刈田嶺神社 刈田郡蔵王町
刈田嶺神社は白鳥大明神とも呼ばれ、一八○○年ほど前に建立されたお社で、日本武尊が祀られます。眼下に白石川と松川の合流点を望み
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乙女ゆりバイオセンター 刈田郡七ヶ宿町
内川橋の手前を右に行きますと七ヶ宿の町の花、乙女ゆりのバイオセンターがあります。乙女ゆりはうす紅色の可隣な花で、この南東北
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蔵王権現 刈田郡七ヶ宿町
蔵王権現は、役(えん)の行者で知られる山岳信仰の霊地、奈良県の金峰山が本尊になっています。全国各地に蔵王信仰が広まり、今から
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七ケ宿町 刈田郡
白石市の西にあたる七ヶ宿町は、山形と福島の両県と境を接し、酪農と水源の町として知られ、豊かな自然が今でも残されている美しい町です。
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七ケ宿街道 刈田郡七ヶ宿町
現在の福島県桑折町から山形県の上山市へ通じる街道ぞいに、上戸沢・下戸沢(現白石市)渡瀬・関・滑津・峠田・湯原(現七ヶ宿町)の
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硯石の伝説 刈田郡七ヶ宿町
長老湖のさらに先、白石市との境に硯石というところがあります。ちょうど不忘山の南の麓に横たわる、長さ約四メートル、幅約二メートルの
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二井宿峠 刈田郡七ヶ宿町
その昔、藩政時代のこの道は、湯原の宿駅をぬけると、ひときわ険しい峠道となりました。それでもこの峠をたくさんの人と物資が越えて
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七ケ宿ダム(七ケ宿湖) 七ヶ宿町
宮城県で一番大きなダム、七ヶ宿ダムです。七ヶ宿ダムの一日の貯水量は、東京ドーム九○杯分にあたり、高さは地上十八階建てのビル
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稲子 刈田郡七ヶ宿町
昔は仙台藩の番所が置かれていたところです。また、途中にある稲子峠周辺には木地師の集落がありましたが、今から約二七○年前に
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長老湖 刈田郡七ヶ宿町
関の町に入る手前、白石川の支流の横川が流れています。横川にそって登ってゆきますと、横川地区に出ます。そこは昔、木地師
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関 刈田郡七ヶ宿町
七ヶ宿街道の関宿は、全盛期には一夜に二○○人もの人を泊めたという、関本陣があったところで、本陣跡には庭園の一部
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湯原 刈田郡七ヶ宿町
二井宿峠へと向かう最後の宿場だった湯原です。町内には、伊達政宗の開基という曹洞宗の鹿園山東光寺があります。もと米沢に
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安藤家本陣 刈田郡七ケ宿町
滑津宿は参勤交代のとき、大名が宿泊したという切妻破風造、茅葺という重厚な造りの安藤家本陣があります。七ヶ宿街道の中で、
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滑津大滝 刈田郡七ケ宿町
白石川の流れに滑津大滝があります。高さ約一○メートル、幅約三○メートルで川幅いつぱいを豪快に流れ落ちてゆきます。別名二段
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振袖地蔵 刈田郡七ケ宿町
昔、参勤交代で江戸に向かう秋田の殿様が、美しい可隣な娘を滑津あたりで見初めました。後で娘をさがしたところ、娘はすでに亡く
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親子松 刈田郡七ケ宿町
白石川にそって旧山中七ヶ宿街道があります。仲良くならんだ二本の松がありますが、江戸時代に伊勢神宮より賜わったものといわれ、
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薬莱山 加美郡加美町
摺鉢のような形の山、加美富士の名で親しまれる薬来山(標高五五三)です。薬来山の名の起りは、天平七年(七三五)に疫病が流行した
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千葉周作の出身地 栗原郡長岡村
荒谷は、奥道中唄に「寒いとてた かれぬものは 三本木 雪の古川 荒谷(あらや)つめたや」と唄われている所です。叉、幕末の三剣人
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伊豆沼 栗原市
伊豆沼(国の天然記念物)は、秋のお彼岸近くになりますと、白烏、雁、鴨などが渡来します。なかには、カナダ産の雪のように白いハクガン
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金成町 栗原市金成
金成町は、古くから「金生む里」と呼ばれ、藤原時代、むつの産物を京都に、京都の文化を東北に取り入れる事に協力した、三条吉次信高の
