旅先の歴史ものがたり・京都

京都には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。

 

「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」

 

「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」

 

「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」

 

「町や村、施設の命名縁起」「京都ならではの特産物」

 

「国指定の国宝・重要文化財」など。

 

旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした京都を代表する人間物語

 

を訪ねてみたいものです。

 

旅のその先に……新しい発見が。

 

それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

渡月橋.jpg

 

渡月橋

 

 

マッチングサイトをオープン(仮)しました。
仮とはいえ本格的に稼働しています。
 
経営者・個人事業主やシニア起業者の投稿をお待ちしております。
(いずれも姉妹サイトです)
 
 

宇治市

伝説になりますが、第十五代応神天皇の皇太子の兎道稚(うじつわき)郎子(いらつこ)という方が兄のオオササギノミ

宇治茶 宇治市 

我国のお茶は、古くから山野に自生しておりましたが、栽培技術が発達したのは、平安朝時代に京都建仁寺の栄西禅

葵祭 京都市

上賀茂神社と下鴨神社とのお祭が名高い葵祭です。毎年五月十五日、若葉の頃に華やかな行列が都大路いっぱ

萬福寺  煎茶点前の始祖 宇治市

万福寺は江戸時代の承応三年(一六五四年)、中国明の国から渡来した隠元禅師が明の万福寺をそっくりまねて作った

福徳寺 弓削道鏡  京都市右京区

寺伝によりますと、和銅四年(七一一)行基が創建し、聖武天皇の勅願により弓削寺といったのが起りです。のち火災や

京都七福神 京都市

妙円寺(左京区松ヶ崎・大黒天)、妙音堂(上京区出町柳・弁財天)、虞山寺(上京区北北之辺町・毘沙門天)

京都のあらまし 京都市

京都は延暦十三年(七九四)に都と定められて以来、約一二○○年以上の歴史を秘める古の都です。古い歴史を誇る

京の七口 京都市

古くから京都には「京の七口」と言われる街道口があり、人々は「七口」、あるいほ「七路」と呼んでいました。いずれ

西陣 名称由来 京都市

西陣は応仁元年(一四六七年)、応仁の乱の時に、南禅寺の方に布いた細川勝元の東の陣に対して、山名宗全が陣を

鯖街道・若狭街道 

国道三六七号は、かつて若狭街道とよばれており、京都と福井県の小浜の城下町を結ぶ、二十五里(約九十八キロ)

西高瀬川 名称由来 

今から一千年程前に、弘法大師の高弟の一人太秦の道昌という坊さんが、嵯峨の物資を都に運ぶために掘られた古

愛宕山 千日詣り 京都市右京区

ひときわ高くそびえている山が、山城と丹波の境にある愛宕山で、海抜九二四メートルです。朝日を一番早くうけ

嵐山 京都市右京区

洛西の名勝地で、四季折々おとずれる人の目を楽しませてくれます。「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひと

嵐山周辺 京都市右京区

桜と紅葉の名所・嵐山は、大堰川の渡月橋一帯をさす地名のことをいい、京都府京都市右京区、左京区にまたがった

清滝 京都市右京区

清滝は紅葉の名所で、清滝川の流れにそう景勝地で、両岸に旅館や料亭が建並び、むかしは愛宕詣りの人達の宿場

水尾の里 柚子風呂 京都市右京区

古くは山城と丹波を結ぶ交通の要路であり、奈良時代に光仁天皇や桓武天皇が行幸したといわれ、清和天皇は水尾山

山国御陵 京都市右京区

貞治三年(一三六四)七月、五十二歳でなくなられた光厳上皇を葬った山国陵です。南北朝対立の悲劇と数奇な運命を

大堰川 名称由来 京都市右京区

この川は、上流では保津川と呼ばれ、この辺りでは大堰川、すこし下流に行って桂川となり、さらに淀川へと合流し

福王子神社 名称由来 京都市右京区

仁和寺の鎮守社として崇敬される福王子神社で、この辺りの産土神です。本殿、拝殿、鳥居は重要文化財に指定されて

法金剛院 京都市右京区

平安時代の初めに建てられたもので、多くの天皇がおとずれた所でしたが、皇室の衰えと共にここも衰え、現在江戸時代

妙心寺 京都市右京区

臨済宗妙心寺派の本山、妙心寺です。もと花園法皇の離宮でしたが、法皇が臨済宗を深く信仰されてお寺とされたところ

常照皇寺 南北朝の悲劇 京都市右京区

臨済宗天龍寺派の寺。常照皇寺は山号を大雄山といい、寺の名は正確には常照寺といいます。この寺は、北朝第一代

鳴滝 京都市右京区

鳴滝といわれるようになつたのは、御室川の山間部を流れる蹊流が滝をなして、その水音が高いので一名鳴滝川、

水尾の里 柚子風呂 京都市右京区

古くは山城と丹波を結ぶ交通の要路であり、奈良時代に光仁天皇や桓武天皇が行幸したといわれ、清和天皇は水尾山寺

山国御陵  京都市右京区

貞治三年(一三六四)七月、五十二歳でなくなられた光厳上皇を葬った山国陵です。南北朝対立の悲劇と数奇な運命を

大堰川 名称由来 京都市右京区

この川は、上流では保津川と呼ばれ、この辺りでは大堰川、すこし下流に行って桂川となり、さらに淀川へと合流し、

福王子神社 名称由来 京都市右京区

仁和寺の鎮守社として崇敬される福王子神社で、この辺りの産土神です。本殿、拝殿、鳥居は重要文化財に指定されて

法金剛院 京都市右京区

平安時代の初めに建てられたもので、多くの天皇がおとずれた所でしたが、皇室の衰えと共にここも衰え、現在江戸

妙心寺 京都市右京区

臨済宗妙心寺派の本山、妙心寺です。もと花園法皇の離宮でしたが、法皇が臨済宗を深く信仰されてお寺とされたところ

常照皇寺 南北朝の悲劇 京都市右京区

臨済宗天龍寺派の寺。常照皇寺は山号を大雄山といい、寺の名は正確には常照寺といいます。この寺は、北朝第一代

鳴滝 京都市右京区

鳴滝といわれるようになつたのは、御室川の山間部を流れる蹊流が滝をなして、その水音が高いので一名鳴滝川、と

福徳寺 弓削道鏡 京都市右京区

寺伝によりますと、和銅四年(七一一)行基が創建し、聖武天皇の勅願により弓削寺といったのが起りです。のち火災

周山城跡 京都市右京区

山は黒尾山で標高五〇九メートルあります。東の峰を城山とよび、頂上には天正七年(一五七九)に織田信長の命を

山国神社 皇室と特別の関係 京都市右京区

式内社に列せられ、山国一の宮とも称される古社です。社伝によりますと、奈良時代後期の宝亀年間(七七〇~七八〇)

五智山石仏・蓮華寺 京都市右京区

昭和三十三年七月までは山頂に五智如来をはじめとして、十二体の石仏が祀られていましたが、現在は仁和寺の東側

仁和寺 京都市右京区

大内山を背景に、南に双がガ丘をひかえた景勝の地にあるのが、真言宗御室派の総本山・大内山仁和寺で、旧御室御所

 


仁和寺の五重塔.jpg

 

仁和寺 五重塔 

 

