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2020-07-25 15:25:00

南祖坊と八郎太郎の伝説 なんそのぼうとはちろうたろうのでんせつ

青森県十和田市

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昔、陸奥国鹿角郡柴内に、八郎太郎という偉丈夫がおりました。あるとき山の仕事に出かけた八郎太郎は三匹の岩魚をつかまえ、焼いて食べたところ、馬鹿にのどが渇くので、谷川に口を付けて水を飲んだが、いくら飲んでも渇きはとまりません。そのうち気が付くと、いつの間にか自分の体が大蛇になっていました。こんな姿で村へもどることもできず、八郎太郎はやむなく十和田湖に棲みつくことにしました。それから百年ほどたったころ、名門藤原氏の一族で南祖坊という僧が、紀州の熊野権現のお告げにより、鉄の草蛙と錫杖をいただき諸国行脚の旅に上り、やがて十和田湖畔まで来たところ、お告げどうり草蛙の緒が切れ、錫杖が三段におれてしまいました。「この美しい湖こそ、わが永住のところ」と湖畔に下り、熊野神社を勧請し、自篭森の巨岩に坐して七日七夜の行に没頭していました。ところが十和田湖にはすでに、八郎太郎が主となって棲んでおりましたので、これを嫌った八郎太郎は南祖坊に戦いを挑みました。天地もさけんばかりの激闘は一四日間にも渡り続きましたが勝敗は決しません。そこで南祖坊は、笈の中から一巻の法華経を取り出し頭上にかざすと、その経文の一字一字がすべて八郎太郎の全身にくまなく突きささりました。さすがの八郎太郎も南祖坊の法力に敗れ去り、かくて南祖坊は十和田湖の主となり、逃れた八郎太郎は出羽に格好の地を見つけ大湖を造って棲み着きまた。これが八郎潟といわれます。その後八郎潟の主となった八郎太郎は辰子潟の辰子姫と親しくなり、二人の愛の深さと同じように、田沢湖はだんだん深くなり、八郎潟は八郎太郎が留守がちなため、しだいに浅くなったのだといわれます。南祖坊入定の地と伝えられ、水ぎわの岩に立って御倉山を拝み、こよりを水面に投げて吉凶を占い、こよりが沈ずめば願いがかない、浮いたり流れたりすると、その反対のことがあるとされ、十和田湖第一の霊場になっています。