旅先の歴史ものがたり・山梨

山梨には、知られざる物語があります。

町や村などの成り立ち、その町や村にこそ他の地域には見られない物語があります。


「面白い感動話」「歴史や伝統」「男の女の哀しい物語」


「山梨ならではの温泉の由来」「歴史的な神社仏閣」


「歴史上活躍した人物の横顔」「哀れな城跡や址」


「町や村、施設の命名縁起」「山梨ならではの特産物」


「国指定の国宝・重要文化財」など。

 

旅に出たら、単なる物見遊山ではなく、こうした山梨を代表する人間物語


を訪ねてみたいものです。


旅のその先に……新しい発見が。


それこそが「旅の醍醐味」ではないでしょうか。

 

大菩薩峠からの冨士山.jpg

大菩薩峠からの冨士山

甲斐絹の始まり  

孝霊天皇の御代七十三年に、秦の徐福という人が、皇帝の命を受け、五百余人の家来を従えて不死の霊山(今の富士山)の麓に、不老不死長

甲斐の黒駒

「日本書紀」の雄略天皇の十三年九月の項に、工匠(くだらみ)の猪名部真根という人がささいなことで、天皇から殺される羽目になったところ、

甲府の地名

甲府の地名は、戦国時代に武田信玄の父・武田信虎が「つつじガ崎」に館を構え、甲斐の国の府中ということから甲府と名づけられました。武田氏

富士山庚申御縁年

富士山の誕生は不明ですが、紀元前三○一年の庚申の年の六月、一夜にして出来たという説をもとに、「六十年に一度の庚申の年」を、信仰

富士山の伝説  

富士山は、高霊天皇の御代に、天狗が一晩で作った山といわれます。何時間かふったかはわかりませんが、天狗が大きなモッコで、誰も知ら

談合坂  上野原市

この近くには矢坪坂や鳶の崎、鳶の巣の両古戦場が残っており、戦国時代の名残りです。談合坂とはまためずらしい名前が付いています

上野原町

八王子や勝沼と共に古くから甲州街道の宿場町として、また、機織物の町として栄えていたところで、今では見るべきものは残ってはおりませんが

鶴川橋

中央線で一番長い橋、四八四メートルの鶴川橋です。下の流れは鶴川で、昔はここを渡し舟で渡った所です。その昔、この鶴川の川越

塩ノ山  塩山市

昔、この山の岩から塩をとっていたといわれ、対岸の「差出の磯」(山梨市)とともに「塩ノ山 差出の磯に住む千鳥 君が御代をぱ 八千代とぞ

塩山温泉  塩山市

昔、岩塩を採掘したという塩ノ山(六五六メートル)の麓にある温泉で、約六〇〇年以上前、向獄寺を開いた得勝禅師が発見したといわれています

 

大月インターチェンジ  大月市

その昔、大月市は旧甲州街道の宿場町でした。大月、猿橋、笹子、初狩、鳥沢とかつての宿駅の面影を残す、古い町が続きます。郡内縞、甲斐絹

大月橋の伝説  大月市

 桂川を大きく跨いだこの大月橋は、昭和三十三年に笹子トソネルと一緒に、開通したものです。工費一億円で、長さ二○○メートルほど

鎮西八郎為朝・愛妾 大月市

ここは昔、弓の名人として知られた鎮西八郎為朝が保元の乱に敗れ、伊豆の大島へ島流しになりました時、愛妾をかくまっていた所

三島神社  鬼面石   大月市 

今から一二○○年以上前の、大同年間に造られた大変古いお社です。昔は境内に、周囲一二メートルもある大きなケヤキの木かあったといわれ

猿橋  大月市

天下の奇勝猿橋は、甲州の名所の一つで、重要文化財の名勝に指定されております。桂川の断崖に架けられ、橋の長さは約三十一メートル、

猿橋の伝説  大月市

日本三奇橋の一つ、猿橋です。この猿橋は桂川の渓谷に架かる木の橋で、大変珍らしい作り方をした橋です。長さ三十三メートル、幅六メー

笹子追分人形  大月市

笹子町追分の、有名な追分人形は昭和二十七年三月、無形文化財に指定されました。ここの人形は文楽と同じ人形です。一つの人形を三人で

岩殿山城跡  大月市

岩殿山(標高六三五メートル)中腹には岩屋があり、そこには岩殿権現がまつられています。岩殿山頂上に関東三名城の一つ武田家の家臣、

初狩絹織物  大月市

初狩の町は、なだらかな坂にそって出来た町で、ふるびたワラブキ屋根や、街道造りの格子戸などが、昔をしのばせています。この町も養蚕がさ

初狩P・A  大月市

川の流れは笹子川です。初狩駅の手前にある、日ノ出鉱泉は大菩薩連峰の一番南端にあたる滝子山(一五九○メートル、右手)への足場に

山県神社  山県大弐  甲斐市

江戸中期の尊王論者山県大弐が祀られており、大正十年に、彼の生まれた篠原に建てられました。山県大弐は享保十年(一七二五年)に生れ

羅漢寺  空海(弘法大師)作  甲斐市

羅漢寺は曹洞宗のお寺で、開基は源頼朝の孫に当る天台座主・有金と伝えられ、古くは山岳信仰の寺として栄えました。今から三百五十年以

信玄堤  現代の治水の基本  甲斐市

この地方に降る雨は、笛吹川を始め釜無川、大武川、御勅使川、荒川などによって甲府盆地に集まります。しかし盆地から流れ出るのは富士川の

慈照寺  甲斐市

慈照寺は、武田信玄の曾祖父の信昌の五男で、禅僧の真翁宗見という人が、今から約六百年以上前に開いた曹洞宗の古いお寺で、境内は六

明野村  北巨摩郡

茅ケ岳の南西にひらける農村地帯が、明野村です。ここは古代から馬産地として、朝廷の牧場のあったことで知られ、村内の小笠原地区がその

若神子・増富温泉  北巨摩郡

若神子は、佐久方面への往来で、昔から賑った宿場町で、また甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の子義清と、その子清光の二代にわたって、館を

