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2020-07-26 09:06:00

文学の中の浅虫 ぶんがくのなかのあさむし

青森県青森市浅虫山下208

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浅虫は、東北の代表的な温泉地だけに、この地を好んだ文人も多く、太宰治は、中学生時代にこの温泉から学校へ通いました。佐藤紅緑は、長編小説、「鳩の家」に浅虫を書き、竹下夢二は「浅虫の 海の渚に しらじらと 茶碗のかけら ひかる初秋」と詠んでいます。版画家の陳方志功は、青年時代から晩年まで、浅虫温泉の椿館で、家族同様の扱いをうけていたそうです。叉、水上勉の、「飢餓海峡」に描かれ、映画化もされました。「沖子は浅虫に来て海に面した南部屋の窓から、青い海を見た時、なんと美しい所かと眼を輝かした。前面の青森湾の海面には、湯の島、裸島カモメ島などという島がうかんでいる。(中略)そのうしろには、津軽と下北の両半島が、まるで傘をすぼめて倒したように海峡をはさんでいた。湾内には、いつも渡船が出ていて、津軽海峡をわたる白い連絡船もみえた。飢餓海峡の一節ですが、このくだりには、浅虫温泉の位置が正確にとらえられております。この作品が書かれたころ、浅虫の海よりのホテルの浴室には、厚い硝子越しに波しぶきが散ったそうです。その後、交通量の増大で、温泉街を縦断する国道四号線に、海岸線を埋め、バイパスを通しました。そのため、浴室の波しぶきは遠のきました。