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2020-07-28 22:13:00

哀話伝説・御生掛け でんせつ・ごしょうがけ

鹿角市八幡平字熊沢国有林内

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今から三百年程前、御生掛は地獄谷と呼ばれておりました。当時、この地獄谷のほとりに小屋を建て、牛追いをしながら生活する若者がおりました。生れは岩手県久慈といわれ”九兵衛”という男前の若者でした。ある時、病に倒れ高熱のため、生死の間をさまよっておりました。丁度その時、青森県の霊場、恐山に参拝に行く娘巡礼が通りがかり、病に伏す九兵衛をあわれみ、ひたすら看病に努めたのでした。娘巡礼の真心が通じたのか、病は次第に良くなり、いつしか働きに出られるようになりました。こうして三年の月日がたちました。九兵衛には久慈にいた頃、すでに妻があり、男の子は七歳になっていました。夫が地獄谷で牛追いをしている事を伝え聞いた妻は、慣れぬ山道を歩きやっとの思いで、夫の住む笹小屋にたどり着きました。つもる話をするほどに妻は、夫の災難を救った巡礼の存在を知ることになりました。巡礼は三年間、一緒に暮らしたとはいえ、九兵衛には子供まである事を考え、親子三人の幸福福を祈ろうと決心したのでした。翌朝、地獄谷のほとりに一足の草履を残したまま、巡礼の姿はありませんでした。妻は、死をもって親子の幸福を願う純な女の心を眼の当りに見て、自分も幸福をあきらめ、死出の旅にたちました。遠く九兵衛の声が聞こえた時は、もう地獄谷の渦の中に身をおどらせた後でした。その後、九兵衛は、残された我が子のため、久慈に帰り、二人の女の後生を一生かけて、とむらったという事です。これが、オナメ、モトメのお話で、後生を掛けると言つた事から、御生掛けの名が生まれたといわれます。