双葉町・薬師堂  北巨摩郡

甲府盆地が眼下にひらけ、遠く冨士、南アルプス、八ケ岳などが眺望できます。双葉町にある曹洞宗の光照寺は、その発祥が明らかではありま

於曽屋敷(於曽公園)地方豪族の館跡  甲州市

その昔、甲斐源氏の一族に於曽(おぞ)を名のる人がおり、室町時代の文安年間(一四四四〜四九)に、於曽四郎が居住した屋敷跡が下於曽

ぶどうのふる里・城の平  甲州市

甲府盆地を見おろす日川の南側に造られたぶどうの里を、城の平といいます。ここは甲州ぶどうの父、雨宮勘解由がぶどうの苗を文治二年(一

柏尾古戦場 近藤勇  甲州市

柏尾は、明治維新の時、官軍と幕軍の近藤勇が戦った古戦場です。慶応三年十月、徳川十五代将車慶喜は、ついに大政を奉還し、政治が朝

甲州ぶどうの由来  甲州市

今から八○○年以上前の文治二年、岩崎村の雨宮勘解由という方がお祭りの帰り途、林の中で見事に熟した一房のブドウを発見したので、家に

鳥居焼 大文字焼と同  甲州市

茶臼山中腹に鳥居の焼形が見えますが、これは、京都や箱根の大文字焼と同じように、山の斜面を鳥居の形に焼く行事で、毎年十月一日の

メルシャンワイン資料館  甲州市

日本のブドウ酒作りの夜明を伝えているのが、メルシャンワイン資料館です。日本で本格的なワイン醸造が始まったのは、明治三年のことで、

大善寺  甲州市

養老年間七一七~二三)僧行基の創建で、代々朝廷の祈願所と定められ、大変栄えました。二度の災害にあい、現在の本堂は鎌倉時代に北

芭蕉の句碑 万福寺  甲州市

万福寺境内には、「行く駒の 春になぐさ むやどりかな」芭蕉の自筆の句碑があります。又、勝沼町の東雲の立正寺には、「くたびれて やどか

ぶどうの丘  甲州市

見渡す限りにぶどう畑が広がる丘の上に、六角形の屋根に白壁の建物が見えます。勝沼町営ぶどうの丘です。レストラン・ワインぶろのある

釈迦堂P・A  甲州市

昭和六十三年十一月に完成いたしました釈迦堂遺跡博物館があります。中央自動車道の工事中に発掘された、旧石器時代の石器から縄文時

黒川金山跡  甲州市

トサカ山(黒川山)周辺が、武田家が金を掘り出していたと伝えられる黒川金山の跡です。ただ今では原生林がおい繁り、昔の道もままならない

おいらん渕  甲州市

黒川金山に働く坑夫を客とした遊女が、金山を閉山するときに深い淵に落されて殺されました。それは、遊女が、坑夫達から金山の様子を聞いて

中里介山  甲州市

世界で一番長い小説といわれる「大菩薩峠」を書いた中里介山は、明治十八年(一八八五年)西多摩郡の羽村町(現羽村市)に生まれまし

身延山久遠寺.jpg

身延山久遠寺

 

大菩薩峠  甲州市

中里介山の小説の題名となった大菩薩峠は、江戸時代の主要往還の一つだった青梅街道の最大の難所として知られてきました。ここは昔、聖人

雲峰寺  甲州市

雲峰寺は大菩薩峠への登りロを少し入ったところにあります。今から一二五○年以上前の天平十七年(七五四年)行基菩薩を開山とする臨済宗

菅田天神社  甲州市

菅田天神社の創建は古く、平安時代の承和九年(八四二)と伝えられ、当時は神の田と書いた神田神社といっていました。素盞鳴尊(すさのうの

高野家 甘草屋敷  甲州市

高野氏の所有する民家で、県の重要文化財に指定されています。この家は享保五年(一七二○年)に建てられたもので、切妻突上げ屋根、一

向獄寺  甲州市

このお寺は約六一五年以上前に得勝禅師により開山されたものです。以来、武田氏、徳川氏の帰依が厚く、数多くの寺宝が残っています。また

熊野神社  国の重要文化財  甲州市

神社の創立は明らかではないが、社伝によれば大同二年(八〇七)に紀州の熊野より勧請されたとあります。本殿は鎌倉時代、拝殿は室町時

恵林寺  甲州市

恵林寺は今から六六五年以上前の元徳二年(一三三○)、二階堂道蘊(どううん)の創建で開山は夢窓国師です。その後永禄四年(一五六四)

