旅先の歴史ものがたり・奈良 大和路

奈良には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。

 

「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」

 

「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」

 

「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」

 

「町や村、施設の命名縁起」「奈良ではの特産物」

 

「国指定の国宝・重要文化財」など。

 

旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした奈良を代表する人間物語

 

を訪ねてみたいものです。

 

旅のその先に……新しい発見が。

 

それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

奈良大仏.jpg

 

奈良大仏

 

マッチングサイトをオープン(仮)しました。
仮とはいえ本格的に稼働しています。
 
経営者・個人事業主やシニア起業者の投稿をお待ちしております。
(いずれも姉妹サイトです)
 
 

竹内街道  

二上山をはさんで、難波から飛鳥の都に至る二つの古道がありました。一つは大阪道といい、二上山の北側の穴虫峠越えの道

室生寺・女人高野 宇陀市

真言の霊地高野山は、奥の院が女人禁制でしたが、この室生寺は全山女人のために解放したので、この名があり、しかも境内の堂

大野寺・磨崖仏  最大、最高の傑作 宇陀市

普通「大野の石仏」とよばれるこの大磨崖仏は、宇陀川に面している断崖に、線で刻まれた弥勒菩薩です。その規模は、岩壁にく

橿原市 

橿原市は北に耳成、西に畝傍、東に天の香具の、いわゆる大和三山をかかえ、南北に国道二四号線、一六九号線、東西に一六

大和三山 橿原市

畝傍山(一九九・一メートル):ふもとには神武天皇のご陵と橿原神宮があります。耳成山(一三九・七メートル)天香久山(一四七

久米寺 橿原市

久米寺は聖徳太子の弟、久米皇子が、時の帝、推古天皇の眼の病が平癒したのを記念して、建てられたものといい伝えられていま

橿原神宮  橿原市

橿原神宮は、神武天皇がお祀りされています。神宮のある一帯は、元神武天皇の畝傍、橿原の宮のあった所で、明治二十二年

丸山古墳 日本最大の横穴式石室 橿原市

この古項は、墳丘の長さ三一〇メートルの、前方後円墳 (前の部分が四角形で後の部分が円形の日本独特のお墓) で、その後

今西家住宅  重要文化財 橿原市

今井町は、大和の町人の自治の街として、大阪の堺と並ぶ独特の歴史を持っています。この今井町は戦国時代、本願寺が大阪に進出し

梅川忠兵衛の供養碑(善福寺) 橿原市

橿原市の北端に、新口という所があります。ここが近松門左ヱ門の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」で有名な大阪の飛脚屋亀屋の手

