旅先の歴史ものがたり・埼玉

 

 

埼玉県には、知られざる物語があります。

 

町や村などの成り立ち、

 

その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。

 

「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」

 

「地域ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」

 

「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」

 

「町や村、施設の命名縁起」「埼玉県ならではの特産物」

 

「国指定の国宝・重要文化財」など。

 

 

旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした埼玉県を代表する人間物語

 

を訪ねてみたいものです。

 

旅のその先に……新しい発見が。

 

それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

 

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川越 小江戸

 

埼玉県の地名

多摩郡の先にひらけた土地という意味で、古くは「さきたま」とよばれました。この埼玉県は関東平野の西にひろがる県で、

中仙道

江戸時代の五街道の一つに数えられる中仙道は、日本橋を振り出しに、森川の追分で岩槻街道にわかれ、荒川を渡り、坂東武者

武蔵の国の武士たち

武士には源氏、平氏のように天皇家の流れを受け継ぐ、名門の系統と土着の豪族が次第に力を得て部下をかかえるようになった

武蔵野七福神めぐり

東京からの道順でいいますと、多摩丘陵の中にある狭山湖(山口貯水池)のほとりの、山口観音の「布袋尊」から、飯能市内の

上尾  上尾市

昔は、江戸より九里の宿場町として栄え、安政年間には約二百軒の宿屋が建ち並び、大変繁昌した町だと伝えられています。そんなわけで

朝霞市  

朝霞市は江戸時代の膝折宿がおかれた所です。旧道には脇本陣の村田屋(埼玉県朝霞市膝折1-14-23 )が残っており、古の家屋に往時を

伸銅工業  朝霞市

黒目川の近くには、朝霞市の発展に忘れることのできない伸銅工業発祥の奥住家があります。江戸の中頃、膝折宿の奥住金兵衛という人が

大井町  入間郡大井町

その昔は、大井ヶ原と呼ばれ「大井ヶ原の みなかみに 山やあらしの 名をやどすらん」と古歌にもうたわれた所です。ここから丁度二里

弘法山  入間郡越生町

子さずけの神様として附近の御婦人方の信仰の的になっております。昔、弘法大師が、諸国行脚の道すがら、この山に霊場を開こうと

尻あぶりの行事  入間郡越生町

この村に、毎年旧の六月一日に、尻あぶりという変った行事があります。この日はどの家でも、むぎがらをたいて、その火の上でお尻を

月ヶ瀬梅林  入間郡越生町

月ヶ瀬梅林は小杉天神の広い境内に植えられたもので、正しくは小杉の梅林と呼ばれております。小杉天神は、昔、上杉氏の家老太田道真

越生町  入間郡越生

越生町は、早春のほのぼのとした季節になりますと、梅の名所、梅林に沢山の人が集まって参ります。山吹の里とも云われ、ウメ祭りが盛

笛畝人形記念美術館  入間郡越生町

笛畝人形記念美術館は、日本画家であり、人形美術家として知られた、故・西澤笛畝氏のコレクションを一般公開するために建さられました。

三富新田  入間郡三芳町

三芳町に上富という地名が残っており、所沢市に含まれる中富、下富とともに”三富”と呼ばれています。この土地は、元禄の頃徳川五代将軍

出雲伊波比神社  入間郡毛呂山町

社殿は、足利時代の建築で、重要文化財に指定されております。このお社で、毎年九月に行われます流鏑馬は、各地の神社で行われるものの

鎌北湖  入間郡毛呂山町

埼玉県が観光と潅概用を兼ねて作りました人工の湖、鎌北湖です。正しい名前を山根貯水池といいます。埼玉県が生んだ歌人、寺島ユタ先

高倉寺  入間市高倉

いつごろ開かれたのかははっきりしませんが、室町時代初期に飛騨工匠によって観音堂がつくられ、「高倉の観音さま」として人々のあつい信仰

長泉寺(大黒天)  入間市豊岡

このお寺の大黒天は、豊臣秀吉が出世開運の守護神として持っていたものと伝えられ、明治三十五年四月十二日(甲子日・きのえね)上野寛永寺

円照寺(弁財天) 入間市野田

弁財天のある円照寺は、弘法大師が建立した寺で、境内には、七不思議を秘めた池があります。鎌倉時代の初期には、武蔵丹党の加治氏の

高正寺  入間市仏子

このお寺の創建は大変古く、鎌倉時代の初期と伝えられています。満願殿にまつってある大黒天は、もと新潟県高田市の寺町にあった光栄寺

名勝・玉淀  大里郡寄居町

鉢形城跡は、その麓を荒川が流れ、附近は名勝の玉淀です。玉淀は寄居町から上流の玉淀ダム湖までの約三キロにわたる荒川の渓谷を

寄居町  大里郡寄居町

寄居町は古代人の住居に適していたようで、古墳等の遺跡も多く残されております。戦国時代には、北条氏一門の拠点である、鉢形城が

花園城跡  大里郡寄居町

花園城は武蔵七党の一つ、猪俣党の流をくむ藤田氏歴代の本拠地でした。藤田氏十五代の氏邦は山内上杉家に仕えましたが、天文十五年の

末野  大里郡寄居町

末野は古くから開けた所で、昔は陶器の陶と野原の野を書いて陶野(すえの)と呼んでおりました。その名のごとく、この地では奈良時代か

鉢形城跡  大里郡寄居町

鉢形城の歴史は古く、遠く平安の頃からこの地の豪族の館がおかれていたと云われますが、城としての形が整えられたのは、室町時代に

正龍寺  大里郡寄居町

室町時代の後期に、花園城主・藤田康邦が瑞元和尚を招いて建立したと伝えられます。お寺の墓地には、この辺りを領した花園城主・藤田康邦

大宮の地名の起り  大宮市

武蔵の国の一の宮の氷川神社があり、これを大宮居と称した所より大宮となったそうです。その氷川神社は遠く二千四百年の昔、孝徳天皇の

桶川市  

中仙道の宿場町として栄えた桶川市です。昔は、この付近で紅花が栽培されており、その製品は桶川えんじと呼ばれて地方にだされており

押絵羽子板とひな人形  春日部市

春日部は桐タソスの他に押絵羽子板、とひな人形も有名で、ことに押絵羽子板は全国一の生産を誇っております。桐タンスを造る時に出る桐材

春日部市

土地の歴史は古く、南北朝時代の頃、元弘三年(一三三三)に上州(群馬県)の新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めた折、この地の豪族で

