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2020-08-05 09:34:00

大島高任生誕地 おおしまたかとう

盛岡市大通3丁目10の26

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わが国の熔鉱炉製鉄の創始者は、南部藩士大島高任ですが、かれは文政九年(一八二六)南部藩の蘭方医、大島周意の子として盛岡に生まれました。天保十三年(一八四二)、江戸に出て蘭学を学び、弘化三年(一八四六)には、藩命によって長崎に留学し、医学ではなく、西洋砲術および製鉄法を学びました。そのとき水戸藩士、藤田東湖に認められ、水戸藩に反射炉を建設して大砲の鋳造に成功したものの亀裂がはいり、このとき利用した出雲砂鉄が大砲鋳造に適しないと感じました。これを防止するには、磁鉄鉱精練による銑鉄でなければならないとして、安政四年(一八五七)、釜石の大橋鉱山の原料で洋式高炉を築き、初めて銑鉄の生産に成功しました。以来十二月一日が鉄鉱記念日となっています。その後も小坂銀山など藩内の鉱山開発に力をそそぎ、明治二年には政府に任用され、大学教授となり、欧米の鉱山を視察し、鉱山局長や大蔵技監を歴任するなど、明治前期の鉱山行政の主務官として大きな功績を残し、明治三十四年、五十七歳で亡くな、りました。