橿原神宮公苑 橿原市

神武天皇は大和を平定ののち、この地において御即位の式をあげたと伝えられており、その跡に、神宮が建設されましたが、日本

神武天皇陵 橿原市

神武天皇陵は東西約五〇〇メートル、南北約四〇〇メートルに亘る神域で、参道の両側は常緑の大樹がしげり、まことに厳そ

谷三山  頼山陽も三山を尊敬 橿原市

橿原市の中心八木町に、江戸幕末に生れた学者で、この土地の人は、普通に三山と呼べばこの人をいい、山の方の三山は

二上山 葛城市

山の頂きが二つに分れているところから二子山(ふたごやま)ともいわれます。右側(北)を雄岳、左側(南)を雌岳といい、全

長尾神社  拝殿は能舞台の原型 葛城市

本殿は、江戸時代の延享四年(一七四七年)に春日大社の第一殿(立磐神社は第四殿)を移したもので、これも国の重要文化財

当麻寺  中将姫 葛城市

用明天皇の皇子麻呂子王が、兄の聖徳太子の教室えを受け、河内国交野の山田郷(二上山の西麓)に仏寺を建て、万法蔵院と

修験道と吉野 吉野郡

修験道というのは、今から約千三百年前、天武天皇の頃に葛城の神官の出である役(えん)の小角(おずの)が、金峰山(今の吉野山

護良親王の吉野合戦 吉野郡

元弘元年 (一三三一年)時の後醍醐天皇は、北条幕府を倒して天皇親政を実現しようと、笠置に兵を挙げられたが失敗し帝は隠岐に

吉野と桜 吉野郡

吉野の桜は、金峰神社周辺まで順次、中の千本、上の千本、奥の千本と名付けられて、時期的に少しずつズレて、満開となり

津風呂湖 吉野郡

吉野川の支流であった津風呂川をせきとめて出来た人造湖であるこの津風呂湖は、吉野川の水を、大和平野へ取り入れると

勝手神社 吉野郡

謡曲「二人静」の舞台となっている神社です。正月七日に、勝手神社に供える若葉を摘むため、 吉野川の上流の、菜摘川へ出掛

西行庵 吉野郡

金峰神社の前を、深い谷に向って下ると、昔、西行法師が結び住んだという、西行庵があります。今は訪ねる人もなく、半ば

竜門寺跡 吉野郡

竜門寺は白鳳時代、名僧義渕僧正建立になるものといわれますが、いまはその大門跡に、鎌倉時代のものと思われる、下乗石

源義経と吉野 吉野郡

浄瑠璃「義経千本桜」や、謡曲「二人静」などで知られる通り、この吉野と義経と、愛妾静御前やその従者達の話は、南朝悲話

後醍醐天皇と吉野朝皇居跡 吉野郡

「花にねて よしや吉野の 吉水の 枕の下に 石(いわ)はしる音」と詠ぜられた後醍醐天皇は、その後暫くして、吉水院の

如意輪寺 楠正行辞世の歌 吉野郡

楠正行が河内の四条畷の戦場に、死を決して向う前に、正平二年(一三四七)十二月、一族郎党一四三人をひきつれ、吉野皇居

金峰神社  修行道の聖地だった 吉野郡

祭神は金山彦命で、金鉱の山を掌る神とされています。この神が、金剛蔵王権現を信ずる修験道と表裏一本となって、奈良朝時

吉野水分神社 豊臣秀頼や本居宣長 吉野郡

水分(みくまり)という言葉は、水を分配する、という意味で、農地への水を配ることをつかさどる、水分神は大変大切にされ

竹林院 庭園は千利久 吉野郡

竹林院は、弘仁九年(八一八年)、弘法大師が大峰登山の際、ここに精舎を営んだとされ、当初は椿山寺と号しました。特に庭園

金峰山寺 修験道の本山 吉野郡

修験道の本山として、蔵王権現三尊を本尊とし、山上の、大蜂の山の道場に対する、山下(さんげ)の堂坊の中心です。「黒門」は

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吉野の桜

 