奥嵯峨野 京都市右京区

小倉山の麓一帯の名所、史跡を訪ねるコースを奥嵯峨めぐりといって、美しい緑の竹やぶや、四季に装いをこらす

嵯峨野 京都市右京区 

嵯峨野とは、北は大覚寺付近の北嵯峨(上嵯峨)から、南は大堰川(大井川)、東は有栖川、西は小倉山山麓にわたる

愛宕神社 千日詣り 京都市右京区

愛宕神社は山城と丹波の国境にそびえる、九二四メートルの愛宕山の上にあり、全国愛宕神社八百余社の総本社で

亀山公園 京都市右京区

小倉山から南東にのびる尾根を亀山とよんでいます。標高は二〇〇~二八〇メートルで、山の姿が亀の形に似ている

滝口寺 横笛の悲恋 都市右京区

京祇王寺から山手に登つたところにあるのが、浄土宗の小倉山滝口寺です。もとは往生院の子院三宝寺がありました

広沢の池 京都市右京区

周囲凡そ一キロ、北岸に丸みを帯びた遍照寺山を水面に浮べたこの広沢の池は、周囲に柳、桜を植え「古の 人

清涼寺 十六羅漢像 京都市右京区

清涼寺は、平安時代の嵯峨天皇の第八皇子で、臣籍に下った左大臣源融の建てた別荘,棲霞観にはじまります。寛平

宝筐院 敵同士の石塔 京都市右京区

宝筐院は平安期に創建された善入寺にはじまると伝えられ、室町幕府二代将軍足利義詮と南朝の名将楠木正行(正成の子

落柿含 名の由来 京都市右京区

常寂光寺の北東にある落柿舎は、松尾芭蕉の芭蕉十哲の一人、向井去来(一六五一~一七〇四)の住居跡で、現在

常寂光寺 紅葉の寺 京都市右京区

嵯峨野を代表する紅葉の寺、日蓮宗の常寂光寺です。小倉山の南側に境内は広がり、茅葺の仁王門をくぐると急な

月輪寺 親鸞の時雨桜 京都市右京区

愛宕神社の東方約一・三キロのところにある天台宗延暦寺派の寺です。奈良時代の天応年間(七八一~八二)に慶俊

大沢池 観月の名所 京都市右京区

嵯峨天皇が中国の洞庭湖をまねて造った池です。平安時代の池泉舟遊式庭園の遺構といわれ、日本最古の庭園池の

大覚寺 京都市右京区

大覚寺は 日本で有数の門跡寺院として知られております。(門跡寺院というのは、皇族や貴族が住職につかれた

車折神社  命名由来  京都市右京区

車を折る神社と書いて車折《くるまざき》神社です。今から約八三十年ばかり前、高倉天皇の教授であった清原頼業

化野 京都市右京区

かつて二尊院から化野念仏寺にいたる、小倉山の北の麓一帯は化野とよばれていました。古くより、東の鳥辺野、

化野念仏寺 京都市右京区

化野は古くから亡骸をすてる風葬の場であったところです。寺のおこりは、弘法大師空海が、ここに葬られた多くの

後亀山天皇陵 京都市右京区

祇王寺のすぐ北に南朝最後の天皇、後亀山天皇の陵があります。この地は後亀山天皇の小倉殿のあったところで、

檀林寺 京都市右京区

檀林寺は平安時代のはじめ、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)が、弘仁六年(八一五・平安時代初期)に建立した

愛宕念仏寺 京都市右京区

愛宕念仏寺はもと東山区の六波羅密寺の近くにありましたが、大正時代に現在地に移ってきました。寺は平安時代

児神社 京都市右京区

広沢池の西南にある児社は、児(ちご)神社ともよばれています。長徳四年(九九八)、遍照寺の開祖、寛朝僧正が亡く

小督塚  高倉天皇の寵愛 京都市右京区

渡月橋のほとりの大堰川にそつて亀山公園に向う途中、木立のなかに見落しそうな小さな五輪塔が小督塚です。小督

大堰川 京都市右京区

この川は、亀岡・京都間の渓谷では保津川と呼ぼれ、この辺りでは大堰川、すこし下流に行つて桂川となり、

渡月橋 京都市右京区

長さ一五四・五メートル、始めは法輪寺橋と呼ばれましたが、月明りの夜、川上から眺めますと”くまなく月の渡る

臨川寺 庭園は夢窓国師の作 京都市右京区

臨済宗天龍寺の別院臨川寺は、後醍醐天皇の早くなくなった皇子、世良(ときなが)親王の菩提を弔うため 夢窓疎石

天竜寺 方丈庭園  京都市右京区

世界文化遺産の天龍寺は、臨済宗天龍寺派の総本山で、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山と

厭離庵(非公開) 京都市右京区

臨済宗天龍寺派の尼寺厭離庵は、藤原定家が小倉百人一首を選んだ山荘のあったところといわれています。茅葺きの

小倉百人一首 京都市右京区

藤原定家が、古代から鎌倉初期に至る、百人の歌人から一首ずつ、計百首の歌を選んだもので、成立は定家の晩年

時雨亭跡 三ケ所   京都市右京区

後鳥羽上皇(一一八〇~一二三九)の院宣により、源通具・藤原定家(鎌倉初期の公家・歌人一一六二~一二四一)

二尊院 西行庵址 京都市右京区

小倉山の東の麓にありますのが天台宗山門派の小倉山二尊院です。正しくは小倉山二尊教院華台寺といいます。本尊に

曇華院 竹の御所 京都市右京区

通称「竹の御所」とよばれる尼寺・曇華院です。 南北朝時代の暦応年間(一三三八~四二)の創立と伝えられ、

 

愛宕念仏寺.jpg

 

愛宕念仏寺

 

 