春日部の桐ダンス  春日部市

春日部は昔から桐の木が多い土地で、桐材を使った細工物が有名でした。ことに桐タソスは全国的に知られております。徳川時代に日光東照

呑竜上人誕生地  春日部市一ノ割

伊勢崎線一の割駅の近くに、円福寺があります。ここは呑竜上人誕生地です。呑竜上人は今から四三○年以上前(一五五六)にこの一の割

牛島の藤  春日部市牛島

国の特別天然記念物に指定されています。樹齢千二百年といわれ、根本から数本の幹が出ており、もっとも太いもので三・九メートルあり、

やったり踊り  春日部市大畑

大畑地区に「やったり踊り」がつたわっています。毎年七月十五日の夜、大畑香取神社の境内でおこなわれます。江戸時代、街道の伝馬や

観音院  春日部市小渕

観音院は、小渕にある古いお寺です。このお寺の観音様にお願いすると、こぶ、いぼ、あざが消えると伝えられ、古くから近在の信仰を集め

大凧あげ  春日部市庄和町

庄和町といえば大凧あげ。毎年五月三日と五日に西宝珠花の江戸川堤防で行われますが、その大きさは縦十五メートル、横十一メートル、

香取神社  春日部市銚子口

いつごろ開山されたかは定かではありませんが、この土地の鎮守社として人々の、ことに舟運関係の人々の崇敬をあつめていました。一間社

業平橋  春日部市

業平橋は伊勢物語で有名な在原業平にちなんでつけられた名前です。遠く京の都から東に下ってきた業平の一行は、ここで白い鳥のくちばしと

梅若塚  春日部市新方袋

満蔵寺というお寺の門前に、「梅若塚」があります。謡曲「隅田川」でしられている、吉田少将惟房の息子梅若丸にちなんで建てられたものです。

花蔵院  春日部市西金野井

江戸時代までは、この先にあります香取神社の別当寺をつとめていました。本堂、庫裏・四脚門などをそなえており、このうち切妻造り、

 

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鎌北湖

 

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 牛島の藤

 

