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2020-07-31 09:32:00

後三年の役 ごさんねんのえき

横手市金沢中野

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「後三年の役」の舞台となった金沢です。後三年の役は、今からおよそ九一○年以上の昔、岩手県の北上盆地と、横手盆地を主戦場に四年間くり広げられました。当時、奥羽一帯は戦いに明け暮れた、「前九年の役」も安倍貞任の滅亡で終り、清原一族が権力を誇っておりました。この清原一族のささいなもめ事が、後三年の役の始まりとされております。清原家の当主、真衡(さねひら)は養子の成衡(たけひら)に、源義家の妹をお嫁さんに迎えて、盛大に祝宴を行ないました。この日、一族の吉彦秀武(きみこのひでたけ)もお祝いに出向きましたが、真衡は秀武をそっちのけにして、囲碁遊びに夢中でした。この無礼に秀武は、せつかく用意していった、お祝いの品々を投げつけてさっさと国へ帰ってしまったのです。これに対し真衡は、かえって秀武の無礼を怒り、攻めつけたのがそもそもの争いの始まりといいます。真衡には、清原家衡、藤原清衡という父の異なる二人の弟がおります。この二人は兄を好いておらず、戦いでは秀武に味方をしました。やがて戦いの最中、兄の真衡は病気で亡くなりました。弟二人は、将軍である義家から兄の領地を半分づつ分けてもらいましたが、家衡の方は山ぱかり多かったので、清衡を憎み再び争いを始めました。その舞台が横手盆地です。家衡は、叔父の武衡のすすめで沼の柵(沼館)から金沢の柵へと館を移し、有利に戦いを進めました。しかし、一方の清衡は、源義家の応援をうけてじりじりと攻めつけ、ついに寛治元年後三年の役が始まってから、四年目に金沢の柵が陥落、戦いの幕を閉じたのです。この間には、鎌倉権五郎景正の活躍など、有名なお話が残されております。この戦いで、勝利をおさめた藤原清衡は、後に平泉に城をかまえ、三代、百年の栄華を築きあげました。