インフォメーション

2020-07-31 21:27:00

水沢館跡 みずさわかんあと

秋田県大館市雪沢字水沢谷地

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黒沢・赤沢道の分岐点に地元では”タテ”と呼ぶ水沢館跡があります。両端がやや高い台地で、東西約一八○メートルあり、建築した者や住んでいた者の記録や伝承などは不明ですが、”タテ”のある場所から東の防衛に建てられたものと考えられています。

2020-07-31 16:45:00

秋田市について あきたしについて

アキタの名前が歴史にはじめて登場するのは「日本書紀」の六五八年(斉明天皇四年)のことで、この年阿倍比羅夫が齶田(あきた)・渟代(のしろ)二郡の蝦夷を倒したとあります。はぐきのガクの字の齶と田がアキの秋と田となるのはもうすこし時代がくだってからです。奈良時代にはいって七年後の七○八年(和銅元年)、越後国出羽郡(現在の山形県庄内地方)に政府の施設である出羽柵がおかれ、七三三年(天平五年)には高清水(現秋田市寺内)にうつされました。これが秋田城とよばれるようになり、同時にこの地方の政治の中心地となったのでした。江戸時代になって一六○二年(慶長七年)、常陸から秋田にうつされた佐竹義宣は、久保田神明山に久保田城をきずき、いらい明治維新にいたるまで約二百七十年、二十万石の城下町としてさかえてきました。一八七一年(明治四年)、廃藩置県によって久保田藩から秋田県となり町名も久保田から秋田町にかわり、八九年(同二十二年)には市制がしかれています。

2020-07-31 09:49:00

相野々ダム あいののだむ

横手市山内平野沢

0182-53-2934

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山内村の中心はここ相野々です。旱魃や洪水に悩まされてきた平鹿地方の農民のために造くられた相野々をダムです。昭和二七年に着工してから九年の歳月をかけて完成したもので、高さ四○・八メートルは土堰堤ダムとしては日本一の大きさです。紅葉の頃はながめもよく、土地の人には親しまれています。

2020-07-31 09:48:00

小松川御番所跡 こまつがわばんしょあと

横手市山内

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藩内一八ヶ所に設けられた御番所のひとつで通行人のチェックと通行税を徴収したり、持ち出し禁止の品物の監視をおもな役目としていました。ここには横手支城の戸村、小鷹狩氏の役人、足軽四人が毎日つめ、南部方面を警戒していました。刀百振、銃三丁、槍三本が常におかれていたところです。

2020-07-31 09:46:00

平和観音 へいわかんのん

横手市睦成

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横手公園北側には、戦没者の慰霊と平和の祈りをこめて、平和観音が建立されています。高さ四・八メートル、花崗岩でつくられています。岡崎市在住の石田観仙氏の作です。本多正純の墓:城跡の南東の一角「宇都宮釣天井」の話で名高い、本多上野介正純の墓があります。正純は徳川家康の信任が厚かったが、二代将軍秀忠暗殺の疑いをかけられた武将です。由利郡や仙北大沢に移され、佐竹義宣預かりとなり、横手城に幽閉されていましたが、寛永一三年(一六三六)二月二九日、七三歳で悲運の死をとげました。幽居跡は、墓碑近くの高台にあり、ここらあたりを、上野台(こうずけだい)と呼んでいます。

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