武田信玄の墓  甲州市

信玄は、元亀四年(一五七三)信州の駒場で病没したといわれていますが、勝頼は遺言を守って長い間喪を秘して天正四年(一五七六)には

樋口一葉の碑  甲州市

こちらは樋口一葉の両親の郷里です。「たけくらべ」「にごりえ」など明治の文壇に数々の名作を残した一葉の輝かしい業績を後世に伝えるため

放光寺  甲州市

恵林寺の北にある真言宗の古刹放光寺です。元暦一九年(一一八四)平安時代後期に、甲斐源氏の血を引く安田義定が、賀賢上人を開山とし

竜門峡渓谷  甲州市

桂川では一番美しい所です。谷が深く、かじかの声に明け暮れする一大詩境で、この地に遊ばれた歌人与謝野晶子は「夕暮れに ひとしきもの

天目山・景徳院  甲州市

武田氏滅亡の地天目山です。そこには武田哀史ゆかりの史跡が数多く残されています。天目山の近く、田野には景徳院、というお寺がありま

甲州市

甲府の町作りが行なわれたのは、一五一九年に信玄の父信虎が、それまでいた石和からこの甲府武田神社の地に移って館を建てた以来のこ

甲府南インターチェンジ  甲州市

甲府南インターチェンジの正面、緑の森を背にした建物は、「山梨県立考古博物館」です。古代文化を知る考古学資料が数多く集められてい

藤村記念館(旧睦沢学校校舎)  甲州市

武田神社境内には、藤村記念館があります。明治時代、当時の山梨県令・藤村紫朗が奨励した洋風建築の校舎で、そのひとつ睦沢小学校の

玉諸神社  甲州市

日本武尊が蝦夷征伐の帰り途に、ここにお立寄にな、ソ「新治築波」の連歌を作られた所と伝えられております。叉、有名な「目に青葉 山ほとと

武田神社  甲州市

戦国時代を代表する武将の一人、武田信玄は、清和源氏新羅三郎義光の後喬で、室町時代の大永元年(一五二一)、石水寺の要害城で誕生

昇仙峡  甲州市

昇仙峡は全山が花崗岩におおわれた深い谷間で、珍らしい岩や形のおもしろい石などが沢山あります。なかでも、昇仙峡第一の名勝は、覚

昇仙峡開拓の恩人  甲州市

昇仙峡の美しさが人の目にふれるようになったのは、江戸時代も末の頃のことで、安政年間のことでした。そのころ、奥にある御岳金桜神社へ

舞鶴城跡(舞鶴公園)  甲州市

舞鶴城は元、武田氏の祖、信義の子・一条次郎忠頼の館跡でした。慶長の末、浅野長政がこちらに移り、造築完成されたものです。その後寛永

長禅寺  信玄の母  甲州市

甲府五山筆頭の名刹、瑞雲山長禅寺です。この寺には信玄の母、大井夫人の墓があります。信玄は母である大井夫人の供養のために、岐秀

円光院  信玄の正室・三条夫人 甲州市

甲府五山の一つに数えられる円光院は、元亀元年(一五七○)七月、五十歳で亡くなった信玄の正室。三条夫人が眠っているところです。墓

武田信玄岩窪墓所 甲州市

信玄の墓は全国に数ヶ所ありますが、石門と石垣にかこまれた、三重の基壇の上に”法性院大僧正機山信玄之墓”と彫った、立派な構えの墓

河尻塚  逆さに埋められた? 甲州市

武田氏が滅亡したあと、織田信長の家臣、河尻秀隆が甲斐を治めていましたが、領民にとっては好ましくない人物に映っていました。本能寺の変で織田信

要害城跡 甲州市

標高七七○メートルの要害山(丸山)に、永正十七年(一五一一○)、武田信虎が武田氏の館の詰の城として築いた山城が要害城で、山頂に長さ七

積翠寺・信玄産湯の井戸 甲州市

武田信玄が産声をあげた山寺として知られています。積翠寺は奈良時代、僧行基が創建したと伝える古刹で、境内の岩から清流が滝の

武田信玄 甲州市

戦国時代を代表する武将の一人、武田信玄は、清和源氏新羅三郎義光の後喬で、室町時代の大永元年(一五二一)、石水寺の要害城で誕生い

つじガ崎館跡(武田氏館跡) 甲州市

つつじガ崎館跡とよばれているところは、現在武田神社がある境内全域と、その周辺少しをふくむあたりにありました。永正十六年(一五一九)、武

大泉寺  信玄の父 甲州市

信玄の父、武田信虎の墓と信玄、勝頼の供養塔がある、曹洞宗の万年山大泉寺です。大泉寺は信玄の父武田信虎が天桂禅師を開山として、室

酒折宮・連歌発祥の地 甲州市

酒折宮は、日本武尊ヤマトタケルノミコトゆかりの場所バショです。日本武尊が東征の帰り路、甲斐の国の酒折に入っておやすみにな

仕置場跡・供養碑 甲州市

江戸時代に、この山崎には青梅街道の大木戸が置かれ、刑場もありました。慶安三年(一六五○)から明治五年までのおよそ二百二十年の間、こ

入明寺 武田信玄の二男 甲州市

この寺は室町時代の長享元年(一四八七)、京都六条家ゆかりの浄閑が創建いたしました。信親(武田信玄の二男)は生まれつき盲目であり、別

甲斐善光寺  武田・織田・豊臣・徳川 甲州市

甲斐善光寺は、武田信玄が開基となって創建された、浄土宗の寺です。開山は信濃善光寺三十七代・境空上人です。信玄が信濃の豪族村上義

穴切大神社 重要文化財 甲州市

古くからこの甲府盆地は、湖水であったとの伝説がありますが、その伝説にゆかりの神社です。社伝によりますと、奈良時代の元明天

東光寺  名刹 甲州市

臨済宗妙心寺派の東光寺は、甲府五山の第二位にあげられる名刹で、鎌倉時代の文永年間、(一二六四~七五)、臨済宗の甲州への布教の中

能成寺  由緒ある寺 甲州市

甲府五山の一つにあたる能成寺です。室町時代末期の文禄年間(一五九二~九五)の、甲府城築城のときからの由緒ある寺です。建物は昭和

湯村温泉 弘法大師 甲州市

甲府市と昇仙峡の中間にあるこの温泉は、遊覧客や都じんを避けた温泉客で、大変賑わいます。この温泉は、弘法大師によって開かれたといわ

塩澤寺・弘法大師作 甲州市

塩沢寺は、弘法大師(空海)の開基と伝えられる古刹で、本尊の地蔵菩薩像は「厄除け地蔵として信仰をあつめています。本尊の納め

法泉寺 古刹 甲州市

法泉寺は武田氏七代にあたる武田信武が元徳二年(一三三○)夢窓国師を開山として創建したといわれる古刹です。信玄の代になって法泉寺を

 七面山 奥之院の影嚮石.jpg

 

七面山 奥之院の影嚮石

 

