インフォメーション

2020-08-04 09:43:00

平泉 ひらいずみ

西磐井郡平泉町

---------------------------

歴史で名高い平泉は、かっては野蛮な蝦夷の住む地として、朝廷の支配下に入らなかった所です。この奥羽平泉に、高度の仏教文化を導入して、平泉文化とまでいわせたのは、初代藤原清衡で、ここに館を定めてのちの事でした。(寛治一元年一○八七)前九年の役で父を、後三年の役には、妻子を殺害されるなど、青年期を戦乱の中で過ごした。清衡が、この地に仏国土を築き、理想的な楽土を願ったのです。このような清衡の平和への願望達成は、この地方が産金国であり、地下資源が豊かな上、良馬を産するなど多くの財力に恵まれていたからでした。二十年余りの歳月をかけて、中尊寺に七堂伽藍をはじめ四十あまりの堂塔、三百をこえる僧坊を建立し、仏像、工芸美術品は中央文化ばかりか、その根源になっている中国文化までを直輸入して、東北における一大文化の中心を築き上げたのでした。絢欄と華ひらいた平泉は、二代基衡、三代秀衡と、百年にわたって黄金時代を築き、奥羽の行政都市として栄えました。然しその反面、豊かな財宝に支えられた藤原氏の勢力は、鎌倉幕府をおびやかす事になり、やがて頼朝の攻略を受けて、滅亡の道を辿る事になるのです。文治五年(一一八九)兵火に焼きつくされた平泉にあって、中尊寺だけは難をまぬがれました。さすがの頼朝も、そこに出現した楽士に圧倒され、兵火を向ける事が出来なかったのでしょう。そののち、建武四年(一三三七)に起った野火は、一山をことごとく焼きつくし、現在、中尊寺に創建当時の建造物として残っているものは、金色堂と経蔵の一部だけです。