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2020-07-31 16:45:00

秋田市について あきたしについて

アキタの名前が歴史にはじめて登場するのは「日本書紀」の六五八年(斉明天皇四年)のことで、この年阿倍比羅夫が齶田(あきた)・渟代(のしろ)二郡の蝦夷を倒したとあります。はぐきのガクの字の齶と田がアキの秋と田となるのはもうすこし時代がくだってからです。奈良時代にはいって七年後の七○八年(和銅元年)、越後国出羽郡(現在の山形県庄内地方)に政府の施設である出羽柵がおかれ、七三三年(天平五年)には高清水(現秋田市寺内)にうつされました。これが秋田城とよばれるようになり、同時にこの地方の政治の中心地となったのでした。江戸時代になって一六○二年(慶長七年)、常陸から秋田にうつされた佐竹義宣は、久保田神明山に久保田城をきずき、いらい明治維新にいたるまで約二百七十年、二十万石の城下町としてさかえてきました。一八七一年(明治四年)、廃藩置県によって久保田藩から秋田県となり町名も久保田から秋田町にかわり、八九年(同二十二年)には市制がしかれています。