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2020-08-08 14:09:00

石巻市 いしのまきし

伝説によりますと、仁徳天皇の御代に、蝦夷征伐に派遣された上毛野田道(かみつけのたじ)が「陸奥の国伊寺水門(いしのみと)に死す」ということになっており、この伊寺(いし)の水門が、今の石巻であるとされています。鎌倉時代に源頼朝は平泉の藤原氏を倒したあと、葛西三郎清重を、奥州総奉行に任じ、葛西後約四百年のあいだ石巻は葛西氏の領有する城下町として、発展してきました。江戸時代の初期、伊達政宗が北上川を大改修したことで、自然の入江を利用した、小舟が出入りする程度だった石巻は、港として飛躍的に発展し、千石船が通う東北屈指の港町になりました。芭蕉はこの石巻の情景を『おくの細道』で次のように伝えています。「石の巻という港町に出た。金華山が海上に見渡される。「すめらぎの御代さかえんとあずまなる みちのく山にこがれはなさく」。大伴の家持が聖武天皇に詠進した金華山である。何百とない回漕船が湾内に集まり、人家がすき間なく建てこんで、竃(かまど)の煙が立ちつづけている。」(『われもまたおくのほそ道』森敦訳)