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2020-08-03 15:28:00

大船渡史 おおふなとし

そのむかし、先住民が居住していたといわれます。各地に見られる貝塚や洞窟などが、それを物語っています。延暦二十年(八○一)、坂上田村麻呂が蝦夷を平定して以来、国府の治めるところとなりました。平安中期に中央政治が乱れると、地方の豪族安倍氏の支配が長くつづきましたが、安倍貞任が、前九年の役(永承六年〜康平五年)で、源頼義・義家父子と出羽の俘囚清原武則らに殺され、安倍氏は滅亡し、清原氏がかわって安倍氏の旧領奥六郡(胆沢・江刺、和賀、稗貫・紫波・岩手)を支配するようになりました。しかし、これは長くつづかず清原家の内紛がもとで、後三年の役(永保三年〜寛治元年、一○八一二〜八七)で源義家に滅ぼされ、この戦の功によって藤原清衡が奥六郡をいただき、絢燭な平泉文化をきずくことになります。百年のち、文治五年(一一八九)、藤原清衡から四代目泰衡が殺されて藤原氏も平泉文化も滅んだのでした。北条、南北朝、足利と時代が移り、政治のゆるみとともに地方の豪族葛西、木村の領下に移り、豊臣秀吉の時代になって統一され、明治になるまでは伊達領でした。そして廃藩置県によって明治九年、現在の岩手県に属したのです。