お松引きとささら獅子 甲府市

丹波山に昔から伝わる祭りに「お松引き」があります。この祭りは、正月に立てた門松を一月七日に各集落から一ヶ所に集め、地区内を引いて道

金桜神社 甲府市

金桜神社は、かつて県社として知られました。。祭神は少彦名命、大巳貴命、須佐之男命、日本武尊、櫛稲田姫命。この昇仙峡にあるのは、里宮

山梨県立美術館 甲府市

山梨県が、置県百年を記念して、昭和五十三年十一月にオープソした鉄筋二階建で、広い館内にはフラソスバルビゾン派の作品を中心とした収集

永源寺 中央市

今から一○○○年以上前の平安時代の天暦二年(九四八)に創建されたと伝えられる大変古いお寺です。本堂や山門は江戸時代の建物で、こ

歓盛院 中央市

歓盛院は、室町時代に創建されたお寺で、本堂の薬師如来は国の重要文化財に指定されております。

都留市

古くから郡内地方の中心地として知られ、江戸時代の谷村代官所は、郡内代官とも呼ばれていました。谷村が、このように昔から重要視されたの

お茶壷道中 大名行列と同じ格式 都留市

徳川の頃、谷村には将軍家のお茶壷を預かる「室」がありました。徳川将軍家では、毎年一番茶を京都の宇治から江戸に運ばせたのですが、

御正体権現  雨乞いと雨どめの両方の神様

海抜千六百八十二メートルの御正体山です。頂上には、御正人がお開きになったといわれる、御正人堂の跡があります。その他、御正体権現

割石峠 山梨県と静岡県の県境

標高九七八メートルの割石峠です。ここを過ぎれば、静岡県の「富士宮市」です。富士宮市は、富士山の表玄関口であると共に、富士登

小笠原 中巨摩郡

源氏の武将として活躍した小笠原長清が出たところです。長清は、小笠原流の馬術と弓術の流儀を開いた武将で、その後、武士の馬の乗り方と

市川大門町・市川団十郎 西八代郡

市川大門町は、大変古い歴史をもつ甲府盆地南部の商工業の中心地です。平安時代の末に甲斐源氏の祖、源義光(新羅三郎義光)の子、源

市川の和紙 西八代郡

市川大門町は、大変古い歴史をもつ甲府盆地南部の商工業の中心地です。平安時代の末に甲斐源氏の祖、源義光(新羅三郎義光)の子、源

韮崎市

韮崎は、甲州街道の宿場町に当っており、そのため昔から人や馬の往来がはげしく、釜無川の船着場として栄えました。天正九年武田勝頼

山本周五郎 韮崎市

昭和四十二年に六十四歳で亡くなった、韮崎出身の異色の作家山本周五郎は、それほど多くの作品は残していませんが、すべての作品が、珠

武田八幡神社 韮崎市

社伝によります、と武田八幡神社は、日本武尊の御子・武田王がこの地を治め、のちこの地でなくなられました。土地の人々はその住居だった館

武田氏発祥の地・武田の荘  韮崎市 

武田氏は甲斐源氏の流れをくむ一族で、清和天皇の血筋にあたります。清和天皇の子孫、源満仲の孫が源頼義で、この源頼義が今から九三○

願成寺  韮崎市

奈良時代後期の宝亀二年(七七一)の創建と伝える古刹で、武田氏の祖・武田信義の中興といいます。のち後白河法皇より「鳳凰山」の山号

窟観音  韮崎市

観音千鉢地蔵尊や日蓮上人像などが祀られ、この一帯は市立公園になっております。なお、地元出身の山本周五郎の文学碑もあります。

新府城跡  韮崎市

新府城は、武田氏の要害の城として知られておりましたが、武田勝頼が織田、徳川の連合軍と戦った際に落城し、そしてついに天目山の露と消

坂井遺跡  韮崎市

甲斐の国で一番早く開けたのがこの地域で、それを説明するのが、七里岩の南端にある坂井遺跡です。現在まで発掘調査された山梨県の古代

