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2020-07-25 17:06:00

八戸 はちのへ

青森県八戸

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かって三戸に本拠をおいた南部氏が、軍馬を育成するために、一戸から九戸までの牧をもうけました。八戸はその一つで、そのまま今の地名になっています。建武元年(一三三四)北条氏が滅んだあと、甲斐国波木井(なみきい)の南部師行(もろゆき)が糠部郡(ぬかべぐん)を治めることになり、八戸根城に城を築きました。八戸の発展の基礎.つくりは、このころからなされるよう室町時代に三戸の南部氏が勢力を拡大して盛岡に城を築くと、根城南部氏はその支配下にはいりました。江戸時代になって寛永四年(一六二七)、根城南部氏は遠野に移され、八戸は盛岡藩領となりましたが、寛文四年(一六六四)盛岡藩三代藩主南部重直が亡くなりましたが、跡継ぎがおらず、幕府は弟の重信に十万石のうち八万石をあたえて盛岡藩を相続させ、次弟の直房に残りの二万石をあたえて八戸藩を創らせました。以来八戸は城下町として発展し、明治を迎えています。