インフォメーション

2020-09-30 22:45:00

狭山神社 勝海舟 さやまじんじゃ

東京都西多摩郡瑞穂町大字箱根ケ崎52

042-557-0958

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永承年間(一○四六)、源頼義が反乱をおこした陸奥の安倍氏を征伐しにゆくとき、箱根ケ崎権現をここに勧請し戦勝を祈ったといわれております。

境内に、勝海舟の筆になる「狭山茶場之碑」があります。

狭山の茶園をたたえ、茶業の振興を願う内容の碑で、眺めの素晴らしい丘から狭山の茶畑をのぞんでいます。

2020-09-30 22:44:00

狭山池自然公園 蛇喰治右衛門の伝説 さやまいけしぜんこうえん

東京都西多摩郡瑞穂町大字箱根ケ崎

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狭山池はいまはこじんまりした小さな池ですが、むかしは十五万平方メートルもある大池でした。

この池には蛇喰治右衛門の伝説が残されています。

かつてこのあたりに住んでいた力自慢の治右衛門が、あるとき池で水浴びをしていますと、池の主の大蛇に巻きつかれグイグイしめつけられてゆきましたが、逆に主の頭を喰いちぎってようよう難を逃れました。

すると蛇の血で池が赤くなり、池尻から流れ出す川も赤く染まってしまい、小さな川は蛇堀川とよばれるようになり、主をなくした池はたちまち小さくなったといいます。

いまはこの川は残堀川とよばれております。

「武蔵なる 狭山の池の みくりなは ひけば絶えずや 我ぞ恋する  (古今和歌六帖)」。

2020-09-30 22:42:00

檜原城跡 ひのはらじょうせき

東京都西多摩郡檜原村本宿

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戦国時代に小田原北条氏の家臣・平山氏が居城して甲州勢の侵略を防いでおりました。

平山氏は、源平合戦の時活躍した、平山武者所季重の子孫といわれ、南武蔵を治めました。

天正十八年に豊臣秀吉の攻略によって小田原城が落城した際、この檜原城もその運命を共にしております。

当時の城主の平山伊賀守氏重と氏久父子は、北秋川沿いにある山里、千足で自害して果てたといわれます。

城山の麓にある吉祥寺の境内には、平山氏重の墓と伝えられる五輪塔があります。

2020-09-30 22:41:00

人里 縄文式土器 へんぼり

東京都西多摩郡檜原村人里

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人里(へんぼり)は人の里と書く大変かわった地名です。

アイヌ語のヘンポリつまり、谷間の集落の意味が訛って人里になったとか、又一説には”人追い”が転じたなどといわれますが、つまびらかではありません。

いづれにしても、南秋川では一番早くから開けた所で、縄文式土器が発掘されたり、平安時代に創建されたという五所神社などがあります。

2020-09-30 22:40:00

五社神社 五大明王 ごしゃじんじゃ

東京都西多摩郡檜原村人里

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鳥居から十五分程山を登った所にお社があります。

平安時代に創建されたという由緒ある神社で江戸の頃には「五大尊」とも呼ばれました。

本尊は蔵王権現、不動明王など五体の明王像で、全部揃っているのが珍らしく、京都の教王護国寺などのほか全国でも数ケ所しかないと伝えられます。

五大明王のうち、蔵王権現、不動明王は平安期の作といわれ、都の重要文化財に指定されております。 

 

*五大明王像:蔵王権現、不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王

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