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2020-08-04 09:48:00

衣川橋・弁慶 ころもがわばし

西磐井郡平泉町平泉坂下

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京都五条大橋で、牛若丸めがけて、長刀を振りあげた弁慶も、その後義経の家来となり、泰衡が義経をおそった時には衣川橋の辺りですさまじい戦いが続けられた。鎧には無数の矢を受け、長刀を杖に、六尺(一メートル九○センチ)に余る弁慶が、義経を守って仁王立のまま最期をとげたという、弁慶立往生の場所は、小さな衣川のほとりに残っております。今は田野となった川のほとりに、その最期を印す標柱が立ち、川面に渡る風も心なしか淋しげでございます。「弁慶も たつやかすみの 衣川  宗鑑」 *奥の細道(抄):三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり、秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。充(ま)づ高館に登れば、北上川南部より流るる大河なり。衣川は和泉ヶ城を回(めぐ)りて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣ヶ関を隔てて南部口を差し堅め、蝦夷を防ぐと見えたり。偕(さて)も義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。〃国破れて山河あり、城、春にして草、青みたり〃と、笠うち敷きて、時のうつるまで泪(なみだ)を落とし待(はべ)りぬ。「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」