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2020-07-28 10:17:00

船川港 ふなかわこう

男鹿市船川港船川

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丘陵が北西の季節風を防ぎ、昔から天然の良港として知られ、江戸時代には土崎湊(現秋田港)にはいる北前船の避難港・風待港になっていました。一九一一年(明治四十四年)、港湾を近代化するために七万坪の埋めたてがはじまり、二十年のちの一九三一年(昭和六年)に完成しています。そのうち四万坪に町がつくられ、くわえて一九一六年(大正五年)、国鉄船川線(現JR男鹿線)の、追分(現秋田市)・船川間が開通し、藩政時代の姿を一新しました。一九六五年(昭和四十年)に秋田湾地区が新産業都市の指定を受けたのにともない、秋田港と船川港を両翼としたそのあいだの海岸に、一大工業地帯の建設がはじまり、船川港でも港湾の整備・拡張がすすめられ、一九七○年(昭和四十五年)には五十ヘクタールの海を埋めたて、木材コンビナートが誕生し、男鹿の中心地を不動のものにしています。