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2020-07-19 16:56:00

姫路城

姫路城.jpg

 

兵庫県姫路市本町68

079-285-1146

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五層七階の天守閣をはじめとする諸楼閣は、全体の形が翼を広げて飛び立とうとする白鷺の姿に似ているところから、白鷺城ともよばれ、広く海外にまで知られ、我が国最初の世界文化遺産(平成五年)に指定されました。日本三名城の一つ姫路城は歴史も古く、播磨の豪族・赤松則村親子が初めて姫山の上に砦を築いたのが始まりで、その後黒田官兵衛の屋敷となっていましたが、秀吉がこれをゆずりうけ城を築きました。実質的にはこれが姫路城の基となっています。慶長六年(一六○一)関ヶ原の合戦の後、功績が認められた池田輝政が、五十ニ万石の城主となり、九年の歳月をかけて完成させたのが、今の姫路城です。   *千姫:姫路城は、悲しい女の思いがこもる城としても知られております。千姫は徳川家康の孫娘で豊臣秀頼に嫁ぎましたが、豊臣家滅亡後、本多忠刻の妻として姫路城に入りました。この時、千姫のために築城したのが今の西の丸櫓です。ところがニ十歳で嫁いで十年後、忠刻は三十一歳の若さで他界し、子の幸千代丸も他界してしまい、世継のない本多家はお取潰しとなってしまい、千姫は江戸に帰り、吉田に御殿を建ててもらいそこに住むようになりました。千姫は淋しさをまぎらわすうちに乱行にはしり、その頃の江戸のはやり唄にも歌われるようになりました。「吉田通れば 二階から招く しかも鹿の子の ふりそでで」。その後、大久保彦左衛門の戒めにより、髪をおろし、天樹院として七十四歳の生涯を終わりました。お墓は東京文京区の伝通院にあります。   *お菊の井戸:本丸の南側にある古井戸にまつわる怪談で、皿屋敷伝説があります。姫路城の家老青山氏が、主家のっとりを企みますが、それを腰元のお菊に知られてしまいます。そのため、お菊を家宝の皿がたりぬ事を理由に殺し、古井戸に投げこんでしまいます。その夜から、お菊の「一枚、二枚」と皿を数える声が井戸の中から聞こえてくるようになったというのです。これが播州皿屋敷の伝説で、お芝居では、かたちが変えられて、旗本青山播磨と腰元お菊の愛情のもつれとして描き、番町皿屋敷となっています。   *西の丸:池田輝政公によって、大天守を始め、その他の建物が完成致しましたが、比較的近くに丘陵を控えたこのお城として、特に西の防備・を固めなければなりませんでした。そこで本田忠政公は、その子忠刻に、二代将軍秀忠の姫君千姫を迎えた際、将車家より頂いた十万石の化粧料で、西め丸を築きました。   *姥ヶ石のいわれ:秀吉公が築城の折、石不足で困り、城下の人友に、石の供出を命じました所、貧しい老姿が、「せめてこれでも、何かのお役に立てて下さい」と、一番先に、石臼を差し出しました。、秀吉は、その志を喜びました。。この貧者の一灯が、城下で評判になり、続々と石が集り、意外に早く竣工致しました。秀吉公は、これも老姿のお蔭と、そこを見易い所に使い、姥ヶ石と名付け、後世に迄、その功績を伝えています。   *油壁:三百年余前の築城の姿を留める、遺跡です。油を混ぜた土を練って築いたものです。ここは、本丸に入るのど元に当り、大切な位置を占めておりますので、弓や鉄砲の通らぬ堅固な塀・が設けられました。   *腹切丸:この櫓は、帯郭櫓といいます。防禦上重要な所ですから、特殊な構造となっております。地下道の突き当りにある建物が、何となく陰気で、いかにも腹切場らしく感ぜられますので、誰云うとなく、腹切丸と呼ばれる様になりました。   *お菊井戸:恨みのお皿一枚、腰元お菊の投げこまれた所です。