武田家滅亡の哀史  東山梨郡

柏尾は、武田勝頼が家臣の小山田信茂に裏切られるのも知らず、小山田の言葉に従い、ヅツジが崎の城に火をかけ、主従五百余騎が大月の

三日血川・日川  東山梨郡

大菩薩峠に沿って流れている日川です。この日川の別名は「三日血川」と言い、武田氏滅亡の哀話を秘めております。それは勝頼の家来士屋惣

武田勝頼最後の宿場  東山梨郡

織田、徳川の連合軍の攻撃によって、武田氏の堅城信州の高遠城が落ちましたのは、天正十年三月三日のことです。この落城は、武田氏の最

石和温泉  笛吹市

石和温泉は一○○年以上前から、大蔵経寺山麓に湧き出ていましたが、昭和三六年一月に、駅南側のぶどう畑の中から突然湧き出ました。以

鵜飼の伝説  笛吹市

石和に鵜飼を伝えたのは、平清盛の妻時子の兄で平大納言時忠といい、鵜飼勘作と名乗ってこの地に住んでいました。それは安徳天皇

遠妙寺・鵜飼伝説  笛吹市

笛吹川の鵜飼にゆかりの伝説をもつ、日蓮宗の遠妙寺です。この寺は弘安年間(一二七八~八八)、日蓮上人の高弟、日朗の創建といわれま

八田家書院 笛吹市

八田家は武田家の蔵前奉行を務めていた家柄で、のちに徳川氏に属した、この地方の旧豪族です。御朱印屋敷ともよばれる屋敷内の

大蔵経寺 行基開山 笛吹市

大蔵経寺は、養老六年(七二二)僧行基開山と伝える古刹です。武田家の祈願所を経て、江戸時代は甲斐新義真言宗七壇林の一つとなりまし

一宮浅間神社 笛吹市

祭神は木花咲耶姫で、昔より安産の神として知られております。「甲斐の国一宮」として、古来より皇室や武家の崇敬が厚かった所で、天文十年

一宮御坂インターチェンジ 桃源郷 笛吹市

古墳や遺跡など、古代のロマンを秘めた日本一の桃の里一宮町は、見渡すかぎり桃の花が咲き誇り、文字通りの桃源郷となる、ぶどうや桃の果

甲斐国分寺跡 笛吹市

一一五○年以上も昔のこと、聖武天皇の勅願によって、この一宮にも国分寺が設けられました。当時は壮大な伽藍であったといいますが、現在

春日居温泉 笛吹市

毎分五○○リットルの湧出量に加え、泉温五五度と高く、泉質も神経痛、リュウマチ、外傷療法などによく効きます。また、この温泉を利用

賀茂春日神社 笛吹市

春日居町加茂にある、賀茂春日神社は延喜式神名帳に載る神部神社といっていました。かつてこの神社は、京都の賀茂神社、奈良の春日神社

笈形焼の話 笛吹市

御室山では古くからの伝承を今に伝える笈形焼が毎年四月第一土曜・日曜日に行われます。昔、長谷寺(ちょうこくじ)と勝沼の柏尾の大善寺の

山梨岡神社と太々神楽  神の宿る山 笛吹市

古くはこの鎮目地区と国府地区に、国府が置かれていました。両裾を長くひいた美しい形の山が御室山(みむろやま)で、「宮室山」とも書きます

菩提山長谷寺 僧・行基 笛吹市

今から一二八○年以上前の養老年間(七一七~二三)に、僧・行基によって創建されたといわれます。真言密教の寺は、盛んな時には僧坊

春日居町郷土館 小川正子ゆかりの鐘 笛吹市

かつてはこの地にそびえていたという、三重の塔も復元され、県の無形文化財の太々神楽の衣装をつけた人形もかざられています。郷土館入口

寺本廃寺  幻の寺 笛吹市

長い間、いつ、誰がどんな方法で建てたのかわからない、幻の寺として今に伝えられてきましたのが寺本廃寺です。発掘調査の結果、一三○○

御坂町黒駒   笛吹市

昔、「甲斐の黒駒」「長門の牛」といわれ、全国に知られた駒の産地でした。天平一二年、聖武天皇に黒い神馬をけん納した所、大変お賞めにな

鵜飼.jpg 

 

鵜飼

 