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赤児 栗原市金成
藤原秀衡は、歌や踊りを大変好み、いつも数十人の少年を舞い踊らせて楽しんでおりました。その中に、「春風(しゅんぷう)」という賢い
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姉歯の松 栗原市金成
姉歯に、高さ十メートル、三かかえもある姿の良い松がありますが、その松には悲しい物語があります。昔、岩手県の高田に美人姉妹が
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姉歯横穴古墳 栗原市金成
奈良朝時代につくられた、地方豪族のお墓といわれています。昭和二十三年、台風によって、堤防が決壊した時に発見されたもので
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高清水町 栗原市
高清水町は、大崎氏が城を築いた所で、後に伊達家の家臣、石母田氏が治めた城下町で、陸羽街道の宿場町として栄えた所です
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杉薬師・双林寺 栗原市築館
一般に杉薬師の呼び名で親しまれております双林寺には、国宝の薬師如来が祀られています。この薬師如来像は、弘仁貞観時代
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観音寺 黒川郡大郷町
平安朝のはじめ、延暦寺の慈覚大師によって開山されたと伝えられ、ここの不滅の法灯は、山形の立石寺と平泉の中尊寺とともに
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一本杉 黒川郡大和町
大和町吉岡には、一里塚の名残りである大きな杉の木があります。慶長九年の頃(一六○四)徳川家康が、江戸日本橋を中心に、
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田植踊り 黒川郡富谷町
富谷町は、仙台から約二○キロの所にある、山間の町で、かっては陸羽街道の宿駅としてにぎわいました。富谷、関の川に伝承される
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大倉山 黒川郡大和町
標高四三二メートル、秋保盆地を目の下に、西に蔵王、船形、奥羽山脈の山たが連なり、東には太平洋が望まれます。山頂には
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大和町 黒川郡
かっては奥州街道の宿場としてにぎわいをみせていたところで、元和二年(一六一六)伊達政宗の第三子、河内守宗清が、吉岡に城を
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七ツ森 黒川郡大和町
泉ヶ岳の山裾にくっきり浮んでいる、大小七つの森は、七ツ森といわれる山です。「山の名を問えば 日脚(ひあし)も七ツ森 宿とらばやと
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政宗の短気 黒川郡大和町
七ツの山で、一番高いのが笹倉岳で、高さ、五百メートル、頂上には洞があり、薬師如来が祀られております。この薬師様が、政宗の
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吉岡八幡神社 黒川郡大和町
元和年間(一六一五〜一一四)の頃、政宗の第三子、宗清によって造営された神社で、木造かや葺きで本殿と拝殿が一つの屋根で
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大島 気仙沼
三陸海岸で一番大きな島です。周囲約二十二キロ、島民のほとんどが漁業に従事しています。島は黒潮に洗われているため、冬でも
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涙の松由来碑 気仙沼大島
大島の北部にある標高二百三十五メートルの山で、ここからの眺めは、はるか南の金華山にいたるまでの、壮麗なリアス式海岸や、
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気仙沼市
気仙沼の呼び名は、アイヌ語の「ケセモイ」から来ており、その意味は「最終の港」。アイヌの勢力圏の、最南端の港ということです。平泉の
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秀の山・横綱生家 気仙沼市
秀の山は、江戸末期の名力士で、身長は一メートル六十三センチの小兵でしたが、抜群の運動神経に恵まれ、弘化三年(一八四六)
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亀山 気仙沼市
大島の北部にある標高二三五メートルの山で、ここからの眺めは、はるか南の金華山に至るまでの、壮麗なリアス式海岸や、東に突き出ている唐桑半島
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五十鈴神社 気仙沼市魚町
今から六百年以上前の創建と伝えられる八雲神社、五十鈴神社があり、この両社があるため、神明崎と呼ばれているそうです。両社の
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神明崎公園 気仙沼市魚町
風光の美しさで知られる公園となっています。岬には八雲神社、五十鈴神社があり、この両社があるため、神明崎とよばれているそうです。
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鹿折金山跡 気仙沼市上東側根
