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2020-07-27 13:39:00

海山徳次郎 かいやまとくじろう

秋田県秋田市金足追分字海老穴

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日本海に面した一帯は砂丘が多く、海山徳次郎はこの砂丘を利用してはじめて、果樹の栽培をこころみました。追分に住む海山徳次郎は、旅館と茶屋をいとなんでいましたが、男鹿のニシン漁の不振と鉄道の開通を見て、宿駅としての追分の勢いはやがて衰えると予想し、砂丘を開拓し農業によって生きる道をひらこうとしました。一九○三年(明治三十六年)、七十アールの砂地を開墾しナシの栽培にとりかかりました。これが追分ナシのはじまりで、やがて追分ナシ長十郎は、最優秀の折り紙がつけられ、北海道や関西にもさかんに売り出されるようになりました。海山徳次郎はのちにブドウ栽培にも成功し農業といえば稲作しか考えなかった人々に、果樹栽培でも立派に生計が立てられることを身をもって教え、秋田県の農業に新しい風を吹きこんだのでした。