インフォメーション

2021-02-23 10:26:00

苗場山 名の由来 なえばやま

新潟県湯沢町、津南町、長野県栄村

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苗場山は海抜二一四五メートル、近在の中では最も高い。

頂上からの眺望は美しく、アルプスを始め、佐渡も見渡せます。

頂上に四キロ四方の広野を持つ山で有名です。

季節には咲き乱れるお花畑となり、それらの草々が、あたかも苗代を思わせるところから、「苗場」という名がついたといわれます。

2021-02-23 10:24:00

山辺里織 さべりおり

新潟県村上市山辺里

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村上の特産として名高い山辺里織。

この織物は、農家の主婦や娘さんの手内職として、今から二○○年程前から織られてきました。

殿様の保護もあって、村上の特産として知られるようになりました。

2021-02-23 10:23:00

耕雲寺 こううんじ

新潟県村上市門前143

0254-53-0279

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今から六○○年程前の応永元年、楠正成の孫にあたる傑堂という人が建立したもので、石瀬の種月寺などと共に、越後の四大道場の一つです。

明治十九年、火災のため、荘厳を極めた七堂伽藍も、ことごとく灰になってしまい、当時鐘楼だった今の山門だけが、その頃のお面もかげをとどめるにすぎません。

2021-02-23 10:18:00

三面 伝説2 一人生き残った平家 みおもてでんせつ

新潟県村上市三面

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ある日、三面川の下流に金梨子(きんなし)地に、揚羽の蝶の紋のついた、きれいな箱が流れてきました。

それは今までに誰も見た事もない、大変珍らしいもので、普通の人の持物とは思えない香箱でした。

それを伝えきいた村上の殿様は、きっと三面川の上流には高貴な人が住んでいるに違いないと、さっそく数人の若者に、上流を調べさせることにしました。

若者達がたどった上流は、きこりの通う道さえもないけわしさで、切り立ったような断崖や、三面川の激流は瀬となり淵となって人間業では進みようのない難所ばかりでした。

こんな山深い所に人が住んでいるとは思われず、ましてや高貴な人が住むなぞとはどうしても考えられません。

そんなことを話合っている若者達のかたわらを、見なれない山男のような人が一人、弓矢を手にして通りか上りました。

おどろいた若者は、勇気を出して呼びとめ

”こんな山奥に人の住んでいる所があるか”

とたずねますと、その人は無言でうなずいたま上、野獣のような早さで川上の方へ、かけ去ってしまいました。

若者たちはその後を追って、川上まで行きますと、緑にかこまれた谷間に、一軒の山小屋のような家を見出しました。

この家こそ、あの高貴な香箱の持主の、世をしのぶ住家なのでした。

若者たちは案内をしてくれた男から、くわしい物語りをきくことが出来ました。

それはおよそ八一○年前の寿永一二年、壇の浦の戦いで敗れた平家の一門のうち、ただ一人生き残った池大納言頼盛卿でした。

源頼朝の乳母、池の禅尼に育てられた人で頼朝とは乳兄弟の間柄であったので、ひそかに助けられ、奥方の水草の前、長男の四郎丸、次男の愛宕丸や、代々仕えて来た家来七人をつれて、遠く奥羽の国に落ちのびようといたしました。

やっと岩船の里にたどりついたものの、野武士達に苦しめられ旅を続けることもならず、のがれのがれて、この三面川の上流の山深い所に、一時身を偲ばせたのでした。

住めば都の習いで、一時の仮住居の地も、いつか安住の地と変り、頼盛卿はついに三面の地で、この世を去ったのでした。

2021-02-23 10:13:00

三面 伝説1 みおもてでんせつ

新潟県村上市三面

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昔、勝成裕(かつなりひろし)という、米沢藩に仕えていた医者がおりました。

ある時、藩主上杉ようざん公から千古の秘境といわれる三面の谷に、薬草を探せと命ぜられました。

彼は十四人の供をしたがえて、旅姿もかいがいしく、米沢の城下を出発したのは、夏も半ばの暑い日でした。

一行十五人のうちの半分は、食糧をかつぐ人夫や、道を切り開く木こりでしたが、その中に一人変ったものがおりました。

それは立花直芳という、江戸の絵描です。

直芳は狩野派の画家で、たまたま米沢に来ていたところ、人跡未踏の三面の秘境を探る話を聞いて、特に願い出て一行の中に加えてもらいました。

一行は道なき道を切り開いて道を造り、ある時は崖をよじ登リ、又ある時は谷を渡るなどして、ようやく三面の里近くにたどり着きました。

その時直芳は崖下の谷川で一人のうら若い女の、水あびをしている姿を見出しました。

自分の背丈程もある黒髪を背に流し、白い肌もあらわにして、髪をすぐその立姿は、この世のひととも思われず、直芳は恍惚として見とれていましたが、はっと気がつき急いで矢立を取り出し、その姿を書き写そうとしましたが、その乙女は、それをす早く感じとり、にげ去ってしまいました。

やがて一行は村人達にも心よく迎えられて、そこかしこの山や谷に薬早を探し始めましたが、直芳はあの乙女のことが忘れられず、薬草探しにも身が入りません。

ある日直芳はふらりと家を出て、村はずれまで来ますと、こんもりとした森の中の、小さなお宮の前で、ひざまずいて何事かを一心に祈っている女をみて、思わず目をみはりました。

その女こそ先日谷川で水あびをしていた乙女ではありませんか。

直芳は前後を忘れてかけより、今までの自分の心を打ちあけました。

乙女は名を小露といい、問われるままに重い口を開いてこの村の因習を語りました。

この村の若い女は、あの谷川で髪を洗うならわしでした。

しかしその姿を他国の人に見られた者は一生、男とは添われぬという因縁がありました。

実は小露には、お互いにいいかわした人があったのですが、他郷の者に見られてはならない姿を、直芳に見られてしまい、そのために、その許婚者から捨てられてしまったのでした。

小露はなげき悲しみましたが、やがてその怒りは直芳に向けられ、あの男のために自分の幸せは破られてしまった、それなら神に祈って祈り殺してやろう、と、このお宮で祈っていたということでした。

直芳は話をき終り、それは根拠のない迷信であることを、熱心に説いてきかせ、こんな迷信で女の一生を捨てさせては可哀そうだと思い、この小露を自分の妻に迎えて、江戸へ連れ帰ったということです。

しかし、村人達の迷信を破ることは出来なかったようです。

村人は小露が許婚者に捨てられたのも、叉他国へ落ちていったのも、見せてはならぬ姿を見られた、女の宿命として少しも、うたがわなかったそうです。

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