この金山は平泉藤原氏の頃から、採掘されていたといわれていますが、本格的になったのは明治三十年以降で、純金の含有量が高いので
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巨釜 気仙沼市唐桑町
巨釜(おがま)とは、唐桑半島にある大理石海岸で長さ約一キロ、幅三○○メートルにわたって広田湾に突き出ている一帯をいいます。
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御崎 気仙沼市唐桑町
御崎は、唐桑(からくわ)半島最南端の岬です。黒色粘板岩の断崖がつづき、怒涛逆巻く男性的な景観で知られています。断崖ぞい
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唐桑半島 気仙沼市唐桑町
唐桑半島は、気仙沼湾に浮かぶ大島を抱きかかえるように、太平洋につきでている半島です。南側の海岸はのどかな渚ですが、北側の海で
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唐桑町 気仙沼市
唐桑町は、この唐桑半島全体を範囲とする町で、町の中心は、半島の東側の中央にある、宿(しゅく)というところです。唐桑の名称の由
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児置島 気仙沼市唐桑町
半島から約三十メートルほど離れた海上に浮かぶ、周囲百五十メートルあまりの島です。むかし、海藻とりの漁師が、子供を島に置いて夢中で
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半造 気仙沼市唐桑町
半造は、巨釜から南へ歩いて十分くらいのところにあり、釜が半分だけ元成したような形の浜なので、こうした名前がつけられています。
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大理石海岸 気仙沼市唐桑町
広田湾に面した波静かな入江に、自然が長年かかって削り、磨いた白い大理石の島々が点々としています。大理石は石灰岩が、
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早馬山 気仙沼市唐桑町
早馬山は、気仙沼三大展望のひとつです。唐桑町の中心部にあり、頂上からの眺望はすばらしく、眼下に大島、遠くに岩井崎、歌津半島
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陽沼・陰沼 気仙沼市唐桑町
日高見神社の南東に、潮流が渦をまいている・ところがあります。陽沼はヒノトと呼ばれる、周囲を絶壁にかこまれた小さな湾で、そこに海水
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八般曳 気仙沼市唐桑町
八般曳は、幅三十メートル、長さ約百メートルの海蝕棚で、怒涛に洗われた黒色粘板岩のつづいている海岸になっているところをいいます。
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御崎神社 気仙沼市唐桑町
御崎神社は、日高見(ひだかみ)神社ともよばれ、ヤマトタケルノミコト、スサノオノミコト、ワタツミノカミの三柱を祀り、航海安全
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早馬神社 気仙沼市唐桑町
早馬山(高さ二二○メートル)の頂上に早馬神社があります。頂上からの眺めは素晴しく、眼の下に気仙沼湾の大島が浮び、周囲は
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二本杉 気仙沼市唐桑町
天をつく杉は「上二本杉」「下二本杉」とよばれ、県の天然記念物に指定されています。今から八百年以上前に、早馬神社の参道に植えら
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岩井崎・潮吹岩 気仙沼市波路上岩井崎
潮吹岩で有名な、岩井崎です。岩井崎は、気仙沼湾の南端に当り、陸中海岸国立公園の南端でもあります。昔、この岩井崎沖は、
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片浜 気仙沼市松崎
片浜から左手遠くにそそり立つ山なみは、北上山地の一部で、四、五百メートルから千メートル級の山が、南北に連なっており、一番高いの
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煙雲館 気仙沼市松崎片浜
片浜部落のうしろの高台に、仙台藩の重臣でこの地方を領した鮎貝家の館跡で、いま、庭園が保存されている煙雲館があります。鮎貝家
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落合直文生家 気仙沼市松崎片浜
孝女白菊の物語りや、楠正成の桜井の駅の別れの歌などで有名な、国文学者落合直文は、鮎貝家十二代盛房の次男として幕末に生れ
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大谷鉱山 気仙沼市本吉町
本吉町の中心地は津谷です。津谷は陸前東浜街道(国道四五号線)と、西郡街道(国道三四六号線)の接するところで、昔から宿場町として
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田束山 気仙沼市本吉町
この山は千百年以上も前、承和年間(八三四〜四八)に開かれ、のち安元年間(一一七五〜七七)藤原秀衡が崇敬して、山中に
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本吉町 気仙沼市