川口市

明治二十二年町となり、昭和八年に市となりました。川口の鋳物の歴史は古く、鎌倉時代にお坊さんが諸国を遍歴しました時、荒川の砂

川越市

川越市は、武蔵野台地の北の端にあたり、荒川と入間川がこ一方を囲むように流れております。その為、石器時代の昔から人々が住んだと

川越城跡(初雁公園)  川越市

川越城は一名を初雁城といい、長禄元年に太田道真、道灌父子によって築城されました。戦国時代には、川越城をめぐって歴史上有名な川越夜戦

三芳野神社  川越市郭町

三芳野神社は、川越城の鎮守で江戸時代を通じて歴代の川越城主の信仰を集めておりました。また、三芳野神社は、一名”お城の天神さま

喜多院  川越市小仙波

喜多院は、今から一二○○年前の天長七年(830年)に、慈覚大師によって開かれた天台宗の関東総本山です。戦国の世、北条氏と上杉氏

新河岸川舟運  川越市付近

新河岸川の舟運は、寛永十五年、東照宮が川越大火で焼けた時、東照宮を再建する為に資材を江戸から新河岸川を利用して運んだのが始まり

比企一族  川島町など

埼玉県川島町から小川町にかけての一帯を比企郡言い、鎌倉時代の昔から名門・比企氏の領地でした。比企氏は、武家の家柄ですが、

杉戸町  北葛飾郡

杉戸は古くは鎌倉街道の利根の渡しの要地として栄え、杉戸の地名も、この渡し場の杉の渡し、つまり、杉の渡が今日の杉戸になったと

大島有隣  北葛飾郡杉戸町

大島有隣は江戸時代の宝暦五年(一七五五)に現在の杉戸町に生れました。江戸に出て学問を修め、天明五年(一七八五)に当時の

日光御成街道  北葛飾郡杉戸町

日光御成街道は、現在、幸手岩槻線と称ばれており、この国道四号線と平行して、この先の幸手で国道四号線に合流しております。この杉戸町

行田市

昔、成田親泰がこの地に忍城(おしじょう)を築き、城下町として発達したところです。行田といえばす〈、足袋が思い出されます。行田の足袋

埼玉古墳  行田市埼玉

行田市の一部に埼玉古墳があり、国の史跡に指定されております。さきたま風土記の丘と名づけられる公園内には、九基の大型古墳が

静御前の墓  久喜市栗橋中央

東北本線栗橋駅の近くに静御前の墓と言われるお墓があります。今から八百年以上前の昔、鎌倉幕府の源頼朝は、弟の義経を追放し、義経

うちわ祭  熊谷市

毎年行われる夏祭のことです。昔は、赤飯を炊いてお客様をもてなしましたが、その後、ある料亭で渋うちわを作ってお客様におくりました。

熊谷市  

文明年間まで、ここは熊谷氏が領主をつとめ、古くより秩父鉄道の分岐点、中仙道の宿駅として栄えてきた町です。明治維新後、熊谷県庁

熊谷次郎直実  熊谷市

一の谷の合戦:源氏が勝つか、平家が勝つか、日本の形勢を一変させましたのは、源平一の谷の合戦です。その戦いの結果は、源氏は

五家宝  熊谷市

熊谷名物に五家宝があります。ある日、通り雨にあった大名が、茶屋で雨やどりをしていました。お腹もすいていましたので、茶屋の人に

熊谷寺  熊谷市仲町

熊谷寺は、熊谷直実が晩年、武士の生活に嫌気がさして出家し、自分の住んでいた館跡にお寺を建て、戦死者の菩提をとむらってすごした

観喜院  熊谷市妻沼

今から八○○年以上前の建久四年に建てられたもので、寺宝の観喜天二童子の像は国宝となっております。妻沼の聖天様もといわれて

鴻巣市

大宮市と熊谷市の中間にある鴻巣市は、ほぼ埼玉県の中央に位し、北足立郡北部の中心都市です。その昔は、中仙道の宿場町として発達し

越ケ谷宿  越谷市

越ヶ谷市内を大きく二つに岐ける流れが元荒川です。徳川時代には、右下流の大沢橋を境に越ヶ谷宿が置かれ、天保年間には

越ケ谷ビナと武州ダルマ  越谷市

越ヶ谷の伝統産業の一つに越ヶ谷ビナと武州ダルマがあります。なかでも越ヶ谷のヒナ人形は、江戸や鴻巣と並ぶ三大生産地でした。

宮内庁埼玉鴨場  越谷市大林

元荒川に沿った十一万平方メートルの敷地内に鴨池があり、毎年冬の初めには数万羽のマガモ、コガモ、オナガガモ、オシカガモ、オシドリが

徳川家康の御殿跡  越谷市御殿町

水に囲まれる越ヶ谷は昔から水鳥の宝庫として知られて来ました。徳川家康も、しばしば鷹狩りを楽しまれ、この越ケ谷には麿狩の折に

香取神社の獅子舞  越谷市下間久里

下間久里には香取神社に奉納される獅子舞があり県の無形文化財に指定されております。下問久里の獅子舞は毎年七月一五日に香取神社で

勅使河原古戦場  児玉郡上里町

今を去る三百七十年以上前の天正十年上州の山野は、越後の上杉、甲斐の武田、小田原の北条の三豪雄が互いにその覇を争い、まさに

水殿瓦窯跡  児玉郡美里町沼上

これは鎌倉時代に瓦を焼いた窯の跡で、このあたりの粘土を利用して瓦を焼いていました。ここからは押花蝶模様、剣菱紋の字瓦な

七草寺霊場めぐり  秩父郡

長瀞町では、町内で秋の七草の植えられている寺を選んで、七草寺霊場めぐりコースをつくりました。これは、昭和五七年七月から三ヶ年を

法善寺  秩父郡長瀞町

藤袴の寺 金縁山法善寺(臨済宗妙心寺派):あまり目立ちませんが、秋の七草には無くてはならない影の存在が藤袴です。境内には

道光寺  秩父郡長瀞町

尾花の寺 吉祥山道光寺(臨済宗妙心寺派):秋の気配を知らせる代表はススキです。道光寺には各種のススキが黄金の穂を波打たせ、

天神山城跡  秩父郡長瀞町

天神山城は、室町時代の天文元年(一五三二)に、山内上杉家の重臣・藤田康邦によって築かれました。しかし、その後、天文十五年の

寛保洪水位磨崖標  秩父郡長瀞町

この碑には、寛保二年、関東各地に被害をもたらした荒川の大水害の水位が示されています。江戸時代の寛保二年七月二十七日から

長瀞町  秩父郡

江戸時代には、秩父街道の宿場町として栄え、二と七の日に市が開かれて、絹や煙草の取引で大層賑わいました。昭和になって、荒川流域

名勝・長瀞  秩父郡長瀞町

長瀞町の高砂橋から、皆野町の親鼻橋まで、六キロにわたる荒川沿岸を長瀞と呼びます。大昔、この辺りは東京湾の奥深い入江の一部で、

不勤寺  秩父郡長瀞町

撫子の寺 長瀞山五大院不勤寺(真言宗醍醐寺派):境内には、かわら撫毎年三月の第一日曜には火祭りが行われ、参詣の人で賑わいます

宝登山神社  秩父郡長瀞町

宝登山神社は、秩父、三峰の両神社と共に、秩父三社の一つといわれ遠く二千年もの昔、日本武尊が御東征の折この山の麓で山火事に

応安の板碑  秩父郡長瀞町

国の史蹟に指定されている応安の板碑で、この地の仲山城主阿仁和直家の供養碑です。阿仁和直家は、南朝方の忠臣・新田義貞の家臣で

遍照寺  秩父郡長瀞町

葛の寺 野上山金剛院遍照寺(真言宗智山派):可れんな紫の花房が山肌を覆い、葉にうもれる秋の訪れを知らせ、花の見頃は九月上旬

洞昌院  秩父郡長瀞町

萩の寺 不動山洞昌院(真言宗智山派):秋の七草を代表する萩の花の寺で、山荻を始め、各種の萩が集められており十月初旬まで楽し

多宝寺  秩父郡長瀞町

桔梗の寺 金玉山多宝寺(真言宗智山派):桔梗の花は、各地の伝説に良く聞かれます。紫と白の桔梗が群れ咲く頃は美事で九月末

 

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長瀞

 

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喜多院 五百羅漢

 

 

親鼻橋  秩父郡皆野町

荒川の左右の岩壁は、結晶片岩です。今から約三億年前から五千万年ものあいだ続いた地球の地殻変動によりこの結晶が生れたのです

皆野町  秩父郡

皆野町は、秩父盆地の入口にあたっており、荒川にそって広く開けた野原という意味で皆野と名付けられました。また皆野町は、関東の代表

武甲山  秩父郡横瀬町

昔、日本武尊が、御東征の折、身につけていた鎧や兜をこの山に納めて神に戦勝を祈願したと言われ、武甲山の名があります。この山全体

白鬚神社  秩父郡横瀬町

芦ヶ久保の獅子舞で知られる白鬚神社です。このお祭りは、今から一四○年以上前の宝暦二年に、越後の国の十日町にある来迎寺の

根古屋城跡  秩父郡横瀬町

昔、城の中に兵士の宿舎となった「寝る小屋」があり、寝小屋(ねこや)の名があります。お城が築かれましたのは、室町時代の終わり頃で、

横瀬町  秩父郡

横瀬町は、山岳と丘陵の町で、武甲山から武川岳、二子山、正丸峠、丸山など高さ八○○メートル前後の山が連なり、奥武蔵高原を形成

法長寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四番札所七番の法長寺です。法長寺は室町時代の終わり頃、花園城主藤田康邦が、名僧の涼堂寒潰(りょうどうかんせき)を迎え

