、悲劇の英雄、源義経のゆかりの地で、北上川にのぞむ高館山といい、頼朝に追われて、秀衡の庇護を受けた義経が、

馬渕川  岩手県北部および青森県南部

川には、流域住民の生活の歴史が刻まれており、数々の伝説も秘められています。八戸湾に注ぐ馬渕川の名も、アイヌ語からきた呼び名

JR岩泉線  宮古市

昭和十六年に、茂市から岩泉をへて小本に行く鉄道として着工されました。この年の十二月八日、日本はアメリカとイギリスに宣戦を布告

宮古について  

宮古の町はこの先の鍬ケ崎(くわがさき)とともに室町時代にすでに、海産物の集散地、交易の場として小集落がつくられていました。

漁火  宮古市(三陸海岸)

三陸海岸・世界でも指折りの漁場にあげられているこの沖合は、秋の秋刀魚、烏賊漁の最盛期になりますと、全国各地から集まる漁船で

早池峰山  宮古市、遠野市、花巻市

岩手県では岩手山につぐ高峰です。全山いたるところに巨岩、巨石が露出しておりますが、頂上から六合目にかけては高山植物の宝庫

魹ケ崎  宮古市大字重茂

魹ケ崎(とどけさき)は東経百四十二度四分三十五秒、本州ではもっとも東寄りになっています。付近は荒々しい断崖がつづき、太平洋の

浄土ケ浜  宮古市鍬ヶ崎

浄土ヶ浜は、白色の石英粗面岩からなる奇岩と砂、いただきの松の緑と紺碧の海、これらのコントラストがあざやかな調和を見せている、

潮吹穴  宮古市崎鍬ヶ崎

強い北風で海が荒れますと、大波がいっときにこのせまい岩窟にせまり、深い岩窟の上に勢いよく突き抜けて、天高く潮を吹きあげます

日出島  宮古市崎鍬ヶ崎

周囲二キロほどです。切り立った断崖にかこまれた無人島で、島全体が赤松でおおわれていて、渡り鳥の楽天地になっております。

女遊戸海岸  宮古市崎山

女に遊ぶ戸と書いてオナッペと読みます。これは、昔アイヌの住んでいたころの地名らしく、この付近には、ハイペ、トロシロペなど、

十二神山  宮古市重茂

山頂(標高七百三十一メートル)は山田町と宮古市の境になっています。変った名前ですが、この地方には、古くから山の神を祀る風習

小堀内遺跡  宮古市田老小堀内

縄文時代前期の遺跡です。竪穴住居跡や焚火跡、おびただしい量の土器、石器などが発掘されています。この先の摂待川にいたる海

三王岩  宮古市田老字青砂里

白亜紀の砂岩、礫岩の水平な縞模様を見せるこれらの岩は、右から太鼓岩、権現岩(男岩)、観音岩(女岩)とよばれております。

津軽石  宮古市津軽石

津軽石は、南部鼻曲がり鮭の漁場として名高いところです。昔は渋溜村とよばれていましたが、ある時旅の僧が津軽から小石を一つ

宮古港戦蹟碑  宮古市光岸地

宮古港海戦といいますのは、明治初年、宮古湾で行なわれた官軍と幕府軍との戦いのことです。明治二年三月二十五日、五稜郭にこ

横山八幡宮  宮古市宮町

白鳳九年(六八一)の創建と伝えられ、宮古の地名の起こりともなった由緒ある神社です。寛弘元年(一○○四)一条天皇のとき、

横山八幡宮と猿丸太夫  宮古市光岸地

「奥山にもみじふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋は悲しき」。これは百人一首でおなじみの猿丸太夫の詠んだ歌です。この猿丸太夫は

黒森神社  宮古市山口

黒森山の中腹に、坂上田村麻呂の創建と伝えられる黒森神社があります。黒森山は古くから霊山とされ、修験者の霊場となり、かって

寄生木記念館  宮古市山口

山口には小笠原善平の墓と寄生木記念館があります。小笠原善平は、明治四十二年に発行された、徳富蘆花の小説『寄生木』の主人公

御所  盛岡市

今から八百年以上前、源頼朝に滅ぼされました、平泉の藤原一族が、追手をのがれ、この山深い里にかくれ住みました。四代藤原泰衡

前九年の役  盛岡市

平安時代の末頃、陸奥に勢力を持つ安倍頼時、貞任父子の起こした反乱。朝廷では、源頼義、義家を派遣して平定したのですが、

 