鹿王院 運慶作 京都市右京区

南北朝時代の康暦元年(一三七九)、足利義満が春屋妙蓜(しゅんおくみょうは)(普明国師)のために建てた

野宮竹 京都市右京区

野宮神社付近の竹を "野官竹"といいます。  ここの竹は丈が長く、節と節との間も長く、枝は短かいうえ葉も

野宮神社 未婚の皇女の潔斎 京都市右京区

天龍寺から小倉山の山麓に至る途中にあるのが野宮神社です。竹やぶの奥、柴垣の内にひっそりと建てられて

斉の宮 京都市右京区

斉の宮で知られる野々宮の社があります。平安朝時代、伊勢神宮にお仕えする内親王の潔斉地の跡で、西を流

摂取院(蛇道心寺)蛇道心の因縁 京都市右京区

この寺にはひとつの物語が語りつがれています。その昔、一人の男が、妻の妹と情を通じ、妻はうらみの末に

太秦・秦氏 始皇帝の子孫 京都市右京区

太秦は、大陸の進んだ文化を移した秦氏が住んでいた所で、平安京が出来る前から開けていた所です。秦《はた

蚕の社 京都市右京区

蚕の社として知られる木島《このしま》神社です。秦氏が養蚕の神様を祀ってから蚕の社として知られる様に

広隆寺 半跏思惟像 京都市右京区

今から一四〇〇年程前、秦氏の長者・秦の河勝が聖徳太子が亡くなられたのをいたんで、太子より賜わつた仏

帷子の辻 京都市右京区

昔から嵯峨、太秦、常盤、広津への分岐点になっております。帷子の辻の名は平安朝の始め、嵯峨天皇の后、

畑の姨《おば》(姥) 京都市右京区

今ではもう姿を消してしまいましたが、柴を売る大原女や花を売る白川女などとともに、京の女人風俗を代表

為因寺 尼寺 京都市右京区

為因庵ともよばれる浄土宗の尼寺です。為因寺の創建年代ははっきりしませんが、高山寺の別院善妙寺のあと

平岡八幡宮 京都市右京区

またの名を梅ケ畑八幡宮ともよび、梅ケ畑一帯の産生神です。祭神は応神天皇です。大同四年(平安時代初期

神護寺多宝塔  日本三名鐘 京都市右京区

多宝塔は昭和十年の再建で、国宝の五体の虚空蔵菩薩が安置されています。古い歴史をもつ神護寺は、もとは

文覚上人 源渡の妻を殺す  京都市右京区

鎌倉前期の真言宗の僧・文覚は、神護寺の中興の祖といわれ、俗名を遠藤盛遠といいます。はじめは上西門院

高山寺 高潔の僧・明恵上人 京都市右京区

三尾の一番奥の栂尾にあるのが、世界文化遺産の栂尾山高山寺で真言宗の寺です。寺の創建は、奈良時代の宝

明恵上人 京都市右京区

明恵上人は鎌倉初期の僧で、紀伊国有田郡に生まれました。母は同地の有力な武士湯浅宗重の娘で、その縁で

西明寺 明恵上人の作 京都市右京区

西明寺は真言宗大覚寺派の寺で、平等心王院ともいいます。山門を入ると右側に鐘楼、歓喜天堂、本堂、庫

梅津 百人一首 京都市右京区

梅津は西院の西方から桂川にいたる地域をさし、高句麗からの渡来人、高田首《たかだのおびと》一族の居住

梅宮大社 京都市右京区

嵯峨天皇の后橘嘉智子《きさきたちばなのかちこ》(檀林皇后)の建立した、橘氏の氏神としてあがめられて

長福寺 小堀遠州の作 京都市右京区

方丈と書院の庭は、小堀遠州の作と伝えられる枯山水の名園といわれ、国宝の花園天皇像や古林清茂の墨跡

直指庵・村岡局の墓 思い出草 京都市右京区

直指庵は正保三年(一六四六)、日本黄檗宗の開祖隠元禅師の高弟独照性円が、この地に草庵を結んだのが起

名古曽の滝跡 京都市右京区

大沢の池から北へ一〇〇メートルほど行つたところに「名古曽の滝」跡があります。嵯峨天皇の離宮嵯峨院の

三宝寺 後水尾天皇の勅願寺 京都市右京区

三宝寺は寛永六年(一六二九)に、今出川経季と中川為尚が菩提寺として、日護上人を開山にむかえて建立し

了徳寺 大根だき 京都市右京区

大根だきで知られる法輪山了徳寺で、真宗大谷派の寺です。建長四年(一二五二)の冬、親鸞が師である法然

竜安寺 枯山水の庭園 京都市右京区

応仁の乱の東軍の将として、山名宗全と相対した武将の細川勝元公の建立と伝えられます。油土塀にかこまれ

五条通り(五条大橋)牛若丸と弁慶の石像 京都市下京区

牛若丸と弁慶のお話に知られる五条大橋に通じ、橋のたもとに牛若丸と弁慶の石像があります。五条通りの拡

島原 島原道中 京都市下京区

平安京の昔は朱雀野の一部でしたが、天正十七年、足利家の家臣・原三郎左衛門と林又一郎が、豊臣秀吉の許

東本願寺 木造建築としては世界最大 京都市下京区

京都では西本願寺をお西さんと呼ぶのに対して、東本願寺はお東さんと呼んでいます。真宗大谷派本願寺は、

渉成園(枳穀邸) 京都市下京区

東本願寺の別荘渉成園です。 ここは貞観十四年(八七二年)、河原左大臣源融の別荘、河原院の跡と伝え

西本願寺 文化財の宝庫 京都市下京区

西本願寺は俗に「お西さんの」名で親まれております。今から八百年程前、親鸞上人が九十歳で亡くなられ、

 

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東本願寺

 

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神護寺

 

