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2020-07-28 22:22:00

マタギ またぎ

北秋田郡阿仁町(現北秋田市)

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マタギとは、山間に住み、しきたりを守り、狩りで生活している猟師のことです。山を神と信じ、獲物は山の神からのさずかりものとうやまい、厳しいマタギの作法を守って生きています。山の動物達の中でも、特に熊が冬眠からさめる頃をねらう熊狩りが重きをなし、スカリと呼ばれる親方を頭として、七、八人が一組となつて山に入ります。熊の頭を一発ねらうのが普通ですが、他に”アバラ三枚”という獲りかたがあるそうです。これは胸の二枚目と三枚目の骨の間を撃つそうで、少しでも急所を外さないようにするのは大変なことだそうです。横向きの時はアバラ三枚が的に、正面からの時は頭をネラウそうです。マタギの人々は、山に入りますと、山言葉を使います。山の神の忌み嫌う里言葉を改めたもので、米をクサノミ、熊をシャチノミ、馬を高背、山はトマなどといいます。「マタギ」の起源については、いろいろな説があるようですが、作家・戸川幸夫氏はある本に、またぎ達は、祖先は盤次盤三郎だと云っている。伝説によると、清和天皇の御代に下野国に盤次盤三郎という弓の名人がいた。或る時、下野の日光権現と上野(こうずけ)の赤城明神とが争い、激戦を交えた。日光がたが戦況不利となったので、盤三郎は弓を持って応援に出かけた。そのため、日光権現が勝ったので権現は喜び、朝廷に告げて、日本国中の山々を残らず盤三郎の支配にまかせた。従って、「マタギはどこの山にでも入って狩をするのだ。」と彼らは言う。盤三郎はその後、各地をめぐったあとで、仙台名取川の流域に居を構えた。一説には山形県の山寺にいたこともあり、山寺立石寺には石像がまつられている。宮城県、山形県には盤三郎に関する伝説が多い。盤三郎は秋田県の阿仁に入り、そこで終った事になっている。盤次盤三郎は兄弟だったとも伝わる。マタギの頭領だったのだろうと、この様に記しておられます。