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2020-07-27 14:33:00

民話「いなにわ物語」・稲庭のいわれ いなにわものがたり

秋田市広面字赤沼

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昔、太平の赤沼近くに、金持でケチな婆(ばんば)が住んでいました。朝は、ニワトリが鳴かないうちから起きて、ドデドデドンドコ、太鼓をたたいて神様だが、仏様だがをおがむし、夜は夜でチンチンジャガジャガ、鈴をならして念仏をとなえておりました。それで昔はたくさんいた下男や下女も、一人へり、二人へり、終りには一人残らず逃げだしてしまいました。たんぼ田畑がジッパリあっても、婆一人ではどうにもなりません。「アイすかたねアイすかたね……」と、婆はブツブツいいながら、「どこのヤッコでも使うがら、おらの家さつとめでける」と、村中をふれあるきました。………。まもなく、ひげぽうぽうの三吉という大男がやってきました。三吉はものもしゃべらず、朝早くから夜おそくまで働きました。田打ち、水汲み、植つけ、草取り、どんな仕事でも十人前、二十人前と働いて、やがて秋の取り入れとなりました。三吉は大きな鎌をふりながら、みるみるうちに三千刈(三町歩)の稲を刈とって、山のように積みあげてしまいました。婆はこれをみて、来年もまた働いて貰いたいと思いましたが、しかし、冬の間ただめしを食わせておくのはもったいないので、まず三吉を呼びよせていいました。「三吉あい、もう今日かぎりだど。まんず働いたダチンに、この稲しょえるだけけるがらいくらでも持って家さけえれ」すると三吉はニコニコ笑って、「いいでや、嬉しいでや、婆さま、ほんとにしょえるだけだな」「ンダ、しょえるだけしよっていけ」婆は心の中でほっとしました。一年間働かさせ、背負えるだけの稲をやればいいのですから、まるでただのようなものです。それでも三吉は、笑いながら「ンダば、婆さま、まずおせっかく」と、いそいそ家を出ていきました。ところがどうでしょう。たんぽへいった三吉は、三千刈の山のような稲を、苦もなくヨイショとひつかつぎ、そしてドンスコドンスコ、山の方へ歩いて行くではありませんか。「ヒャー三吉あい、おらどこの稲、みんなもっていぐねがー。あや-。」婆はどでんして、はだしのまま後を追いかけました。「三吉や-い、三吉や-い」しかし、婆がどんなに追いかけても、稲の山はドンスコドンスコ先へ行きました。野を越え、山を越え、一日たち、二日たち…婆はもう死にそうになって、「あい、腰いでや、足いでや」といいながら、二十里も離れた皆瀬村へやってきて、やっとのことで稲の山にすがりつきました。「三吉、やめでけれ、やめでけれ」婆は懸命になって稲の山を引きもどそうとしましたが、ずるずると抜けてきたのは、たった二把の稲束でした。その稲束をしっかり抱きしめたまま、婆は気を失なって倒れてしまいました。これは三吉神社の祭神、三吉さんが、欲張りをいましめたものといわれ、今の名の稲庭とはその時の稲二把からきたものといわれます。