大文字山 大文字の始まり 京都市左京区

大文字の始まりは、昔、ふもとに浄土寺というお寺があり、ある日火災にあった時、御本尊の阿弥陀如来があの山に飛んでいって、

木の芽煮 牛若丸の行動食 京都市左京区

その昔、牛若丸が鞍馬での修業の際、行動食や非常食として用いていたのが木の芽煮、といわれています。鞍馬一帯は古

鞍馬の地名由来  京都市左京区

鞍馬の地名の由来はいろいろありますが、鞍馬寺縁起のなかの白馬伝説によるとも、大友皇子に追われた天武天皇が、この地で鞍

貴船 地名の由来 京都市左京区

貴船川と鞍馬川の合流地貴船口より北の貴船川にそった山間部一帯を貴船といいます。地名の由来は、樹木の生い茂る山を意味

牛若丸伝説の地・貴船神社 京都市左京区

奥の院への道(木の板道):冬柏亭の脇を入ると木の門がありますが、これより先は、杉木立が鬱蒼と茂る山道、牛若丸が

九十九折坂 清少納言 京都市左京区

由岐神社から鞍馬寺本堂までのまがりくねった急坂を九十九折とよび、一〇〇メートルごとに石塔婆が建っています。また清少

冬柏亭 与謝野夫妻の霊 京都市左京区

「冬柏亭」は、信楽管長が明星派の歌人だった関係で、毎年五月二十八日に冬柏忌をもよおし、与謝野夫妻の霊をとむらって

牛若丸・鞍馬寺 京都市左京区

平治の乱(平安時代後期・一一五九)に敗れた源義朝には、愛妾常盤御前との間に、今若、乙若、牛若という三人の幼な児

鞍馬天狗 京都市左京区

謡曲『鞍馬天狗』は、鞍馬山に住む天狗が牛若丸(遮那王、のちの源義経)に、兵法をさずけたという伝説にもとずいて

鞍馬の火祭・由岐神社 京都の三大奇祭 京都市左京区

十月二十二日夜に行なわれる“鞍馬の火祭”は、由岐神社の例祭です。今宮神社の“やすらい祭”広隆寺の“牛祭”と

鞍馬寺 京都市左京区

北山杉と桧の巨木が鬱蒼と茂り、義経と天狗の物語で知られる鞍馬山は、標高約五六九 メートルで、古くから霊気

くらま温泉 京都市左京区

鞍馬川にそって走る道を鞍馬街道といい、昔は雍州(ようしゅう)(山城国のこと。唐の都長安からとった)路といって、

一乗寺下り松 京都市左京区

吉川英治の小説「宮本武蔵」に出てくる伝説のところです。京都四条でその名も高い道場主・吉岡清十郎を洛北蓮台寺

金福寺・与謝野蕪村 京都市左京区

洛西の落柿舎とならんで、京都の俳諧の史跡として知られております金福寺です。創建は古いといわれる金福寺は、

曼殊院 円山応挙の幽霊の掛け軸 京都市左京区

もと比叡山にあった曼殊院は、江戸時代の明暦二年(一六五八)に、後水尾天皇の猶子(兄弟、親せき、または他人

詩仙堂 名前の由来 京都市左京区

詩仙堂は、寛永十八年(一六四一)に江戸初期の詩人、石川丈山が建てたもので、丈山が晩年三十一年間を隠棲された

石川丈山 京都市左京区

詩人・書家として優れ、また作庭家としても才能を発揮しています。修学院離宮や枳穀邸渉成園の作庭にも丈山の手

永観堂(禅林寺)もみじの名所 京都市左京区

平安時代に建てられたもので、のち永観が再興したところから、永観堂と呼ばれております。ここの本堂の本尊は「見返り

平安神宮 弘法の投げ筆 京都市左京区

平安神宮は、京都へ都が移されてから、丁度一一〇〇年目に当る、明治二十八年にその記念行事として、昔の大極殿を

賀茂の伝説 京都市左京区

昔、山城の賀茂の里に、土地の神様の賀茂建角身命(八咫烏)の娘に、玉依姫というものがおりました。ある日玉依姫が

下鴨神社(世界文化遺産) 京都市左京区

糺の森の中にある下鴨神社は、京都で最も古い神社です。北にある上賀茂神社とともに賀茂氏の氏神をまつるお社で

糺の森 京都市左京区

樹齢二〇〇年をこえる、シイ、カシ、ケヤキといった古木がこんもりと生い茂る〝糺(ただす)の森″です。南北約一キロに

半木の道 隠れた枝垂桜の名所 京都市左京区

賀茂大橋の上流にかかる葵橋から北山大橋まで、賀茂川の東岸ぞいにのびる二キロの道を、半木の道といい、隠れた枝垂

峰定寺 日本最古の舞台造り建築 京都市左京区

大悲山(七四七メートル)の中腹にあるのが峰定寺です。洛北の奥にある峰定寺は、平安時代末期の久寿元年(一一五四)

岩倉の里 岩倉具視幽棲旧宅 京都市左京区

平安遷都の際に、王城鎮護のため磐座(いわくら)(神が鎮座するところ)を祀ったのが地名のおこりといわれます。見所

心光院 尼寺 京都市左京区

浄土宗の尼寺心光院です。本堂には重要文化財の阿弥陀三尊像(中尊は藤原期、脇侍は室町期のもの)がまつら

岩倉具視幽棲旧宅 京都市左京区

明治維新ののちに政治家として要職についた公卿岩倉具視は、朝廷と幕府の融和をはかるため、和宮降嫁を実現させた

実相院門跡(岩倉御所)・大雲寺 京都市左京区

このお寺は天台宗寺門派の門跡寺院で、岩倉山実相院といいます。寺は寛喜元年(一二二九)、近衛家出身の静基僧正

栗栖野瓦窯跡 京都市左京区

古くは岩倉から鷹ケ峰にかけては栗栖野とよばれたところです。この地域から掘り出される良質の粘土を使って瓦が

円通寺 かくれた苔寺 京都市左京区

大悲山円通寺は臨済宗妙心寺派に属し、延宝六年(一六七八・江戸時代)に創建されました。 この地ははじめ後水尾


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 大文字山

 

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下鴨神社

 

妙満寺 道成寺にまつわる「安珍・清姫」の鐘 京都市左京区

比叡山延暦寺の学頭にまでなった日什上人が宗をあらためて日蓮門下に入り、開創した妙満寺です。はじめは

銀閣寺 京都市左京区

銀閣寺は俗称で、正しくは慈照寺といいます。文明十四年(一四八二年)、足利八代将軍義政が金閣寺にならつて造営

金戒光明寺 京都市左京区

法然上人が、比叡山を降りて最初に草庵を結んだところで、法然の「どんな人でも念仏によって必らず極楽往生が出来る

安楽寺 松虫鈴虫の悲劇 京都市左京区

もとこの近くに法然上人の念仏道場があつて、上人の弟子、住蓮と安楽が説法を続けておりました。ある時、後鳥羽上皇

赤山禅院 千日回峰・赤山苦行 京都市左京区

修学院離宮の北側には赤山禅院があります。延暦寺の別院で、天台宗の守護神、赤山明神(泰山府君=商売繁昌の神

鷺森神社・七里祭 桜と紅葉の隠れた名所 京都市左京区

鷺森神社は、修学院一帯の産土神です。創建は貞観年間(八五九~七七)と伝えられます。その近くには武田製薬の

修学院離宮 京都を代表する建築物 京都市左京区

徳川幕府が後水尾天皇をおなぐさめするために造営したもので、約四年半をついやして、万治二年(一六五九)に完成

林丘寺(非公開)尼門跡寺院 京都市左京区

林丘寺は、修学院離宮の〝中の御茶屋″に隣接する「尼門跡寺院」です。寛文八年(一六六八)、後水尾上皇が、皇女

妙法の送り火 京都市左京区

大文字五山の送り火の一つ「妙法」です。その昔、松ケ崎一帯は天台宗が盛んなところでしたが、日蓮宗に改宗された

松ケ崎大黒天(妙円寺)京都七福神の第一 京都市左京区

東山の中腹に京都の人に〝大黒さん〃の名で親しまれております福の神様、松ケ崎の大黒天があります。この大黒天

三宅八幡宮 子供の厄除け、病よけの神様 京都市左京区

俗に虫八幡といわれ、子供さんの厄除け、病よけの神様として知られ、虫封じのご利益で広く知られています。毎年九月

崇道神社 早良親王絶食死 京都市左京区

光仁天皇の皇子で桓武天皇の弟、悲劇の皇子早良親王をおまつりする崇道神社です。 親王は藤原種継暗殺事件の

御蔭神社 下鴨神社の神々が生まれた所 京都市左京区

下鴨神社の神々が初めてお生まれになった所(玉依姫命が上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命をここで生んだという)と

