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2020-08-09 08:45:00

金成町 かんなりちょう

栗原市金成

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金成町は、古くから「金生む里」と呼ばれ、藤原時代、むつの産物を京都に、京都の文化を東北に取り入れる事に協力した、三条吉次信高の生れた土地で、その吉次の父親、炭焼藤太の屋敷がここにあったといわれます。昔の物語になりますが、京都三条右大臣の娘於幸弥(おこや)は日頃から清水観音を信仰しておりました。ある日の事、夢の中に観音様が現われ、「奥州金成の炭焼藤太に嫁ぐべし」と告げました。於幸弥は、はるばるみちのくに下り、藤太とめぐり合い夫婦になり、吉次、吉内、吉六の三人の子を生みました。藤太が炭を焼いていた附近は、砂金でおおわれていたため、長者になったと伝えられます。吉次はその後、京に上り、金売吉次として名声高く、義経の東下りの時は、蔭になり日向となって平泉まで同行した事など、数々の伝えがあります。この近くは、金沼、金鶏山、金山沢など、金の字のつく地名が多いのです。炭焼といいますと、木炭を焼く人のように思われますが、当時の炭焼は鍛治炭を焼いたものらしく、石から金を焼き出す炭焼は、最先端を行く科学者だったのでしょう。