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2020-08-04 21:37:00

宮沢賢次 みやざわけんじ

花巻市

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花巻が誇る郷土の人、「宮沢賢治」は、明治二十九年、熱心な仏教徒であった政次郎を父として花巻に長男として生まれました。生涯独身をとおし、三十八歳で世を去りましたが、「自分の作品は、全て迷いの跡であった」といい残しています。賢治は盛岡高等農林学校(現在の岩手大農学部)に学び、かたわら法華経の体得に務めていました。大正十年に上京し、アルバイトをしながら、法華経の布教に奔走していました。だが妹の病気で花巻へもどり、花巻農業学校で教職につき、そのかたわら詩や童話を書き続け、農民の指導者となって、自然化科学の実践にもあたりました。賢治は三十八年という短い生涯の間に、沢山の作品を残しています。「雨ニモ負ケズ」「永訣の朝」「無声働突」など詩が千数百編。「銀河鉄道の夜」「風の叉三郎」「セロ弾きのゴーシュ」をはじめ、とする童話一○○編。さらに短歌、論文に、と、賢治が残した足跡は大きいものです。しかし、存命中に刊行されたものは、詩集、「春と修羅」童話集、「注文の多い料理店」の二冊にすぎず、しかも、いずれも自費出版で、当時はたいした反響もみられませんでした。現在、宮沢賢治全集は、さまざまの形で刊行されていますが、それらは賢治の死後、高村光太郎、草野心平らの労により、文芸評論家に知られ、作品が高く評価されてのちのことです。有名な、「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケス、丈夫ナカラダヲモチ・・・。」の詩は、昭和六年に発表されました。