照願寺  聖徳太子の作 笛吹市

正暦五年、黒駒讃岐の守の建立になっています。聖徳太子の作といわれる、瑠璃光如来仏があります。この如来仏のいわれは、聖徳太     

鐘山の滝 光ごけ 富士吉田

忍野村と富士吉田市の境に、鐘山の滝を中心にした「富士見公園」があり、この滝はあまり大きくはありませんが、忍野から流れこんだ桂川

吉田の火祭り 日本三奇祭 富士吉田市

日本三奇祭の一つです。「吉田の火祭り」とよばれる有名な富士の「鎮火大祭」は、北口本宮富士浅間神社と、境内社諏訪神社の秋祭りのこ 

富士浅間神社 栄華の跡 富士吉田市

正しい名前は「北口本宮富士浅間神社」と呼ばれ、延暦七年(七八八)の創建と伝えられ、全国の浅間神社の中でも最古の歴史   

吉田胎内樹型 父の胎内、母の胎内 富士吉田市

胎内とは、熔岩流の中にできたトンネルで、内部は父の胎内、母の胎内に別れ、人間の体内そのままの形をしているところから、この名が生れま

海岸寺 名僧行基の創建 北杜市

養老元年(七一七年)に名僧行基の創建と伝えられる古刹で、南北朝時代に領主の武田武清が、鎌倉から石室善玖という禅僧を招いて  

正覚寺  甲斐源氏の祖 北杜市

若御子は、甲斐源氏の祖といわれる、新羅三郎義光が館を構えた所です。正覚寺は、新羅三郎義光の菩提寺で、境内には義光のお墓があり、

味噌なめ地蔵 北杜市

正覚寺の参道入口(旧道ぞい)に味噌なめ地蔵様がおすわりです。味噌なめ地蔵は霊験あらたかな御仏で、自分の体の悪い所があれば、お地

清里駅 北杜市

海抜一二七四メートル、河口湖の近く、御坂峠の頂上とほば同じ高さにあり、清里駅と野辺山との間がJRでは、日本一高い所で、海抜一三七五

弘法坂 北杜市

弘法橋の右、旧道に弘法坂とよばれる坂があり、昔、弘法大師がこの地を通られた時、この辺りの水飢饉をあわれに思われて、この坂を登

平賀源心の胴塚  信玄の初陣 北杜市

標高一四五○メートルの峠には、戦国の世に甲斐の武田信玄に亡ぼされた、平賀源心の胴塚があります。平賀源心は、信州佐久平の中込

清里教育実験計画(キープ協会) 北杜市

清里駅から徒歩で三十分余りの所、八ヶ岳山麓の一部に、清里農村センターがあります。農村センターは昭和十一年に、日本聖徒アソデレ同胞

山高神代桜  日本一の巨木 北杜市

武川村山高にある実相寺には、日本一の巨木といわれる神代桜(天然記念物)があります。根回り約十三・五メートル、地上二・四メートルで枝

日蓮上人の説教石 北杜市

一名、高座石とも呼ばれる大きな石ですが、この石は、日蓮上人が土地の人友を集めて、日蓮宗を説かれたときに使ったと伝えられます。又

教来石 北杜市

教来石は、地名です。教来石の由来は、昔、鎌倉から蘭渓道隆というお坊さんがこの地に来て、臨済宗をおひろめになりました。そし

山梨の名酒 北杜市

この町には山梨の名酒、七賢の醸造元があります。ここは明治天皇行幸の折、行在所(あんざいしょ)にあてられたもので、只今でも部屋の中は

駒ケ岳 信仰の対象  

標高二千九百六十七メートルで、一般には甲斐駒ケ岳と呼ばれ、長野県の木曽駒ケ岳を西駒、甲斐駒を東駒ともいいます。甲斐駒ケ岳は、昔か

古長禅寺 夢窓国師  南アルプス市

古長禅寺は、鎌倉時代・正和五年(一三一五)に夢窓国師によって開かれたと伝えられ、甲府の長禅寺のもととなったお寺で、境内には夢窓

早川・奈良田温泉 平家の落武者  南巨摩郡

早川は、南アルプスの高峰三一八九メートルの間ノ岳に源を発し、上流では野呂川と呼ばれ、深い峡谷をつくって流れる水量豊かな川で、延

鰍沢町 港町として大変栄えた  南巨摩郡

その昔、富士川の港町として大変栄えております。江戸時代の初め(慶長十二年(一六○七年)に、富士川に水路が開かれ、駿河の国、今の静

百八たいまつり  南巨摩郡

南部町には「百八たいまつり」という火祭りが伝わっております。富士川で毎年八月十六日の夜に開かれるお祭りで、両岸に百八個づつドンド焼

七面山 御来迎の美しい  南巨摩郡

身延山の西方にそびえる標高一九八二メートルの七面山は、身延山(久遠寺)の寺域となっておりますが、七面山の山頂近くには、七面山本

昌福寺の虫封じ  南巨摩郡

「カンの虫封じ」で有名なお寺で、春、秋の彼岸の中日を祈祷日と定めておりますので、当日は赤ちゃんを背にしたお母様方が、境内を埋め

妙法寺   南巨摩郡

その昔、身延の草庵に足をとめていた日蓮上人が、この小室山の麓にすむ、けい長法印善智と呼ぶ、悪名高い修験者をたづね法論を交した所、

小判採掘  南巨摩郡

徳川幕府が大政奉還の折、時の勘定奉行小栗上野介が徳川の再興を計って慶長小判五百万両を地の中深く埋めたと伝えられます。

瀬戸観音  行基の作  南巨摩郡

御本体は行基の作とされています。この観音様が本栖湖畔の赤坂に在りました時、武田信玄が三河へ進軍の際、この地に差しかかりますと、

妙園寺  国宝にも等しい  南巨摩郡

今を去る六百七十五年以上前の昔、建治二年の頃、領主馬場丹後守忠次は深く日蓮上人に帰依し、自宅を改めて寺となし、聖人の高弟日行上

本遠寺  お万の方  南巨摩郡

徳川家康の側室、お万の方のゆかりのお寺で、お万の方の願いで慶安三年(一六五○)に建立されました。お寺にはお万の方のお墓や遺品が

下部温泉  武田信玄公の隠し湯  南巨摩郡

下部温泉は、武田信玄公の隠し湯として知られた温泉で、現在は国から国民温泉の指定を受けており、保養に湯治に最適で、傷やヤケド、骨折

