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2020-08-10 14:13:00

多賀城跡 たがじゅせき

多賀城市市川立石

022-368-1141

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多賀城市には、およそ一二五○年以上前の奈良時代、東北の開拓と、蝦夷地経営のための国府と鎮守府がおかれましたが、多賀城はその「とりで」として築かれたものです。昭和三十五年から、歴史学者などの手によって、発掘調査が行われました。昭和三十八年には、東西八七○メートル、南北一○九○メートルの広い敷地跡が確認され、国の特別史跡に指定されました。その規模の大きなことは、中央の藤原宮跡や九州の大宰府跡にも等しいとされ、東北に対する当時の中央政権の考えが、いかに重要なものであったかを知る、貴重な遺跡として注目されています。

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今から約一三○○年以上前の奈良時代や大野東人という人が、蝦夷平定のために建てた「とりで」の跡といわれ、のちに、北畠顕家が城の形にととのえたものです。東西八七○メートル、南北一○九○メートルの長方形で、内城と外城に分かれ、昭和三十八年に発掘調査の結果、正殿、後殿、中門などの規模がわかっています。

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神亀(しんき)元年、大野東人(あずまんど)により蝦夷平定のため築かれたお城ですが、城といっても、砦館でした。初めは軍事の中心である、鎮守府が置かれましたが、その後、陸奥の国府も武隈(今の岩沼)から移されて以来、東北の政治、軍事の中心として栄えました。平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。