むかしから宿場町として栄えました。金の産地としても有名で、昭和初期まで採掘が行われていました。仙台藩はさらに、ここから西
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大谷金山跡 気仙沼市本吉町
この地方の代表的金山で、歴史は古く、平安朝時代から採掘され、その頃の、一般的な採掘法であったという「水流掘」の跡もあり、
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佐藤継信、忠信兄弟の墓 本吉町
源義経が平泉で成長し、兄頼朝とともに平家追討に出陣したとき、藤原秀衡は佐藤継信、忠信を義経の家来としてつけてくれました。兄弟の
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岩崎山 蔵王町
別名、篭山とも呼ばれる岩崎山は、金山に一○八個の埋掘りをした跡の坑道があり、篭の目のように見えるところから篭山の名があります
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峰仙寺 気仙沼市本吉町
南北朝の動乱期、文和三年(一三五四)、石巻の葛西氏の重臣で、米倉持村という人が創建しました。古い仏画や仏像が多いことで有名
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後見坂 蔵王町遠刈田
賽の磧(かわら)を右下に見ながら登る坂を後見坂といいます。昔は大変急な坂道で登山者の難所として知られ、頂上を間近にした
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賽の磧 蔵王町遠刈田
賽の磧とは、刈田岳の東の裾、標高一三○○メートルの台地をいいます。度重なる噴火の際、溶岩があふれ出し冷え固まったところで、
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蔵王寺 蔵王町遠刈田
白鳳時代(六七一一〜六八六)の修験道の盛んな頃、役行者によって開かれたと伝えられ、明治に神仏分離令によって廃寺と
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塩竈市
東北の海の玄関といわれる塩竈市は、三陸漁場の根拠地で、松島湾遊覧と沿岸遊覧の発着港でもあります。松島湾内、千賀の浦に臨んだ
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塩釜甚句 塩竈市
東北は民謡の宝庫といわれます。どこの土地に参りましても、その地方の生活の中から生まれた唄があります。この仙台は、伊達家
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塩竈神社 塩竈市一森山
塩竃神社は、陸奥の国の一宮で、正一位塩壷大明神の名で全国に知られています。この神社は左宮にタケミカズチノミコト、右宮にフツヌシノミ
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御神馬舎 塩竈市一森山
御神馬舎は、塩釜神社の祭礼の時などに、一役かっている、神様のお乗りになる馬が飼われている所です。大きい敷石が、敷きつめら
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塩釜神社の御祭礼 塩竈市一森山
塩釜神社の御祭礼は、春、三月のの帆手祭に始まり、四月二五日の花祭り、七月十日の港まつりとそれぞれ、賑やかに行われますが
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志波彦神社 塩竈市一森山
志波彦神社は、志波彦命(農業の神様)を祀ってあります。もとの仙台の北の方、岩切という所にあったのを、明治七年に塩釜神社の別宮
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文治神燈 塩竈市一森山
今から約、七九○年以上前の文治三年七月十日に、藤原秀衡の三男、和泉三郎忠衡の寄進によるもので、高さ二米の灯篭です。鋳物の灯篭
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青根温泉 柴田郡川崎町
青根温泉は花房山の中腹、標高六○○メートルの高原にある古い温泉で、代々、伊達家が利用したところです。湯元不忘閣には
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逆銀杏 柴田郡川崎町
「昭和五十一年三月」宮城県の天然記念物に指定されました。およそ九二○年前の康平五年(一○六二)前九年の役に八幡太郎義家は
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釜房ダム 柴田郡川崎町
名取川支流の碁石川、前川、北川を堰止めてつくられた多目的ダムで、八七億二○○○万円を投じて、昭和四十五年三月に完成しました。
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袈裟懸地蔵 柴田郡川崎町
曹洞宗の陽広山龍雲寺です。元和四年(一六一八)覚永(かくえい)和尚が開いた寺で天明年間(一七八一〜)に火災にあい、さびれていまし
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碁石 柴田郡川崎町
伊達政宗が、遠刈田温泉の近く、岩崎山から仙台まで金を運ぶための道路を作りました。その時、ここから碁石に適した石が発見され、
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