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2020-07-25 10:37:00

坪の石碑 つぼのいしぶみ

青森県上北郡七戸町坪川原

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坪は、アイヌ語のツムオから変化したもので、「強く勇ましい」という意味だそうです。今から千三百年以上前、この地方には蝦夷が住んでいました。朝廷の命に服さず、勢力をふるい、人々から恐れられ、反乱を起したため、坂上田村麻呂が、征夷大将軍として蝦夷征伐に参りました。当時、都母(つも)というところに手ごわい蝦夷がいて手こずったそうです。その折、田村麻呂が矢の端で「日本中央」と書いて立てたと記録があり、地元では「坪の石碑(いしぶみ)」と呼んでおります。古くから歌枕に使われておりますが、この石のありかがはっきりわかりませんでした。ところが、昭和二十五年六月、川村種吉さん(故人)が、石文(いしぶみ)地区を流れる赤川に、川石採取に出かけた時、川底に巨石があるのを発見し掘り出しました。付着していた泥を洗い流したところ、なにやら文字らしいものが浮かんでいましたので、中央の学者に解明を頼みました。謎は多く、いろいろ議論がされておりますが、しかし、全国に知られる青森市の”ネブタ”の起源も、蝦夷征代に北上した田村麻呂が、兵を鼓舞するため人形を作り、それがねぶた人形として残るようになったと伝えられるように、近距離にある地元では、田村麻呂説が定着しておりますのも、その辺にあるようです。「ハアー 心嬉しい歌っこはひびく とっちゃも かつちやも みんなが揃た 坪の石文 赤松林 いどおいでよ おらほの町に ホンコ 良いとこ 東北町は ひらく男の愛の町(東北町音頭)」と唄って、坪の石碑の話を引き継いでいくのです。今の坪が、昔蝦夷が住んでいた、都母ではないかともいわれております。又、西行法師は「みちのくは おくゆかしくも 思わゆる 壷の石碑(いしぶみ) 外の浜風」と、詠まれております。