聖橋 日蓮上人  南巨摩郡

付近一帯には、六面の岩石が数々あります。昔、日蓮上人が、この地を開山せんとしてはるぱる参ったのですが、七面に一面足りない為に

木喰上人生誕地  南巨摩郡

木喰上人は、穀物を煮ずに生のまま喰べたため自ら木喰と言い七十七才の長寿を保ち、全国至る所を行脚して仏像をきざみ、その数実に二千

本国寺  南巨摩郡

境内には上沢寺とおなじ、「お葉つきいちょう」の大木があり、天然記念物に指定されています。又、境内とその付近は、武田二十四将の旗頭穴

上沢寺 国の天然記念物に指定  南巨摩郡

上沢寺には「お葉付イチョウ」という珍らしいイチョウの大木があり、イチョウの葉の上に実がなるというもので、国の天然記念物に指定されており

正慶寺  日蓮上人ゆかりの珍魚  南巨摩郡

このお寺は、日蓮上人がはるばる鎌倉からこの身延にお入りになる途中、こちらでお休みになり、粟飯の供養を受けた霊場で、一名粟

中之倉鉱泉  南巨摩郡

天正の昔、武田信玄が川尻金山採掘の折、傷病者の療養のために開いた鉱泉と伝えられ、下部温泉と同じ質のものといわれます。

西島和紙 四○○年の歴史  南巨摩郡

中富町北部に位置している西島という地域で、手すき和紙の郷と呼ばれております。四○○年の歴史を持つといわれる和紙の生産の盛んなとこ

波木井の里   円実寺  南巨摩郡

日蓮上人が、士地の豪族南部六郎実長公のねがいを入れて.この里に九年間とどまり、身延山久遠寺の建立をされた基となった処です。波木

波高島 島流し  南巨摩郡

早川の流れが、富士川に注ぐこのあたり、川のまん中に波の高い島と書いて、波高島と呼ぶ島がありました。徳川時代に、「生類あわ

波高島温泉  島流しの罪人  南巨摩郡

波高島とは、その昔、富士川の流れの中にあった中洲のことで、江戸時代は島流しの罪人を収容するところだったそうです。その波高島は、

身延八景  南巨摩郡

身延川にかけられた、大平橋、寺平の落雁、八角堂のしだれ桜、富士見石の帰帆、祖師堂の晩鐘、稲荷山の初霞、奥の院の秋月、七面山の暮

久遠寺  日蓮上人  南巨摩郡

身延山久遠寺は、一般には身延山とだけ呼ぱれて親しまれております。身延山は、身延山中に建てられた西谷の草庵がその起こりで、文永十

久遠寺身延山総門  南巨摩郡

この総門の建てられているところは、文永十一年(一二七四)日蓮上人を出迎えた身延の領主、南部実長公が身延山を寄進することを上人に約

奥之院思親閣  南巨摩郡

思親閣は大孝院とも呼ばれており、日蓮上人が昔、峰に登り、はるか房州小湊の空を仰いで読経されたと言われ、遠くはなれて上人が亡き父母

忍野八海  南都留郡

その昔、忍野盆地は山中湖とひと続きの湖だったといわれています。有史時代に入った頃は、西から”セの湖””河口湖””忍野湖””山中湖”の四

河口浅間神社  南都留郡

境内には樹令千年を越える、杉の大樹が数々あります。叉十六メートルの大鳥居は、文禄十五年、村の城主秋元但馬守の建てたものといわ

足和田山  富士の三脚  南都留郡

足和田山は、標高一三五五メートルと余り高い山ではありませんが、富士五湖全部を一望のうちにおさめることのできる、数少ない山のひとつで

鳴沢熔岩樹型  南都留郡

この辺りの樹型熔岩は、貞観六年の大噴火に、長尾山から流れ出した熔岩が、生木を囲み熔岩の熱で樹が焼けてしまって、熔岩だけが木の型

長寿村・鳴沢  南都留郡

この村は、熔岩地帯ですので、昔は.アワとかキビ、トウモロコシ、馬鈴薯を常食としていたほど、お米のとれない所でした。ところが、この村は、

鳴沢氷穴 国の天然物  南都留郡

”氷穴”というのは、熔岩洞穴のことで、寄生火山の一つ長尾山が噴火したとき、熔岩がすごい勢いで流れ下り、表面は外気で固まっても内部

河口湖  南都留郡

「逆さ富士」の名勝河口湖は、冨士五湖の中で一番低いところに出来た湖で、海抜は八三○メートルです。面積は六四六平方キロで、山中湖に

河口湖 湖上祭  南都留郡

名物の河口湖湖上祭は、毎年八月五日に催されます。仕掛花火に灯篭流し、その他いろいろの催し物があります。湖の空に夏の夜を彩どる五

川尻金山  南都留郡

本栖湖に迫る、屏風のような山は、竜ヶ岳といいます。海抜一四三八メートルあります。雨の降る日には、黒い雲が山の頂きから湖にはいおりて

西湖 青木ケ原樹海  南都留郡

西湖は、青木ヶ原樹海の中にある湖で、湖面の高さは九○二メートル、面積二・一平方キロ、水深七六メートルあり、周囲の青木ケ原樹海(国天

精進湖  富士山熔岩流  南都留郡

三面扉風のような山々に囲まれ、五湖中で一番小さく、周囲八キロ、海抜九百三メートルあります。湖面をへだてて、大室山を前にいただい

瀬の海  南都留郡

西湖や、精進湖、本栖湖は、昔は一つの大きな湖で、「瀬の海」と呼ばれたそうです。その周囲も八十キロもあったそうですが、貞観六年

本栖湖  透明度最高  南都留郡

本栖湖は湖面の高さが、西湖、精進湖と同じ九○二メートル、面積四・九平方キロ、水深一二五メートルで、五湖のうち最も深い湖です。そして

本栖関所跡  南都留郡

本栖集落のはずれに、本栖関所が昔、置かれておりました。信玄は他国からの間者を防ぐために関所を設けて土地の人達にもいろいろと、変

産屋ガ崎  南都留郡

