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2020-08-10 10:59:00

青葉城(仙台城址) あおばじょう

仙台市青葉区天守台

022-223-7255

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伊達氏六十二万石が政宗以来270年間居城としたところです。伊達政宗の像:政宗公(高さ一四・五メートル)は、幼名を梵天丸と申しまして米沢に生れ、十八歳で伊達家をつぎ、若干二十三歳で奥州大半を従えたという英雄です。以前は、平和な国に戦いはなし、武器は不用と、腰には小刀一本という不断着のままのスタイルでしたが、昭和三九年、東京でオリンピックが行われました時、外国のお客様を不断着でお迎えしてはエチケットに反するというので、鎧、兜に身をかため、乗馬姿の銅像に替えられてしまいました。不断着姿の像は、岩出山町の方へ移されました。叉、片眼(右)を閉じておりますのは、四歳の時、天然痘に悩まされ、失明したものといわれております。独眼竜政宗のいわれです。数々の偉業をなしとげ、歴史に大きな足跡を残した政宗も、寛永十三年五月二四日、江戸の仙台屋敷で七○年の波乱に富んだ生涯を終えました。「曇りなき 心の月を さきだてて 浮世のやみを 照らしてぞゆく」政宗の辞世のうたです。*本丸:本丸は東西三十五間、南北四十七間、秀吉が造った楽楽第にならって建てられた、桃山式書院造りの建築で、部屋数十五、金泥を塗り、極彩色の画を描いた豪華なものでした。然し、廃藩置県後、時の宮城県令が、維事困難との理由で、国宝価値のあったものを、全部こわしてしまいました。 二の丸跡:青葉城は初め本丸だけでしたが、伊達家の家臣達が、政宗のご機嫌伺いに、この坂の登り下りが大変だ、というので、政宗の遺言によって二代忠宗が造られたのが二の丸です。城主は二の丸に起き臥し、本丸は公式の場所にだけ使っておりました。明治に入りましてから、ここに軍隊が置かれ戦後は米軍のキャソプ地となり、十二年間星条旗がはためいておりました。