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2020-07-27 16:22:00

十二所城跡 じゅうにしょじょうせき

大館市十二所

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中世の浅利氏の家臣、十二所信濃が館としていたところで、佐竹氏の時代には南部藩との国境の要地として重視され、久保田、湊、横手、大館、能代とともひに藩内六町の一つに数えられるほどのにぎわいをみせた城下町でした。その後、塩谷義綱、貞綱、重綱と三代が城代となり、梅津忠貞が四年間、茂木知恒(ともつね)に代わってから明治二年まで、十代一八七年間続きました。戊辰戦争の戦火で十二所の街は焼かれてしまいましたが、現在、本丸跡には「十二所城本丸跡」の石碑が立てられ、秋田藩郷校成章書院があったところには、成章小学校が建てられています。