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2020-07-30 22:33:00

院内銀山 いんないぎんざん

湯沢市院内

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「院内銀山記」によりますし」、慶長一一年(一六○六)村山宗兵衛、森治郎左衛門、渡辺勝右衛門、石山伝助ら四人によって銀山が発見され、翌年から開抗されたと記されています。たちまち”山小屋千軒、下町千軒”のにぎわいを誇る町が出現し、もっとも華やかだった頃は、歌舞伎芝居が毎日のように行なわれ、町には軒を並べて店が建ち並んだといいます。銀山の最盛期は慶長年間で、一日銀一○○○枚、年間二万キログラムを産出したと伝えられ、その繁栄ぶりは久保田城下をしのぐにぎわいだったと記録されています。やがて時代は下って、明治二九年に古河鉱業の手に移っていた銀山も経営不振となり、昭和二九年全面閉山、という事態におちいり、三五○年のかがやかしい鉱山の歴史を閉じました。*山記念日発祥の地:明治十四年九日四二一日、明治天皇が東北を御巡幸のみぎり、ここ院内銀山五番抗をご視察されました。このことから五番抗を「御幸抗」と命名され、またこの日を我国の鉱山記念日としています。