明智寺  秩父郡横瀬町

明智寺は、鎌倉期の建久二年に明智禅師によって建立されたのが始まりで、この明智禅師の名を頂いて明智寺と名づけられました。

西善寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ヶ所霊場八番札所の西善寺です。西善寺の御本尊は十一面観音で、二一・三センチの像です。本堂は室町時代の中頃の

秩父三十四ヶ所観音巡礼

秩父三十四ヶ所の観音霊場は、坂東三十三ケ所戸西国三十三ヶ所と共に、日本百番観音に数えられています。秩父札所の起りは、つまびら

秩父市

多くの山に囲まれているとの意味から、千、千、の峰と書いて千々峰(ちちぶ)と呼ばれました。都の文化から遠く離れた山峡の地ですが

鳩の湯鉱泉  秩父市

この辺りは、室町時代に山内上杉氏の武将・長尾景春が攻撃の拠点とした所といわれており、戦乱の当時、負傷した武士が二羽の鳩に

早足即道  秩父市荒川上田野

お堂が三つ見えております。この地に伝えられる早足即道ゆかりのお堂です。向かって右端のお堂は即道神社です。中央のお堂には、即道が

若御子断層洞  秩父市荒川上田野

若御子山の麓には、若御子断層洞があります。これは断層でできた洞窟で、太古の昔地殻運動で生じた断層面のすき間に砂や土などが

長泉院  秩父市荒川上田野

秩父二十九番札所の笹戸山長泉院です。御本尊は、藤原時代の聖観音像で、奉額には葛飾北斎筆の桜図や文化八年の法楽俳句の板額

熊野神社・甘酒祭り  秩父市荒川白久

熊野神社では毎年七月二十五日に甘酒祭りが行われ有名です。甘酒祭りは甘酒こぼしとも呼ばれ、土地の若者達が木桶を使って互いに

白久串人形  秩父市荒川白久

県の無形民俗文化財に指定される串人形は、江戸末期の文久年間に、村の人が卵の殻に顔を描き、人形を作って芝居を真似たのが

熊倉城跡  秩父市荒川日野

熊倉山(標高一、四二六メートル)の尾根続きには高さ六四七メートルの城山があり、室町時代に築かれた熊倉城跡があります。

太陽寺・九十九神社  秩父市大滝

太陽寺は、鎌倉末期の正和二年に、後嵯峨天皇の第三皇子、仏国国師によって創建されたと伝えられます。江戸時代から、三峰山を

普寛神社  秩父市大滝

普寛神社は、御獄教の開祖とされる普寛上人の生地と伝えられます。ここに祀られる普寛上人は、享保十六年(一七三一)この地に生まれ

護国観音  秩父市上影森

慈愛に満ちたお姿の護国観音は、秩父札所二十七番の龍河山大渕寺の境内にあります。観音様の高さは、十五メートルで昭和十一

橋立鍾乳洞  秩父市上影森

橋立鍾乳洞は、高さ七五メートルほどの岩壁の内部に見られます。鍾乳洞の崖下が秩父札所二十八番の橋立寺観音堂にあたります。

久那のステコビル  秩父市久那

久那集落の山林にはステコビルとよばれる珍らしい植物群が見られます。これは、ツルポやヤブラソキツネノカミソリ、サルトリイバラ、

秩父銘仙  秩父市熊木町

「秩父山国武甲のふもと 横瀬、高篠機どころ はたは絹ぱた本秩父」と唄われたこの地は、秩父銘仙の発祥地です。根古城跡の山麓

和銅遺跡  秩父市黒谷

金山に日本で最初に銅を採掘した和銅遺跡があります。今から一三○○年以上前の慶雲五年に、この地で採掘した銅が朝廷に献上され

日窒鉱山  秩父市中津川

中津川の支流の神流川源流近くに日窒鉱山があります。昔は金山と呼ばれ、戦国の世に甲斐の武田信玄が金を採掘していたと伝えら

秩父神社  秩父市番場町

秩父神社は、今から約二千年以上前に、この地を開拓した知々夫彦命(初代・知々夫国造)が、創建したと伝えられます。以来、秩父地方の

秩父夜祭  秩父市番場町

秩父夜祭は、毎年十二月二、三日にわたって開かれる秩父神社の例大祭です。その始まりは、江戸時代の寛文年間(一六六一~七二)と

三峯神社  秩父市三峰

三峰神社は社伝によりますと、遠く神代の昔に日本武尊が御東征の折、雁坂峠で原生林に迷い込んでしまわれたのです。すると、どこからと

氷川神社  さいたま市 大宮区

孝昭天皇の三年の創立とされていますが、さだかではありません。景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐のおり、ここの神社に戦勝を

岩槻人形  さいたま市岩槻区

岩槻は江戸のころから、人形の町としてひろく知られていました。桐粉を生麩や膠(にかわ)で固めて人形をつくるといった独特な技法は、

岩槻城跡  さいたま市岩槻区

長禄元年(一四五七)、太田道灌は古河公方にたいするため、江戸城の北の守りとしてここに岩槻城をきづきました。ここらあたりは沼沢

慈恩寺  さいたま市岩槻区

天長元年(八二四)、慈覚大師円仁の開基と伝えられています。お寺の名前はここらあたりの景色が、円仁が修業をつんだ、唐の長安の

田島ケ原の桜草  さいたま市桜区

田島ヶ原は桜草の野生地として知られております。川の付近や、中国の一部に産して、わが国では北海道と本州に生じますが、今では大変

大榧の木  さいたま市中央区

与野市の鈴谷という所に妙行寺があります。境内にある大概は、樹齢二○○○年といわれ、幹のまわり一○メートル、高さ二三メートルで天然

通船堀  さいたま市緑区

浦和市の東側には、見沼代用水があります。この用水の通船堀は、享保十六年、徳川幕府の勘定吟味役の井沢弥惣兵衛為永が、八代将軍

永源寺  坂戸市仲町

坂戸市の永源寺には、浪曲や映画でおなじみの、紺屋高尾と旗本の島田重三郎の墓があります。紺屋高尾には、心に思う島田重三郎が

幸手市

三方を川に囲まれ、更に町中にも幾筋かの用水路が通ずる低湿地で、昔から水害に悩まされて来た町ですが、江戸時代に河川の改修や

権現堂川  幸手市内国府間

利根川の支流にあたる権現堂川は、江戸時代に河岸場が置かれ、数多い利根川流域の河港の一つとして、問屋六軒に高瀬船六隻が

巡礼供養碑  幸手市内国府間

今から一八○年以上前の享和二年(一八○二)に利根川が氾濫して沢山の犠牲者が出ました。降り続く大雨と洪水で各所の堤防が切れ、

 