吉野神宮 葛城の連山の景観 吉野郡

祭神は後醍醐天皇で、明治二十二年、明治天皇の創祀になります。終戦まで官弊大社で、神官名を受けておりました。今の社殿

吉水神社 義経潜居の間 吉野郡

もとは吉水(きっすい)院といi、金峰山寺の塔頭の一坊でしたが、明治維新の神仏分離で、神社に転身し、後醍醐天皇と楠木

宮滝遺跡・吉野離宮の跡 見事な景観 吉野郡

斉明天皇が造営され、天武、持統両帝も愛されたという、吉野離宮の跡です。天武天皇が、未だ天智天皇の皇太子として

国栖 純日本式の紙すきの里 吉野郡

普通「吉野紙」といわれる、純日本式の紙すきの里で、吉野川でさらした「こうぞ」を原料としています。 この国栖はまた応神天皇

丹生川上神社 奇瑞伝説 吉野郡

丹生川のほとりに、閑寂なたたずまいをみせる神社が、丹生川上神社です。 神武伝説では、神武天皇が、いよいよ大和の

転法輪寺 弘法大師を高野山にみちびいた犬 五條市

弘法大師を高野山にみちびいた黒白二匹の犬が祀られています。かつて、大師が唐の国を出発して日本に帰られる時、自分の教え

栄山寺 小野道風の銘文ある鐘  五條市

役小角が創建の古刹で、養老三年(一二五○年以上前)藤原武智麻呂がお堂を建て、薬師如来をお祀りいたしました。武智麻呂

葛城山 奈良盆地を見下す景観 御所市

二上山の左にそびえる山が葛城山で、高さ九六○メートル、大阪府と奈良県の県境を南北にのびています。金剛生駒国定公園

金剛山 南北朝時代の楠氏の史跡 御所市

葛城山の左の方にありますのが標高一一二五メートルの金剛山です。山頂は奈良県に属していますが、山頂や付近一帯は

高取城祉と五百羅漢 高市郡

五百羅漢や石仏のあるところは、壷阪寺の奥の院といゝ、山肌の露頭した岩石に刻まれた壮大な群像は何れも素朴で、あどけない

壺阪寺  東大寺の大仏より三メートルほど高い  高市郡

浄瑠璃「壷阪霊験記」のお里、沢市で有名なこのお寺は、正式には南法華寺といい、西国三十三カ所の、六番の札所です。創

飛鳥王朝と推古天皇 日本上代史上大変重要な事柄 高市郡

二十九代欽明天皇の皇女で、母違いの兄君、敏速天皇の皇后となられましたが御兄弟の用明、崇峻両天皇が次々になくなられた

板蓋宮跡 蘇我入鹿の殺誅 高市郡

板蓋宮は、三十五代皇極女帝が皇居と定められたところで、この宮殿で大化の改新の序曲である蘇我入鹿の、殺誅が行われました。皇

大化の改新 高市郡

孝徳天皇は、御病身でもありましたので、皇太子中大兄皇子は、内臣中臣鎌子を片腕として政治を取りしきられましたが、のちの

大化の改新へ クーデター 高市郡

板蓋宮の大極殿で、皇極四年六月八日、三韓の国の使節の上奏文奉呈の式が行われました。この日を期して、蘇我氏打倒の

岡寺 行基、良弁 高市郡

岡寺は天武天皇の第一皇子、草壁皇子の宮殿跡で、皇子の学問の友であった僧義渕が、皇子の死後(岡宮天皇の名を贈られた)この

橘寺 聖徳太子 高市郡

橘寺は、聖徳太子建立の寺とされております。太子は、三十一代用明天皇の皇子として、この橘宮で生れました。宮の厩の下

川原寺跡  斎明天皇の皇居あと 高市郡

川原寺跡は、いま真言宗弘福寺がその一部に建っておりますが、往年の川原寺は、この弘福寺門前にある、白大理石のみごと

飛鳥大仏 日本最古の仏像 高市郡

飛鳥寺(安居院)の本尊です。飛鳥大仏といわれて、親しまれている本尊丈六の釈迦如来銅像は、日本最古の仏像であるばかりでなく

飛鳥寺(安居院) 高市郡

小さなお堂と、ささやかな境内が、何でこれが世にも有名なお寺であるのか、とお思いになるかもしれません。事実、土地の人に

高松塚古墳  極彩色の壁画 高市郡

昭和四十七年三月に、文武天皇陵の北、すぐそばにある高松塚古墳を発掘調査していた奈良県立橿原考古学研究所の人達が

石舞台  蘇我馬子の邸 高市郡

この辺を島の庄、または単に島と呼びます。昔は、小高い丘のことも島と呼んでいたようで、崇峻、推古二代の実力者、蘇我馬子の

蘇我馬子 高市郡

蘇我馬子は、この土地に住み着いた帰化人達をたくみに利用し、特に仏教を積極的に取り入れて宿敵、物部氏の守屋を滅ぼし

飛鳥坐神社・奇祭おんだ祭  高市郡

飛鳥坐神社は毎年二月の第一日曜日に、〝おんだ祭〟という奇祭をすることによって有名な神社です。この日は東京や大阪か

天武・持統天皇陵(野口王墓)高市郡

この御陵は桧隈大内陵といい、三十九代天武、四十代持統両天皇をお祀りしてあります。(持統女帝は日本で最初に火葬にされた

桜井市とその周辺の地史 

桜井市は昭和31年に市制を施工し、その後も近隣と合併しましたので、有名な史跡や社寺が多くあります。三輪明神の大神《お

安倍寺跡と安倍文殊院 桜井市

安倍寺は、先の山田寺の石川麻呂と同じく、大化の改新の功により、左大臣に任じられた安倍倉梯麻呂が、やはり氏寺として建て

聖林寺 観音像(国宝)の中の傑作  桜井市

このお寺は、藤原鎌足の子定恵が、僧侶として唐に行き勉強し、帰国したときは、すでに父が死んでいたため、その菩提を

穴師兵主神社 相撲発祥の地 桜井市

景行天皇陵の東南に穴師兵主神社があります。兵主というのは、中国の山東省で、古代の神の一つとされた、兵主神のことだと

雄略天皇の皇居、朝倉の宮跡 桜井市

雄略天皇は、別名を大泊瀬若武尊《おおはつせわかたけのみこと》といい、すでにこのころから泊瀬という地名があったことを

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吉野神宮

 