真如堂 女人を救え 京都市左京区

正式には真正極楽寺です。永観二牢(九八四年)、当時比叡山で修業していた戒算というお坊さんの夢枕に、一人の

哲学の道 京都市左京区

疎水べりに続く桜並木を関雪《かんせつ》桜とよんでおりますが、これは大正二年、遅日《ちじつ》という作品が文展で二等の

聖護院 名菓八ツ橋 京都市左京区

白河法皇が熊野詣でをされたとき、このお寺の僧が道案内をしてから本山派修験道の山伏の管理をしています。又、

向井去来 蕉門十哲 京都市左京区

江戸時代前期の俳人で、蕉門十哲の一人。去来は長崎の人で、父の元升は医者をしておりましたが、万治元年(一六五八

小町寺(補陀洛寺)小野小町が住 京都市左京区

天台宗の補陀洛寺です。かつて小野小町がここに住み、お墓が残っているという伝説から、一名小町寺ともいいます。現在の

声明 仏教声明業の発祥地 京都市左京区

声明は梵唄ともいい、御仏を礼賛するための仏教声楽で、インドから中国を経て奈良時代に日本に伝えられました。わが国

大原の里 建礼門院の衰話 京都市左京区

「大原女」で知られる大原は、洛北、八瀬の北に位置する一集落で、中央を高野川が流れ、東を比叡、比良の山なみに

大原女まつり 京都市左京区

大原といえば、かつて京都の人々に親しまれた、薪や柴を頭上にのせて売り歩く女性、“大原女”の住むところとしても知られて

お通物語・哀話 京都市左京区

この里に残るお通さんの伝説です。その昔、若狭の国の領主が都に上るため、年に一・二度この街道を通られました。ある年

しば漬 京都市左京区

大原の里の名物は大原女ばかりではなく〝しば漬け″もまた名産品として、京みやげのトップにあげられます。しば漬けは

阿弥陀寺 ミイラ 京都市左京区

江戸時代初期の慶長十四年(一六〇九)、木食上人弾誓が開いた如法念仏の道場です。境内には、享和元年(一八〇二)に

花尻の森 京都市左京区

森の中には小さな祠があります。これは頼朝の家来の松田源太夫を祀ったところだといわれています。源太夫は、大原へ

大原陵 後鳥羽上皇 京都市左京区

三千院の門前、桜の馬場を北にすすみますと右手にきれいに手入れをされた庭の向こうに、二つの陵が並んでいます

勝林院 大原問答 京都市左京区

三千院の門前を北へ進み、律川を渡るとつきあたりにあるのが勝林院です。平安初期の承和二年(八三五)、慈覚大師円

宝泉院 血天井 京都市左京区

平安時代の末期に、学僧たちの宿坊として建てられた、勝林院の塔頭の一つ宝泉院です。現在の書院は、室町時代の

惟喬親王の墓 在原業平 京都市左京区

こんもりとした森が見えるところに惟喬親王のお墓があり、そこに小野御霊社もあります。 また、墓のすぐ下を御所田といい

大原御幸・寂光院 京都市左京区

文治二年(一一八六)春、義父にあたる後白河法皇は、大原に女院を訪ねることを思いたちました。春とはいえ、まだ峰おろ


哲学の道.jpg

 

哲学の道

 

大原御幸の道  京都市左京区

源平合戦は、源氏の勝利に終わりましたが、後白河法皇の権謀術策により多数の無用の犠牲者が出てしまう結果と

寂光院 平家の哀しい歴史 京都市左京区

三千院とは反対側の草生(の里にあるのが、天台宗の尼寺寂光院です。寂光院は推古二年(五九四)、聖徳太子が父

金毘羅山 京都市左京区

金毘羅山の山頂には崇徳上皇のお墓があり、上皇の寵姫、阿波内侍は寂光院より毎日山に通い、上皇の菩提をとむらった

魚山 三千院 京都市左京区

大原バス停から呂川の流れにそって三千院へと続く坂道を歩いていくと、道ぞいに茶店やみやげ店が軒をつらねています

来迎院 声明の唱え方 京都市左京区

来迎院は平安時代初期の、仁寿年間(八五一~五四)に、慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建したと伝えられま

三千院 天台宗三門跡 京都市左京区

大原の里を望むように高台に建つのが天台宗の三千院です。城郭を思わせるような石垣が目をひきます。呂川にかかる

清風荘 西園寺公 京都市左京区

明治、大正、昭和の三代にわたつて政界で活躍された西園寺公の別荘清風荘です。現在は京大の所有になっております

百万遍知恩寺 京都市左京区

正しくは、長徳山功徳院と云い、俗に百万遍の名で知られ、浄土宗四大本山の一つです。元弘元年(一三三一年)後醍

無鄰庵 日露開戦の決定 京都市左京区

明治・大正の政治家、山県有朋の別荘だったところです。美しい庭園は、山県有朋の設計といわれます。又、あまり知られて

南禅寺 絶景かな、絶景かな 京都市左京区

東山のふもとにある臨済宗南禅寺派大本山の南禅寺は、文永元年(一二六四)に亀山天皇が建てた離宮をお寺にした

夢窓疎石 京都市左京区

南北潮時代の禅僧・夢窓疎石は、伊勢の国(三重県)の出身で、はじめ天台、真言を学び、のち禅を修めています。韓国

八瀬童子 天皇の警護 京都市左京区

八瀬の村人を八瀬童子とよんでいます。古くから、天皇の行幸(天皇が外出すること)・還幸(天皇が行幸先からお帰り

八瀬の里  地名由来 京都市左京区

高野川のこの辺は瀬(急流)が多いところから八瀬という地名がつけられました。また古い記録では、弓矢の〝矢”と

八瀬天満宮社 京都市左京区

八瀬の産土神で菅原道真公をお祀りしている八瀬天満宮です。境内には道真が比叡山に登るとき、当地で休息したと

赦免地踊 年貢は免除 京都市左京区

八瀬は、南北朝の昔、後醍醐天皇が足利尊氏に攻められて比叡山にのがれる途中、この里の村人十三軒が弓矢を

かけの観音 観音像は自然石に 京都市左京区

千束の(かけ)」とよぶ断崖の上に、の観音堂があります。本尊の観音像は自然石に線ぼりされたものです。伝説によりま

国立京都国際会館 合掌造りの様式 京都市左京区

わが国最初の本格的な国際会議場として、昭和三十七年一月に着工し、昭和四十一年五月に約四十億円を投じて完成

白川女 花いらんかなァ 京都市左京区

北白川あたりは〝白川女”で名高いところですが、このあたりー帯は、古くは縄文時代からひらけており、昭和九年には

大石良雄の邸跡 忠臣蔵 京都市山科区

稲荷山の向うの中腹には、大石良雄の屋敷跡がある岩屋寺(いわやじ)があります。忠臣蔵で知られる城代家老大石良雄

中山邸跡 明治天皇がお生れになった産湯 京都市上京区

白壁の邸は「中山邸」の跡です。その奥には元桂宮家の屋敷跡があります。明治天皇がお生れになった時、産湯にお使いに

京都御所 京都市上京区

正しくは京都御苑といわれ、この中に皇居であった京都御所と、上皇のための仙洞御所、そして皇太后のための大宮御所

大報恩寺 京都では最古の建物 京都市上京区

京都の人々は、千本釈迦堂とよび、嵯蛾の釈迦堂と共に釈迦信仰の中心となり賑わったところです。ここの本堂は安貞

相国寺 日本最古の法堂建築 京都市上京区

臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。足利三代将軍義満の創建で、

湯沢山茶くれん寺・浄土院 京都市上京区

お寺は「湯沢山、茶くれん寺」といわれ、次の様なお話があります。豊臣秀吉が大名や町人を集めて、北野神社で盛大を

白峰神宮 京都市上京区

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わんとぞ思う」と百人一首でも知られる、崇徳院と奈良時代・恵美

室町第跡 京都市上京区

天授四年(一三七八年)に足利義満の開かれたもので、ここで幕府の基を確立しました。この室町殿は蒙華をきわめ、

大極殿跡 京都市上京区

延暦十三年(七九四年)、奈良から京都へ御遷都になられた桓武天皇は、長安洛陽の都にならって、南北十丁(一〇八〇

聚楽第跡 京都市上京区

豊臣秀吉が、善美をこらした三丁(三二四メートル)四方の華鹿な御殿を造営し聚楽第としましたが、今は跡形もなく通

北野天満宮 京都市上京区

菅原道真公をお祀りしてあります。「天神さん」と呼ばれ、親しまれています。道真は、字多、醍醐両天皇にお仕えして、

宝鏡寺(人形寺) 京都市上京区

人形の寺として知られる尼寺の宝鏡寺です。光格天皇こ遺愛の人形をはじめ、数百体の人形や、双六、見合わせ等を


三千院の万灯会.jpg

 

