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2020-12-30 16:27:00

小野川の頭権現 おのがわのこうべごんげん

長野県下伊那郡阿智村

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小野川からニキロメートルほどの山あいに頭権現とよばれるお社があり、頭の病に霊験がありあす。

この小野川に伝わる昔話です。

旅の山伏が農夫に殺されてしまいました。

その翌年のこと、この附近に悪い病気がはやり、沢山の人が亡くなってしまいました。

ある日のこと、病人の一人が熱にうかされて口走る言葉に

「私は昔、この土地の農夫に殺された山伏だ。草むらに埋められて眼には木の根がつきささり、苦しくて成仏出来ない。誰か私を堀り返して葬ってくれ。私が成仏出来れば悪い病気もなおるだろう」

と言うのです。

驚いた村人がその遺骸を堀り返し、立派に祀りますと、村には再び平和がもどったといいます。

2020-12-30 16:26:00

駒場城・阿智公園 こまばじょう・あちこうえん

長野県下伊那郡阿智村

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城山の標高は六九三メートルあり、昔は城の築かれていた山です。

今から六○○年以上前に、この地の豪族・駒場次郎が守った城でしたが、その後、甲斐の武田信玄に攻められ武田領となりました。

ただ今は阿智公園となり、赤石連峰や伊那谷の展望も良く、キャソプ場をはじめ、四季を通じて親しまれる自然公園になっています。

2020-12-30 16:24:00

小丸山公園 百万地蔵尊 こまるやまこうえん

長野県信濃町柏原

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松の木の根元にお地蔵さまがございます。

このお地蔵さまは昭和一八年、当時、ただいまの参議院にあたる貴族院の速記課長。石橋徳作氏の計画により建立されました。

その動機は、石橋さんが出張中、愛児があやまって井戸に落ちて亡くなりました。

それを悲しむ親心から、同じ境遇の全国一五六万人の方々から一銭ずつ集めて建立され、百万地蔵尊と名付けられております。

2020-12-30 16:20:00

歌ケ丘・歌碑(善光寺展望道路) うたがおか

長野県信濃町柏原

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歌碑が五つありますが、この歌碑は、それぞれの芸術分野で一家をなした、しかもこの地に縁の深い方々のものです。

(右の方から)丸い銅板には、能画専門家・飯塚正賢画伯が、善光寺に最も関係の深い謡曲・柏崎のひとふし”西に向へば善光寺、正身の弥陀如来”ときざまれる謡曲碑です。

その隣の新しい碑は、昭和三五年六月二○日、長野市若槻出身の地質学者、今はなき八木貞助先生の功績をしのんで建てられた碩徳碑です。

白いみかげ石には、東大名誉教授、坪井誠太郎先生の書かれた「頌徳八木先生を偲んで」の碑文と小諸市出身の洋画家、小山敬三画伯の浅間山の画が刻まれております。

その左は”都の西北早稲田の森に……”の歌でおなじみの、今はなき相馬御風先生が、郷里の糸魚川をはなれ、一九歳で上京されます折、汽車の窓から善光寺平を眺めて

”ゆく水の すえ遠々し みすずかる 信濃たかはら 秋ふかみかも”

と詠まれた歌碑です。

その次は、我が国の高山植物学界の権威者、河野齢蔵先生が、自ら書かれた高山植物と雷鳥の絵に

”我子よぶ 鶏のなく音はかそかにて 朝霧ふかし 白馬の峰”

という和歌をそえられた寿碑です。

一番左の大きな岩の碑は、「長野県民の歌」の信濃の国の歌碑で

”信濃の国は十州に境つらなる国にして、そびゆる山は、いや高く、流るる川はいや遠し……”

と浅井冽先生が作詞された歌詞が刻まれております。

歌碑はすべて作者の肉筆を青銅板に刻んだものです。

2020-12-30 16:17:00

広丘の歌人たち 島崎藤村など  ひろおかのかじんたち

長野県塩尻市広丘

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広丘は、歌人に縁が深く、藤村をはじめ、太田水穂や若山喜志子などの出生地です。

叉、アララギ派の歌人島木赤彦は小学校の校長を勤め、桔梗ヶ原を詠んだ数多い歌があります。

「森深く 鳥なきやみて たそがるる 木の間の水の ほの明りかも げんげんの 花原めぐる 幾筋の 水遠くあふ 夕ばえもみゆ」などがあります。

島木赤彦は諏訪の出身で、伊藤左千夫に師事し、後、斉藤茂吉、土屋文明、中村閉吉などの歌人と共に、「アララギ」を創刊しました。

又、若山喜志子は島木赤彦が校長時代、広丘小学校に奉職しており、歌人若山牧水と出会い

「くちずけの かなしき記憶 桔梗ヶ原の 暗き中ゆき やる方もなき」

と、若山牧水とのロマンスが歌われています。

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