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2020-07-29 22:02:00

五義民の碑 ごぎみんのひ

北秋田市坊沢

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坊沢のはずれに首切塚とよばれているところがあり、「五義民の碑」が建っています。一七二三年(享保八年)のことでした。この年坊沢では二度の洪水があり、田に水を引くため八キロ上流に作ってあった堰が大破してしまいます。これを修理するため農民にとてつもなく多額の税がかけられました。農民たちは肝煎の兵助に、これでは餓死するから安くしてくれとかけあいますが、何としても承知してくれません。そこで肝煎をいさめてほしいと役人に訴えるのですが、裏で肝煎と手をむすんでいる役人は知らぬ顔をきめこんでいます。たまらず藩主のいる久保田の町に行き直訴しましたが、肝煎の悪だくみにあって敗れ一七二四年(享保九年)三月、二十一人が牢にいれられ、その年の十一月に十六人は追放の身になり、五人は村につれてこられ、処刑されてしまいました。見せしめのため三日間さらしものにされたといいます。のちに村人は処刑された場所に土を盛り、墓石を建てて霊を慰め、この盛り土を首切塚と呼んでいました。一九二四年(大正十三年)二月、二百年を記念して「五義民の碑」が建てられました。