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2020-08-08 19:54:00

鈴木辰女のお墓 すずきたつじょ

大崎市三本木坂本字館山22

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鳴瀬川のすぐそばに、天性寺というお寺があります。そこには、鈴木辰女のお墓があります。昔、この村に鈴木八五郎という役人がおり、たつ、とう、はつ、という三人の娘がいました。長女の辰に養子を迎え、八太夫と名のらせました。二人の仲は大変よく平和に暮らしていたのですが、悲しい事に八太夫は願病にかかってしまったのです。病を知った父親は八太夫を嫌って家から追い出そうとしたのですが、娘の辰は、病気になったからといって、別れる事はできないといって、親と別居する事にしました。驚いた父親は、娘可愛さから色々と考えた末、隣の家から、モミ一俵を盗み、辰の家と、隣りの家の間にモミ粒をまき、八太夫が盗んだようにみせかけました。早速奉行所に引かれ、罪を問われました。何も知らない事なのに言い訳が聞き入れてもらえず、八太夫は処刑される事になりました。ふとした事から、真実を知った辰は、本当の事を話せば父親が処刑されるので、親と夫の間にはさまり、悩み苦しんだ末、子供を背負い、鳴瀬川に身を投げようとしましたが、人目が多く、家に帰り「三界の かせとしきけど 子を負おうて 三途の川の 浅瀬わたらん」という句を残し、子供と共に、二十七歳の若い命を断ちました。(正徳四年四月十四日)。後、伊達五代目の藩主、吉村公が、藩内巡視にこの地に参りました時、この話を聞かれ、哀れと思われ、辰のお墓を作られたという事です。「親の三界(過去、現在、未来)を縛りつける程、子供への愛情は深く、叉、子供の事を思うと死んでも死にきれません」と、三十一文字(みそひともじ)に思いのたけを詠みこみました。父親、八五郎は牢朽(無期懲役)の刑、夫、八太夫は、妻の貞節によって、一生救いの扶持を下されたといいます。