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2020-08-10 14:59:00

古川市 ふるかわし

市の中央を北上川の支流、荒雄川(江合川)が流れ、昔は玉造川と呼ばれていましたが、平安朝の頃、水路を変えたために、その名残りが古川と呼ばれ、地名の起りになったといわれております。叉、古川は、かっての商人の町、酒と味噌、醤油の町として知られ、市内にはその名残りをと営める土蔵造りの家が見受けられます。全国でも数少ないお蔵の町で、暖簾を守る老舗の通りがあります。昔から政治、経済の中心地として、叉、交通の要路として繁昌し、江戸時代には、参勤交代の宿駅となり、発達致しました。伊達家の家臣、鈴木和泉守の城下町でもありましたので、市内には城跡や菩提寺、溺手の門など、数々の史蹟が残されております。

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宮城県のほぼ中央に当り、大崎平野の中心となる、田園都市です。旧奥羽街道、現在の国道四号線の宿駅でもあり、ここから東へ石巻街道、西へ最上街道が分れているため、古くから交通の要衝として、栄えました。昭和二十五年に、旧古川町を中心に、近隣の村を合併して市政がしかれました。またここは、歴史的にみても、大層古くから開かれた土地で、二千年程前に、すでに米作が行われたといわれています。そして、大和朝廷時代に、奥羽統治のために「玉造軍団」と呼ばれた軍隊が、駐屯していました。室町時代になると、ここに奥羽総奉行が置かれ、斯波家兼という人が、はじめてこの地一帯を領有しましたが、この家兼が、のちに東北で勢威を持った、大崎氏の先祖となりました。その後、豊臣時代には、大崎氏が滅んで伊達氏の領地となり、以来、伊達氏の重臣である、鈴木元信という人が、ここに城を構えて統治し、今日の古川市発展の、基礎を作ったといわれています。