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2020-08-04 22:15:00

宮古港戦蹟碑 みやここうせんせきひ

宮古市光岸地5-8(大杉神社)

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宮古港海戦といいますのは、明治初年、宮古湾で行なわれた官軍と幕府軍との戦いのことです。明治二年三月二十五日、五稜郭にこもる幕軍を討つために北上し、宮古湾に錨を降ろしていた官軍の甲鉄以下八隻の艦隊に、榎本武揚のひきいる幕府軍の軍艦回天が当時の最新鋭艦甲鉄を奪おうと刀を振りかざしてきりこみました。しかし、甲鉄の速射砲、今の機関銃に苦しめられ、激戦三十分ののち、回天は敗走して戦いは終わったのでした。これはわが国近代海戦史上、初の海戦として有名です。またこの時、官軍にはのちの元帥東郷平八郎が、幕府軍の回天には新撰組の土方歳三がそれぞれ乗船していたといわれます。官軍はアメリカから購入した当時の最新鋭艦甲鉄をふくめて八隻、幕府軍は回天、幡竜、高雄の三隻を持っていました。しかし幕府軍は宮古へむかう途中、暴風雨にあって三隻はなればなれになり、回天だけアメリカ国旗をかかげて宮古湾に突入し、甲鉄艦の十メートルほど手前で、日の丸の旗にかえ、きりこんだのでした。この時官軍側は、アメリカの艦隊と思って安心していたところを不意に襲われたのですが、ものの三十分で回天は敗走し、戦いは終わりました。回天は宮古湾の外で出会った幡竜と函館に入港しましたが、高雄は宮古湾付近の海岸に乗り捨て、艦を焼いて乗組員は降伏しています。