盛岡について  

天正十八年(一五九○)三戸に居城していた南部信直は、豊臣秀吉の小田原征伐に参加したため、糠部・閉伊・岩手・志和・稗貫・和賀

JR山田線  盛岡市

釜石からほぼ海沿いに北に走って宮古まで行き、そこから西に向きをかえて山をのぼって盛岡に達します。この線が計画されたのは明

厨川柵跡・天昌寺  盛岡市安倍館町

天昌寺付近一帯が、前九年の役(永承六年。一○五一〜康平五年.一○六二)のとき、安倍貞任の最後の拠点となった厨川柵のあっ

チャグチャグ馬っこ・駒形神社  盛岡市

南部駒の産地を象徴するお祭り、チャグチャグ馬っこ(国指定民俗文化財)は、毎年六月十五日に行われます。岩手郡滝沢村

南部片富士湖  盛岡市上田

北上川が四十四田ダムに堰きとめられて生まれた南部片富士湖があります。岩手山の東側はなだらかな裾を見せていますが、西側は

不来方の名の由来  盛岡市内丸

不来方、岩手の地名についてこんなお話があります。市内にある東顕寺の裏に、注連縄が張られた三ツの大きな石がありますが、この

盛岡城跡  盛岡市内丸

盛岡城は、不来方の城と呼ばれる南部氏の居城でした。南部信直が三戸から不来方に移り、北上川、中津川を外堀に利用して築城に

石割桜  盛岡市内丸

石割桜は、盛岡地方裁判所構内にあります。正門の右側に、大きな花崗岩を真二ツに割って成長した桜の木で、石の割れ目は桜の成長

大島高任生誕地  盛岡市大通

わが国の熔鉱炉製鉄の創始者は、南部藩士大島高任ですが、かれは文政九年(一八二六)南部藩の蘭方医、大島周意の子として盛岡

上の橋の擬宝珠  盛岡市上ノ橋町

市の中央を流れる中津川に架けられた上の橋の欄干につけられた、青銅製の擬宝珠は、国の重要美術品に認定されています。

区界峠  盛岡市から宮古市を結ぶ峠

標高七百五十一メートル、盛岡市と下閉伊郡川井村の境になっています。古くから盛岡と宮古を結ぶ閉伊街道の宿駅であり、今はJ

高松の池  盛岡市高松

盛岡城を築くとき、治水対策のために作られた人造湖で、堤には、日露戦争戦勝記念に植えられた約千八百本の桜の木があり、

岩手山と姫神山の伝説  盛岡市玉山区

岩手山は姫神山を女房にしていました。ところがやがて岩手山は早池峰山に心を移し、姫神山に冷たくなりました。悲嘆にくれた姫神山は

姫神山  盛岡市玉山区

姫神山(標高千百二十五メートル)は、玉山村のほぼ中央に位置し、外山早坂高原県立自然公園の中心をなしています。岩手山、

巻堀神社  盛岡市玉山

創建は十五世紀中頃といわれている大変古い神社です。天孫降臨のとき、途中まで出迎えて道案内をしたという猿田彦命が祭神で、金

宝徳寺  盛岡市玉山区

曹洞宗の寺で石川啄木の菩提寺でもあります。啄木の父はこの寺の住職で、啄木は二歳から十歳までをこの寺で過ごしています。

石川啄木記念館  盛岡市玉山区

昭和六十一年五月に啄木生誕百年を記念して、すでにあった記念館のすぐそばに新築されたものです。少年時代、詩人としての出発、

石川啄木・生誕地  盛岡市玉山区日戸

岩手が生んだ薄幸の詩人”石川啄木”は、姫神山の麓、玉山村の常光寺というお寺で産声をあげました。「渋民村」は啄木の故郷と

外山ダム  盛岡市玉山区

戦時中発電・潅概用ダムとして造られたものです。深くいりくんだ谷間にたたえられた水は外山湖とよばれる湖をつくっており、湖岸では

 

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 盛岡城跡

 