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秩父夜祭

 

 

正福寺  幸手市北

正福寺境内には、幸手義賑窮餓之碑(さってぎしんきゅうがのひ)とよばれる碑があります。今から二○○年余り以上前の天明三年

狭山茶  狭山市

「姿わるくも色香はふかい 狭山銘茶の味のよさ」と俗謡にうたわれるほど、むかしから、狭山茶は味のよいことで有名です。武蔵野の土ぼこり

清水八幡神社  狭山市入間川

木曽義仲の子義高はおもてむき、頼朝の娘大姫のいいなずけとして、父義仲から頼朝へ人質として鎌倉におくられていました。その義仲が京

伊佐沼 川越市

南北一・三キロ、東西○・三キロ、面積○・三五平方キロメートル、最大貯水量四十二万立方メートルあり、平野にある溜池としては、

東八木窯跡  狭山市

こちらには縄文時代の遺跡や、奈良から平安時代にかけて須恵器(素焼きの土器)を焼いた東八木窯跡等がみられ、この入間川流域がは

草加市

草加市は、徳川時代には奥州、日光道中の宿場として栄えた街です。街道が整備された頃は、江戸の千住宿から越ケ谷まで十六キロメートルも

草加せんべいの由来  草加市

昔の草加附近は穀倉地帯で、街道筋の茶店ではお団子が名物でした。なかおいしく、街道の評判になりました。今から三○○年以上も

法雲寺  秩父郡荒川村

秩父三十四ケ所札所 第三十番 瑞龍山法雲寺(臨済宗):古くは宝の雲の寺と書いて法雲寺とよばれた寺で、秩父札所の中では最も古い納札

観音院  秩父郡小鹿野町

秩父三十四ケ所札所 第三十一番 鷲窟山 観音院(曹洞宗):仁王門から続く参道には、一丁ごとに道標が置かれ、深い杉の木立と

法性寺  秩父郡小鹿野町

秩父三十四ケ所札所 第三十二番 般若山法性寺(曹洞宗):法性寺の山門は瓦葺の二階建で、二階に梵鐘が吊るしてあります。御本尊

真性寺  秩父郡長瀞町

女郎花の寺 東谷山真性寺(真言宗智山派):毎年三月の第一日曜には火祭りが行われ、参詣の人で賑わいます。秋の七草のなかでも、

水潜寺  秩父郡皆野町

秩父三十四ケ所札所 第三十四番 日沢山水潜寺(曹洞宗):秩父札所最後の寺、結願の寺がこの水潜寺です。緑の山を背に、静かなた

大慈寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ケ所札所 第十番 万松山大慈寺(曹洞宗):仁王門の両脇に、エビネランが清楚な姿を見せる寺で、山門下の延命地蔵が

長興寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ケ所札所 第五番 小川山長興寺(臨済宗):境内に江戸時代後期の作と伝えられる語歌堂(ごかのどう)があります。そのため、一般には

卜雲寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ケ所札所 第六番 向陽山卜雲寺(曹洞宗):荻野堂の名でよばれる卜雲寺は、清涼寺式の釈迦如来立像が安置される

法長寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ケ所札所 第七番 青苔山法長寺(曹洞宗):一名を牛伏堂の名でよばれる法長寺は、本堂の美しいことで有名です。本堂は

明智寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ケ所札所 第九番 明星山明智寺(臨済宗):御本尊は如意輪観音で、恵心僧都の刻まれた仏像と伝えられます。お寺は