三千院の万灯会

 

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南禅寺

 

一条戻り橋 京都市上京区

堀川に架っている橋の中でも、お芝居などでも有名な一条戻り橋です。その昔、渡辺網が美しい女に化けた鬼に出あ

西陣織(会館) 京都市上京区

王朝の昔、宮中の御用を務めていました織物の司以来の伝統を受け継いできた西陣織は、応仁の大乱により、織工達が

老の坂 本能寺の変 京都市西京区

天正十年六月二日、主君織田信長から「中国の毛利攻めで苦戦をしている羽柴秀吉を助けよ」との命を受け、丹波亀岡

桂離宮 世界的にも有名 京都市西京区

「雲はみな あらしの山の 麓にて かつらのさとに 月ぞくまなき」と古歌にもよまれた桂の里の天下の名園”桂離宮”は

桂女 京都市西京区

ゆったりした小袖に、白い布でかずら巻きにした桂女が、桂名産のアメや鮎等を行商して歩いていました。桂女は行商ば

竹の寺(地蔵院) 京都市西京区

竹の寺は苔寺の南にあって、南北朝時代に管領細川頼之が、宗鏡禅師を開山として建てたもので、竹やぶに囲まれた

月読神社 京都市西京区

松尾山を右手山ぞいにすすんだところに、深い緑につつまれた、月読尊《つきよみのみこと》をまつる、月読神社が

鈴虫寺(華厳寺) 京都市西京区

このお寺は、四季を通じて鈴虫の音を耳にできるところから、別名鈴虫寺とよばれ、一般にはこの名で知られています。

苔寺(西芳寺) 京都市西京区

西芳寺というより、境内一面におおわれた苔の美しさから「苔寺」の名で知られており、臨済宗天竜寺派のお寺です。

松尾大社(旧松尾神社)京都で一番古い 京都市西京区

嵐山から右にのびた、一きわ緑こい木立の山が松尾山です。その麓に、お酒の神様松尾大社があります。大宝元年(七〇一)

法輪寺 日本三大虚空蔵 京都市西京区

大堰川の右岸、渡月橋を渡った松尾山麓にあるのが、真言宗の智福山法輪寺です。和鋼六年(七一三)、僧行基に

大悲閣(干光寺)角倉了以 京都市西京区

大悲閣は正しくは干光寺といって、慶長年間(一五九六~一六一四)、角倉了似が保津川の河川開削工事に協力した人々

京都国立博物館 京都市茶屋町

明治二十八年、東京、奈良と共に帝室博物館として建てられましたが、大正十二年に、京都府京都市に御下賜され、昭和

御地通り  地名由来 京都市中京区

左右にけやきの並木の続くこの大通りは御池通りで、二条城の南側に昔、天皇が遊ばれた庭「神泉苑」があり、大きな

本能寺 京都市中京区

本能寺の宗派は本門法華宗本山で、応永二年(一三九五年)、創建当時は五条坊門にありましたが、後各地を転々と

壬生寺 新撰組の壬生屯所 京都市中京区

正暦二年(九九一年)快賢僧都の開基といわれ、正応年間円覚上人により興隆されました。現在の本堂は、文化四年

三条大橋 京都市中京区

昔の東海道、東山道、北陸道の起点の三条大橋は、室町時代架設されましたが、天正十七年、豊臣秀吉が増田長盛

二条城 京都市中京区

慶長八年(一六〇二年)、徳川家康が築城したもので、東西五〇〇メートル、南北四〇〇メートル、御覧の通り石垣も低く

高瀬川 京都市中京区

高瀬川は、森鴎外の小説「高瀬舟」で名高い所ですが、今は見る影もない姿になってしまいました。今から四〇〇余年

六角堂(頂法寺) 池坊の発祥の地 京都市中京区

六角形の観音堂があることから六角堂とよばれますが、正しくは頂法寺という聖徳太子の創建によるお寺です。境内に

青蓮院(粟田御所)門跡寺院 京都市東山区

天台宗三門跡の一つ、青蓮院です。もと、天台宗の座主の住まいでしたので、皇室にも関係が深く由緒あるお寺です

円山公園 京都で一番大きい公園 京都市東山区

京なら祇園、祇園といえば円山、しだれ桜にダラリの帯といえば、そこにいい知れぬ、京情緒がたゞよい、古くから庶民に

八坂神社 三大祭り 京都市東山区

俗に祇園さんの名で親しせれている八坂神社です。 清和天皇の貞観十一年(九八六年)に、京都の町に悪疫が流行し

五条坂 清水焼の産地 京都市東山区

京都の代表的な産業、清水焼の産地です。清水寺付近のお土産屋さんの店先には、相当高価な工芸品的なものから、

六波羅密寺 清盛の邸跡 京都市東山区

宗派は真言宗の六波羅蜜寺です。西国三十三ケ所・第十七番札所で、千年程前京洛に疫病が流行したため、醍醐天皇

霊山観音 第二次世界大戦のとき国の犠牲 京都市東山区

東山の霊山を背景に鎮座されているもので、第二次世界大戦のとき国の犠牲となられた、全国二百万人の霊を慰さめる

三十三間堂(蓮華王院) 京都市東山区

三十三間堂は、本名を蓮華王院といいますが、本堂の棟木を区ぎる間数が、三十三あります所から、俗に三十三間堂と

後白河天皇陵 京都市東山区

この離宮内には、三十三間堂をはじめ多くのお堂が建てられましたが、寿永二年(一一八三)に木曽義仲に焼き打ちされ、

養源院 血天井 京都市東山区

四五〇余年前、秀吉公の側室淀君が、父浅井長政公の菩提を弔うために建立されたもので、今の建物は、淀君の妹、

高山彦九郎皇居望拝趾 京都市東山区

寛政の頃、高山彦九郎正元が皇居巡拝に上洛、橋上で皇居を伏し拝んだことは有名です。最初、橋の東詰南に銅像


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桂離宮の天橋立

 