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岡寺 

 

三輪山の伝説 桜井市

昔、三輪山のほとりに活玉依姫(かつたまよりひめ)という美しい女性が住んでおりました。この姫のもとに、夜毎に通う男がい

大神神社 日本で一番古い神社 桜井市

四八峰からなり、西南のふもとには崇神天皇、磯城瑞がきの宮の跡があります。又、山のふもとにある大神神社は、日本で一

桧原神社 景観は大変素晴し 桜井市

崇神天皇が、皇女豊鍬入姫《とよすきいりひめ》命《のみこと》を斎宮として、天照大神を皇居から移してお祀りしたといわれる、

山田寺跡 桜井市

大化の改新に際し、中大兄皇子や藤原鎌足に力を貸して、蘇我入鹿を誅伐した一人で、のち右大臣となった、蘇我倉山田石川麻呂

長谷寺 桜井市

長谷寺の入口、仁王門から登廊《のぼりろう》が三つ折れになって本堂に向かって上っていきます。平安の昔、清少納言がこ

長谷寺のぼたん 桜井市

長谷寺を有名にしたのは、もちろん観音信仰ですが、「ぼたんのお寺」として5月の満開時に見物に訪れる観光客によって全国

談山神社 桜井市

千年以上に亘って天皇家に次ぐ名家として栄えた藤原家の先祖、藤原鎌足の祭神とする社で、多武峯の一つ、御破裂山の

つば市の歌垣 額田女王三角関係 桜井市

古代の日本では、人の沢山集るところで、歌を交換することが男女交際のキッカケとなったようです。これを歌垣といいます

山の辺の道 日本最古の現存する道 桜井市

 「上つ道」よりさらに東、三輪、巻向《まきむく》、竜王などの山すそに馬がやっとすれ違い出来る程度の細い道があります。今で

三輪素緬  桜井市

冬になると、この辺の家々の庭には、真白くて細い素麺を干している風景がみられます。素麺は、小麦粉を油で練ってよく伸して

崇峻天皇柴垣宮跡 臣下が天皇を殺害 桜井市

下居神社という小さなお社があります。この辺が、三十二代崇峻天皇の皇居、倉橋柴垣宮跡とされております。崇峻天皇は六

箸墓古墳 桜井市

前方後円墳で、俗に「箸墓」と申しますが、正しくは「倭《やまと》迩《ど》迩《ど》日百襲姫《ひももそひめ》の墓」です。姫は

法起寺 最大、最古の三重塔 生駒郡

わが国最大、最古の三重塔が現存するこのお寺は聖徳太子の岡本宮があったところで皇子の山背大兄王が太子の遺命により寺にされた

法輪寺 聖徳太子の病気平癒 生駒郡

聖徳太子の病気平癒を祈願して推古三十年(六二二年)に皇子の山背大兄王が創建されました。当初は三井寺とよび法隆寺式

法隆寺 生駒郡

法隆寺は、南大門(室町時代の再建)をはじめ、境内にある中門、回廊、金堂、五重塔、夢殿など十九棟の建造物が国宝に指定され、

藤ノ木古墳 生駒郡

法隆寺から西へ三〇〇メートル行くと六世紀後半に造られた藤ノ木古墳があります。 法隆寺建立以前の斑鳩の里の歴史を知るた

信貴の毘沙門天・朝護孫子寺 聖徳太子 生駒郡

今から一四○○年以上前のこと、聖徳太子が物部守屋を討つためこの地を通ったとき、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に毘沙