西善寺  秩父郡横瀬町

秩父三十四ケ所札所 第八番 清泰山西善寺(臨済宗):モミジの寺とよばれる西善寺は、樹令五○○年と伝えられるモミジの古木の

菊水寺  秩父郡吉田町

秩父三十四ケ所札所 第三十三番 延命山菊水寺(曹洞宗):境内には、埼玉県下で最も古いといわれる、松尾芭蕉の句碑があります。

大淵寺  秩父市上影森

秩父三十四ケ所札所 第二十七番 龍河山大淵寺(曹洞宗):荒川の流れにそった琴平丘陵の一部にある寺で、古くより景勝のすぐれ

法泉寺  秩父市別所

秩父三十四ケ所札所 第二十四番 光智山法泉寺(臨済宗):杉木立の中に、一一七段の急な石段が続き観音堂に至ります。御堂は

奥秩父の山なみ  秩父市

奥秩父の山々は、主に秩父古生層の水成岩からなっており、今からおよそ二億年から三億年前に海の中で生まれたものです。その証拠に、

秩父音頭  秩父市

秩父音頭は、埼玉県の無形文化財に指定されています。 *秩父音頭:「ハーアーエー 鳥も渡るか あの山越えて 鳥も渡るか 

秩父の国  秩父市・郡

秩父地方は、かつて、秩父の国とよばれ、武蔵国には含まれていない地域でした。そして、武蔵国よりもずっと早くから開けていたといわれます。

信願相撲・千手観音堂  秩父市荒川

信願相撲で知られる千手観音堂です。観音堂の天井には、相撲四十八手の絵馬が納められております。昔からこの地方は相撲が盛んで  

贄川宿  秩父市荒川

贄川集落は、かつて秩父往還の重要な宿場でした。当時この贄川から、栃本関所とへて、笠取山の雁坂峠を趣え、甲斐の国に結ばれたり

四萬部寺  秩父市大字栃谷

秩父三十四ケ所札所 第一番 誦経山四萬部寺(曹洞宗):本堂のお厨子内に、行基菩薩作の聖観音が祀られています。

常泉寺  秩父市大字山田

秩父三十四ケ所札所 第三番 岩本山常泉寺(曹洞宗):子持石のある寺として知られます。そのため、子宝に恵まれぬ人々の参詣も多

金昌寺  秩父市大字山田

秩父三十四ケ所札所 第四番 高谷山金昌寺(曹洞宗):境内には江戸時代に奉納された石仏が多くあって、石仏の寺として有名です

真福寺  秩父市大字山田

秩父三十四ケ所札所 第二番 大棚山真福寺(曹洞宗):寺は高篠山(六六五メートル)の山稜上にあります。今から六七○年以上前

栃本関所  秩父市大滝

栃本の集落は、県境の甲武信ヶ岳や雁坂峠、十文字峠などの登山口で、古くから武蔵国と甲斐国とを結ぶ秩父往還が通っておりました。交通

大達原高札場跡  秩父市大滝

大達原は旧秩父往還にそった集落で、街道に面した山口氏宅前には、大達原高札場跡があります。高札場とは、今でいう掲示板のような

龍石寺  秩父市大畑町

秩父三十四ケ所札所 第十九番 飛淵山龍石寺(曹洞宗):龍石寺は、高台の大きな岩の上にお堂があります。お寺の縁起によりますと、

橋立堂   秩父市上影森

秩父三十四ケ所札所 第二十八番 石龍山橋立堂(曹洞宗):橋立堂(観音堂)は江戸中期の建築で、堂内には、秩父札所で唯一の馬頭観音

久昌寺  秩父市久那

秩父三十四ケ所札所 第二十五番 岩谷山久昌寺(曹洞宗):一名を御手判寺とよばれ、境内の弁天池には、釣糸をたれる人の姿も見られ

常楽寺  秩父市熊木町

秩父三十四ケ所札所 第十一番 南石山常楽寺(曹洞宗):常楽寺ははじめ、埼玉県秩父市内にありましたが、今から二五○年以上前

美の山公園  秩父市黒谷

美の山公園は、秩父地方では唯一の独立した山の蓑山(標高五八七メートル)に造成された自然公園です。山頂からの眺めはすばらしく、

定林寺  秩父市桜木町

秩父三十四ケ所札所 第十七番 実正山定林寺(曹洞宗):一名を林寺とよばれる定林寺は、本堂の回廊の彫刻が有名です。本堂の回廊

円融寺  秩父市下影森

秩父三十四ケ所札所 第二十六番 万松山円融寺(臨済宗):本堂には、江戸時代中期の作と伝えられる聖観音が安置されます。この他、

神門寺  秩父市下宮地町

秩父三十四ケ所札所 第十八番 白道山神門寺(曹洞宗):境内には本堂と不動明王堂があり、本堂は銅葺きの三間四面方形造りです。

 

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三峯神社

 

