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2021-01-25 22:58:00

佐渡奉行所跡・大久保長安 さどぶぎょうしょあと

新潟県佐渡市相川広間町1-1

0259-74-2201

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鉱山奉行・大久保長安は、慶長九年に佐渡奉行として着任と同時に、鶴子銀山にあった奉行所をここにうつし、大きな業績をあげました。

一介の猿楽師の出でありなから、徳川家康に認められ甲斐、石見、伊豆の金山奉行から佐渡奉行までもかねたほどなので、その人物や業績については、後の世にさまざまな話題を残しました。

中でも「長安謀反説」が最も有名ですが、一部の歴史学者は、謀叛も、その死後七万両のかくし金が見つかったことも、事実ではないかといっております。

しかし、盛者必滅とか申しますが、石見守の死後、その遺児七人がみな断罪にされた末路は、哀れです。

2021-01-25 22:56:00

水替無宿の墓 みずかえむしゅくのはか

新潟県佐渡市相川次助町

0259-74-2220

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佐渡の金銀山が発見されてから鉱川に関してのいろいろな伝説や逸話などが伝えられておりますが、最も悲惨なものは、水替無宿のことでしょう。

天下一を誇っていた佐渡金銀山も、徳川中期以降の歴史は、水との戦いだといわれるほどで、坑道が地下に深まるにつれ、ごうごうと音をたててわきでる水の処置に困り、金銀の産出は減るばかりでした。

幕府はその対策として、関東、関西などの無宿者、いわゆるヤクザや博徒、ナラズモノなどを片つばしからとらえ、有無をいわさず佐渡送りとし、坑内の水替え作業に酷使しました。

「佐渡の金山 この世の地獄」

とか「一にたたかれ、二ににしぼられて、三に佐渡へ水かえに」

などは当時のことを唄ったもので、彼らは髪を特別な形にかられ、町にもだされず、もちろんゆるされて帰る者などはごくまれで、ほとんどが坑内で飼い殺しにされたと伝えられます。

2021-01-25 22:54:00

銭座 一文銭 ぜにざ

新潟県佐渡市相川下戸村北銭座

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相川には、本当に金貨銀貨がつくられた金座、銀座がありました。

このあたりは銭座といって、江戸時代の寛永通宝という、あなあき銭をつくった所です。

一文銭は、裏に佐渡の佐の字を表わし、日本一の良い銭だったといわれます。

2021-01-25 22:51:00

二ツ岩の団三郎ムジナの話 佐渡にキツネがいない? ふたついわのだんざぶろう

新潟県佐渡市相川下戸村574  

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むかしむかし、相川の山の岩穴に、佐渡が島中のムジナの大親分、二ツ岩の団三郎が住んでおりました。

この大親分、化かすのも上手でしたがなによりの趣味が旅をすることでした。

ある年、お坊さまに化けて「お伊勢参り」に出かけた帰り道、越後の出雲崎から船に乗ろうとすると、一匹のキツネがあらわれて、佐渡へ一緒につれて行ってほしいと頼みました。

そこで団三郎親分は、キツネをうまくゾウリに化けさせ、船がだいぶ進んだところで、ふところから取り出したゾウリを、ポィと海に投げすてました。

ビックリしたのはゾウリに化けたキツネです。

団三郎親分にだまされたと思った時はすでに後のまつり、あえなく海のもくずになってしまったということです。

佐渡にキツネがいないのは、この団三郎ムジナの計略だったというおはなしです。

2021-01-25 22:49:00

キリシタン塚 きりしたんづか

新潟県佐渡市相川下戸村

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今から三五〇年以上前の寛永一五年、江戸幕府の切支丹禁止令によって、この島の信者一二○人あまりがとらえられました。

これは、島原の乱の翌年のことで、とらえられた信者臆みなハリッケの刑にされたという、キリスト教殉難史跡のひとつです。

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