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2020-08-03 22:12:00

百姓一揆顕彰像 ひゃくしょういっきけんしょうぞう

下閉伊郡田野畑村

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四方見山(しほうみやま)公園に百姓一揆顕彰像があります。嘉永六年(一八五三)、盛岡藩はきびしい御用金をかけました。たまりかねた田野畑村、安家村、野田村の農民が一揆を起こし、二十九日宮古に、六月二日山田町に、五日には釜石に達し、この時の人員は二万人をこえたといいます。六月六日一揆軍は藩境を越え仙台領になだれこみ、藩主南部利剛(としひさ)の罷免を要求し、また仙台藩の領民として抱えてほしいと、仙台領に訴えでました。百数十日ものあいだ粘り強い交渉をつづけ、ついに家老の交代、新税の廃止、一揆の指導者を処罰しないという結果を勝ち取りました。この百姓一揆は、わが国近世における最大の一揆であり、一人の犠牲者も出さず、ほぼ完全に要求を実現したものとして注目されました。顕彰像はこの一揆の指導者畠山太助と三閉伊の一揆の指導者切牛弥五兵衛のものです。昭和四十六年白田山太助の百周忌を記念して建てられました。