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2020-11-27 10:29:00

飛鳥坐神社・奇祭おんだ祭 あすかにいますじんじゃ

奈良県高市郡明日香村飛鳥707

0744-54-2071

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飛鳥坐神社は毎年二月の第一日曜日に、〝おんだ祭〟という奇祭をすることによって有名な神社です。

 

この日は東京や大阪から、見物のお客が押しかけ、恐らく、この明日香村で一年で一番人出の多い日ではないでしょうか。

 

お祭りは、先ず朝から天狗と翁が大さわぎで、田といわず、畑といわず、ふみ荒して暴れます。

 

そののち、神社の拝殿で五穀豊穣の祈りが行われ、さらに翁が仲立ちとなって、ヒョットコとオカメの扮装をした一組の役者(村の人)が大まじめで、夫婦和合のパントマイムを熱演するのです。

 

古代の生産力に対する素朴な信仰が、直接に表現されているのですが、けっして「ひわい」な感じを与えないところに、永い伝統と「あすか」という土地の、特殊性があるのかもしれません。

 

祭神は事代主命、大物主命などいわゆる国つ神で神官は代々飛鳥あるのかもしれません。

 

神官は代々飛鳥家と称し、八十数代続いているといわれ、一時代前の有名な歌人、折口信夫もこの家の出身でした。

2020-11-27 10:27:00

蘇我馬子 そがのうまこ

奈良県高市郡明日香村島庄

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蘇我馬子は、この土地に住み着いた帰化人達をたくみに利用し、特に仏教を積極的に取り入れて宿敵、物部氏の守屋を滅ぼして名実共に臣下として最高の大臣となりました。

 

聖徳太子とともに国政を司どり、敏速天皇から推古天皇まで、五代に亘って文字通り「島の大臣」として勢威を振ったのです。

 

崇峻天皇は、この馬子を謀りごとによって、殺されたと伝えられ、かなり暴逆なふるまいもありましたが、肝心なところは聖徳太子がよく抑えて、その一生は無事でした。

 

しかし、その子の蝦夷、孫の入鹿の時代に、ついに中大兄皇子や藤原鎌足によって、一族は滅されてしまいます。

 

何か、後世の平家の盛衰に似たところがあるようです。

2020-11-27 10:24:00

石舞台 蘇我馬子の邸 いしぶたい

奈良県高市郡明日香村島庄

0744-54-2001

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この辺を島の庄、または単に島と呼びます。

 

昔は、小高い丘のことも島と呼んでいたようで、崇峻、推古二代の実力者、蘇我馬子の邸があったといわれます。

 

従って、巨力をつみ重ねた、いわゆる石舞台は、この馬子の墓であると、一般に伝えられており、当時の馬子の権力がよく分ります。

 

この舞台もはじめは土でおおわれていた古墳でしたが、永い間に土がはぎとられ、墓はあばかれてしまいました。

 

そのため、見る通り副葬品は何もなく、周囲の溝と石で囲まれた玄室だけが残っています。

 

玄室は奥行七・七メートル、巾三・四八メートル、孔底から天井まで四・七〇メートルあり、三十数個の巨石で築かれており、その石の最大のものは七七トンあると計算されています。

 

人間がこの石を動かすには、一万二六〇〇人の力がいるといわれるほど、大きなものです。

 

千三百年もの昔、こんな大きな石を幾つも、どうやって積み重ねたのでしょうか、今でもナゾとされ、戦国時代、近くの高取城を増築する際、この石を持って行こうとして、運ぶことが出来なかったという話も残っています。

2020-11-27 10:20:00

高松塚古墳 極彩色の壁画 たかまつづかこふん

奈良県高市郡明日香村大字平田439

0744-54-3340

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昭和四十七年三月に、文武天皇陵の北、すぐそばにある高松塚古墳を発掘調査していた奈良県立橿原考古学研究所の人達が、古墳石室の内部に極彩色の壁画と、金と朱を使った星座の図を発見し、日本は勿論、中国や韓国、北朝鮮でも大きな話題となりました。

 

高松塚古墳は直径十八メートル、高さ五メートルの円墳で、大変小さなものですが、江戸時代にはこちらが文武天皇陵ではないかとまでいわれていたそうで、小さい割には形がよく、昔から注目されていました。

 

発見された壁画は、七色以上の染料を使い、男女十六人の像と、青竜、白虎、朱雀、玄武の四神がかかれ、天井の星座は星が金ばく、線が朱でつながれています。

 

日本の古墳の中から、極彩色の壁画が発見されたのははじめてで、さらにその画が美術的にも非常に立派で、高い技術をみせていることから、恐らくこの桧隈の里に住む高句麗系の帰化人が、高貴な人の死に対し最高の技術を発揮して、画いたものであろうといわれております。

高松塚古墳  極彩色の壁画  たかまつづかこふん

2020-11-27 10:16:00

飛鳥寺(安居院) あすかでら

奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682

0744-54-2126

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小さなお堂と、ささやかな境内が、何でこれが世にも有名なお寺であるのか、とお思いになるかもしれません。

 

事実、土地の人にも「安居院の大仏さん」ということだけで親しまれていた、平凡な農村のお寺に過ぎなかったのです。

 

昭和三十一年から、国立奈良文化財研究所が、このお寺が飛鳥時代に建てられた、日本最古の寺院である、法興寺跡にあるということから、この辺一帯の発掘調査をはじめた結果、思いがけない重要な事柄が次々に分り、俄かに世間の注目をひくようになったのです。

 

法興寺は、仏教普及を積極的に進めた最初の人、蘇我馬子が崇峻元年に工事を起し、推古四年(西暦五九六年)に完成したといわれています。

 

その遺跡を発掘したところ、伽藍配置は、塔を中心として北、東、西にほぼ同じ大きさの金堂を置くという、今までの日本に類のない型であったのです。

 

日本の伽藍配置で、一番古い形式とされているのは、大阪の四天王寺式で、その次が法隆寺式ですが、その何れも金堂は一つしかありません。

 

この法興寺式のものは、高句麗時代に建てられたという、北朝鮮平壌郊外の金剛寺(今は廃寺)にしか、今のところ見当りませんので、法興寺は恐らく、この金剛寺形式をとって、高句麗帰化人が造営したものと思われます。

飛鳥寺(安居院) あすかでら

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