逆さ冨士の名所です。ここから富士の眺めと雲霧の変化は面白く、俳人芭蕉もここに遊び、讃嘆久しくして、「雲霧の しばし百景を つくしけり

親鸞上人の御手植銀杏  南都留郡

樹令六百年を数えるといわれる大銀杏で、親鸞上人の御手植と伝えられます。

留守ケ岩の伝説  南都留郡

河口湖の対岸に、大石集落があります。その大石の桑ヶ崎という所に、留守ヶ岩という大きな岩があって、悲しい物語りが残っております。昔、湖

鵜の島  南都留郡

五湖でただ一つの鵜の島です。島には弁財天が祀られ、富士山の爆発当時の火山弾などが沢山あります。その昔日本武尊が御東征の時、こ

西湖コウモリ穴  南都留郡

西湖に近く、天然記念物のコウモリ穴があります。延長三八六メートルの熔岩洞穴で、冬にはキクガラコウモリが冬眠しています。

富岳風穴  一年中氷  南都留郡

この風穴も寄生火山の熔岩流によってできたものです。大室山の北麓にあって洞穴の総延長は一八七メートル、入口は一○メートルほどの陥

青木ケ原樹海  魔境  南都留郡

青木ヶ原樹海は、北西山腹の寄生火山である長尾山から流れだした「青木ヶ原熔岩流」で、東西六キロ、南北八キロ、貞観六年(八六四)の大

御坂峠  天下富士  南都留郡

御坂山地は、富士山の生れる前からある、はるかに古い山で、有名な”三ツ峠”も御坂山塊の一部なのです。富士山は、大爆発を起して二つの

山梨宝石博物館 水晶原石  南都留郡

山梨宝石博物館は、わが国初の本格的な博物館として知られています。甲府は水晶の特産地としても有名で、水晶研磨の技術を生かして、世

富士マリモ  南都留郡

山中湖の近くに「富士マリモの碑」があります。山中湖で発見された「マリモ」はそう古いことではなく、昭和三十一年四月、長崎大学教

山中湖  フジマリモ”の生息地  南都留郡

山中湖は本栖、精進、西湖の三湖とは別の熔岩流によって出来たもので、五つの湖は同時にせき止められたものではなく、最初は「セの湖」と

籠坂峠  南都留郡

籠坂峠は標高一一○四メートル・眼下の須走からはおよそ六キロで、近くには、承久の乱(一二二一年)でこの地で命を散らした、藤原光親の

六郷町  印鑑の大生産地  南都留郡

山梨県の誇る名産、印鑑の大生産地です。印鑑の材料は水晶が主で、そのほかメノウなども使われ、普通の認め印や、開運印などがつくられて

窪八幡神社  日本最古の木造鳥居  南都留郡

大鳥居は、高さ七・四二メートル、笠木の長さ十メートルという大きさで、日本最古の木造鳥居といわれるものです。天文四年(一五三五・

天神社  国の重要文化財  南都留郡

天神社は、康平七年(一○六四)新羅三郎義光の創建と伝える古社で、菅原道真を祀っています。国の重要文化財に指定された本殿は、室町

大石山の奇岩群  山梨市八景  南都留郡

山梨市八景の一つに選ばれている、大石山の奇岩群です。大石山には大山祇命を祀る大石神社があり、境内の大きな御影石(花闇岩)は御神

西川家住宅  南都留郡

西川家は鎌倉時代の末期、この地方を治めた足利幕府の家臣、二階堂氏につかえていた旧家です。この住宅の建築年代ははっきりしていませ

中牧神社  南都留郡

日本武尊が東征のみぎりに創立されたといわれ、本殿の一間社流れ造りの建物が国の重要文化財に指定されています。

隼の大わらじ  南都留郡

牧丘町隼地区では、毎年三月に、大わらじの奉納という珍しい行事がみられます。その昔、この地で疫病がはやったとき、どこからか一人の坊さ

万力公園・万葉の森  南都留郡

万力公園は、昭和五十二年にできた都市型公園で、市民の憩の場として親しまれています。かつてこの地域は笛吹川の氾濫によって村人を悩

清白寺  足利幕府の祈願所  南都留郡

昭和三十年(一九五五)に国宝に指定されました臨済宗妙心寺派の名刹として知られる清白寺です。室町時代に足利尊氏が夢窓国師を開山と

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山中湖

 

連方屋敷  山梨市

一辺が130mもある方形の広い屋敷跡で、四方に土塁と堀が巡っています。中世の豪族の屋敷跡といわれ、高さ二~三メートルの土塁と幅三

笛吹権三郎の碑  山梨市

笛吹川上流・三富村釜上という処に、権三郎という若者がおりました。非常に孝行者で、その母は笛が好きでしたので、いつも笛を吹いては母親

大獄山那賀都神社  山梨市

元正天皇の養老元年(七一七)三月一八日に創建されました。祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)、大山祇命(おおやますみのみこと)、高お

夢窓の滝・国師座禅岩・徳和渓谷  山梨市

ここは夢窓国師についてのいい伝えのある滝として良く知られています。それは南北朝の昔、恵林寺開山の夢窓国師が乾徳山において座禅修

吉祥寺  山梨市

「甲斐国志」によると、吉祥寺が創建されたのは鎌倉時代の承元年間(一二○七~一○)で、武田伊豆守信光が甲斐源氏の祖・新羅三郎義光よ

差出の磯・名勝  山梨市

平安時代の「古今集」に「塩の山 差出の磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」とうたわれた天下の名勝・差出の磯です。笛吹川をは

信玄築石 南都留郡

石の塔のあるところは、永禄の昔、武田氏と北条氏との古戦場だったところです。武田信玄はこの地に石を積み上げ、その上にわら人形を立て