天理市

天理市は昭和二十九年、天理教の丹波市町を中心に朝和村など六ヶ町村が合併して、全国で最初の宗教名を名のった宗教都市です。

大和神社 天理市

大和の「国つ神」の一つとして、三輪明神と並ぶ古い神の社で、崇神天皇が天照大神をはじめ、諸神を各地に移したとき、皇女淳

石上神宮 天理市

この神宮は、古代の豪族、物部氏の氏神である布留(ふる)御魂(みたま)神(のかみ)などを祀っています。物部氏は、代々武官の

崇神天皇陵 天理市

第十代崇神天皇は、神武天皇と同じく「ハックニシロススメラミコト」とも呼ばれ、日本の国を開いた、歴史上重要な天皇とされてい

長岳寺 日本最古の仏像 天理市

長岳寺は、この辺の地名をとって「釜ノ口のお大師さん」と一般にいわれております。県道に面したところにみえる真面堂(正式

和雨下神社 祇園さん 天理市

和爾氏の氏神、和雨下神社はスサノオノミコト、オオクニヌシノミコトなどの、国つ神を祭神としており、夏祭は「祇園さん」と

馬魚伝説 天理市

むかし、後醍醐天皇が、京から吉野へ逃れられたとき、内山永久寺(石上神宮の南にその跡があります)までこられると、敵の大将、

在原神社 在原業平 天理市

柿本寺跡の傍に在原神社があります。美男の歌人在原業平が、その父阿保親王と暮したという住居の跡を寺とし、十一面観音を安置

石子詰め伝説  妹背山婦女庭訓 奈良市

昔から奈良の鹿を殺すと死罪になるといわれていました。ある時、三作という少年が寺小屋で勉強していたところ、鹿が入っ

奈良公園 神鹿 奈良市

奈良市の東部、面積五・三平方キロ、周囲二十八キロのこの大公園は、東大寺、興福寺、春日大社、若草山、春日山を含め、国の名勝

若草山・春日山・高円山 奈良市

若草山は別名「三笠山」でも有名ですが、春日大社の背後の「御蓋山(みかさやま)」とよく混同されます。昔、唐の国にわたって

漢国神社・率川神社  まんじゅう祭り 奈良市

両社とも飛鳥時代の創建と伝えられる古社で、漢国神社の祭神は大物主命、のちに藤原不比等が養老元年(七一七年)、

弘仁寺 十三まいり 奈良市

古くから関西地方の風習になっている「十三まいり」で知られるお寺です。子供が十三歳になると知恵を授けてもらうためお参りする

 

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談山神社の十三重塔と紅葉

 

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長谷寺登廊

 

