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2020-07-25 11:03:00

馬門温泉 まかどおんせん

青森県上北郡野辺地町

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馬門温泉は、古くから人々の湯治場として知られていたようです。たとえば、馬門温泉薬師堂の鰐口(仏堂の前の軒につるし、中は空で平たく、下に広い裂け目のある大きな鈴)には、「延徳三年」(一四九一室町時代)の銘があり、また、天明八年(一七八八・江戸時代中期)野辺地を通った菅江真澄が、「いわての山」の中で、「浜伝いにくると、老若の女、六、七人が、馬門にある出湯に行ってきたのに出会った」と記しています。温泉宿は、文政五年(一八二二・江戸時代後期)田中重兵衛が開業したといわれ、ひなびた湯治場でしたが、昭和五十九年、電鉄会社が経営するようになって近代的なホテルに生まれ変わりました。南武山荘(百三十年前)と津軽山荘(三百年前)は、南部、津軽の曲家をそのまま移築したものです。①峠の茶屋:南部浪岡町王余魚沢(かれいうわさわ)の坪田さんの家でしたが、古くなり取りこわす際、昭和三十九年ここに移築したものです。室町時代坪田家の先祖は江州(滋賀県)から渡り、浪岡町に住み、峠の茶屋を開いたといいます。津軽藩祖、為信公以来、藩の陣屋としても使われたといわれ、約三百八十年前の建築物です。②南部山荘(約百三十年以上前)の建物:間口十八間、奥行七間の建物で、同じ屋根の下に、母屋と馬屋を仕切ってあるのが特徴で、岩手の曲り屋とは少し違います。昭和四十年、上北町上野(姥名一郎所有)から移築しました。③津軽山荘(約三百年以上前)の建物:間口十二問、奥行六間の建物で、弘前市の葛西文蔵(弘大教授)所有の大農家の住宅で、昭和四十一年移築。南部地方の農家と比較して、屋根の造りや柱等は、ある程度製材して使用しています。中央の文化を早く取り入れた様です。