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2020-08-10 14:20:00

坂上田村麻呂 さかのうえたむらまろ

多賀城市宮内?

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平安朝初期の征夷大将軍として、日本の武人の祖ともいわれる坂上田村麻呂は、この八幡神社の近くで生れたという、伝説があります。田村麻呂の父刈田麿(かりたまろ)も武将で、えぞを平定するため将軍として多賀城におりましたが、ある時この附近に狩りに出かけ、ある金持ちの家に泊まりました。その晩、その家の下女の悪玉というものと情を通じたところ、月満ちて悪玉は男の子を産みました。この子は千熊(ちくま)と名づけられ、その金持の家の子として立派に育ち、特に武技にかけては、抜群の力を発揮しましたが、ある時、自分は下女の悪玉の子であることを知りました。悪玉は、千熊に一本の矢を渡し、刈田麿が別れのとき、もし生れた子が男の子なら、この矢を持って都に来るように、といわれたことを語りました。千熊は立派に成人して、のち都に上り、刈田麿と面会し、父から色々の試験をされたのち、目出たく父子の名乗りをあげました。この千熊が、のちの征夷大将軍坂上田村麻呂です。