弘仁寺 十三まいり 奈良市

古くから関西地方の風習になっている「十三まいり」で知られるお寺です。子供が十三歳になると知恵を授けてもらうためお参り

月ヶ瀬梅林 奈良市

初めて梅が植えられたのは鎌倉時代と伝えられます。「大和では 梅は月ヶ瀬 長谷ぼたん 一目万本 吉野の桜」と唄われ、

唐招提寺 奈良市

「天平宝字元年、鑑真は西京の新田部親王の旧地を賜り、そこに精舎を営み、建初律寺と号した。この工事の途中聖武天皇崩ぜら

西方院  生類憐れみの令  奈良市

唐招提寺の中興の祖・覚盛上人の高弟慈禅が開いた寺で、古くから覚盛上人の墓といわれる五輪の塔の墓所がありましたが、昭和

新薬師寺  天平の面影 奈良市

創建の由来は聖武天皇の眼病治癒祈願、あるいは光明皇后の眼病治癒のためといわれ、前者であれば天平十九年(七四七年)、後

帯解寺  安産の寺 奈良市

創建は明らかでありませんが、古くから本尊の地蔵菩薩に祈願すると「お産」が軽くなるといわれ、とくに平安初期に、第五十五

開化天皇陵 奈良市

第九代開化天皇陵とされるこの御陵は全長一〇〇メートルの前方後円墳で、古事記、日本書紀によると天皇は大和春日のイサカワ

瓢箪山古墳 奈良市

この前方後円墳は全長八十五メートル、高さは前方部五メートルから後円部八メートルと、それほど大きなものではありません

磐之媛御陵  仁徳天皇の皇后 奈良市

磐之媛は第十五代仁徳天皇の皇后で、大和の豪族葛城襲津彦(かつらぎのそつびこ)の娘とされています。仁徳天皇以後の履中、反

平城宮跡 奈良市

奈良時代の七代、七十年にわたって日本の首都となった平城京は、中国の当時の唐の都長安(現在の西安)にならって造営さ

楊梅陵・平城天皇御陵 奈良市

第五十一代平城天皇は桓武天皇につぎ、平安京の第二代天皇になられましたが、平城京への思いが強く、わずか三年で退位され、

足痛地蔵・六地蔵・磨崖阿弥陀仏 奈良市

白砂川の下手橋の付近に素朴な石仏が点在しています。下手橋手前の左手にある粗末なお堂の中に高さ二メートルほどの石の地蔵

南明寺 柳生宗矩の妻・おふじの方 奈良市

創建ははっきりしませんが、寺伝によりますと、第三十代敏達天皇の四年(五七五年)に百済の帰化僧恵(え)智(ち)という人が、

正倉院 奈良市

正倉院は東大寺の倉として建てられたものでした。昔から大きな寺院には正倉というものはありましたが、この正倉院を除いてす

東大寺勧進所 奈良市

鎌倉時代の重源上人や江戸時代の公慶上人の東大寺大修理、再建の時に、造営の勧進(募金事業)の本部となったところです。こ

東大寺・三月堂(法華堂) 奈良市

このお堂は東大寺の前身とされている金鐘寺の本堂で天平五年(七三三年)、良弁上人によって建立されたといわれています。

東大寺・大仏と大仏殿 奈良市

大仏は正式には盧舎那仏と申し、梵語のビルシャナから転化した言葉で太陽を意味しています。つまり盧舎那仏とは、太陽のごと

東大寺 奈良市

「奈良の大仏」で知られるここ東大寺です。奈良朝第二代の聖武天皇はお妃の光明皇后とともに仏教に深く帰依され、諸国に

東大寺戒壇院 奈良市

唐の国の高僧鑑真が聖武天皇の招きで、十一年の年月をかけて日本に来た時すでに六十七歳、しかも失明していました。天平勝宝六

東大寺・二月堂 奈良市

お水取りの行事で知られるこの二月堂は、良弁上人の高弟で、東大寺第二代住職を務めた実忠上人が、大仏開眼と同じ年の天平勝宝四

転害門 命名由来 奈良市

東大寺建立に際して、その守護神として聖武天皇の天平勝宝元年(七四九年)宇佐八幡を勧請した手向山八幡宮のお旅所とし

手向山八幡宮 奈良市

聖武天皇は東大寺造立に際して、その守護神として宇佐八幡を勧請して建てられ、当初は平城京の南、梨原宮というところにまつ

円照寺  三島由紀夫の絶筆となった「豊饒の海」モデル 奈良市

中宮寺、法華寺とならんで皇族(または貴族)の女性が法主となる大和三門跡寺院の一つです。開基の大通文智大師は江戸時代初期の

孝謙・称徳天皇御陵 奈良市

第四十六代孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の第二皇女で、一度退位されふたたび第四八代称徳天皇となられた女帝です。僧道鏡を

成務天皇御陵 奈良市

第十三代成務天皇は景行天皇の第四皇子で日本武尊の弟にあたります。武内宿祢を登用して泰平の世を治め、百七歳で崩御された

神功皇后御陵 奈良市

第十四代仲哀天皇の皇后として、また天皇の遺志をついで朝鮮に出兵して新羅と戦うなどの伝説を残されました。ただこの時代ま

日葉酢媛命御陵 奈良市

この御陵は正式には「狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)」と申し第十一代垂仁天皇の皇后日葉酢媛が葬られています。全長

龍象寺  天井の竜 奈良市

光台寺の奥の院であったものが、今に残ったと伝えられ、臨済宗の禅寺として賑わっています。本堂の狩野春甫の描いた天井

秋篠寺 東洋のミュウズ 奈良市

平成二年、今上天皇の第二皇子文仁親王が秋篠宮を創設されてから、この秋篠寺と秋篠の里は全国的に知られるようになりました

十輪院  優雅な本堂 奈良市

元興寺に深い関係があり、霊亀元年(七一五年)、朝野魚養(なかい)が元正天皇の旧御殿を賜って創建したと伝えられています。元

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東大寺

 

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東大寺二月堂

 

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秋篠寺 

 