岩の上堂  秩父市寺尾

秩父三十四ケ所札所 第二十番 法王山岩の上堂(臨済宗):岩の上堂の御堂は秩父札所のうちで最も古い建物です。その記録によりますと

観音寺  秩父市寺尾

秩父三十四ケ所札所 第二十一番 要光山観音寺(真言宗):一名を矢の堂とよばれる観音寺は、日本武尊が御東征の折、戦勝祈願を

永福寺・童子堂  秩父市寺尾

秩父三十四ケ所札所 第二十二番 華台山永福寺(真言宗):今から二九○年以上前の元禄一四年(一七○一)に建立されたと伝えられる

音楽寺  秩父市寺尾

秩父三十四ケ所札所 第二十三番 松風山音楽寺(臨済宗):秩父札所の中でも、ちょっと変った寺号を持つお寺です。音楽寺の寺号の故か

今宮坊  秩父市中町

秩父三十四ケ所札所 第十四番 長岳山今宮坊(臨済宗):今宮坊は街中の民家のあいだに、ひっそりと祀られております。観音堂は方形造

両神山  秩父市中津川

古くから修験道の霊地として知られ、標高・一七二四メートルです。全山が石灰岩から成り立つ山で、毎年四月から五月にかけて咲く両神

源内居・平賀源内  秩父市中津川

中津川集落の名主を勤めた寺島家には、物産学者の平賀源内が滞在した離れが残っております。離れの名を源内居といい、源内が自ら

西光寺  秩父市中村町

秩父三十四ケ所札所 第十六番 無量山西光寺(真言宗):切妻形の薬医門風の山門が特長で、間口九間、奥行六間の大きな本堂です。本尊

野坂寺  秩父市野坂町

秩父三十四ケ所札所 第十二番 仏道山野坂寺(臨済宗):楼門の美事な寺として知られる野坂寺は、明治時代の末に火災で本堂が焼けて

少林寺  秩父市番場町

秩父三十四ケ所札所 第十五番 母巣山少林寺(臨済宗):本堂は白壁土蔵造りで、堂内の厨子の中に十一面観音立像が安置され、その左右

慈眼寺  秩父市東町

秩父三十四ケ所札所 第十三番 旗下山慈眼寺(曹洞宗):アメ薬師の名で知られる慈眼寺は、古くから目の守り本尊が安置される所として有

神庭洞窟  秩父市三峰

神庭洞窟は、半洞崖穴、又はバチ石の名もあり大昔は原始人が住んだ所といわれます。化石なども発見されております。

城峯山  秩父市吉田

「秋の七草 うすむらさきの、 花の 桔梗はなぜ咲かぬ 城峯昔の物語」と秩父小唄にうたわれる城峯山は、県立上武自然公園に含まれて

鶴ケ島町  鶴ケ島市

鶴ヶ島町は江戸時代の享保年間(一七一六〜三六)、川崎平右衛門定孝によって開かれたところで、八王子と日光方面を結ぶ脇往還が通じ

所沢市

中世から近世の初めにかけて、鎌倉街道の要衝とされ、宿駅として一時賑わったこともあり、いま所沢市に編入されている旧柳瀬村に

山口観音(布袋尊)  所沢市上山口

山口観音の名で知られる金乗院放光寺は、弘法大師の創建でです。本尊の千手観音は行基の作と伝えられます。ただいまの本堂は、

小手指原の古戦場  所沢市北野

ここで大きな合戦が二回ありました。その第一回はいわゆる建武の中興のなる前、北条幕府討伐のため、諸国の武士が立ち上りましたが、

戸田市

戸田市は、早くから渡船場として開かれて、舟運の便にめぐまれ、大変栄えていたといわれ、富田と書いて「トンダ」と呼んでおりましたが、

戸田橋の荒川  戸田市と板橋区の間

徳川幕府は、江戸城防衛のため、大きな川には橋をかけなかったので、この荒川は長い間、船で渡していました。初めて橋がかけられたのは

伝説・鬼影様  新座市

武蔵野には、数々の物語が残されておりますが、こちらの鬼影様と呼ばれる馬頭観世音に伝わるお話です。昔、この馬頭観世音のかた

新座市

新座市一帯は、昔は新座郡とよばれており、それ以前の、およそ千四、五百年前に、大和朝廷が国の形態を作りはじめた頃は、新羅郡

野火止用水  新座市野火止

江戸時代初期、武蔵野付近は水害や干害に苦しみ、悩まされ、時には飲料水にも事欠くことがしばしばありました。これを知った川越城主の

野火止の地名の起り  新座市野火止

野火止という名の由来にはさまざまな説がありますが、平林寺の境内に残る野火止塚にはこのようなお話しがあります。大昔の事、帰化人に

平林寺  新座市野火止

平林寺は、金鳳山平林禅寺と正式には呼ばれ、臨済宗妙心寺派の関東での名刹です。このお寺は昔からここにあったのではなく、約六二○年

飯能の地名の由来  飯能市

飯能の地名の由来には二つの説があります。今から一三○○年以上前に朝鮮の帰化人が移り住んだ所で、大部落という意味の”はんな-ら”

飯能戦争  飯能市

慶応三年一○月、十五代将軍徳川慶喜は、大政奉還して江戸城を明け渡しましたが、幕府直々の侍のなかには、江戸に残留して抗戦する

能仁寺  飯能市

能仁寺は、室町時代の終わり頃、この地の豪族。中山家勝が創建したと伝えられます。中山氏は、武蔵七党の一つ、丹党の支族といわれ

猪狩の大縦  飯能市

猪狩の大縦は神代の昔、日本武尊がこの辺りで猪狩を行った折、あまりにもよくとれたので、目印として縦を植えたと伝えられます。この大縦

福徳寺  飯能市虎秀

福徳寺は臨済宗のお寺で、鎌倉時代の建暦二年(一二一二)に建立されました。鎌倉期の建築といわれる寺の阿弥陀堂は、三間四方の回り

観音窟石龕  飯能市坂石

法光寺の裏を五百メートル程登った所には古くから知られた観音窟石龕があります。緑泥片岩でつくられた石龕は石門と石柵がめぐらされて

法光寺  飯能市坂石町

法光寺は南北朝時代の至徳年間(一三八四~八七)に岡部新左衛門の建立と伝えられます。寺に伝わる地蔵菩薩坐像は、高さ四○センチの桧

高山不動  飯能市高山

高山不動は、関東の三大不動の一つといわれ、正しくは高貴山常楽院といい、真言宗のお寺です。今から一三○○年以上前の昔、白雉五年

顔振峠  飯能市と越生町

顔振峠には、源義経の伝説が残っております。それは鎌倉時代のこと、顔振峠を行く落武者の一行がありました。これは、奥州へ落ちのびる

正丸峠の由来 飯能市と秩父郡

昔、秩父の里に、正丸という鐙治屋の息子がおりました。母親を早く亡くし、父親を助けて近所の使い走りから、子守りまで大変よく働く出来

平九郎茶屋  飯能市長沢

顔振峠の頂上に平九郎茶屋があります。三○○年以上前の昔から、往来する人々の世話を続け、飯能戦争に破れた振武軍も顔振り峠を

天覧山  飯能市飯能

古くは、愛宕権現がおまつりされていることから愛宕山(標高一九五メートル)と呼ばれました。江戸時代の始めに、徳川五代将軍綱吉の母

子の権現・天龍寺  飯能市南町

子の権現は、正しくは「大鱗山雲洞院天龍寺」といい、天台宗のお寺です。から一二○○年以上前の長和元年に、この地に庵を結んだ子(ね)

浄心寺(毘沙門天)  飯能市矢颪

寺の開基は不明ですが、慶長の頃、伊豚(いとん)禅師が再興したと伝えられています。毘沙門天を祭ったのは、当山第六世の、良観禅棟

観音寺(寿老人)  飯能市山手町

このお寺は、弘法大師がこの地に巡錫された時、如意輪観音を刻み、草庵に安置したのが始まりといわれています。寿老人が祭られたのは

東松山市  

古くから開けたところで、吉見百穴の南の丘の上に松山城が築かれ、城下町として発足しましたが、天正十八年(一五九○)城が落城したため、

 

野火止用水.jpg

 

野火止用水

 

