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2020-08-05 09:18:00

御所 ごしょ

盛岡市

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今から八百年以上前、源頼朝に滅ぼされました、平泉の藤原一族が、追手をのがれ、この山深い里にかくれ住みました。四代藤原泰衡の思慮の浅さは義経を亡くし、「三代の栄耀一睡の中にして大門の跡は一里こなたにあり、秀衡が跡は田野になりて金鶏山のみ形を残す…国破れて山河あ…」と、芭蕉を嘆かせた悲劇がありました。この落人達も心休まる日もなかったのですが、追手の詮議がゆるむに従って、きらびやかな伽羅の御所、柳の御所の生活が懐しく、その面影をとり入れた屋敷を建て、「滴石御所」と呼び、山里の生活になじんでいきました。以来、八百年も経っておりますが、字は変りましたが、雫石も御所もそのままで呼ばれています。この落人達の中には、はるばる京都から呼んだ白拍子や、美しい女房達が多勢いましたので、その血筋をひき、この辺りの娘さん達は、美人が多いといわれます。