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2020-07-28 10:34:00

与惣右衛門堰 よそうえもんぜき

雄勝郡稲川町

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稲川町は、その昔、皆瀬川の段丘の両岸に位置するため、水の便が大変悪く、田畑に利用するには限界がありました。秋田藩の新田開発とあいまって、この周辺は潅概用水路が数多くつくられましたが、この中で特に困難を要したのが取水口の朝月山麓から上久保に至る二・五キロメートルでした。京政の麻生与惣右衛門は、岩壁が突出しているところに長さ一五メートルの陸道を造り、これを無事切りぬけました。着工から五一年目与惣右衛門の努力は実り、七ヶ村を潤す用水路はついに完成し、新田を生み出すことができました。ただ今では、かつての美田は、休耕地となって草ぼうぼうの田畑もみられます。その与惣右衛門堰顕彰碑は、京政地区の北端の堰のふちに立っています。