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2020-07-27 13:31:00

秋田市 あきたし

秋田市はもと「飽田」とよばれる荒野でしたが、奈良時代にエゾを鎮圧するために高清水岡(秋田市内寺内あたり)に出羽柵が置かれ、これがのちに秋田城となって、以来、安東・佐竹氏の城下町として栄えてきました。慶長七年(一六○二)佐竹公が常陸の国(茨城県)から秋田へお国替えさせられた時、神明山とよばれた今の千秋公園に城を築き、地名も久保田と改めました。以来明治四年の廃藩置県が行なわれるまでの二七○年余り、佐竹二○万石の城下町として栄えております。明治以降、久保田も秋田と改め、県庁所在地として、政治・経済・文化・交通の中心地としてきました。市内の見どころとしては、秋田藩主佐竹氏代々の居城跡で、桜とつつじの名園千秋公園(久保田城跡)、平野政吉美術館、赤レンガ郷土資料館、国の史跡秋田城跡、江戸時代後期の国学者、平田篤胤の墓、佐竹氏代女の菩提寺である天徳寺や宝塔寺、全良寺、梵天祭りで有名な三吉神社、外町の鎮守社、日吉八幡神社などの古社寺があります。また、高清水公園、平和公園、大森山公園、仁別国民の森などの自然にめぐまれた景勝地があります。その他、焚天まつり、竿燈まつりなど県外にも広く知られた祭りや、フキの砂糖づけ、きりたんぽ、しょっつる鍋、清酒など、味の方でも秋田市を全国に紹介しています。

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アキタの名前が歴史にはじめて登場するのは「日本書紀」の六五八年(斉明天皇四年)のことで、この年阿倍比羅夫が齶田(あきた)・渟代(のしろ)二郡の蝦夷を倒したとあります。はぐきのガクの字の齶と田がアキの秋と田となるのはもうすこし時代がくだってからです。奈良時代にはいって七年後の七○八年(和銅元年)、越後国出羽郡(現在の山形県庄内地方)に政府の施設である出羽柵がおかれ、七三三年(天平五年)には高清水(現秋田市寺内)にうつされました。これが秋田城とよばれるようになり、同時にこの地方の政治の中心地となったのでした。江戸時代になって一六○二年(慶長七年)、常陸から秋田にうつされた佐竹義宣は、久保田神明山に久保田城をきずき、いらい明治維新にいたるまで約二百七十年、二十万石の城下町としてさかえてきました。一八七一年(明治四年)、廃藩置県によって久保田藩から秋田県となり町名も久保田から秋田町にかわり、八九年(同二十二年)には市制がしかれています。