外山節  盛岡市玉山区

岩手県の代表的な民謡に外山節があります。昔外山の山中に生れ育った娘たちは、働く以外には、何の楽しみもない毎日を送ってい

岩洞湖  盛岡市玉山区

岩洞ダムの完成によってできた周囲四十キロ、長さ十二キロの人造湖です。周囲はなだらかな草原に生い茂る白樺や楢、落葉松

早坂峠  盛岡市玉山区

早坂峠は江戸時代、盛岡と太平洋沿岸の小本と結ぶ小本街道中最大の難所として知られていました。雪の季節には雪踏み人足が出た

繋温泉  盛岡市繋

雫石川に沿った山間の、静かな温泉郷で、古くから盛岡の奥座敷の役割りを果しています。この温泉は、康平年間(一○五八~一○六四

厨川柵跡  盛岡市天昌寺町 

盛岡駅の北二キロの北上川畔に、厨川柵跡があります。安倍館とも呼ばれ、前九年の役で滅亡した安倍氏の最後の決戦場となった

兜明神岳  盛岡市と宮古市の堺

頂上(標高千七メートル)が、岩が露出して兜の形に似ているところから、兜岩とか兜明神様などとよばれています。すぐ左の山麓に

啄木の歌碑  盛岡市盛岡城跡

啄木の歌碑は県内各地、北海道、東京と、その数は多いのですが、啄木公園に建てられたものが最も古く、住民の青年達が石材を

小本街道 盛岡市山岸大平

国道四百五十五号線は昔の小本街道で、早坂峠を越え岩泉を通って小本へ出る道路です。藩政時代には盛岡にとっても、小本

夕顔瀬 盛岡市夕顔瀬町

盛岡駅前通り、北上川をはさんで、材木町と夕顔瀬町を結ぶ夕顔瀬橋という美しい名の橋があります。”ゆうがお”という瓜があります

高田松原  陸前高田市気仙町

高田松原は、広田湾にそった弓形の砂浜に、黒松、赤松約七万本が二キロにわたってつづく景勝の地となっています。むかしこのあたり

氷上山  陸前高田市と大船渡市の境

修験系の霊山とされており、山頂には陸前高田市高田町にある氷上神社の東御殿、中御殿、西御殿が祀られています。

椿島  陸前高田市広田半島

ウミネコで有名な椿島です。その手前の姿やさしい島は、青松島で、岸に近い方は岸青松島、遠い方を沖青松島とよんでいます。

広田半島  陸前高田市

気候が温暖で、伊豆に似た感じのところです。海岸は、沖に散らばる島とともに、のどかで優美な風景ですが、半島の東側にある

錦秋湖・湯田ダム  和賀郡西和賀町

湯田ダムは、昭和三十九年、和賀川上流に完成した潅概、治水、発電用の多目的ダムです。アーチ型重力式で堤の高さ八九・五メートル

沢内甚句  和賀郡西和賀町

「沢内三千石 お米のでどこ 枡ではかられで コレヤ 箕(み)ではかる」。農耕の喜びを唄に表現した、と思われるこの唄も、反対に、実

沢内村  和賀郡西和賀町

奥羽山脈を境にして、秋田県と接する沢内村は、「沢内三千石、お米の出どこ」、と沢内甚句にも唄われた米どころです。藩政時代には

白木峠道  和賀郡西和賀町

白木峠は海抜六○一メートルで、昔から秋田と岩手を結ぶ重要な道として利用されていましたが、峠越えは大変険しいものであったと

碧祥寺博物館  和賀郡西和賀町

境内に碧祥寺博物館があり、岩手、秋田、両県のマタギの用具、五百点のほか、国の重要民俗資料に指定された、丸木舟を中心に、

弁天島  和賀郡西和賀町

周囲五百メートルほどの島で、ここで海水浴を楽しみ、ウニ、アワビ、ノリ、マツモなど豊富な潮干狩りを楽しむこともできるところです。

岩手湯本温泉  和賀郡西和賀町

湯本温泉は、錦秋湖から和賀川を遡った所にあります。万治年間(一六五八~六一)から開けた古い歴史を持ちます。周囲を山に囲ま

湯川温泉  和賀郡西和賀町

湯川温泉は、和賀川の支流、小鬼ヶ瀬川に沿った静かな温泉です。出途の湯、中の湯、奥の湯とに別れています。昔から、「遊びは湯本

湯田町  和賀郡湯田町

湯田町は、秋田県と境を接する、県の最西端にある町で、米どころとして知られる沢内盆地の南部を占めています。中央部を流れる

 

 

 

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厳美渓