方広寺  京都市東山区

豊国神社の北側に、秀吉公が建てられた京都の大仏殿方広寺址があります。奈良の大仏よりはるかに大きく、十八メ

清水焼き 行基 京都市東山区

一三〇〇年程の昔に、行基というお坊さんが釜を作つたと伝えられ、長い時代の流れの中に、名人、名工が、改良に改

清水寺 京都市東山区

仁王門:仁王様は、鎌倉時代の名仏師、運慶作です。又、この仁王門はあちらにある西門から御所が見下せますのは恐れ

八坂の塔・法観寺 京都市東山区

この塔は六〇〇余年程昔、室町時代に足利義教によって再建されました法観寺の塔で、幾星霜多くの歴史を秘め、

泉涌寺 皇室の香華院 京都市東山区

もとは空海上人が創建した法輪寺といいましたが、鎌倉時代に俊《しゅんじょう》(月輪大師)が再興して泉涌寺とあらため

豊国神社 左甚五郎 京都市東山区

秀吉公を祀る豊国神社です。鳥居の奥にある唐門は、秀吉公の造られた桃山城から移したもので、欄間の彫刻は、

建仁寺 京都市東山区

建仁二年(一二〇二年)、将軍源頼家が栄西禅師に帰依して建立した京都最初の禅寺で、創建当時盛大を極めまし

智積院 千利久作庭園 長谷川等伯 京都市東山区

秀吉公が三歳で亡くをつた子供、鶴松のために創った詳雲寺を家康公が現在のお寺に改めたものです。 桃山時代

平家物語より・建礼門院の哀話 京都市東山区

寿永四年(一一八五)三月、栄華をきわめた平氏一門は壇ノ浦において、一門ことごとく西海のもくずと消えはてしまった

東福寺 紅葉の名所 京都市東山区

喜禎二年(一二三六)、関白九条道家が、聖一国師に開山させた京都五山の一つ臨済宗東福寺です。このお寺は

妙法院 門跡寺院 京都市東山区

天台宗の門跡、妙法院です。玄関、大書院、庫裡などが国宝になっております。又、秀吉公の遺品が残されており、鎧

六波羅探題府跡 栄枯盛衰 京都市東山区

平忠盛、清盛父子の邸をはじめ、平氏一門二千二百余の邸が並び、平家に非ざれば人にあらずとまでいわれ栄華を

知恩院 七不思議 京都市東山区

浄土宗の総本山、知恩院です。約八五〇年程前、法然上人によって開かれたものです。 *山門:この山門は(一六一六年

東寺 教王護国寺 京都市南区

真言宗東寺派の大本山の東寺は、広く一般には「弘法さん」で親しまれています。毎月二十一日、境内には市がたち

浄禅寺 哀話・袈裟御前 京都市南区

平家が台頭のきざしを見せはじめた平安時代の末期、院の御所を警固する北面の武士に遠藤武者盛遠という若者が

羅城門遣跡 京都市南区

その昔、羅城門は平安京の東西を分ける朱雀大路の南のはしにあって、北の朱雀門に対して洛中第一といわれた大門

観月橋 京都市伏見区

一般に、この橋から下流を淀川とよぶようになっています。この橋は古くは桂橋といい、また伏見が城下町となってこの

巨椋池 京都市伏見区

ここは昔は島でした。そしてこの島をかこんで巨椋池という東西四キロ、南北三キロ、周囲一六キロという大きな池があった

御香宮神社 京都市伏見区

祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の三神です。豊臣秀吉が朝鮮征伐の時、戦勝祈願した所といわれます。現在の

藤森神社 三神殿 京都市伏見区

中世に三つの神社を併合したといわれ、「本殿」「東殿」 「西殿」 の三神殿があり、応神天皇、神功皇后、日本武尊

伏見稲荷大社 日本三大稲荷 京都市伏見区

お稲荷さんは全国に三万といわれる末社を持つ総本家で、商売繁盛の神として毎年正月三ヵ日の参詣人の数は、全国

深草少将と小野小町 京都市伏見区

深草は、その昔、深草の野と呼ばれ「うずら」の名所であったと言われます。平安の歌人藤原俊成が、「夕されば 野辺の

鳥羽離宮跡公園 京都市伏見区

鳥羽離宮は院政が盛んな頃、白河・鳥羽両上皇が造営した広大なもので、東西・南北各ほぼ一キロ、池の広さは南北

城南宮 昭和の名園 京都市伏見区

創建年代は明らかではありませんが、平安時代の中頃には、すでに祭礼などが人々に知られていたという古社で、

桓武天皇御陵 京都市伏見区

伏見城の西北に平安京を開かれた第五十代桓武天皇の御陵があります。永い聞この地が御陵であることがわかり

伏見桃山御陵 京都市伏見区

明治天皇の陵、伏見桃山御陵です。叉参道の所には乃木大将を記る乃木神社もあります。昭憲皇太后の陵は、その

伏見桃山城 京都市伏見区

豊臣秀吉が慶長二年(一五九七年)に完成させた伏見城とは違います。秀吉はこの城が完成してわずか一年後の

安福寺 京都市伏見区

平重衝の墓のある安福寺です。源頼政が兵を挙げると、これを宇治で破り、頼政についた南都の僧兵を憎み、東大寺

墨染寺 墨染桜 京都市伏見区

天正年間(一六世紀後半)豊臣秀吉が姉の日秀尼のために創建した寺ですが、この寺に、「墨染桜」とよばれる有名な

淀城跡 淀の女房 京都市伏見区

淀は古くは、与渡・与杼とも記され、桂川・宇治川。木津川がこのあたりで合流しており、水がょどんでいるようすから淀・澱


清水の舞台.jpg

 

清水の舞台

 

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伏見稲荷大社

 