春日大社・若宮のお祭り  奈良市

春日大社の例祭は昔、二月と十一月の申(さる)の日に行われましたので、申祭りともいいます。明治十九年(一八八六年)か

春日山石窟仏・地獄谷石窟仏 奈良市

春日山石窟は東西に二つあり、地獄谷石窟は別名「聖人窟」ともいわれ、正面の壁に毘盧舎那仏と観音および薬師の線彫りが

氷室神社  献氷祭 奈良市

春日山の北のふもとに吉城川の上流を利用して天然の氷を貯蔵する「つげ氷室」が古くからあり、古くは仁徳天皇に献上されたとい

春日大社 奈良市

春日大社は藤原鎌足の子不比等が平城遷都に伴い藤原氏の氏神として、遷都と同じ年の和銅三年(七一〇年)に創建した

若宮神社 奈良市

藤原氏の祖神である「アメノコヤネノミコト」(本社の第三神)の子の「アメノオシクモネノミコト」をまつり、保延二年(一一

春日若宮社  歴史と風俗の大絵巻 奈良市

若宮社も春日造りで、本殿、拝殿、神楽殿からなり、神楽殿は長承四年(一一三五)に建てられ、藤原時代の貴族の住宅

鶯塚古墳 清少納言 奈良市

全長一〇三メートルの前方後円墳で、内部は不明ですが、これまでに埴輪などの出土品があります。清少納言の「枕の草子

依水園 奈良市

奈良市の代表的庭園です。面積約二万六千五百平方メートル、園内に吉城川を引き入れ、背後の東大寺南大門、若草山、春日山

喜光寺 試みの大仏殿 奈良市

別名菅原寺ともいいます。この一帯は奈良市菅原町で、古代の豪族土師(はじ)氏が住んでいましたが、平安朝初期

薬師寺 天平仏像の傑作 奈良市

薬師寺は第四十一代天武天皇の病気平癒を願った持統天皇が創建されたといわれ、当時の遺構は飛鳥浄御原宮の近く

西大寺 大茶盛 奈良市

西大寺といえば近年、年中行事の「大茶盛」が毎年のようにマスコミに登場して、その名は全国的に知られるようになりましたが

北山十八間戸 日本最古の社会事業の遺跡 奈良市

西大寺の忍性上人が「らい病(ハンセン病)患者」救済のため建てた病院で、はじめは般若寺の北東にあったのですが、

大安寺 南都七大寺の一つ 奈良市

興福寺等とともに南都七大寺の一つで、大変美しいお寺でしたが、たびたびの火災ですつかりさびれ、ただ今では

夜支布山口神社 奈良市

創建は不明ですが、祭神は「スサノオノミコト」で、延喜式にも名の残っている古い社です。境内には摂社として立(たて)磐

広大寺池 垂仁天皇が作った 奈良市

おびとけ駅の西方にひろがる、広い池が広大寺池で、別名光台寺池、または和爾池ともいいます。広さは約十一町で

元興寺・極楽坊 奈良市

元輿寺は南都七大寺のひとつで、興福寺とともに広大な寺領を持っていた古寺(奈良市芝新屋町)です。用明天皇二年

興福寺 奈良市

興福寺は藤原氏の氏寺で、藤原鎌足の夫人鏡女王が鎌足の遺志をついで山城(京都府)の山科に創建した「山階寺」が

奈良国立博物館 奈良市

明治二十八年(一八九五年)に帝室博物館(東京・上野)の分館として開かれ、戦後昭和二十五年に国立博物館になり

西福寺 奈良市

比叡山延暦寺の慈覚大師円仁が平安初期の貞観年間 (八五九ー八七七年)に創建した天台宗の唯心寺が基ですが

奈良豆比古神社  歌舞音曲 奈良市

天智天皇第七皇子の志貴親王をまつる古い式内社です。志貴親王は第四十九代光仁天皇の父でもあり、のちに春日宮

垂仁天皇御陵 不老不死の薬 奈良市

第十一代垂仁天皇の御陵で全長二二七メートル、周囲に濠をめぐらした大きな前方後円墳です。正式の名は菅原

円成寺  浄土式庭園の代表 奈良市

奈良朝の孝謙天皇の勅願によって、唐招提寺開山の祖鑑真和上にしたがって唐から渡来した虚滝(ころう)和尚という人が

白毫寺  まぼろしの大寺 奈良市

天然記念物の「五色の椿」で知られています。開基は弘法大師の師といわれる勤操(ごんそう)僧都が天智天皇の皇子

崇道天皇八島陵 奈良市

この天皇は、歴代百二十四代の中に入っておりませんが、光仁天皇の皇子で早良親王といい、桓武天皇の皇太子と

般若寺  国宝の楼門 奈良市

国宝の楼門で有名な般若寺です。寺伝によりますと第三十四代舒明天皇の元年(六二九年)、朝鮮半島の高句麗から

福智院  「厄除け」「安産」 奈良市