比企丘陵  東松山市

自然公園になっています。高さは一○○メIトル前後でさほど高くはなく、”吉見百穴”を中心としたその周辺には、松山城跡、武蔵嵐山、坂東札所

若宮八幡古墳  東松山市

若宮八幡古墳は、古墳時代後期の前方後円墳ですが、現在では、後円部だけが残され、高さ約四メートルの頂には、八幡神社がおまつりされ

岩殿観音  東松山市

高坂S・Aのやや西の方に岩殿観音があります。坂東三十三ヶ所札所のうちの一つです。平安末期に”西国札所”という三十三ヶ所の観音霊場

青鳥城跡 東松山市

青鳥城の築城はつまびらかではありませんが、平安時代のはじめに、青鳥判官恒義が居城したと伝えられます。現在はわずかに城の遺構が

丸木美術館  東松山市

丸木美術館は、広島県出身の丸木位里、俊夫妻が自作の「原爆の図」を展示する為に、私財を投げうって昭和四十二年に建た美術館です。

箭弓稲荷神社  東松山市箭弓町

箭弓稲荷神社は、古くは箭弓稲荷大明神といわれ、約千年前の長元三年に甲斐の守源頼信によって創建されました。社伝によりますと、

畠山重忠  比企郡

畠山重忠は、恒武平氏の流れをくむ畠山の庄司重能の子として、長寛二年に生まれました。平家の全盛時代に育ちましたが、治承四年源頼朝

小川町  比企郡

周囲を秩父の山なみに囲まれた小川町は小川盆地の中心をなす町で、その名の如く槻川や兜川の清い流れが町を潤しています。小川町は

小川和紙  比企郡小川町

小川を始めとする埼玉県地方の和紙の歴史は大変古く、今から一二○○年以上前から”武蔵紙”と称して漉かれていたようです。奈良の正倉院

比企一族の悲劇  比企郡川島町

武蔵の国比企郡といえば、平安朝末期から名門、比企氏の領地となっておりました。武家ではありますが、源平の流れではなく、藤原氏の

吉見の百穴  比企郡吉見町

比企郡吉見村に上代民族の集団墓地といわれる有名な吉見の百穴があります。この吉見の百穴は、珍らしく原型がよく保たれている横穴式

 

吉見観音  比企郡吉見町

吉見百穴から北の方へ行った所には吉見観音があります。吉見観音は、正式に岩殿山安楽寺といいますが、坂東三十三観音めぐりの

松山城址  比企郡吉見町

室町幕府末期頃から本格的に築城された半山城で、関東管領上杉氏の下にあり、小田原北条氏と、上杉氏の争いの渦中にまき込まれ、

武蔵嵐山  比企郡嵐山町

山の形が京都の嵐山によく似ているところからこの名がついたということです。昔、坂上田村麿が、奥州征伐の途中、ここに足をとめ、陣

菅谷館跡  比企郡嵐山町

鎌倉時代に源頼朝に仕えて、鎌倉武士の鑑とされた畠山重忠の館があった所です。重忠は、元久二年武州二俣川で戦死するまでの約二十年

大蔵館跡  比企郡嵐山町

源義賢の大蔵館跡です。源義賢は、木曽義仲の父親で、近衛天皇の皇太子時代に仕え、帯刀長となりましたので、俗に”帯刀先生”と

高麗のきんちゃく田  日高市

高麗人が川をせき止めて作った水田といわれ、高麗川が大きくU字型に蛇行する流れの内側に水田がひらけています。日和田山の山頂

女影ケ原の伝説  日高市女影

それは、建武二年の夏の事でした。相模次郎時行は、信州諏訪に旗あげして、五万の大軍を引いて鎌倉を目ざして進撃して来ました。これに驚いた

石器時代住居跡  日高市台

この辺りは、高麗の人々が移住するはるか昔から古代人の生活が営まれていたようで、こちらからはひょうたん型に連なった住居跡が

高麗駅  日高市武蔵台

高麗駅は朝鮮半島からの”帰化人の里”高麗郷の入口に当ります。駅前には二本のトーテムポールがあり、一本には「天下大将軍」、他の

深谷の歴史  深谷市

中世末期、この地に上杉憲房が城を築き、戦国時代を経て、徳川氏の世となり、松平源七郎康直がおさめておりましたが、その子辰千代が

岡部  深谷市岡部

昔は、深谷と本庄の中間にあった宿場で、鎌倉時代、岡部六弥太の住んだところです。この岡部は野菜の産地で、関東平野からとれる豊富

高島秋帆幽閉の地  深谷市岡部

幕末の砲術家として知られた秋帆は、長崎に生まれ、父からうけた高島流の砲術を広め、幕府の命令によって砲術師範役となりました。しか

清心寺の忠度桜  深谷市萱場

一の谷の合戦で、平忠度(ただのり)を討って、この地に帰って参りました岡部六弥太は、清心寺に忠度のお墓を建てて、日夜香花をたむけて

岡部六弥太の墓  深谷市深谷普済寺

普済寺には、岡部六弥太のお墓があります。平治元年十二月には、平重盛と待賢門で戦つて勇名をはせ、また寿永三年、一の谷の合戦には

深谷城跡  深谷市本住町

城跡は深谷小学校になっています。戦国時代は、北条氏の居城でしたが、天正十八年(一五九○)、豊臣秀吉によって、小田原の北条氏

塙保己一  本庄児玉町

塙保己一は延享三年(一七四六)、武蔵国保木野村(現在の児玉町保木野)に生まれました。不幸にも五歳の時に両眼を失明し、十三歳で

塙保己一旧宅  本庄市児玉町

児玉郡は、盲目の国学者、塙保巳一誕生の地です。本庄駅の南西一○キロの所、児玉郡の中央部の金屋村にあります萩野邸が、塙保巳一

塙保己一生誕の地  本庄市児玉町

児玉郡は、盲目の国学者として知られる、塙保己一の生まれたところです。「番町で 目明きめくらに 道をきき 名月や 座頭の妻の 

本庄市  

養蚕の盛んな農村で、古くからまゆの生産地として、全国に知られた養蚕の町です。鎌倉時代、武蔵七党の一人、児玉氏に属する本庄二郎

鐘撞堂山  寄居町

その高さはわずか三三○メートルですが、戦国の昔、敵が峰づたいに攻め入るのを山頂で見張り、備えつけの鐘をたたいて急を知らせたと

和光市  

江戸の昔は川越街道の白子宿と呼ばれてにぎわった所です。旧道沿いには、本陣を務めた富沢家が今でも残されております。和光市が

蕨市

蕨市は全国で一番小さな市(面積五・○九平方キロ)です。このささやかな町「蕨」が全国に誇るものが二つあります。一つは「成人式」発祥の地

蕨市の織物  蕨市

蕨に古くから伝わる産業は織物です。その昔、この地の高橋新五郎という人が当時の手織機を改良して高機(たかばた)という新しい織機を

 

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吉見の百穴