衣笠山 名称由来 京都市北区

金閣寺西方の美しい山が衣笠山です。衣笠山といわれますのは、将軍足利義満が鹿苑寺に、後小松天皇の御幸を仰ぎ

鞍馬街道  京都市北区

鞍馬街道は京の七口の一つ、現在の北区鞍馬口町から発する鞍馬口が出発点となり、出雲路橋の位置で賀茂川を

岩谷不動・志明院 巨大な洞窟 京都市北区

鞍馬連峰の山の中にある金光峯寺志明院は、俗称岩谷不動とよばれ、不動明王が本尊です。寺伝によりますと

夕佳亭 京都市北区

金閣寺境内にある江戸初期の茶室です。正面の床柱は、樹令三〇〇年の南天の床柱です。普通茶室は四畳半ですが

金閣・舎利殿 京都市北区

御覧の通り三層ですが、第一層は寝殿造り、第二層は鎌倉時代の武家造り、三層は禅寺の形を取り入れられております

今宮神社 やすらい祭 京都三大奇祭 京都市北区

創建されたのは平安時代正暦五年(九九四)のことで、病気退散を祈るため、京都の四すみにつくられた、たたり神(疫神

一休宗純 京都市北区

室町期の禅僧・一休宗純は、応永元年生まれの京都の人です。一休は、とんちの名人として人々に親しまれていますが、

真珠庵 京都市北区

真珠庵は永享年間(室町時代初・一四二九~四〇)、大徳寺四七世一休宗純(一三九四~一四八一)によって開かれ

大徳寺 京都市北区

大徳寺は大燈国師妙超によって開かれましたが、室町時代中期の応仁の乱の兵火で焼かれてしまいました。その後、

千利久 京都市北区

千利久は侘茶の原型をつくった茶人で、千家流・茶の湯の開祖です。室町時代の大永二年(一五二二)に泉州堺の

大仙院 京都市北区

大徳寺塔頭の中でも、名刹として知られています。永正六年(一五〇九)、古岳宗亘(大聖国師・大徳寺七十六世)が

芳春院 京都市北区

加賀藩主、前田利家夫人松子(芳春院)が慶長十三年(一六〇八)、玉室宗珀を開山として創建いたしました。寛政八年

孤蓬庵 京都市北区

慶長十七年(一六一二)、小堀遠州が龍光院の中に小さな庵を建て、小堀家の菩提寺としました。その後、寛永二〇年

高桐院 京都市北区

武将で利久七哲のひとりとして知られる、細川忠興(三斎)が、慶長七年(一六〇二)父藤孝(幽斎)の菩提所として建てた

三玄院 京都市北区

天正十七年(一五八九)、石田三成、浅野幸長、森忠政(森蘭丸の弟)が創建いたしました。開山は大徳寺三世・春屋宗

興臨院 京都市北区

興臨院は天文二年(一五三三)、畠山義綱が大徳寺八十六世・小渓紹(仏智大通禅師)を開祖にむかえて創建した、畠山家

瑞峯院 京都市北区

龍源院から勅使門の前を通り、左に入ったところにあるのが瑞峯院です。室町時代の大名・大友宗麟が天文四年

龍源院 京都市北区

勅使門の前にあるのが、大徳寺南派の本庵・龍源院です。室町時代の永正年間(一五〇四~二一)に、東渓谷宗牧(

黄梅院 京都市北区

黄梅院は小早川隆景(毛利元就の三男)が、天正年間(安土桃山時代・一五七三~九二) に創建しました。開山は春林

船岡山 京都市北区

遠くから眺めると、船をひっくり返したように見えることが、その名の由来になった標高一一二メートルの船岡山です。

岩戸落葉神社 京都市北区

小野郷の産土神、岩戸落葉神社です。 岩戸社と落葉社の二社からなっており、現在は水神ミズハノメの神とセオリツヒメ

酸茎 京都市北区

上賀茂一帯の農家で作られる京野菜に「酸茎」があります。これはもともと社家の邸内で栽培されていたもので、江戸後期

愛染倉 京都市北区

大田神社の東隣にあるのが、約三百年前の奈長の民家の酒蔵を移築、復元した愛染倉です。愛染倉を中心に、飛騨の

深泥池(御菩薩池とも書く) 京都市北区

宝ケ池の西にある深泥池は、池の底に泥が三メートルも堆積していることからその名がついたといわれ、昭和二年この池

社家の町なみ 京都市北区

上賀茂神社の南側に明神川が流れています。この川ぞいに土塀と石垣でかこまれた家が、三十軒ほど余り続いていますが

上賀茂神社(世界文化遺産) 京都市北区

上賀茂神社は、正しくは賀茂(かも)別(わけ)雷(いかずち)神社といいます。社伝によりますと、天武天皇六年(六七七)に

神光院 京都三弘法 京都市北区

西賀茂の厄除大師で知られた神光院の本尊の弘法大師像は、大師四十二歳の時の自作の像といわれるもので、東寺、

正伝寺 小堀遠州の作 京都市北区

臨済宗南禅寺派の正伝寺は、源光庵の北約一キロメートルの船山(三〇〇m)の中腹にあり、上賀茂神社の神領地だった

光悦寺 高村光雲 京都市北区

光悦寺は江戸初期、本阿弥光悦の一族をはじめ、豪商・芸術家・工芸職人とともに移り住んで、光悦村という芸術村を

本阿弥光悦 京都市北区

本阿弥光悦:永禄元年(一五五八)に京都に生まれ、寛永十四年(一六三七)に亡くなっています。本阿弥光二の長男で、

 

 

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光悦寺

 

常照寺 島原の花魁吉野太夫  京都市北区

寂光山常照寺といい、日蓮宗の寺です。元和二年(一六一六)、本阿弥光悦が寄進した土地に、日乾上人によって開創さ

源光庵 桃山の血天井 京都市北区

源光魔の本堂には、禅の心を表わす円窓「悟りの窓」と、人の生涯における苦しみを表わした四角い窓「迷いの窓」があり

平野神社 夜桜 京都市北区

今木の神、久度の神、古開《ふるあき》神、比咩《ひめ》神の四柱をお祀りしております。 現在の社殿は、寛永年間のも

等持院 尊氏以下十四代の木像 京都市北区

もとは真言宗のお寺でしたが、足利尊氏が夢窓国師をまねいて立派なお堂を建て、禅宗に改め足利家の菩提所にした

 

城陽市 西陣織 城陽市

城陽市はかくれた特産品があります。それは西陣織に使われる金糸、銀糸の生産で、西陣の織物業者が使用する金糸

日本武尊と白鳥伝説 城陽市

古代には貴人が亡くなると、大きな白鳥となって思い出の地をとび回るという信仰がありました。日本武尊は大和朝廷

大蓮寺 甘藷の栽培の先覚者 城陽市

このお寺の境内には、島利平の記念墓碑があります。島利平は甘藷の栽培の先覚者で、その墓はさつまいもを形どった

笠置寺 良弁が秘宝を修めた 相楽郡笠置町

かつて大友皇子が山に狩をした時、断がいにのぞんで馬がにわかに立ちさわいだので、皇子は山神の加護を念じて

有王山・後醍醐天皇の都落 綴喜郡井手町

後醍醐天皇の都落で知られる有王山です。北条氏の追手をのがれるため、都を出て奈良東大寺、次いで備前の金胎寺

井出町 小野小町の伝説 綴喜郡井手町

城陽市と同じく、古くから開かれたところで、奈良朝聖武天皇の時代に、左大臣にまで昇進した橘諸兄は、この地に壮大な

美山のかやぶきの里 南丹市美山町

美山町は俗に「京都府の屋根」とよばれる山地で、町内を流れる由良川流域には、豊かな自然景観に恵まれた大野峡谷

石清水八幡宮 三大勅祭 八幡市八幡

男山の中腹に石清水八幡宮があります。山中から湧き出る清水を神として祀っています。貞観二年(八六○)奈良大安寺

松花堂昭乗の旧宅 寛永の三筆 八幡市八幡

松花堂昭乗は江戸初期の僧。書画家ですが、特に寛永の三筆の一人に数えられ、近衛信尹・本阿弥光悦とともに名筆家

円福寺 禅の道場 八幡市八幡

平安時代の創建といわれる古刹です。俗に達磨寺の名で知られる禅の道場で、境内の達磨堂に安置されている達磨大師

松尾寺 細川藤孝 舞鶴市松尾

寺伝によりますと、飛鳥時代末期の慶藍三年間(七○四~七○七年)に当時の中国・唐の国から渡来した威光という僧が

当尾の里と石仏群 木津川市

木津川市加茂町や道ばたの石仏が多く、「塔婆の並んでいる尾根」ということから「塔尾」とよぶようになったそうです。 

岩船寺 あじさい 木津川市

あじさいの花で名高いこの寺も、浄瑠璃寺と同じく聖武天皇の勅願で、行基菩薩が天平元年(七二九年)に創建したと

浄瑠璃寺 木津川市

お寺は土地の人は普通「九体寺(くたいじ)」とよんでいますが、その理由は、国宝の九体の木造阿弥陀如来坐像が

高麗寺跡 木津川市

国の史跡「高麗(こま)寺跡です。高麗(こうらい)と書いて、「コマ」と読みますのは、日本の各地にありますが、朝鮮半島では

和伎神社 木津川市

祭神は「天之夫(あまのふ)支売神(きめのみこと)」と申し、「夫支(ふき)」は風、雨がふくという意味で、雨をもたらす農耕

蟹満寺 木津川市

現在真言宗智山派に属していますが、創建は聖徳太子に仕えた帰化人秦河勝の弟の和賀という人と伝えられ、本尊の

首洗いの井戸と不成柿 木津川市

ならずの柿といって昔から国内で戦いがある年にだけしか実がならないし」いう、珍らしい柿があります。その下に、平重衝

安福寺 木津川市

平重衡の供養塔といわれる十三重石塔のある安福寺です。平重衡は、清盛の四男で、源平の戦いの始った治承四年


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東寺