福智院はもと興福寺の塔頭。頭塔(福智院の東、約三〇〇メートル)は国の史蹟で、ともに天平年間唐の国から帰国し

正暦寺  紅葉が見事 奈良市

境内の紅葉が見事で、「錦の里」ともよばれる山寺です。創建は平安初期の正暦三年(九九二年)、時の関白九条兼家の

宇和奈辺、小奈辺古墳 奈良市

東にある「うわなべ」古墳は全長二五五メートル、高さ一九・六メートルで、かつては元明天皇陵とされたこともあります

芸亭跡  公開図書館のはじまり 奈良市

市立一条高校の東側に「芸亭(うんてい)顕彰碑」 が建っています。芸亭とういのは、奈良朝に大納言をつとめた石上宅嗣

楊梅宮 奈良市

正式には「宇奈多理坐高御魂(うなたりにますたかみたま)神社」といい祭神は高皇彦霊尊(たかみひこむすぼのみこと)

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春日大社

 

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春日大社の回廊

 

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薬師寺三重塔 

 

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薬師寺 玄奘塔 

 

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興福寺 中金堂

 

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興福寺五重塔

 

法華寺  尼門跡・美の観音 奈良市

法華寺も興福院と同じく尼門跡のお寺です。しかもこちらは全国の国分尼寺の総本山として光明皇后の発願により、皇后の

海龍王寺 奈良市

海龍王寺も法華寺の一坊として建てられ、はじめは隅院または隅寺とよばれていたものです。 法華寺の北の隅にあたる

多聞城跡 奈良市

戦国時代の下剋上(主人筋を打ち破って上位にあがること)の代表といわれた松永久秀が、最初の本格的な城をかまえたの

不退寺(在原寺) 在原業平 奈良市

日本の美男子の代表といわれる在原業平が、自作の観音像を安置して平安初期の承和十四年(八四七年)にひらいた

興福院  心静まるお寺 奈良市

お寺は浄土宗の別格本山で門跡寺院、つまり尼寺です。寺伝によりますと、藤原不比等の孫の藤原百川が奈良朝末期

聖武天皇・光明(仁正)皇后御陵 奈良市

聖武天皇は第四十二代文武天皇の皇子で文武帝が若くして崩御したため、帝の母である元明天皇が後をつがれ、この女帝

芳徳寺  柳生宗矩 奈良市

このお寺は柳生宗矩が父石舟斎宗厳の菩提をとむらうため建てたもので、石舟斎が慶長十一年(一六〇六年)に八十歳

柳生陣屋跡 奈良市

柳生小学校となっていますが、ここが柳生一万二千石の「正木坂陣屋」の跡です。校庭に「柳生城跡」の石碑が建っています

柳生の里と柳生一族 奈良市

柳生の里とは昭和三十二年に奈良市に編入された大柳生村と柳生村一帯の地域で、古代には柳の木が生い茂っていた

疱瘡地蔵 奈良市

土地の伝説によりますと、天然痘よけを祈るため作られたとことですが、鎌倉末期の元応元年(一三一九年)の銘のある

天乃石立神社  柳生石舟斎 奈良市

祭神はアマテラスオオミカミと伝えられ、御神体は「とびら」の形をした花崗岩の大きな石です。アメノタヂカラオノミコトが

斉明天皇両槻宮跡 明日香村岡

平成四年五月二十一日、明日香村教育委員会は、かねて調査中であった同村の酒船石北遺跡の石垣の列と石材の質につ

 

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 箸墓古墳

 

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般若寺 十三重の石塔

 

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般若寺 楼門

 

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奈良公園